エレミヤ7章
4節「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(新共同訳)
1節「主からエレミヤに臨んだ言葉」。小見出しは「神殿での預言」。エレミヤの召命は1章2節にある通りヨシア治世13年(紀元前627年)であるが、初期預言は宗教改革(列王記下23章 628~年)と重なる。神殿預言が、26章と同じとすれば、ヨアキム治世の初め(紀元前608年)になる。彼の20年近くの預言活動が処々に伺える。
2節「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け』」。エレミャは神殿の門前で、主の言葉を聞けと告げた。万軍の主はお前たちの道と行いを正すなら、この所に住まわせると(3節)。
4節「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」。神殿を絶対化し、どんな外敵からも不可侵であるという誤った考え方は、ヒゼキヤの時代アッシリヤ軍が一夜にして敗退した出来事(列王記下19章35節)に端を発すると考えられている。偽りの預言を信じてはならない。
5節「この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」。神の正義(ミシュパート)を行わないで、救いの力を持たない異教の神々に従いながら、「救われた」というのか(6~10節)。主は繰り返し語ったが、その言葉に従わず、呼び掛けに答えなかった(13節)。そこで北イスラエルのシロと同じように、民を放棄すると告げる(15節)。列王記上2章27節see。
16節「あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてわたしを煩わすな。わたしはあなたに耳を傾けない」。悔い改めを求め、執り成しをする預言者の存在理由を奪われる神の言葉。そこにははなはだしい偶像礼拝がある(9節、17~19節)。
18節「子らは薪を集め、父は火を燃やし、女たちは粉を練り、天の女王のために献げ物の菓子を作り、異教の神々に献げ物のぶどう酒を注いで、わたしを怒らせている」。「天の王女」とは、アシタロテ、アシュラと呼ばれる豊穣の女神であると言われる(44章16~23節)。
23節「むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る』」。然し、彼らは聞き従わず、頑なな悪い心の企みに従い、わたしに背を向けた(24節)。うなじを固くし(26節)、すべての言葉を語っても聞き従わず、呼び掛けても答えない」(27節)。神に執り成しをすることを要しないのは、このためである。それゆえ、彼らに「主の声に聞き従わず、懲らしめを受入れない、その口から真実が失われた民だ」と言うがよい(28節)。ベン・ヒノムの谷に高台を築いて、息子、娘を人身御供にすることを禁じたにもかかわらず、これを行うユダとエルサレムの町は廃墟となる(29~34節)。
列王記下16章3節、21章6節see。この危機的な状況から「哀歌をうたう」ことになると告げる(29節)。
4節「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(新共同訳)
1節「主からエレミヤに臨んだ言葉」。小見出しは「神殿での預言」。エレミヤの召命は1章2節にある通りヨシア治世13年(紀元前627年)であるが、初期預言は宗教改革(列王記下23章 628~年)と重なる。神殿預言が、26章と同じとすれば、ヨアキム治世の初め(紀元前608年)になる。彼の20年近くの預言活動が処々に伺える。
2節「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け』」。エレミャは神殿の門前で、主の言葉を聞けと告げた。万軍の主はお前たちの道と行いを正すなら、この所に住まわせると(3節)。
4節「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」。神殿を絶対化し、どんな外敵からも不可侵であるという誤った考え方は、ヒゼキヤの時代アッシリヤ軍が一夜にして敗退した出来事(列王記下19章35節)に端を発すると考えられている。偽りの預言を信じてはならない。
5節「この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」。神の正義(ミシュパート)を行わないで、救いの力を持たない異教の神々に従いながら、「救われた」というのか(6~10節)。主は繰り返し語ったが、その言葉に従わず、呼び掛けに答えなかった(13節)。そこで北イスラエルのシロと同じように、民を放棄すると告げる(15節)。列王記上2章27節see。
16節「あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてわたしを煩わすな。わたしはあなたに耳を傾けない」。悔い改めを求め、執り成しをする預言者の存在理由を奪われる神の言葉。そこにははなはだしい偶像礼拝がある(9節、17~19節)。
18節「子らは薪を集め、父は火を燃やし、女たちは粉を練り、天の女王のために献げ物の菓子を作り、異教の神々に献げ物のぶどう酒を注いで、わたしを怒らせている」。「天の王女」とは、アシタロテ、アシュラと呼ばれる豊穣の女神であると言われる(44章16~23節)。
23節「むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る』」。然し、彼らは聞き従わず、頑なな悪い心の企みに従い、わたしに背を向けた(24節)。うなじを固くし(26節)、すべての言葉を語っても聞き従わず、呼び掛けても答えない」(27節)。神に執り成しをすることを要しないのは、このためである。それゆえ、彼らに「主の声に聞き従わず、懲らしめを受入れない、その口から真実が失われた民だ」と言うがよい(28節)。ベン・ヒノムの谷に高台を築いて、息子、娘を人身御供にすることを禁じたにもかかわらず、これを行うユダとエルサレムの町は廃墟となる(29~34節)。
列王記下16章3節、21章6節see。この危機的な状況から「哀歌をうたう」ことになると告げる(29節)。