ホセア8章
1~3節 イスラエルに対する警告
1節「角笛を口に当てよ。鷲のように主の家を襲うものがある。イスラエルがわたしの契約を破り、わたしの律法に背いたからだ」。「角笛」は、主の契約を破り背くイスラエルに対する審判の警報である。
2節「わたしに向かって彼らは叫ぶ。『わが神よ、我々はあなたに従っています』と」。神に従っていると言うが、契約を破っている。
3節「しかしイスラエルは恵みを退けた。…」。形式的見せ掛けだけの信仰で、主の恵みを退けたので、外敵に襲われる(3節)。新共同訳「追われるがよい」は意訳。
4~6節 イスエラエルの偶像は打ち砕かれる
4節「彼らは王を立てた。…高官たちを立てた。しかしわたしは関知しない。彼らは金銀で偶像を造ったが、それらは打ち壊される」。ヤロブアム二世以降のイスラエル王朝が批判される。金銀の偶像を造ってバール神を礼拝した。
5節「…お前の子牛を捨てよ。わたしの怒りは彼らに向かって燃える。いつまで清くなりえないのか」。口語訳「…わたしはあなたの子牛を忌みきらう。わたしの怒りは彼らに向かって燃える。彼らはいつになれば…罪なき者となるであろうか」。「子牛を捨てよ」だが、口語訳「忌み嫌う」新改訳「はねつける」岩波訳「退けよ」である。このヘブライ語(ザーナハ)は「恵みを退けた」(3節)と同じ言葉である。退けるものを間違えている。バール神子牛はイスラエルと共に必ず粉々に砕かれる(6節)。
7節「彼らは風の中で蒔き、嵐の中で刈り取る。芽が伸びても、穂が出ず、麦粉を作ることができない。作ったとしても、他国の人々が食い尽くす」。 イスラエルは野の作物が不作で芽も穂もでない状態。出来ても他国の人々に食いつくされる(8節)。
9節「エフライムは独りでいる野ろば。…貢によって恋人を得た」。アッシリアや諸国に貢を贈って支援を得ようとしたが、重荷になって苦しむようになる(10節)。
11節「エフライムは罪を償う祭壇を増やした。しかし、それは罪を犯す祭壇となった」。何という皮肉であろう。罪を償う祭壇が、罪を犯す祭壇になるとは。
13節「わたしへの贈り物としていけにえをささげるが、その肉を食べるのは彼らだ。主は彼らを喜ばれない。今や、主は彼らの不義に心を留め、その罪を裁かれる…」。主が喜ばれるのは、愛であっていけにえではない(6章6節see)。今や民は悔い改めて、エジプト脱出の時に立ち帰らねばならない。
14節「イスラエルはその造り主を忘れた。彼らは宮殿を建て連ねた…」。打ち壊されるものに心奪われて、創造主を忘れた。それらは焼き尽くされねばならない。
イスラエルの不徹底な悔改めが問われている。
わが国は因習に染まった宗教行事が現在も温存されている。何の疑問も持たないままマスコミで報道され、受け入れている。
五穀豊穣、子孫繁栄を願う子牛の祭壇を捨てないで、真実の平和と祝福は無いことを、肝に命じねばならない。
1~3節 イスラエルに対する警告
1節「角笛を口に当てよ。鷲のように主の家を襲うものがある。イスラエルがわたしの契約を破り、わたしの律法に背いたからだ」。「角笛」は、主の契約を破り背くイスラエルに対する審判の警報である。
2節「わたしに向かって彼らは叫ぶ。『わが神よ、我々はあなたに従っています』と」。神に従っていると言うが、契約を破っている。
3節「しかしイスラエルは恵みを退けた。…」。形式的見せ掛けだけの信仰で、主の恵みを退けたので、外敵に襲われる(3節)。新共同訳「追われるがよい」は意訳。
4~6節 イスエラエルの偶像は打ち砕かれる
4節「彼らは王を立てた。…高官たちを立てた。しかしわたしは関知しない。彼らは金銀で偶像を造ったが、それらは打ち壊される」。ヤロブアム二世以降のイスラエル王朝が批判される。金銀の偶像を造ってバール神を礼拝した。
5節「…お前の子牛を捨てよ。わたしの怒りは彼らに向かって燃える。いつまで清くなりえないのか」。口語訳「…わたしはあなたの子牛を忌みきらう。わたしの怒りは彼らに向かって燃える。彼らはいつになれば…罪なき者となるであろうか」。「子牛を捨てよ」だが、口語訳「忌み嫌う」新改訳「はねつける」岩波訳「退けよ」である。このヘブライ語(ザーナハ)は「恵みを退けた」(3節)と同じ言葉である。退けるものを間違えている。バール神子牛はイスラエルと共に必ず粉々に砕かれる(6節)。
7節「彼らは風の中で蒔き、嵐の中で刈り取る。芽が伸びても、穂が出ず、麦粉を作ることができない。作ったとしても、他国の人々が食い尽くす」。 イスラエルは野の作物が不作で芽も穂もでない状態。出来ても他国の人々に食いつくされる(8節)。
9節「エフライムは独りでいる野ろば。…貢によって恋人を得た」。アッシリアや諸国に貢を贈って支援を得ようとしたが、重荷になって苦しむようになる(10節)。
11節「エフライムは罪を償う祭壇を増やした。しかし、それは罪を犯す祭壇となった」。何という皮肉であろう。罪を償う祭壇が、罪を犯す祭壇になるとは。
13節「わたしへの贈り物としていけにえをささげるが、その肉を食べるのは彼らだ。主は彼らを喜ばれない。今や、主は彼らの不義に心を留め、その罪を裁かれる…」。主が喜ばれるのは、愛であっていけにえではない(6章6節see)。今や民は悔い改めて、エジプト脱出の時に立ち帰らねばならない。
14節「イスラエルはその造り主を忘れた。彼らは宮殿を建て連ねた…」。打ち壊されるものに心奪われて、創造主を忘れた。それらは焼き尽くされねばならない。
イスラエルの不徹底な悔改めが問われている。
わが国は因習に染まった宗教行事が現在も温存されている。何の疑問も持たないままマスコミで報道され、受け入れている。
五穀豊穣、子孫繁栄を願う子牛の祭壇を捨てないで、真実の平和と祝福は無いことを、肝に命じねばならない。