無限大の夢追いかけて

日々、頭に浮かんだことを書き残そうと思います。

親子の話

2007-04-19 21:25:21 | 思い出
5年前にHPを開いた。
その頃は、まだ子育て真っ最中で、
『親子の話』という題で文章をいくつか書いた。
書き始めは、いろいろ自分のことでも思い出すことがあって、
すらすらと書けた。(内容の良し悪しはおいといて・・・)

今日も、久々に書いてみようかなと思って、書き始めたが・・・
書き始めてはやめ、書き始めてはやめ、の繰り返し。
結局、自分のHPに戻って、ひとつコピーしておくことにした。
(すでに、読んでくださった方は、パスしてくださいね。(^-^)ニコ )

題名は、

 「親子の話・その3『いちごどろぼう』」

 私が小学校2年生・8才のころです。
 そのころ、私もランドセルを背負って、近くの小学校に通っていました。

 その日は、小学校から近所の友達と2人で帰っていました。
 そして、事件が起きました。(もう時効が成立していると思いますが・・・)

 私と友達は、家まであと200メートルというところまで帰ってきて、
 道端のたんぼのビニールハウス内に入りました。
 その時は、悪いことをしている意識も
 あったのか、なかったのか、その記憶もあいまいですが、とにかく、
 どうどうと、ランドセルを背負ったまま、栽培してあるイチゴを食べました。

 そうです。”いちごどろぼう”です。
 私が誘ったのか、友達が誘ったのか、そんなことはどちらでもいいのですが。


 家に帰った私は、
 ”いちごどろぼう”をしたことがばれるわけがないと思っていたのか。
 それとも、
 ”いちごどろぼう”が悪いことだともわからなかったのか。
 とにかく、いつものようにふるまっていました。
 そして、
 いつものように、夕ごはんを食べようとしたその時です。

 父が「なんか、かくしてるやろ。」と一言、
(まさか”いちごどろぼう”がこんなに早くばれることは想像もしてなかったのか。)
 私は、「なんのこと」と答えました。
 父は、少し大きな声で「謝りにいってこい!」と怒って言いました。
(ここで、私はもしかしたら、ばれたのかも?と思いました。でも)
 私は、とぼけて「なんのこと」と繰り返していました。

 これまでも、悪いことをした時に、真っ暗な物置に閉じ込められたり、
 時には、殴られたりしていた私は、この時点でもう”はんべそ”状態になっていました。
 でも、この日の父は、少し違いました。
 殴るわけでも、怒鳴るわけでもなく冷静に、
「よそのたんぼで、いちごとったやろ。○○さんの家に謝りにいってこい。
 ○○さんの家は、・・・・・」と家の場所を説明しただけで、父は黙りました。
 横で、母も・・・、そして姉も・・・黙っていました。


 そして、薄暗くなった道をとぼとぼ泣きながら、
 私は、その○○さんの家に行きました。
 まだ、小学校2年生のころです。まともに「こんばんわ!」が言えたのか。
 ”いちごどろぼう”をしたことについて、説明できたのか。
 そのことについては、全くといっていいほど記憶にはないのですが、
 とにかく、泣きながら「ごめんなさい!」と謝ったことは、
 間違いないと思います。

 私の記憶では、○○さんのおじいちゃん
(今はもう亡くなられましたが、当時は、怖くて怖くてという印象だった。)
 も、全く怒らずに、
 一人で謝りに来た事を誉めてもらい、”ココナッツサブレ”という
 お菓子をもらって帰りました。

 帰ってから、父がおだやかに、他人のものを盗むことについて、
 私に諭し(何を言っていたのかは、これも記憶にないのですが。)、
 それを聞きながら、そして泣きながら、
 私は、少し遅い夕ごはんを食べました。


 この話は、本当に細切れの記憶ですが、
 こういう叱りかたもあるんだな。と、時々思い出します。

 今思えば、私が謝りにいったあとで、
 父か、母が、その○○さんの家に謝りに行ったことは間違いないと思いますが、
 その時は、「自分で責任取ってこい。」と
 私に言いたかったのだと・・・・・、
 そのことに気がついたのも、もう少し大きくなってからでした。


そして、ここだけの話・・・
 僕が父親になってから、
 僕の息子が、同じようなことをしたことがあった。
 やっぱり、僕も、僕の父が叱った方法で息子を諭した。


僕が、父から伝えてもらったこと、
息子にも、ちゃんと伝えたい。

         今日は、そんなことを考えました。