日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った

2014-05-19 | Weblog
  エレミヤ2章 

  13節「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない、こわれた水溜めを」。(新共同訳)

  1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出しに「イスラエルの罪」とあるように、神が預言者の口を通して、罪を告発する(1章9節)。以下八項目に及ぶ。
  2節「行って、エルサレムの人々に呼びかけ、耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心、花嫁のときの愛、種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす」。エジプト脱出の時の民は花嫁の純愛(ヘセド)で神に従順だったので、主に献げられた初穂であった(3節)。これまで「ヤコブの家」「イスラエル家」として守られて来たが、何故今は主から遠く離れ、空しいものの後を追う部族となっているのか(4~5節)。告発の第一である。
  7節「わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き、味の良い果物を食べさせた。ところが、お前たちはわたしの土地に入ると、そこを汚し、わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた」。荒れ野の旅を終えて、豊穣な土地カナンに導き与えられたにもかかわらず、祭司は主を忘れ、指導者は律法に背き、預言者はバアルの預言をしている。それゆえ改めて告発するのだ(8~9節)。第二である。
  10節「キティムの島々に渡って、尋ね、ケダルに人を送って、よく調べさせ、果たして、こんなことがあったかどうか確かめよ」。周辺の国々を尋ねて見よ。神ではない神々と取り替えた国があろうか。ところがわが民はこの愚かなことをしている。天を驚け、地よ震えおののけ(11~12節)。これが第三である。
  13節「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない、こわれた水溜めを」。無用の水溜とは「ナイルの水(エジプト)、ユーフラテスの水(アッシリア)である(14~18節)。この背信が如何に悪く、苦いことか味わい知るがよいと告げる(19節)。第四である
  20節「あなたは久しい昔に軛を折り、手綱を振り切って、『わたしは仕えることはしない>』と言った。あなたは高い丘の上、緑の木の下と見ればどこにでも、身を横たえて遊女となる」。その背反を、手綱を切った子牛、雌のらくだとろばが、発情しているようにイスラエルも情欲にあえぎ、異国の男を慕って後を追う(23~25節)。第五の告発である。
  26節「盗人が捕らえられて辱めを受けるように、イスラエルの家も辱めを受ける、その王、高官、祭司、預言者らも共に」。辱められても、木や石に向かって父よ、母よ救って下さいと言う。なぜいつまでも偶像礼拝と忘恩を続けるのか(27~32節)。
  33節「なんと巧みにお前は情事を求めることか。悪い女たちにさえ、その道を教えるほどだ」。情事に等しい背信に陥りながら、「わたしには罪がない、主の怒りは去った」という(34~35節)。第六、第七と続く。
  36節「なんと軽率にお前は道を変えるのか。アッシリアによって辱められたように、エジプトにも辱められるであろう」。第八の告発は、軽率に主の道を変えていることである。エレミヤは、北イスラエルの遥か100年も遡ってアッシリアに滅ぼされ属国となっているが、複眼的な目で時代を見ている。諸国の力と政治に頼る、主なる神への背信である(37節)。
 様々な偶像礼拝の告発は二つの背反であることが指摘された(13節)。神ならぬものを神とする罪と神を神としない罪である。日本の国土はこの二つの背反に覆われていることを知るべきである。ヨハネ福音書4章24節が強く示される。