美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

由紀草一の、これ基本でしょ? その2(熊本地震に関連して、オスプレイと川内原発)

2016年05月14日 12時09分59秒 | 由紀草一
〔編集者より〕由紀草一氏の、時事問題シリーズ第2弾です。今回のテーマは、熊本地震の救助活動にオスプレイを使用したことと川内原発の稼働停止の是非です。いずれも、錯綜したものを含む難しい論題です。由紀氏の、快刀乱麻ぶりをごらんください。



  熊本大震災の被災者の方々には、僅かばかりの寄付しかできない私から申し上げられることはありません。一日も早く元の生活に戻れますよう、祈るばかりです。
  もっとも、人ごとではなく、どうも日本は地震頻発期に入ったように感じられまして、首都圏で同じようなことが起きたらどうなるか、私も少なくとも今のような呑気な暮らしはしていられないことは確かでしょう。それにしても、本震と余震が入れ替わる(元の本震が前震になったんでしたっけ?)ような連鎖はどのようにして起きたのか、そもそも地震そのもののメカニズムも、ほとんど解明できていないようなので、当分は謎。
  と言えば、つい「科学が進歩したって、人間の力なんて所詮ちっぽけなものさ」と平凡な感慨が湧いてきそうになりますが、またそれは真実であっても、人間は、ちっぽけなできることを営々とやり続けるしかありません。これまでずっとそうしてきたように。
  関連して、個人的に興味を惹かれた話題が二つあります。他の分野でもそうなのですが、特に今回採り上げる領域では、私は全くの素人です。しかし、そういう者は世間には少なくないわけですから、恥も外聞もなく初歩的な疑問と愚考を述べて、皆様の教えをいただければ、それは他の人にとっても有益になるのではないかと思い、この一文を草します。

  第一に、オスプレイ問題。同機はもともと評判が悪かった。何しろかつてはアメリカで「後家製造機(widowmaker)」なる不名誉な称号を冠されていたということで、現在の反米軍基地運動の標的のようになっていた。それが、今回、短い期間ではありますが、震災被害者の救援活動に使われた。これはオスプレイの評判を上げて配備しやすくしようとする、政治目的からではないか、という疑問と批判が、いくつかのメディアや共産党・社民党から出されました。
  具体的にはどういう問題があったのか。朝日・毎日・琉球新報などの論説をまとめて、その後に私見をつけ加えます。
  (1)日米どちらの側から、アメリカによる災害支援を申し出たのか、不明。
  17日から18日(以下の日付はすべて4月のものです)にかけて、安倍首相や中谷元・防衛相は、米側からの申し入れがあったとしたが、あちらのメディアでは、日本の要請によって出動したのだ、とある。琉球新報が米国務省に訊ねると、「外交上のやりとりの詳細を明らかにするのは控えたい」とのみ回答したそうです(『琉球新報』25日)。
  これについては、昨年4月に改訂された「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」には「日本における大規模災害への対処における協力」も謳われており、それに則った処置ですから、どちらが先に申し出たのかは、あまり重要ではないと思います。
 (2)オスプレイの使用は必要だったのか。
  オスプレイは主翼のプロペラの角度を変えることで、従来のプロペラ機とヘリコプターの長所を兼ね備えるようにしたものです。つまり、スピードと航続距離は飛行機並み、それでいて垂直離着陸やホバリング(空中で停止すること)もできる。遠距離で、飛行場がない場所への物資・人員の輸送には絶大な効果が期待できる。これは事実のようです。
  しかし今回は、普天間基地米海兵隊のMV22「オスプレイ」四機が、まず普天間基地から岩国基地に到着し、そこから熊本県南阿蘇村の白水運動公園まで物資を輸送したのです。岩国から公園までは約200キロですから、「遠くまで、早く運べる」というオスプレイの特性を生かす余地はなさそうです。自衛隊には、積載能力ではオスプレイを上回るヘリコプターであるCH47「チヌーク」があることですし。
  それで実績はというと、オスプレイは16日から23日までの6日間で、のべ12回飛行、総量で36トンの物資を運んだそうです。一回当たり平均3トンということですね。同機の最大積載量は9トンなのだから、三分の一しか使わなかったことになる。さらに、自衛隊はチヌークを70機保有していながら、使ったのは18機のみ。
  これらからすると、オスプレイ投入は、災害支援のためには不要であった時と場所で、同機の安全性と有用性をアピールするためになされたのではないか、と例えば共産党の井上哲士議員などは言うのです(『しんぶん赤旗』28日)。どうですかね、これ?
  今のところの私の感想は、以下。
  オスプレイ単独なら、確かになくても済んだのかも知れませんが、これは、チヌークその他と同様、日米双方の、各種輸送機中の一つとして使われたのです。「災害を他の政治目的に利用するとは、けしからん」というのは、わかりますけど、感情論です。糾弾されてしかるべきなのは、「ほとんど役に立たなかった」「むしろ邪魔だった」ときで、そうではなく、救助活動全般の中で、他のヘリコプターと同様の役割を果たしたのが事実ならば、排斥すべき理由は特にありません。
 (3)さかのぼって、オスプレイ反対論者は、「こんなの、高額で、危険なだけで、ものの役には立たない」と言いたいので、またそれでこそ、在日米軍全体の象徴として相応しいので、多少とも「役に立った」という情報は否定したい。この動機は明らかにあります。
  結論から見ると、ついにアメリカ共和党大統領候補となったドナルド・トランプ氏と一致するみたいですね。「もっと金を出さねえと、日本からも韓国からも米軍は引き上げるぞ」と言ってますから。反対派の皆様は、引き上げてもらったほうがいいんでしょう?
  日米同盟を大切にしたいいわゆる保守派のほうでは、対抗上、オスプレイの安全性を言い立てる。この構図は、後述の、原発問題とそっくり同じです。
  「事故率」とか、いろんな数字が飛び交っていますが、ここは素人の強みで、最も大雑把に申しましょう。今のオスプレイ、殊にMV22型は、米軍使用の航空機中で、そんなに事故を起こしやすいというほどではないが、それほど安全、とも言い難い。旅客機だってたまには事故を起こすのだから、これは当たり前でしかありません。そして一般庶民にとっては、現に起きたことは百パーセント、起きなかったことは零パーセント、これ以外にはありません。
  MV22は、昨年11月、ハワイで訓練中に着陸に失敗し、乗組員一人が死亡、二十一人が重傷を負っています。国内では平成16年に沖縄国際大に米軍ヘリが落ちましたが、これは従来型のヘリであるCH53。両事故とも、軍人以外の一般人が負傷したわけでもない。現に大事故が国内で起きて、何人も巻き添えになった原発事故と違い、オスプレイ反対運動がいまいち盛り上がらないのは、そんなところが理由でしょう。
  一方、有用度はというと、普天間基地のオスプレイは、平成25年、フィリピンの台風災害救助のときに大活躍したのだそうで。迅速に、大量の物資と人員を送れるという長所が、遺憾なく発揮されたのでしょう。これ、日本ではあんまり報道されていないように感じるのは、私が無知だからですか? 
どちらにしても、今後も近隣諸国の役に立つことがあり得るなら、日本に置いておく意味はあるでしょう。「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と、日本国憲法前文にも書いてあることですし。
  国内でも、オスプレイは、山や孤島の多い我が国の災害救助・防衛にはうってつけでしょう。それに、やがては現行の、回転翼によるヘリコプターは時代遅れになり、すべてV型になる、という人もいます。そうだとすれば、受け入れるも何もない、米軍が去ったとしてもなお、日本の軍事基地にはオスプレイ型の輸送機が置かれることになるでしょう。日本が完全な非武装にならない限りは。それは反対派の窮極の目標なのかも知れませんが、今これを受け容れる日本国民はそんなに多くはないようです。
  もちろん、そうであればなおのこと、安全対策には万全を期してもらわなければならない。また、普天間基地にしろ、来年からCV22型のオスプレイ(構造や性能はMV22とほとんど同じだそうです)配備予定の横田基地も、住宅密集地域にあるのだから、事故のときの被害が大きくなると予想されるのは本当でしょう。できれば基地は、人口密度の低い場所に移転してもらうに越したことはない。もっともこれは、オスプレイ以前から言われていたことですね。
  それでも、人間のすることに百パーセントは原理的にないので、なお起きてしまう事故については、我々一般庶民は、自動車事故で年間一万人死んでいても、自動車をゼロにしようとは言わないように、やむを得ぬリスクとするかどうか、それが最後の問題でしょう。

  第二に、現在国内で唯一稼働している鹿児島県の川内原発に関して。
  これを停止すべきだという意見は、ネット上ではけっこう盛んです。比べて大手マスコミは比較的冷静だな、と思っていたら、さすが、というべきか、これもまたネット上の記事ではあるんですけど、朝日新聞デジタル版29日「時時刻刻 地震、原発を止めず大丈夫? 川内停止要望5000件」がありました。
  原発に対する不安があるのは事実でしょうから、採り上げること自体を不当とは言えません。それが不安をいっそう増す効果はあったとしても、言論が自由な社会が払うべきコストというものです。その言説にどの程度の妥当性があるか、考えて発表する自由もあるわけですから、考えてみましょう。
以下の引用はすべて、前述の「時時刻刻」からです。
  18日、田中俊一・原子力規制委員会委員長は、臨時委員会の後でこう語りました。

  我々が納得できる(川内原発を停めるべき)科学的な根拠はない。止めるべきだとの声があるから、政治家に言われたからと言って止めるつもりはない。現状はすべて想定内。今の川内原発で想定外の事故が起きるとは判断していない。

  根拠はないことの根拠は、原発内で記録されているガル数(揺れの勢いを示す加速度の単位)で、16日のマグニチュード7.3の本震時で8.6ガル。福島原発事故以後の原発耐震設計の基準値は620ガル、さらに川内原発では緊急停止させる設定値を160ガルとしていて、それをはるかに下回っている。だから今のところ安全。以上。
  これでは反対派は納得しません。いや、どんな根拠を持ってきてもダメでしょう。だって、「想定外」のことが起きたらどうするんだ、に返す言葉はありません。そりゃまあ、想定していない、つまり考えていないんだから、当り前です。それでいてそれは、五年前には現実に起きてしまったんです。
公平を期すために言いますが、このような状況を作った責任の一端は、東電など、原発を設置・運営している側や、いわゆる原発推進派にもあります。反対派に対抗するため、という理由はあったにもせよ、安全性を過度にアピールし続けていた。さすがに、危険性はゼロとは言わなくても、原発事故の確率は一億年に一度と言う話は昔聞きました。
  え? 今もありますか? どういう計算式なのかは知りませんが、やめたほうがいいですよ。原発に脅える人々を安心させるためにはこれでいいんだ、ですって? 本当に安心したとしたら、それがウソだったと感じられたら最後(一億年に一度しか起こらないことが、今年起きることは、一億分の一の確率であり得るんだから、ウソではない、って「正論」は、庶民には通用しない)、あなたの言うことは二度と信用されなくなりますよ。それが今現に起きていることなのです。
  それを踏まえて、前出の田中委員長の言葉をもう一度見てみましょう。彼は原発そのものの安全性なんて、デカ過ぎて抽象的に思えることを言っているのではない。具体的な現在の川内原発について、今までのデータを積み上げて作った基準からみて、安全だ、とするのです。
  「止めるべきだとの声があるから、政治家に言われたからと言って止めるつもりはない」とは、なかなかカッコいいですね。無知な大衆は最初のうち、新しい科学技術をやみくもに怖がる。やっかいなのは、同じく無知な者が権力者になって、権力で科学の発展を妨害する場合です。今までの科学史上何度もあったことで、菅直人もまた、法的・制度的になんの裏付けもない「要請」で、浜岡原発を止めさせたことで、この轍を踏んでいるのだ、ということでしょう。
  田中委員長は正しいのかも知れない。それでも、一億分の一くらいというハッタリが崩れてしまった今は、原発への信頼を勝ち取る、なんてわけにはいかないのは前述の通り。効果と言えば、原発反対派の恨みを買うぐらいでしょう。原子力規制委員会は、今まで、日本から原発を失くすことを狙っているのではないかと思えるほど厳しい規制をして、言わば頼もしい味方のように思えたのに、ここへきて、「科学者の良心」なんて利いた風なのを振りかざして、裏切るのか、と。
  あるいは、田中委員長は間違っているのかも知れない。そもそも、事故以前に、原子力発電なんて科学技術は、今の、そして今後の、人類にとって必要なのかどうか。「電力は必要不可欠だろう。それにしても、去年の夏はあんなに暑かったのに、原発なしでも大丈夫だったではないか。危険で、なくていいものなら、なくすのが一番ではないか」なんてのは、わりあいとよく聞く意見ですね。これも科学に対する無知から出るとは言えるでしょうが、「科学はただ進歩するだけで本当にいいのか?」なる感覚は、割合と根強い。よくテレビの、SFアニメの題材になりましたし。
  別に馬鹿にしているわけではありません。どんな先端科学技術でも、危険が大き過ぎる上に、他のもので代替可能なら、つまり、今の場合で言うと、他の発電方法で支障がないなら、使わないほうがいいに決まっている。それがまちがいだと言うなら、原発はなんのために要るのか、明らかにされなくてはならないでしょう。日本全体のことはしばらく措くとして、今現在の九州では。
 まず、電力は足りるのか? 「九電の予想では今夏に2013年並みの猛暑になっても、電力需要に対する供給の余力(予備率)は14・1%。川内原発の供給力を単純に引くと、最低必要とされる3%を下回るが、昨年の計画並みに他社から融通を受ければ、余力は計算上6%を超える」とのこと。
  気になるのは、これ、通常時の計算ですよね。被災地復興のための電力は、考えなくてもいいんですか? 原発を停止しても、原子炉に冷却水を送るポンプに使う電力は必要で、それは外部から持ってくるしかないわけですが、計算に入れるほどのものではないんですか? などなどは本当にわからないので、詳しい人の教えを請いたいです。
  たとえ電力そのものは大丈夫だとしても、費用は確実に嵩みますでしょう? そこを『時時刻刻』は、「なぜ原発にこだわるのか。当面の発電コストが火力などより安く、経営面でうまみが大きいからだ」と表現しています。「(九州電力は)原発の停止で経営は悪化したが、『切り札』(幹部)の川内原発が再稼働し、月100億~130億円ほど収支が改善した」。
  まるで九電が儲けるために危険なことをやっているんだと言いたげですが、ここは素直に、原発を一か月停めたら百億から百三十億のコスト高になる、ととっていいでしょう。それは結局、電力消費者、つまり一般住民が払うしかないんじゃないですか。九電が飲み込むとしたら、従業員の給与を下げるか(労働条件が悪化する)、設備費を削るか(安全対策の劣化を招きかねない)するでしょうから、最終的に地域社会や住民に悪影響が出る可能性は高い。そうではありませんか?
  それから、いったい、いつまで停めればいいのか。地震が収まるまで? 今度のような群発だと、その時期の見極めは難しそうですね。いや、不安がっている人がいるから停めろ、ということなら、もう大丈夫、と思って原発の運転を再開したら、とたんにまた大地震、なんてことだって、あり得なくはないし、それも不安の種にはなるんだから、考慮のうちに、つまり、想定のうちに入れるべき、ってことになりませんか? もちろんこれは、「原発は未来永劫再稼働してはならない」というのと同じ意味です。
  別に意地悪ではないですよ。というか、実際に、一度停めたものを再開しようとしたら、「要望」を出した五千人のうち何人かは、「まだ早い」と文句を言うんじゃないですか? だって、反対派の最終目標は、原発の全面廃止なんだから、そう「想定」されますよね。彼らの望み通りになったら、九州の人々は、地震による被害に加えて、高い電力を、なんらかの形で、今後ずっと支払い続けなければならないことになりますけど、不安解消代としてなら出してもいい、と考える人もいるんでしょう。
  それで、私の、今のところの結論。いかにも、原発なんぞという険呑なものは無くしたほうがいい。ただ、それに代わる安価で安全で安定供給可能なエネルギーを見つけるために、電力会社には儲けてもらって、うんと研究費を出してもらわなければならない。それ以前には、安全対策を今まで以上にしっかりやってもらう必要がある。これにもまた金が要る。だから、今は川内原発は停めないほうがいい、というものです。どうですか、これ? 
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由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

2016年03月26日 15時05分36秒 | 由紀草一
由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

〔編集人より〕由紀草一氏による時事問題シリーズの第一回です。まっとうかつユニークな切り口にハッとさせられます。読後、拉致問題解決のはなはだしい難しさを痛感させられます。



最初に御断り。私は、新聞や雑誌、ネット記事や書籍に書いてある基本的なことしか知りません。新情報なんて、あるべくもない。それでも、私から見て決して逃すことができないポイントだと思えることを、知らないような顔をして、展開されている議論をけっこう見かけます。浅学非才の身も顧みず、警鐘を鳴らしたくなるような。

従って、そんなことはとっくにわかっているよ、という人には、以下は全くの無駄口にしかなりません。それ以上に、私こそとんでもない思い違いをしているかも知れない。その場合には諸賢の御叱正を願いたい、という思いも込めて、今後いくつか時局談義をこちらに寄せたいと思っております。

今回は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)関連。この国は、今年に入ってから水爆実験や長距離弾道ミサイル発射を強行し、3月2日には国連安保理の五つ目になる対北朝鮮制裁決議「2270号」が採択されました。先行きが注目されるのは当然ですが、日本政府は現在「拉致・核・ミサイルの包括的解決」を目標として掲げています。そのことの是非・巧拙はしばらく措くとして、ここでは、やや影が薄くなった感じのする、拉致被害問題を採り上げます。

近年の動きは以下です。平成26年5月の日朝政府間協議の結果、同月29日に出た、協議の場所から「ストックホルム合意」と呼ばれている文書があります。北朝鮮が「日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施する」ことと引き換えに、日本が独自に取っていた(国連安保理決議に基づくものは別)北朝鮮に対する経済制裁などの措置の解除を約束したものです。

そして北朝鮮が調査のための特別委員会を設置したと言った時点で、日本の制裁措置は一部解除されましたが、先方からの報告のほうはいっこうに来なかった。いや、一応報告書は作成されたが、一番肝心の拉致被害に関する部分が、北朝鮮の従来の主張を繰り返すばかりで、全く進展が見られなかったので、日本側が受け取りを拒否したのだ、とも言われています。

そして本年2月7日の長距離弾道ミサイルの打ち上げに対して、日本政府は10日、独自の追加経済制裁措置を決定。すると12日、北朝鮮は拉致被害者などの調査を全面中止する、と通告。ストックホルム合意の事実上の破棄宣告で、日本側は認めない、と言っていますが、これで拉致をめぐる日朝間交渉は、平成26年5月以前にもどってしまった、と考えられます。つまり、全くの手詰まり状態に。

日本側の対応には何か手抜かりがあったのでしょうか。いやそれより、この問題を今後前進させるには、どのような方策が考えられるのでしょうか。拉致被害者蓮池薫氏の実兄で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(以下、家族会)元事務局長・蓮池透氏が昨年の12月に上梓した著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(以下、『冷血』)を手掛かりにして考えてみましょう。

『冷血』は、家族会から厳重に抗議されています。それより先、国会でも。1月12日、衆議院予算委員会で民社党の緒方林太郎が安倍総理に向かって、「あなたは、この本に書いてあるように、拉致を使ってのしあがった男でしょうか」と質問、安倍は、「そういうことは議論する気すら起こらない。私が嘘を言っているなら、国会議員をやめる」と答弁。

17日には参議院予算委員会で日本の心を大切にする党代表の中山恭子が、質問の形で、「蓮池透さんは自分では気がついていないかも知れないが、北朝鮮の工作関係者に利用されている」と発言しています。それに対する安倍総理の答弁の中には、「北朝鮮は常に国論を二分しようと、様々な工作を行う。それに乗ってはならない」というのもありました。

蓮池氏自身は最初のうち、家族会の中でも対北朝鮮強硬派として知られていたのに、その後反省した、と言います。その心境の変化については、「いつまでも北朝鮮はケシカランばかり言っててもラチが明かんだろ。向こうも一応国家なんだから、対話路線でいくしかないんじゃないか」と、誰かに説得されたのかも知れませんが、北朝鮮の工作員に洗脳されたとは思いません。また、世論を二分するのが北朝鮮の狙いだというのが正しいとしても、日本に言論の自由がある以上、二分でも三分でもするのが自然であり、国論を無理に統一しようなどというほうが危険です。それなら、北朝鮮の体制のほうがすぐれている、なんてことになりかねない。

ただ、『冷血』には、矛盾があるのは事実で、それは蓮池氏個人の問題と言うより、この事案全体の困難を象徴しているもののようです。

まずタイトル。政府が平成14年に帰国した拉致被害者やその家族に対して冷たかったというのは、初耳で、確かにちょっとひどい。北朝鮮に二十年以上いて日本での生活の基盤もない人に、月に十三万円の手当、収入を得た場合にはそれも減額、というのはいかにも安すぎる。それでも、「拉致被害者たちを見殺しにした」とまで言うのは、やや羊頭狗肉に思えます。

安倍や中山が、拉致問題解決に尽力して、それで政治家としての声明を得たなら、何も問題はありません。蓮池氏が言いたいのは、「彼らは拉致被害者五人とその家族の帰還を含め、この問題では実際は何もしていないのに、手柄顔をして政治家としての地位を築いた。けしからん奴らだ」ということです。

一方で、小泉純一郎への評価はとても高い。「いまも昔も、小泉首相は唯一無二の『行動する政治家』だった」(P.116)と。彼はとりあえず、二度にわたって訪朝し、拉致被害者とその家族合計八人を奪還した。安倍らは、何をしたと言おうと、なんの成果も挙げていないではないか、ということです。マックス・ウェーバーも言うように、政治家には結果責任が問われてしかるべきなのだから、それも宜なるかな、とは思います。しかし、小泉の成果そのものが、独特のアイロニーに基づいたものであったことは見逃し得ないでしょう。

平成14年9月17日のことについて、蓮池氏自身がこう書いています。

金総書記の口から発せられた、「拉致被害者五人生存、八人死亡、その他の人は入国が確認されていない」という言葉を日本側は鵜呑みにして、小泉首相は日朝平壌宣言に署名した。もしこのとき、日本政府が必死に拉致被害者を探していたのならば、生存者を速やかに連れて帰ることは当たり前、死亡というのであれば、いつ、どこで、なぜ、ということを追求し、その証拠が出てきた場合、信憑性を確認するとともに、犯人の処罰や損害賠償を請求して然るべきであった。 (P.97)

全くその通り。すべての被害者についてこういうことがなされて初めて、拉致事件は「完全解決」したと言えるのです。しかし、日本側がそう要求したら、そこで話がこじれて、平壌宣言はなかったでしょう。五人の帰国だって、どうなったか、危うい。

これらを逆に見ると、この時、拉致被害問題は、日朝双方にとってさほどの重要事だとは考えられていなかったようなのです。

『冷血』にもあるように、これ以前、日本のこの問題への関心はとても低かった。拉致が事実かどうかさえ、疑われていた。また、韓国では、朝鮮戦争時を含めると三万人以上が拉致されていると言われていますが、今に至るまでそんなに騒がれてはいない。

そこで国防委員会委員長・金正日の思惑。日本から、戦時賠償金でも援助でも、名目はなんでもいいから金を取りたい。向こうから言ってきている国交回復に乗るべし。交渉がスムースに運ぶための手土産として、日本からさらってきた人間がいるのを認めてやろう。少々高い買い物になるかも知れないが、将来まで考えたら損はないはずだ……。

と、いうのはあくまで私の推測ですが、それほど大きく外れてはいないでしょう。いや、少しでも当たっていたら、驚くべき話ですね。考えてみてください。あなたのお子さんがさらわれた。誘拐犯が二十数年後にその子を返した。だからと言って、犯人に感謝しますか? 冗談ではない、でしょう?

たぶん他人の命なんて屁ぐらいに思っている金委員長に、こういう感覚が薄いのはしかたないとしても、日本側も五十歩百歩だったようです。上の引用文のような要求はしなかったばかりか、被害者五人は「一時帰国」として、つまり一週間程度でまた誘拐犯のところへもどす約束をして、帰国させたんですから。彼らの人生より、日朝友好のほうが大事だと思っていたのだろうと言われてもしかたない。権力の座にいると、ついそんな気持ちになってしまいがちなんでしょうかね?

その後、御存じの通り、北朝鮮への非難が囂々と巻き起こり、帰国者五人は日本に留まることになった。そう勧めたのは巷間言われているような安倍や中山ではなく、自分だ、と蓮池氏は主張するのですが、どちらにしろ輿論の後押しがあって実現したことに違いはない。

そして、機を見るに敏なることにかけては天才的な小泉は、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」に豹変し、それを安倍も引き継いでいるわけです。しかしこれは、日朝国交正常化を果てしなく遠ざけることになった。だって、北朝鮮の現体制では、拉致問題の満足な解決なんて、望むべくもないんですから。

伝えられるところによると、金委員長は、小泉に向かって、「拉致は私の知らないところで実行された。その時の責任者はもう処罰した」と言った、と。しかし安明進の証言http://www.sukuukai.jp/report/item_1949.htmlなどからすると、拉致指令は金正日その人から出ている。いや、安明進なんて怪しい男の証言をまつまでもなく、独裁国で、独裁者が知らないうちにこんなことが行われると信じるほうがずっと難しい。で、果たしてそうなら、「犯人の処罰」は、最高責任者である金正日から真先に行われなければならない。そんなことを、彼自身や彼の後継者が認めるか。それこそ、口が裂けても言わないでしょう。
 
でも、これからが本当にやっかいなんですが、拉致被害者の救出をあきらめるわけにはいかない。ならば、無理は承知で「対話」を続けるしかない。何が無理かって、「対話」であるからには向こうの言い分も少しは認めなければならないところです。何を認めればいいんですか?

私は不明にして知らなかったのですが、前出安明進証言によると、北朝鮮は公式にこんなことも言っているそうです。「日本が北朝鮮に対して植民地支配をしたせいで大きな被害を受けた。従って、わが民族の統一のために日本の被害は当然だ」。

よく言うよ、ですけど、日本の中にも、「日本が過去の罪にきちんと向き合い、清算してこなかったことがこの場合も」云々、などと言う人がいるんで、驚き呆れるより脱力してしまいます。まさか、だから北朝鮮による朝鮮半島統一(普通、南に対する侵略、と言うのですよね)に協力しろとまで唱えるわけではないでしょうが。じゃあ、なんなんですかね、いったい。

日本がかつてかの国に何をしたにもせよ、それを、その当時は生まれてもいなかった一国民が背負わなければならない責務などない、と良識のある人ならクドクド言うまでもなくわかるでしょう。が、それ以上に。

北朝鮮が拉致したのは日本人だけではありません。脱北者や帰国できた被害者の証言などから、前述の韓国人を始め、中国人・フランス人・ギニア人・イタリア人・ヨルダン人・レバノン人・オランダ人・ルーマニア人・マレーシア人・シンガポール人・タイ人も被害にあっていることが明らかになっており、最近ではアメリカ人も一人、拉致された疑いが濃いとのこと(チャック・ダウンズ編『ワシントン北朝鮮人権委員会拉致報告書』)。

これらの国の大半が、歴史上一度も、大韓帝国とも北朝鮮とも紛争の経験はなく、現在も北朝鮮とは国交があります。即ち、両国間の過去がどうあろうと、また現状がどうだろうと、拉致問題とはなんの関係もない。そこで「過去の清算」を言い出すのは、日本が大東亜戦争中にやったことを反省しようとする気など本当はなく、政治的に何かの為にする議論か、反射的に出てくるクリシェ(決まり文句)と化していることの、何よりの証拠に他なりません

「いやあ、あんまり固いこと、言うなよ」とも言われそうですね。保守派の論客として知られている人が次のように書いているのを、ついこの間読みました。

国民の安寧秩序を守るのが国家の第一の仕事なのだから、今も北朝鮮にいる拉致被害者を放っておくことはできない。しかし日本には憲法九条があって、軍事力に訴えるのは禁じ手になっている。いつかはこんなの、改正するのが望ましいにせよ、ともかく今はできない。ならば、「金をやるから、さらった人を返せ」しかない。誘拐犯に身代金を払うということで、もちろん正規のやり方とは言えないが、現に世界中で行われていることだし。

なんか、昭和52年の、日航機ハイジャック事件を思い出しますが。いや、考え方としてはそれもアリかな、とは思います。でも、前述の本質的倫理的な問題には目を瞑って、実際的にのみ考えても、まだ問題がありそうです。第一に、ミサイル開発の一部に使われそうな金を拠出すれば、きっと国際的に非難されますが、他にも。

ダッカの事件の時には、誰が人質か、はっきりしていましたが、拉致された日本人は誰で何人いるのかがそもそも特定できていません。そのための、ストックホルム合意での、調査だったわけです。現在日本政府が認定しているのは十七人、「救う会」から独立した民間団体・特定失踪者問題調査会の推計では約百人、警察庁が本年2月に発表した「北朝鮮に拉致された可能性が排除できない行方不明者」の人数は883人。一方の北朝鮮は、公式には、最初に認めた十三人以外は知らない、と言い続けています。

それでも、「一人につきいくらで、金をやるよ」と言えば、金額によっては出す可能性はあります。でも、一遍にではなく、少しづつ値段を吊り上げたり、他の条件を付けながら、じゃないですか? そんな、文字通り人をバカにした、厭らしい「交渉」に耐える心の準備をまずしないといけない。
だけではなく、これは結局、日本が相手なら拉致は商売になる、と教えてやることです。だったら今後も……とは考えられませんか? あの国がこれからはもうやらないとか、やっても日本の警察力が必ず防ぐ、とか、誰か保証してくれますか?

一応の結論としては、金一族の独裁体制を打倒しない限り拉致問題の完全解決はないし、妥協点も見つからない。でも、日本だけではそんなことはとてもできないし、他国の拉致問題への関心は低いようですから、ミサイル問題などとリンクさせて、国際的な協力体制で追いつめていくしかない。

つまり、現在の政府の政策支持、ということになるので、我ながら面白くないんですが。なんでもかんでもお上に反対して、それだけで一廉の人物になったような気分に浸っていればいいという歳でもないですし、まあ仕方ないです。それとも、他に妙案はありますか?
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極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」  (由紀草一)

2016年03月18日 18時34分08秒 | 由紀草一
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」  (由紀草一)
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一) 私淑している田恆存について、自分のブログで、「田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて...


由紀草一氏の秀逸な田恆存論です。当論考を掲載できることは、編集者冥利に尽きます。
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極私的田恆存入門 その2「一匹の立つ場所」(由紀草一)

2015年06月10日 00時57分59秒 | 由紀草一
極私的田恆存入門 その2「一匹の立つ場所」(由紀草一)


パウル・クレー「大聖堂(東方風の)」(1932)
*編集者記:上の絵画は、本文を読んでいるうちに、なんとなく浮かんできたものです。特段の関係はありません


いきなりですが、次の問いから始めましょう。人間が生きていく上での内面の苦しみとはどんなものでしょうか。

飢えや天災・人災による被害に対応するのは広い意味での政治、前回述べた九十九匹の領域に属することです。それは一応免れていて、その意味では安穏な生活が送れたとしても、すべてが満足というわけにはいかないのが人生です。細かく見れば、この世の中は思い通りにならないことだらけ。これはいわゆる大人が多かれ少なかれ抱かなければならない苦い感慨であるようです。

私たちは日々の勞働で疲れてくる。ときには生気に滿ちた自然に眺めいりたいと思ふ。長雨のあとで、たまたまある朝、美しい青空にめぐりあふ。だが、私たちは日の光をしみじみ味はつてはゐられない。仕事がある。あるものは暗い北向きの事務所に出かけて行き、そこで終日すごさなければならない。そのあげく待つてゐた休日には、また雨である。親しい友人を訪ねて、のんきな話に半日をすごしたいとおもふときがある。が、行つてみると、相手はるすである。そして孤獨でありたいとおもふときに、かれはやつてくる。

天気も仕事も友人も、元々自分のために拵え上げられたものではない以上は、それが当然だ、と簡単に答えは出ます。しかし、では、それらはいったいなんのためにあるのか? いやむしろ、自分はいったいなんのためにあるのか? たぶん一番怖いのは、それにはどうやら答えなどない、と思えることでしょう。

いや、急ぎ過ぎてはなりません。まさかこれだけで人生がいやになったりはしない。青空の下で十分に長く過ごせる日もあるし、孤独に飽きたちょうどそのとき友達がやってきて、四方山話で気が紛れることだってある。もっとも、それだけに、できないときには苦い思いをせねばならないわけですが。しかし、それはあきらめるしかないし、実際誰もがあきらめて過ごしています。

本当に苦しいのは人間関係の中で、報いられないと感じることでしょう。仕事の上で評価されないこと、愛する者から愛されないこと、など。まとめると、他人が自分を受け容れてくれず、結果、自分の居場所がない、そんな思いこそが辛いのです。そしてそのとき、内に向かっては「自分とは何か」という問いが切実に立ち上がり、外に向かっては、目の前の共同体を超えた他の場所、外界または他界、への憧れが湧いてくるのでしょう。

すると、ここで問題なのは、共同体そのものよりむしろ人間の自己意識だとわかります。実際のところ、人々からけっこう認められているように見える人でも、「今・ここ・の自分」には満足できず、「別の場所・別の自分」を求めることはあるのです。

文学作品から例を出しましょう。以前に自分のブログで森鷗外の訳したヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」を取り上げましたが、鷗外はもう一つ、同じ作者の「屋根の上の鶏」も訳しており、こちらのほうが国語の教科書などに取り上げられたので、けっこうよく知られています。こんな話です。

ある村に三代続いた仕立屋(鷗外訳の表記では、裁縫職)がいて、大人しい平和を愛する男であったが、大の政治好きでもあった。というのは、仕事が済んだ後新聞を読み耽っては、そこから得た知識をもとに、ビスマルクがどうたら、アフリカ情勢はこうたら、講釈を垂れるのが趣味なのである。女房が生きていた間は、彼女が少なくとも態度だけは熱心に聞いてくれた。それが死んで、自分の意見を尊重してくれそうな者がいなくなると、この趣向が内攻して激しいものとなった。新聞には毎日のように胸をドキドキさせるようなできごとが書かれている。それに比べると、平凡な自分の生涯が、つまらない、無価値なもののように思えてくるのだった。自分にはもっと値打ちがあるはずだ。どうにかして人々の注目を集めるようなことはできないものだろうか。と、思いめぐらして、教会の尖塔の上に取り付けられた風見鶏を盗むことを思いつく。その場所へ外から這い登るだけでもたいへんな難事だから、風見鶏がある晩忽然となくなっただけでも大騒ぎになる。しかし、犯罪ではあるので、自分がやったと明らかにすることができないのが難点で、仕立屋は、いささかの満足と大いなる失望の後に、破滅に至ることになる。

この仕立屋は仕事の腕と温和な人柄のおかげで、村落共同体の中で確固とした地位を占めていたのです。それがどうしてこんな愚かな振舞いに及んだのか。奥さんに先立たれて孤独になったことは大きな要素に違いありませんが、それは既婚者の半分近くが経験しなければならない不幸です。

一番大きいのは19世紀から社会の中で存在感を増してきたマスコミ、具体的には新聞報道であることは見やすいでしょう。これによって多くの人々が、自分が現に暮らしているのとは別次元の世界があることを知るようになりました。もちろんそれは情報として「知る」、ということですから、その中で「生きる」というのとは違います。それだけに、具体的な苦労など実感できませんので、ますますスリリングな、輝かしい世界のように思えるのです。そして、それに比べると、現実の生活があまりに凡庸で些細なことに満ちた、つまらないものにも思えてきます。

と、ネガティブなことばかり申しましたが、こういうことは近代化に付随して起きる必然の一部だと言えるでしょう。この時代になってから、すべての人が「国民」として、「国家」というデカ過ぎて個人の目にはよく見えないものも、いくらかは意識するように求められたのですから。もっとも、なぜ求められたのかと言えば、「国民皆兵」で、つまり兵士として使う都合からですが。戦争もまた、ごく最近までは、あるいは現在でも、特に男性の冒険心と功名心をそそる大イベントではあるのです。

それは当面のテーマではありませんので閑話休題。今現にある共同体から精神的にまぐれ出る際の原動力は、自己意識だということがここでのポイントです。自分で自分をもっと大きな、意味のある存在だと思いたいのに、他人はいっこうにそう見てはくれない。その思いは、時に人を駆り立てて、例えば地理上の大発見をさせたりもしますが、たいていは全く報われないまま終わります。そしてその「報われない」思いのために、自己意識はますます肥大します。ごく稀にではあっても、それに応じて無茶なことをして、自分にも他人にもろくでもない結果を招くほどに。

ところで、この自己意識自体の中に矛盾があるのも注目すべきでしょう。あるとき一人の人間が、自分が現に暮らしている共同体はちっぽけで、ほとんど価値がないものだ、と思い込む。しかしその理由は、自分自身をきちんと認めてくれないからなのです。つまり、本当に「こんな村、つまらんところだ」などと思っているのなら、そこで自分がどんなふうに遇されようと、どうでもいいはずです。それどころではなく、そういう人ほど共同体が、その中での具体的な人間関係が問題になります。そこで、自分の夢想する基準で、自分が「きちんと」認められることを熾烈に求めているのです。多少とも冷静さが残っていたら、そんな夢想に、他人が、たとえ家族といえども、まともに付き合ってくれるはずがない、とすぐにわかるのは、またたいていの人間が抱く悲しみではあるのですが。

仕事の上で低く評価されたときや、好きな相手から好かれないときには、最も端的に苦しまなければならないのですが、そうでなくても、人は多かれ少なかれ誰もがこの種のジレンマを抱える、と言えるでしょう。


以上を最も簡単にまとめると、例えば、「人から見られている自分」は揺れがちであり、一度揺れ始めたら容易に安定を得られない、ということになるでしょう。もっと突っ込んで考えると、他から与えられた場所には安住できない、と感じたとき、「自分」は本当に問題になる、ということかも知れません。いずれにせよ、これを扱うべきなのは政治などではない。普通の意味での宗教でもない、というのは、上の例でもわかるように、これは近代において一般化し顕在化した問題だからです。即ち、文学的な問題なのです。

もう一つ申しておきましょう。近代的な理念のうちでも大切だとされる「自由」だとか、「個人の尊重」、いやそれが大切ではないとは申しませんが、ただしかし、これらもまた広い意味での政治の世界に属するものだと知っておかねばなりません。それが証拠に、日本国憲法の条文にも、「職業選択の自由」や「婚姻の自由」というのが記載されています。それは具体的にはどういう意味かというと、「あなたがどんな職に就こうが、誰と結婚しようが、公に属する機関は容喙しない」、つまり、文句は言わないが、協力もしないというだけです。これがあるからと言って、日本国民の誰もが、なりたいと思ったら政治家にでもプロスポーツの選手にでも映画スターにでもなれ、どんな美男美女とでも結婚できる、なんて話ではありません。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(第十三条)」のほうはどうかと言えば、あなたの生命や財産が不当な危険にさらされたときには、公的な機関はできるだけそれを守るように努めよう、と約束しているのです。もちろんこれはやってもらわなくてはならないことですが、しかし「幸福追求」の結果本当に幸福になれるかどうかまでは、誰も保証してくれません。

結局のところ、この社会で自分の望むものを手に入れて自分で満足できる自分になることは、自分一個の責任だ、と言われているのです。きっと昔からそうだったのでしょうが、社会が流動化し、例えば「親が仕立屋なんだからあなたも仕立屋になるのが当然だ」などというのは当然ではない、と広く一般的に考えられるようになった近代でこそ、現状に満足できない、だからと言ってそれを誰のせいにもできない個人が多く見られるようになったのは本当でしょう。


個人の内面の側から「自由」の理念を考え直しても、何か外側から束縛を受けている人以外には、大して値打ちのないものであることがわかります。「何をしてもよく、なんでもできる状態」、だからまた何もしなくていい状態が、人に幸福や満足をもたらすものでしょうか。一歩進めて、やりたいことがあって、それがやれる状態、と言ってみても、まだ足りません。空腹なときには食べ物がほしくなる。それが得られたら、とりあえず願望は満たされる。でも、それだけで、そこにはどんな「意味」も見出せません。「意味」なんてものを考えるから、やっかいなことになるんだ、というのは本当ですが、人間とは本来やっかいな生き物なのです。

こう言えば正解に近くなるでしょうか。人間が本当に望んでいること、それは自分がいるべきところにいて、やるべきことをやっている、と実感することなのだ、と。詳しく言い直しますと「私たちが欲するのは、事が起るべくして起つてゐるといふことだ。そして、その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしてゐるといふ実感だ」。これに賛同していただけますと、本当にやっかいな問題も見えてくるでしょう。それは、この「べき」が、個人の内部からは出てこない ところなのです。

「人は個人として尊重されるべき」の「べき」でさえ例外ではありません。「そんなことはない。私は本当に、心から、尊重されたいと願っている」とあなたは言うでしょうし、それに嘘はないでしょうが、では、そう言うあなたは、他人を個人として尊重しているのでしょうか? よく考えるまでもなく、あなたの幸福や満足とは直接関わりのない赤の他人の場合には、せいぜい、その人の自由やら幸福追求を積極的には邪魔しない、それをもって「尊重」と呼んでいるのが関の山でしょう。憲法が謳っている「尊重」だって、実質的にはそんなものなのですから、それに罪責感など持つ必要はありませんが、他人がそんなあなたを過度に「尊重」することを求めるわけにはいきません。また、それはできません。あなたはせいぜい、何かの権力を得て、他人を従わせることができるだけです。

そういうわけで、自由を、「できる限り自分の好きなように振る舞うこと」と定義しなおしますと、それを求めるとは、権力闘争に勝ち、可能な限り他人を従える、ということになります。実際、「ごく限定された場所(例えば家庭)であっても、できるだけ人より優位に立ちたい」と思っているらしい人は、男でも女でも、けっこうたくさんいます。正直言って私は、そういうのが鬱陶しくてたまらないタチなのですが、私がどう思っても、何を言っても、人を動かす力はありませんので、それこそ自由にやってもらうしかありません。それでも、権力闘争に負けた場合には、どんな満足も残らない。これは動かし難い真実であることは、わかっていただけるでしょう。


結局、目に見える他者との関係によって織り上げられる実社会の平面に留まる限り、この迷宮から逃れ出る方途はありません。迷路の基本構造が、「自己意識は他者に支えられなければ存立し難いのに、それが発達すると他者の否定を指向するようになりがち」というアポリアにあるからです。

ここを逃れるために苦し紛れのように考え出されたのが「他界」です。どこか目に見えない場所にあって、そこなら今現にある「ここ」ではどうしても満足のいかない「自分」とは決定的に違う「自分」になれる、想像上の場所です。人間が多少なりとも文明・文化を持った場所なら世界中どこでもこの観念が見られるのは、人間が必ず「自分・と・その周囲」という概念の枠を通してこの世を見ること、いやむしろ、この枠こそが人間世界と呼ばれるものを形作っている基盤であることの証拠になるでしょう。

ただしかし、この観念が嵩じて、人間にとって本当の価値は他界にこそあり、目に見える世界のほうはどうでもいいのだ、にまで至れば、いろいろと問題が起きそうです。死ねば誰もが「他界」へ行く、そこでなら必ず自分は自分が思い描いているような自分なれる、今はその準備段階だ、として、苦しいことがあっても、よく耐えて、他人に迷惑をかけずに生涯を送れる人もいるでしょうが、すると、人間が努力すれば多少は変わる見込みのあるこの世の悪が存続するのを助けてしまう結果にもなる、などはよく指摘されます。マルクスの宗教批判は、つまりそういうことですね。

それ以上に、他界を過剰に希求する心性は、それ自体がこの世の権力闘争に敗れた結果、他人に支配される惨めな状態に陥っていると思っている者たちの、陰にこもった復讐心の表れだ、ということは、ニーチェやD・H・ロレンスが夙に指摘したところです。だから、立場が逆転して、彼らのほうが権力を奪取したら、もっとひどい支配を他人に対してするでしょう。さらに、社会的な支配者にはならなくても、自分は俗界を超えた真理を知っているのだと思い込んだら、それだけで、知らない者より優越しているのだから、彼らに対して生殺与奪の権がある、などとも思い込むことがあります。仮定の話ではありません。戦前の右翼テロや、最近のオウム真理教事件を思い浮かべれば、十分でしょう。

宗教心やそれに近い観念からこのような毒素を除染し、人が生き生きと過ごせるよすがとするのにはどのようにしたらよいのか。以下が一つの回答例です。


人間にはすべてを知り、見通すことはできません。絶対に正しいことも、わかりません。なんとも頼りない存在ではあるのですが、しかしそれは本当に悪いことなのでしょうか。

例えば自然科学の分野で絶対の真理が発見されたなら、後の人がやるべきなのはそれを覚えることだけであって、創造的な能力などもう用がないことになります。実際は万有引力の法則でさえ一個の仮説に過ぎないので、新たな仮説とその検証とに、人はいつでも創造的に取り組むことができるのです。

日常生活でも同じことです。絶対に正しいことはわからないので、人はいつも、自分に与えられた範囲内で、類例に依りながらではあっても、結局は自分で決断して、新たな行為(特に何もしないことを含めて)に踏み出します。それでどうなるかもわかりません。やる前から結果が100パーセントの確率でわかっているなら、人はもう何をする気もなくすでしょう。それくらいなら、次には、生きていく意欲もなくすでしょう。つまり、「分からないこと」は、人間が生きていくための必須の条件なのです。

長年仕事をしてきた仕立屋は、慣れきった仕事で、めったに失敗しないので、よくわからなくなっているだけで、実際は常に新たな服を生産し続け、結果として、これまた慣れているので特別に意識はされませんが、ことさらに文句は出てこない程度の満足は客に与えていたのです。その安定はいつか壊れるかも知れない。それは誰にもわかりません。その点で、これはこれでけっこうスリリングじゃないかと思えるんですが、残念なことに、世間の大多数と同じく、できるだけ安定を守ることが彼の義務なのです。そして、義務を果たした挙句、その義務をも含て、自分のやったことがつまらなく思えてきてしまったのです。

どこでまちがえたのか。それは結局、自分のやったことの価値が、ひいては自分自身の価値が、全体としてよく見えるはずだ、見えなくてはならない、という思い込みからです。

こういう人に申し上げたいことがあります。マスコミというのは、事実を伝えるのではなく、物語を伝えるのです。というのも、できごとの意味は、後から振り返って見出されるものですが、その後付けの意味によってまとめられた叙述が、できごと=人間のやったことそのものであるかのような錯覚によって、新聞報道などは成り立っています。古来より物語というものはあったのですから、それをマスコミの発明というのは不当でしょう。しかしそのおかげで、人間のやるあらゆる行為には意味があり、かつそれは人にも自分にもわかるはずだ、という思い込みが定着したのは事実です。

実際には行為のさなかにいる者には全体的な「意味」は見えません。だからこそ人間は、仕立屋その他の立場で、何ごとかをなし続けることができるのです。

前述の「他界」とは、意味そのものの世界であり、それこそが「あるべき世界」だなどとみなすから、それは結局「今・ここ」の現世の、個々人の願望を反映したものに過ぎなくなるのです。それとは関わりのない、即ち究極の価値や絶対の正義は、「分からない」ままに、別次元にあると考えられるとしたら、それによって、自己と他者の織りなすこの世界を相対化することができるでしょう。自分はとてもちっぽけで、その「意味」など探してもほとんど見つからないのですが、共同体だって、国家でさえも、物理的に巨大なだけで、意味・価値ということになれば同じようなものです。

だとすれば、そこでどれほど高く評価されたとしても、本当の支えにはならない反面、低く評価されても、自分が完全に否定されたなどと思い込むことはない。あとは自分が直感的にやるべきだと感じ、やることに多少なりとも喜びを感じることを、やっていけばいい。ニヒリズムでもヤケクソでもない、上に書いたように、それが結局普通の人間の生き方なのです。

以上はもちろん、人間性全体の中の一匹(1パーセント)について言えることで、世間の評価を全く気にせずに生きていけるような人はまずいないのですが、それだけに、決定的に道を踏み外さないために、その一匹をどこかに感じていることは大事です。

たんなる認識者の眼には、時間は消滅し放しである。かれには過去・現在・未來が見えてゐる。が、全體が見えてしまつたものに、全體の意識は存在しない。いひかへれば、過去も現在も未來もないのだ。たゞ模糊たる空間があるだけだ。自分が部分としてとゞまつてゐてこそ、はじめて全體が偲ばれる。私たちは全體を見ると同時に、部分としての限界を守らなければならない。あるひは、部分を部分として明確にとらへることによつて、そのなかに全體を實感しなければならない。

自分を信じつつ、同時に自分の思い通りにならない現実も信じることはできるのです。繰り返しますが、現実が決して完全には自分の思い通りにならないことが、人間が生き続けることの条件なのですから。ありふれた譬えですが、水に抵抗があるので、人はそこで浮かぶことも、泳ぐこともできるようなものだと言っていいでしょう。

それ以上に、現実は個人の願望を阻害することで、個人の外部の「枠」を作り、その中の「自分」を成立させます。また人間は、自分は相対的な、限界のある存在だと知ることで、その反対側に、無限を、絶対を観念することもできます。それは個人にしかできないことであり、かけがえのない「自分」の存立基盤であり、存在理由にもなるのです。


田恆存の主著「人間・この劇的なるもの」は、震えるように繊細な感性と、大胆な逆説と飛躍で構成された稀有の評論文学です(かつて西尾幹二先生がおっしゃっていた評言をお借りしました)。また、それまで田が展開してきた悲劇論や日本文学史論、シェイクスピア論、D・H・ロレンス論、J・P・サルトル論、などなどを集大成したものでもあります。

私はそのほんの一部から読みとった信じられることを、上で自由に展開しました。いわゆる解説より、私のような凡庸な人間に、田の投じた言葉の石がどのような波紋を立てたか、お目にかけるのも一興かと思いまして。少しも面白くない、まして、なんの参考にもならない、という人には、最初か、何度目かを問わず、ご自身の頭脳と心でこの稀有の人間論にぶつかる知的好奇心を試みるよう、お勧めするしかありません。
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極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」  (由紀草一)

2015年03月18日 16時46分39秒 | 由紀草一
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一)



 私淑している田恆存について、自分のブログで、「田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて)」(http://blog.goo.ne.jp/y-soichi_2011/e/727d7d1744a256153b0086953d714938)から4回にわたって書いたのですが、美津島明氏から、「あれではよくわからない、今まで田なんて全く読んだことのない人にもわかるような、『田恆存入門』のようなものを書いて欲しかった」、と愛情あふれる文句つけをいただきました。

そう言われると一応、やってみたくなりました。こう見えて、乗せられやすい体質なもんで。ただ、「唯一の、正確な読解」を示す、なんてことを夢想するわけにはいきません。田先生も、そういうことは不可能なんだ、と何度か言っていますし。私はただ、凡庸なこの頭で理解し、感動した田像を示し、それが先生に興味のある人に多少の参考になれば、と願うばかりです。おかげで、そんなに深遠な、難しい話にだけはならないと思いますので。

田思想の出発点にして生涯を通じた立脚点は、まず昭和21年の「一匹と九十九匹と」に明瞭に示されました。今回はほぼこれのみに即してお話します。

これは戦後直後に文壇を賑わせた「政治と文学」論争中に書かれたエッセイです。と言っても、田はこの論争自体に深入りすることはどうやら意識的に避けています。論ずべきことはもっと別にあるはずだ、というスタンスは明瞭に読み取れ、これはこの後の田の論争文の多くに引き継がれて、時に「搦め手論法」と呼ばれることもあったようです。

論争の主流についても一応ざっくり見ておきましょう。この淵源はずっと古く、共産主義が、少なくとも知識人の間ではそれこそ怪物じみた猛威をふるった昭和初期にまで遡ります。

具体的には、共産主義は正しいと多くの人にみなされた。当然共産主義革命は正しいし、そのための活動は正しい。これに疑問の余地はない。と、すると、芸術は、その中でも社会観を直接的か間接的に含まないわけにはいかない文学は、どういうことになるのか。これがつまり論争のテーマでした。

模範解答とされたのはこんなんです。文学作品についても、別の「正しさ」があるわけはない。別の、なんてものを認めれば、その分共産主義の正しさは相対化され、革命そのものも、革命運動の価値も貶められることになる。文学でも社会活動でも、単一の物差しで測られなければならない。そんなに難しいことではない。革命運動を鼓吹するか、少なくとも革命の担い手たるプロレタリアートに即した目で現代社会を見つめ、その矛盾を示すような作品ならよい作品、それ以外は悪い、少なくとも無価値な作品。そう判定すればいい……。

「いやあ、そりゃあんまり簡単すぎるだろう」とたいていの人が思うでしょう。と言うか、土台、共産主義が正しいと信じなければ始まらない話ではあるんですが。

その後の歴史の中で共産主義もずいぶん変わりましたし、また、文学者は知識人であるという思い込みがあった頃までは、彼らは文学の社会的な効用やら責務を気にかけないわけにはいかなかったのです。そこで政治(では何が正しいか)と文学(の価値は何か)をめぐる論争は、少しづつ形を変えてこの後も現れましたし、今後も現れる可能性はあります。これについては加藤典洋「戦後後論」(『敗戦後論』所収)が面白い見取り図を提出しておりますので、興味のある方はご覧おきください。

さて田恆存は、「政治上の正しさと文学の価値」という問いの形を変え、「そもそも政治とは、そして文学とは何か」、言い換えると、「人間はなぜ、またどのように、政治を、そして文学を必要とするのか」まで遡及して考えてみせたのです。演繹に代えて帰納的に考える、というわけですが、「かくあるべき」から「かくある」に議論の中心を移すのは、もっと大きな意味があり、前に言った「搦め手論法」というのもそこを指しているようです。それは後ほど述べるとして、「政治と文学」の局面にもどりますと、政治は九十九匹のためにあり、文学は一匹のためにある、これを混同するところから不毛な混乱が起きるのだ、という答えが提出されました

「一匹と九十九匹」の譬喩は、キャッチコピーとしてもなかなかいいですよね。人目を惹きやすいし、覚えやすいでしょう? それでけっこう有名なんですが、そのためにかえってたびたび誤解されてきたように思います。解説してみましょう。
話の出処は聖書のルカ伝第十五章です。

なんぢらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失せたるものを見いだすまではたずねざらんや。

この譬えは、すぐ後の「蕩児の帰宅」の話を見れば明らかなように、悔い改めた一人を得る喜びは、もともと正しかった九十九人がいることより勝る、という意味です。ですからここで言う一匹とは正しい道を踏み外した迷える羊(stray sheep)であり、キリスト教からみた罪人のことです。それぐらいは田も当然知っており、そう書いてもいますが、この一節から受けたインスピレーションが強烈だったので、正統的な解釈とは別の「意味」を、語らないわけにはいかなかったのです。

もともとこの話にはちょっとヘンなところがあります。どんな場合でも、九十九匹の羊を野に放っておいていいはずはないのです。狼に襲われたり、羊たちの内部で争いごとがおきたりしたときのために、面倒を見る人が必要です。田の考えでは、それをやるのが最も広い意味の政治です。宗教者の役割ではないから、イエスはそれについて語らなかった。宗教者は、「失せたるもの」を探し求めずにはいられないのであり、後にこれを引き継いだのが文学者、であるはず。そうであるならば、どんな時代でも、群から迷い出てしまう一匹は必ずいるので、宗教・文学の必要性が絶えることはありません。

以上は誤解を招く言い方になりました。「なんぢらのうちたれか」と語り出されているところからもわかるように、特定の宗教者、文学者のみが考えられているわけではありません。九十九匹と一匹の領分は、万人の心の中にこそあるのです。そして、迷い出る一匹はそれを探し求める一匹と同一なのでしょう。「かれ(=真の文学者、及びそれに近い心性)は自分自身のうちにその一匹の所在を感じてゐるがゆゑに、これを他のもののうちに見うしなふはずがない」と、田は言っています。

で、改めて、この一匹とは何なのか。たぶん、この時代の文学者やら文学愛好者なら、くどくど言わずともわかる人にはわかったらしく、田もそれは暗示するにとどめています。文学の権威が一般に失われた今日では、多少の逸脱を恐れず、言葉を重ねておくべきでしょう。

日本近代文学の中だと、イエスつながりと、もう一つ田の出世作になった文芸評論(「芥川龍之介」)とのつながりからして、芥川龍之介「西方の人」中の「永遠に超えんとするもの」が、「一匹」に近いように思えます。これはイエスその人、あるいは彼を導く聖霊を指し、聖母マリアが表象する「永遠に守らんとするもの」と対置されています。

天に近い山の上には氷のやうに澄んだ日の光の中に岩むらの聳えてゐるだけである。しかし深い谷の底には柘榴や無花果も匂つてゐたであらう。そこには又家々の煙もかすかに立ち昇つてゐたかも知れない。クリストも亦恐らくはかう云ふ下界の人生に懐しさを感じずにはゐなかつたであらう。しかし彼の道は嫌でも応でも人気(ひとけ)のない天に向つてゐる。彼の誕生を告げた星は――或は彼を生んだ聖霊は彼に平和を与へようとしない。(「西方の人」中「二十五 天に近い山の上の問答」)

つまり、平和で暖かい生活の場を捨てて、冷厳で孤独な世界へと誘われる性向、芥川が「聖霊」の言葉で呼んだもの、これを田は「(九十九匹=下界の人生に対する)一匹」と名づけた、と考えて、そんなに的外れではないと思います。

しかし、では、日本の近代文学者が「永遠に超えんとする一匹」を自分の裡に感じていたかというと、それはちょっと怪しい。根本的に、「永遠に守らんとするもの」が守る身近な平和から、否応なくはみ出してしまう性情は乏しかったように見える。ただ、西洋文学には折々現れるそのような個人の傾向に憧れる気持ちはあったようで、芥川もどうやらその例外ではない。彼が描くイエス像が、上に見られるようにやたらにロマンチックなのはそのせいでしょう。

上記は日本の近代を考える上で大きなポイントになるところですが、今回はもうちょっと卑近なところで話をしたいと思います。そうすると、田の論旨の応用、というより多少どころではない逸脱ということになってしまうかも知れませんが、私が田恆存から学んだつもりでいる最も重要なことの一つですので、恐れも恥も顧みずに申し上げます。

最近拙ブログの記事「国家意識をめぐって、小浜逸郎さんとの対話(その1)」http://blog.goo.ne.jp/y-soichi_2011/e/ef269ddc5b057dee2ef855a5b735a164?fm=entry_awpに、息子を特攻作戦で失くし、戦後苦難の道を歩まなければならなかった母親について書きました。彼女は極貧のうちに生きて、死ななければならなかったようで、それについて私は、「「国のために死ね」と要求するなら、最低限、遺族の生活の面倒ぐらい、ちゃんとみてあげられなくてどうするのか」と申しました。因みに日本で軍人恩給の復活が議会で認められたのは昭和28年で、支給が開始されたのは翌29年、この母親はその恩恵に浴する直前に亡くなったのです。戦争に負けて軍隊もなくなって、日本中が苦しい時期であったとはいえ、こういう人にはちゃんとお金を上げるべきでした。それは明らかに、政治の役割です。

ところで問題は、さらにその先にあります。政治がちゃんとしているなら、彼らが生活に困ることはない。それで万々歳かと言えば、そうもいかんでしょう。二十歳そこそこの息子に先立たれた悲しみ、苦しみは残ります。どんな政治がこれを救えるのか? 考えるまでもなく、無理に決まっています。即ち、最良の政治が行われてもなお、すべての人間を必ず幸せにできるわけはないのです。

戦後社会のイカンところの一つは、こういうふうに戦争が絡んだ話だとすぐに、「戦争はこんな悲惨をもたらす、最大の悪だ」と言い立て、逆に「だから戦争さえなくなれば万事OKなんだ」をこの場合の解答のように思わせる詐術がはびこったところです。実際には仏教で言う四苦(老病生死)八苦(愛する者と別れる苦しみ、その他)から完全に逃れられる人などいません。早い話が、戦争がなくても、子どもに先立たれる親はいるのです。その苦しみ、悲しみをどうするか? どうしようもない。どうしようもないけれど、宗教と文学のみが、僅かにそこに関われる、いや、関わることを目指すべきだ。それが田恆存の文学論の根幹なのです。

どういうふうに関わるのかと言えば、それは、マルクスが喝破したように、また田も認めたように、麻薬として役立つのです。マルクスが「ヘーゲル法哲学批判序説」中でそう言ったのは、もちろん否定的な意味でです。麻薬(直截には阿片)には、苦しみを和らげる働きはあるが、病気を根治することはできない。根治をあきらめるから、麻薬の需要も出てくる。同じように、現実の苦しみが除去されるならば、宗教の必要性はなくなる。だから、宗教の廃棄を要求することは、そういうものが必要とされる現実社会の、根本的な変革を要求することに等しい、とおおよそマルクスは論じています。

彼が言い落としているのは、世の中には不治の病があることです。現在でも末期癌患者の鎮痛剤として麻薬が処方されることがあるのは知られているでしょう。その意味で、将来も麻薬の需要が絶えることはないでしょう。同じように、人々の苦しみがすっかり消えることもないから、文学の存在価値も失われないでしょう。

具体例を出しておきます。子どもを失った母の悲哀を表現したものとして、以下の和泉式部の歌はよく知られています。

とどめおきて誰をあはれと思うふらむ
子はまさるらむ子はまさりけり


「この世に遺す者のうちで誰をあわれと思うのだろう、子どもだろうな、自分も子ども失って(親を失ったときより)あわれに思うのだから」という意味で、感情より理屈を表に出している(と、見せて、同語反復による強調にもなっているのはさすがです)ことが注目されます。これと、何よりも和歌の調べによって、ここでの感情には客観性が付与され、「作品」になっている。子どもに先立たれることは、「戦死」というような社会的な共通項がない限り、個人的なできごとに止まります。それでも、フォルム(形)があることで、同じような経験をしていない人にも心持が伝わる。その全過程をここでは「文学」と名づけます。

即ち、個人的なことがらがそのまま共同性を得るというマジックが文学であり、人間が集団的な存在(九十九匹)であると同時に個的な存在(一匹)でもあることを証すものです。

だからと言ってもちろん、ごく普通の意味での公共性がなおざりにされていいわけはありません。政治上の施策や社会改革によって救われる不幸ならちゃんと救うべきですし、まして、人々に不当な悲惨を強いる政治悪はなくすべく努めるべきです。その努力が革命という形をとるなら、正義は明らかにこちらにあることになります。

ここで、先ほど挙げた、共産主義に対して文学(正確にはプロレタリア文学)から提出された「模範解答」をもう一度見てください。正義は革命にある。ならば、文学もまた革命の正義に専一に仕えるべきだ、とされる。

結果として、それ以外の正しさ、どころか、この正義の力が及ばない領域は無視されます。例えば、戦争被害者の苦しみは大いに描くべきだ、それは帝国主義の悲惨を訴えるのに役立つから。では、国家のせいにも社会のせいにもできない事故の犠牲者や、その関係者の苦しみは? そんなもの、革命のためにはなんの効果もないんだから、放っておけ、とは誰も言ってませんが、言ったのと同じ効果はあるんです。

難癖をつけていると思いますか? そう見えるらしいんで、このような言い方は、正攻法ではない、「搦め手論法」と呼ばれたのですが。しかし、広い意味での革命運動がどういう道をたどったかを考えれば、現実的にも決して無視し得ない論点がここにあるのは明らかでしょう。それはどんな道で、どこから始まったのか。「政治と文学」論争のときによく取り上げられた、小林多喜二「党生活者」をこちら側の具体例として出しましょう。

この小説で最も印象が深いのは、次のような点です。革命運動に従事する主人公が、職場も住居も追われ、親しい女に全面的に生活の面倒をみてもらうことにする。革命が正しいなら、そういうこともしかたないかも知れない。ただ驚くのは、主人公は、どうやら彼との結婚を夢見ている彼女に対して、「申し訳ないけど、我慢してほしい」ではなく、「革命運動の必要性・正当性をなかなか理解しようとしない」と、私も若い頃聞いたことがある言葉で言い換えると「意識が低い」、としか思わない。本気で? どうも、本気らしいです。

あるいはまた、六十歳になった母親にもう会わない決心をする。母親には辛いことだろうが、それは「母の心に支配階級に対する全生涯的憎悪を(母の一生は事実全くそうであった)抱かせるためにも必要だ」……。いやいやいや、本当にやめましょうよ。何かの事情で肉親と別れる人はいつでも、どこにでも、いる。自分から望んでそうなることもある。それを一概に悪だと言う気はない。けれど、何かの正義を持ってきて、それを正当化することは、とりわけ、自分が思い込むだけではなく、他人もそうであるべきだ、などとするのだけは、是非やめてほしい。

また、こうも言える。主人公は、厳しい弾圧を受けている。正義は自分にあり、それなら弾圧は不当だ。そこまでは認めてもいいが、さらに、だから弾圧される苦しさを味わうことこそ正当だ、までいったら、明らかな転倒である。そうではありませんか?

「党生活者」の主人公がそうであるように、小林多喜二もまったき善意の人ではあったのでしょう。だからこそ、あぶない。「正しいこと」はどこまでも押し進めていいはず。ならば、それをどこかで押し止めようとすることこそ悪。正義の論理がこの段階にまで至れば、この正しさはあらゆることを犠牲にするように要求するまでになるでしょう。革命が成功すると、革命前よりもっと激しい弾圧が始まる根本の理由は、ここにあるのです。

思うに、文学の社会的な効用は、このような事態に対する警告を発するところに求められるのではないでしょうか。一人の人間には、国家・社会を含む他者にはどうすることもできない領域がある。言わば、絶対的な個別性です。もちろん文学にだって、根本的にそれをどうにかできるわけではない。しかし、「どうにもならないこともある」ことを訴えて、この世に完全な正義はあり得ず、ゆえに正義の暴走は何よりも危険だと戒めることについては、少しは期待してもいいのではないでしょうか。

上がある程度認められたとしても、でもやっぱり「そんなの本当に意味があるの?」と思われることもあるでしょう。文学が宗教ほど(麻薬としての)大きな慰安を与えることなどめったにあるものではなく、その分、依存症の危険などはごく少ない。それというのも、社会に大きな影響を与える宗教ほど、「教団」を作って、革命運動によく似た活動をする、集団的なものになるからです。文学は、あくまで個人にのみ関わろうとするので、純粋ですが、また、まことに無力です。それを残念に思う文学者が、「絶対の正義」を外部に求めようとした結果が、「プロレタリア文学」をもたらしたのでしょう。
このように無限に循環しそうな問いに対して田恆存がここで出した診断を、最後に掲げておきます。

かれ(=文学者)のみはなにものにも欺かれない――政治にも、社会にも、科学にも、知性にも、進歩にも、善意にも、その意味において、阿片の常用者であり、またその供給者でもあるかれは、阿片でしか救われぬ一匹の存在にこだはる一介のペシミストでしかない。そのかれのペシミズムがいかなる世の政治といへども最後の一匹を見のがすであらうことを見ぬいてゐるのだが、にもかかはらず阿片を提供しようといふ心において、それによつて百匹の救はれることを信じる心において、かれはまた底ぬけのオプティミストでもあらう。そのかれのオプティミズムが九十九匹に専念する政治の道を是認するのにほかならない。このかれのペシミズムとオプティミズムとの二律背反は、じつはぼくたち人間のうちにひそむ個人的自我と集団的自我との矛盾をそのまま容認し、相互肯定によつて生かさうとするところになりたつのである。

一匹にこだわり続け、それによって百匹に慰安としての阿片を供給すること、ただしそれは阿片に過ぎないことはわかっているので、九十九匹の救済は甘んじて政治に委ねること。ここには、九十九匹(公共性)の名において一匹(個人)に最小限の犠牲を強いることはどうしてもある、それは認めるしかない、という断念も含まれます。そうでないと、お互いを肯定し合って、ともに生かす、ということにはならない。しかし、何が「最小限」かを見極めることはいつも難しい。

それから、こちらのほうが大きいのですが、九十九匹の側からの圧迫は特にないのに、群れから迷いでる一匹、「永遠に超えんとするもの」の問題は、提出されたままで終わっています。それは田の後の文業、特に「人間・この劇的なるもの」で正面から取り上げられることになります。なので、「極私的田恆存入門 その2」では、これを主に見て行くことにします。
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