日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

この後ふたたび罪を犯すな

2010-03-24 | Weblog
  ホセア3章 

  1節「主は再び、わたしに言われた。『行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように』」。ここで主なる神は、ホセアにゴメルのもとに「行け」と促した。破綻した関係回復は主からの要請である。これは彼に求められる苦悩の決断である。裏切る者を愛することは出来ることではない。然しそれを促すのは、「主がなお彼らを愛されるように」である。
  2節「そこで、わたしは銀十五シェケルと、大麦一ホメルと一レテクを払って、その女を買い取った」。淫婦に堕ちたゴメルを、彼は身代金の銀と大麦を払って連れ帰した。決して純愛物語ではない。彼女はバール神殿の娼婦になっていたのだろうという。
  3節「わたしは彼女に言った。『お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる』」。ホセアには激しい叱責の言葉は無い。あるのは再び罪を犯すなという言葉である。しかしこれも人間的な愛であるなら、確実性は無い。

  ホセアを突き動かすのは神の慈しみ(ヘセド)である。「憐れみ」「真実」「誠実」「愛」とも訳される。本書には2章21節の他に4章1節、6章6節、12章7節にある。これは人の愛と異なる。
旧約一般では「愛する」はアーヘーブである。1節はこの言葉が使われている。
 
  この箇所からヨハネ福音書8章1~11節の記事を示される。
姦通をした女を律法学者やファリサ派の人々が神殿の境内に連れて来て主イエスに、これをどう裁くか試す記事がある。主は「罪を犯したことの無い者が、先ず女に石を投げよと言われたが、誰一人出来る者はいなかった。主は女に罪の赦しを宣言し、「往け、この後ふたたび罪を犯すな」(文語訳)と告げている。