神の国を見たいという願望は、誰にでもある。それに対するイエスの回答がここに示される。
ルカ福音書17章20~21節「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
あなたがたの間にあるというのは、場所的ではなく、人と人との間にあるということである。
これを現在形で人間関係として捉えるが、しかしこの後の記述を読むとそれは違う。神の国は、実現していないが今そこまで来ているという緊張した捉え方である。目覚めた生き方ということであろう。
愛する夫が遠洋漁業でその帰宅を待つ花嫁の心境という例えがある。窓を開けて海を見ながら何もしないで待ちわびる妻ではなく、今日かもしれないと、家を飾り花壇を作って待つ妻である。
ルカ福音書17章20~21節「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
あなたがたの間にあるというのは、場所的ではなく、人と人との間にあるということである。
これを現在形で人間関係として捉えるが、しかしこの後の記述を読むとそれは違う。神の国は、実現していないが今そこまで来ているという緊張した捉え方である。目覚めた生き方ということであろう。
愛する夫が遠洋漁業でその帰宅を待つ花嫁の心境という例えがある。窓を開けて海を見ながら何もしないで待ちわびる妻ではなく、今日かもしれないと、家を飾り花壇を作って待つ妻である。