ヨハネ福音書19章はイエスの十字架と葬りである。
示されたのは5節「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。」
口語訳では「見よ、この人だ」であった。むしろ「この人を見よ」が自然な表現である。
茨の冠、葦の棒、紫の服のイエス
ピラトは「ユダヤ人の王」にこだわり、祭司長たちはローマ皇帝の他に王はいないと否定し、地上の王ではない王の威容でイエスが裁判席の前に立っている。
この王なる方の前に、わたしは平伏す。
中世の画家はこの場面を画いて「エッケ・ホモ」(ラテン語)と題をつけている。
ルオーの絵は有名である。しかし茨の冠をつけたイエスの顔だけでは、王の威容は判らない。
愛唱する賛美歌121番4節 由木康作詞「この人を見よ」を思う。
示されたのは5節「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。」
口語訳では「見よ、この人だ」であった。むしろ「この人を見よ」が自然な表現である。
茨の冠、葦の棒、紫の服のイエス
ピラトは「ユダヤ人の王」にこだわり、祭司長たちはローマ皇帝の他に王はいないと否定し、地上の王ではない王の威容でイエスが裁判席の前に立っている。
この王なる方の前に、わたしは平伏す。
中世の画家はこの場面を画いて「エッケ・ホモ」(ラテン語)と題をつけている。
ルオーの絵は有名である。しかし茨の冠をつけたイエスの顔だけでは、王の威容は判らない。
愛唱する賛美歌121番4節 由木康作詞「この人を見よ」を思う。