小さい頃
我が家は、父、母、僕、姉、そして、おば(父の姉)の5人家族だった。
おばは、現在、全盲で、光を全く感じることもない。
当時は、うっすら見える程度、光を感じる程度だった。
僕は、目の不自由なおばの手を引き、
歩いて20分ぐらいの歯医者や病院によく一緒に行った。
何度か通っているうちに、小さいながらも
周りの人が、興味本位でジロジロと見る視線や、
同情に似た視線でおばを見ていることに気がついた。
正直、複雑な心境だった。
でも、複雑な心境といっても、
目が見えなくても、堂々と生きているおばを
僕は、恥ずかしいと思ったことはなかった。
ジロジロ見られるからいやだ。と思ったことはなかった。
むしろ、目が見えないというハンデがありながら、
決して卑屈にならず、堂々と生きていたおばを、
尊敬に似た気持ちを持ち続けていた。
我が家は、そのおばを父と母が助けながら生活したいた。
僕は、そんな家族の中で育った。
そして、今、
僕は、「白い杖」を見ると、敏感に反応する。
反応はするが、すぐに手をさしのべることはせず、
「大丈夫かな?」と思いながら、そっと、後ろをついて歩くことが多い。
もちろん、困った様子を見かけて手をさしのべたことは、何度かある。
僕自身は、「優しさと同情は、全く違う。」
そんな風に思う人間である。と自己分析している。
我が家は、父、母、僕、姉、そして、おば(父の姉)の5人家族だった。
おばは、現在、全盲で、光を全く感じることもない。
当時は、うっすら見える程度、光を感じる程度だった。
僕は、目の不自由なおばの手を引き、
歩いて20分ぐらいの歯医者や病院によく一緒に行った。
何度か通っているうちに、小さいながらも
周りの人が、興味本位でジロジロと見る視線や、
同情に似た視線でおばを見ていることに気がついた。
正直、複雑な心境だった。
でも、複雑な心境といっても、
目が見えなくても、堂々と生きているおばを
僕は、恥ずかしいと思ったことはなかった。
ジロジロ見られるからいやだ。と思ったことはなかった。
むしろ、目が見えないというハンデがありながら、
決して卑屈にならず、堂々と生きていたおばを、
尊敬に似た気持ちを持ち続けていた。
我が家は、そのおばを父と母が助けながら生活したいた。
僕は、そんな家族の中で育った。
そして、今、
僕は、「白い杖」を見ると、敏感に反応する。
反応はするが、すぐに手をさしのべることはせず、
「大丈夫かな?」と思いながら、そっと、後ろをついて歩くことが多い。
もちろん、困った様子を見かけて手をさしのべたことは、何度かある。
僕自身は、「優しさと同情は、全く違う。」
そんな風に思う人間である。と自己分析している。