まさおレポート

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「薔薇の名前」とベルクソンをつなぐもの「笑い」

2018-09-27 | 小説 幼年期の終わり(UFO含む)薔薇の名前

20代の頃に会社の同僚S君が横浜にあった開発センターから港区にあった本社ビルへの移動中に電車の中で「僕は葬式にでるとどうしても笑いの発作が出てきてしまう、また、目の前で婆さんがバナナの皮で転んだら笑いは不謹慎だと思いながらこらえるのが一苦労だ」と語ったことがある。彼は敬虔なクリスチャンで食事の前にいつも十字を切っていた男だ。

笑いはどんな種類であれ人の健康に役立つことがわかっている。吉本の笑いからイギリス風のユーモア、上品なジョークからダーティージョーク、あるいは単なる微笑みであろうと種類を問わずに人の脳内のドーパミン分泌を盛んにし、がん細胞を破壊するキラー細胞を活性化するという恐るべき効果がある。一方で「薔薇の名前」の中でキリストは笑ったかどうか問いかける文章も気になる。

ところが笑いは、身体を揺らして、顔の形を歪め、人間を猿のごときものに変えてしまう。 「薔薇の名前」p209

「いったいなぜ、キリストは笑ったと、福音書は決していわないのですか?」・・・「キリストが笑ったかどうか、という疑問は、無数の人間たちが抱いてきた。そういう、問題に私はあまり興味を覚えない。きっと笑わなかっただろう」 「薔薇の名前」 p257

この両者の間をフランスの哲学者べルグソンがつないでくれることを知った。べルグソンは1927年にノーベル文学賞も受賞している。べルグソンは知らなかったのだがきっかけはネットワーク・エコノミックスに関する依田高典京都大学教授の記事中の素敵な文章だ。べルグソンを読んだことはなかったが「人類は自分が成し遂げた進歩の重荷に半ば押しひしがれて呻吟している。人類は自分の未来が自分自身にかかっていることを十分判っていないのだ」とのことばを残している。AI、シンギュラリティーの時代を迎えて一層重みをます言葉だ。べルグソンは生理学的解明が精神の解明にはつながらないと断言している。

ネットワーク・エコノミックスは決して流行ものの産業政策論ではない。大げさに聞こえるかもしれないが、実際にはネットワーク・エコノミックスは来る世紀、来るミレニアムにおける我々の経済的可能性を問う試金石となるべき学問である。我々の文明は環境破壊や資源の枯渇、人口爆発のような未だかってない危機に瀕している。「人類は自分が成し遂げた進歩の重荷に半ば押しひしがれて呻吟している。人類は自分の未来が自分自身にかかっていることを十分判っていないのだ」(H.ベルクソン)。未来の地球と人類に著しい負荷を掛けるような重厚長大型の経済成長から決別する道を探ること――これが新しい学問ネットワーク・エコノミックスの本当の課題である。

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おかしさは、まったく平静な精神の表面に落ちてくるという条件の下でのみ、笑いを生みだしうると思われる。
……おかしさがその効果をすっかり発揮するには、瞬間的な心臓麻痺のようなものを必要とする。おかしさは純粋理知に呼びかけるのである。(H.べルグソン 笑いについて p.15-16)

笑いは純粋理知の働きだとも述べる。つまり同情や共感など感情が動く場合には笑いは生まれないのだ、なるほど。これで「きっとキリストは笑わなかっただろう」の意味がわかった。「日蓮は泣かねども涙暇なし」諸法実相抄とも通じ合う。偉大な宗教家は常に同情や共感のうちにあり、笑いとは無縁だったのだ。

笑いはどんな種類であれキラー細胞を活性化し、人の健康に役立つ。一方で「きっとキリストは笑わなかっただろう」、他の例では人は他の生き物の命を奪って栄養を摂り、健康を維持することができる、人類は矛盾の中に生きていることを宿命づけられた存在だということが笑いからもわかる。すると「人類は自分が成し遂げた進歩の重荷に半ば押しひしがれて呻吟している。人類は自分の未来が自分自身にかかっていることを十分判っていないのだ」(H.ベルクソン)の言葉も一層すごみをもって迫ってくる。


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