日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

信じる

2006-03-10 | Weblog
 これは注目すべき箇所である。
 23~25節「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。」
 多くの人はイエスの名を信じたが、イエスは彼らを信用されなかった。人がイエスを信じることに対して、それを信じなかったということである。
 人は信じていても、いつか信じなくなる、これをイエスは見抜いておられる。人の信頼は、不完全でいつか不信に変わる。
 「絶対信じる」ということは止めにしたい。自力信仰は駄目である。
 イエスを信じる心を与えて下さいと祈るだけである。
 イエスの側から結び合わせてくださる信頼関係である。人と人との信頼関係もこれが原点となる。
 これを明確にしないと、キリスト教も変質する。
(写真 台湾・高雄市から桃源郷へ向かう)