毎日降り続ける梅雨空を眺めながらも、書道と篆刻に打ち込める時間が増えており、それはそれでありがたいのです。
ここのところは、日下部鳴鶴 先生の「十七帖」を臨書しております。鳴鶴さんは没後101年で、明治三筆と呼ばれて、大正にかけて活躍した日本の書道家では最も優れた方の一人であります。この人の遺した「臨十七帖」は昭和二年に刊行され三円で販売されています。題字に「坤」の一字があり、上下(乾坤)二部発酵されています。ワタシはこれをヤフオクで数千円で入手しましたが、古書としては1冊1万円以上で売られているようです。
これをお手本に書いて、汚したり傷めたりしたら、もしかするともったいないのかもしれません。しかし落札したのは臨書が目的です。構わず書いておりそろそろ4周目になります。
こんな感じでコツコツ書いております。まねて書いて少しでも先生の書体に似てくれば、その書法をわずかでも会得したことになるので書道の稽古としてはとても有益なのです。
真似るのは「篆刻」も同様です。ワタシはかねてから篆刻は自己流、我流で行こうと思っております。印刀は鋭利な刃物なので、手がこわばり目がぼやけてきたワタシにとっては危険な道具です。強く力を込めて刻すので、手許が狂って手指に刺さると深手を負います。血液サラサラの薬を飲んでいるので出血がなかなか止まらないのです。止血できても小さく深い傷は治りが遅く、痛みも強いので生活に支障が出ます。
ですから、使う道具は専ら「ニードル・目打ち」を使います。邪道ですが、持ち手がふとめで針先までしっかりしているので、安全に彫りやすいのです。印刀ならば、刃先で削る、切るといったイメージですが、目打ちだと、穴を穿ち突くという感じになります。篆刻で使われる用語「甘くなる」というのは、角などに鋭い切れがなく丸まってしまうことを指すようですが、目打ちで衝くと、まさに角ばった線が出しにくいのです。補完として刃先が小さく薄いもので仕上げていくようにしています。
上の写真は今「摸刻」している作品の参考・手本にしている書籍で、今から30年前に発行されています。この本で見ると左手に印材を持ち、右手で彫る、という写真がいくつも出てきます。手の中で回しながら角度を変え彫り進めるのでしょうが、やはり手許が狂って左手に刺さると思います。そもそも安定しません。
そこでワタシが使うのは「印床」であります。
これにがっちり印材を挟んで固定し、印床をくるくる回して彫るのが合理的なんです。奥の四角いのが今まで使っていたものですが、手前の丸いのは最近ヤフオクで「篆刻道具まとめて」の中に発見いたしました。大小4つの印床、多数の印矩(押印するときの定規)、印褥(押印用の下敷き)、印刀などひとまとめにして5300円で落札出来ました。
この丸い印床は下の台にローラーが組み込まれているので、上だけで回転させられるのです。これは非常に便利で、篆刻の作業もスムースにいくのです。回転式の印床は、現在は真鍮性のものが1万円以上で売られています。書・篆刻でこういう重い金属製品は馴染みません。やはり木製がよろしいのですが、ネットでは市販されていないのでおそらく廃盤・製造されていないもののようです。
というわけで新兵器を手にしたワタシは、俄然やる気が出て6月末から摸刻を始めております。すでに6個彫りました。
いずれも、有名篆刻家さんの印稿・印影をまねたものです。
細部の彫りに甘さが出ても気にしません。失敗してやり直したり、寸分たがわず彫るのは時間ばかりかかるので、今は大体のところで満足します。何十本か彫ったら、たまには数日かけて精緻な模倣作に挑戦しようと思いますが、多作多刻で修行する、というのが自己流の練習法であります。
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