☆ Lentamente ☆

… ゆっくり ゆっくり …

せみしぐれ

2008-08-02 21:41:02 | 外出

今日は以前から御縁のあったお寺のご住職を訪ねて大和まで出掛けました。


ご住職とのお話の中から何故法要を行うのかということから発して、
「全ては一体」という説に及びました。

自分が嬉しい時は両親もご先祖様もお釈迦様も嬉しい。 

自分が悲しい時も怒っている時も同様。 

如いては物とも宇宙までとも一体なのだそうで。

他人を傷つけることは自分を傷つけていることになるし、物を傷つけても同じことなのだそうです。 

全てを自分と同じように慈しみましょう、というお話でした。


とても優しいお人柄のご住職で和やかなひと時になりました。



その後、白金高輪でお墓参りをして少し足を延ばして日比谷まで行って遅い昼食にしました。

お寺ではあまり聞こえなかった蝉の声も日比谷公園では元気一杯という感じで降り注いできました。

日比谷公園内の「松本楼」の外のテラス席で、
蝉時雨のシャワーと吹き抜ける涼しい風の中ゆっくりランチを楽しみました。


大樹の木陰は、とても涼しく心地好かったです♪


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目に見えないもの

2008-08-01 23:37:41 | 思う

読んでいた本に

「私は目に見えないものしか信じない」 という人と 「自分の手に触れたものしか信じない」という人があって。

これは両極端ですけどね。

「目に見えないものしか信じない」 は画家モローの言葉だそうです。

「同じ物を見て描いた絵でも描いた人によって違った絵になるのは、目に見えないものも含めて描いているから」 大きく頷けるところです。


人を見る場合でも、その人の見たままではなく見えない背景がとても重要に思えてしまう。



「僕たちは自分で自分を見ることができません。鏡を見るか川のほとりにでもかがみ込まない限り、自分は《見えない》存在です。誰一人として自分のことを自分の目で見られる人はいません。このことをすごく面白いと思います。」 ともあります。


普段の自分って見られないですよねぇ。

私も、今見ている風景を相手の人から見たらどう見えるんだろう? と思う事があります。 
(自分も含めて映っている風景・・)


「小さな子供は他人だけを見て生活しています。なかなか自分という存在に気付かないし、・・・(中略)・・・僕たちは成長するにつれて、文字通り自分を発見していくわけです。自分の姿を長い時間かけて見つけだしていく。このことが人間を人間たらしめているような気がするんです。・・・」


自分を発見していく・・・。 

自分が思っている自分と、周りの人が思っている自分と違う事が多々ありますね。

まだまだ発見は続くんですね。 

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