孫正義氏のドキュメンタリー、インタビュー、ノンフィクション、ノウハウ本、月刊誌記事は割合目を通していて、「孫正義300年王国への野望」も読んだが、なんだか違和感がのこる。
著者の杉本貴司氏は日経新聞記者で、孫正義氏や恩人佐々木氏等へのインタビューもこなしているのが文面から伝わる。しかし、2001年8月から2005年8月までの4年間をこの目で見聞してきた筆者の視点からは、この期間に限っていえばだが、記憶違いのインタビュー内容をそのまま記事にしたと思われる話や、裏を取らずに特定の人物や人物群を貶めている箇所が散見され、書かれた方はかなわんなとの思いも湧く。筆者の見聞していない後の年代の書き方も押して図るべしかなと疑心にとらわれる。
孫正義氏の経営を真面目に研究しようとする現在や後々の読者にも、こうした細部の誤った事実の積み重ねが異なる見方を与えるのではないか、ノンフィクションとうたいながらのこうした書き方はどうだろうかと考えてしまった。梶原一騎氏の「空手バカ一代」を大変おもしろく読んだ筆者は、あの話の一部はあくまで創作であることを知って楽しんだが、「孫正義300年王国への野望」はノンフィクションであり、提灯記事という言葉も少し脳裏をかすめる、又褒め殺しとの言葉も浮かび、こうした書き方はかえって孫正義氏を誤解させるのではないか、面白さを追求しすぎてバランスを失うのはジャーナリストが書く本としてはいかがなものであろうか。
孫正義氏はすでに大きな成功を収めており評価も定まっている、クールで辛口でバランスの取れたノンフィクションをこそ書くべきではないかとの思いも強いが残念ながら辛口のインタビューは見当たらない。それは好みの問題だといわれればその通りなのだが。
気になる記述例1
2001年6月には総務省でNTTの局舎建設の遅延に怒り、女性役人の前でガソリンかぶる宣言をしたと「孫正義300年王国への野望」にある。筆者は8月11日に転職したので6月のこの場には居合わせていないが事実と異なる。
その後、ADSLユ-ザ-に対する「解約縛り」つまりサービスが遅れたために解約しようとするが、その解約処理すら遅れが目立ち、それに対する総務省への苦情が増え、ある日孫正義氏(筆者が随行した)は総務省の消費者担当の室長(女性)に呼ばれて出向いた。その時この耳ではじめて孫正義氏「ガソリンかぶる宣言」の場に出くわした。
2001年6月には今井氏はまだADSL事業には参画しておらず、このときの総務省の課長は消費者担当の女性ではない。又、消費者担当の女性室長は普通の話し方であり、孫正義氏が激高したのが事実だが。この室長は山田真貴子さんで内閣総理大臣秘書官を経て2017年現在の現職は官房長で次官も視野に入るポストだ。このノンフィクソンを読んで入れば苦笑いするのではないか。
気になる記述例2
買収後の東京メタリック社員がサボタージュだと書かれている、しかし事実とは異なる。当初はオペレーション体制が全く不備で、オペレーション本部長だった筆者は東京メタリックと名古屋メタリックのオペレーションスタッフの応援を要請し、日本橋箱崎の本社に詰めてもらった。東京メタリックがNTT東への、名古屋メタリックがNTT西のオペレーションを担当してもらったが彼らの応援がなければ離陸できたかどうか、今でもそう思っている。東京メタリックがNTT東を担ったということは量的な貢献度は相当なもので、つまりどちらもよく頑張ったのであり、東京メタリック出身のスタッフの名誉が貶められているのはどうかな。
気になる記述例3
電話局への夜間の電話局入りの話は筆者も一緒にいてその電話局名まで克明に記憶しているが、時効とはいえこのようなきわどい話を記者が、それも不正確に書くのは無邪気すぎていかがなものか。誰がインタビューに答えたのか知らないが、このときこの現場には孫正義氏以外には4名しかいない、孫正義氏が話すはずは無いし、Tさん、Hさんもありえないだろう。面白い話だとして書いたのだろうが記者が書くものとして軽薄すぎる。しかしこうして話が外にでてしまった以上は一つのエピソードとして一人歩きを始める。インタビューに答えるほうも本を書く側も少しガードがゆるすぎないか。
気になる記述例4
LCRアダプター利用契約を稲盛邸に交渉する話は筆者も孫正義氏から社長車の中で直接聞いたことがあるが、あまり触れたくないのか控えめに述べていた。視点が一方的で稲盛氏のインタビューを取っていない点も気になる。この話誰がみても稲盛氏に分があり、稲盛氏が上から目線と書かれたら不愉快だろうなと。稲盛氏に分があることはずっと後に千本氏の話で出て来るが、交渉の記述では上から目線の男と書かれており、これではインタビューする相手毎にそれぞれ都合のよいことを述べているように思える。
孫正義氏が肝臓病を患ったときに社長を務めた大森氏に対する書き方も、私は見聞していないが、一方的で悪役あつかいだ、ドラマに仕立て上げすぎているのではないか、せめて彼へのインタビューをとるなどすべきではなかったか、できなかったらもっと中立的に書くべきだ。
気になる記述例5
ニケシュ問題では宮内氏、青野氏の言葉を紹介しているがそれを受けてのニケシュからのインタビューを行っていない。特に役員の青野氏の言葉としてニケシュの行動を「法的にはともかく、やってはいけないこと」と紹介しているがこれなど、この本を片手に株主総会で質問されたらどのように答えるのだろうか。これ又インタビューに答えるほうも本を書く側も少しガードがゆるすぎ、情報統制の観点からみておかしくないか、かつてなかったようなこの種の話の露出に驚いている。
気になる記述例6
米国スプリント側のサボタージュ的な努力不足を書いているがスプリント側のコメントが無いと一方的でバランスを書いた印象操作になる。
気になる記述例7
筒井氏をマッド・サイエンティスト扱い。これも失礼で、社内では決してこのような言い方をされていない。メディアがいつの頃か面白おかしくネーミングしたものだ。メディアが率先して不名誉なネーミングの定着化をはかるのは困ったものだ。トランプ大統領がマチス国防長官をマッド・ドッグと呼ぶのとは異なり、揶揄の側面が強く感じられる。
気になる記述例8
孫正義氏の英語力、これも中学生英語でも国際ビジネスで通用するという側面を強調するために例として出したもので、実際はそんなことはない。FCCや海外の弁護士、ADSL干渉問題での総務省研究会では米国人と細かいところまで渡り合うのを同席して何回も聞いていたが非常にわかりやすい英語だと思う。中学生英語で専門的な交渉事を行える訳がないことは自明だとおもう、こう書いたほうが話が面白いのは事実だがやはり事実でない筆は抑えるべきだろう。