大瀧詠一の元ネタ集「その2」の材料をあれこれと探していました。
あれかな、これかな、という目星は、それなりについたのではありますが、そのプロセスで、なぜか、ロネッツが俄然、マイハートのなかで浮上してきてしまい、今日などは、頭の中で、ロネッツの曲のあれこれが、リフレインして、それなりに困ったりしたのです。
で、ここは、とりあえず、ロネッツの楽曲をいくつか紹介して、「リフレイン地獄」から自分を解放したいと思ったのです。
そう、ロネッツといえば、フィル・スペクターです。それでもって、フィル・スペクターといえば、とりあえす「エコー」で、「エコー」といえば、大瀧詠一であったりします。
まあ、世間ではそういうつながり具合になっていまして、それに当方が異を唱える気などさらさらないわけではあります。
あらかじめお断りしておきますが、ロネッツの場合、この曲は大瀧さんのアレの元ネタ、という特定をする能力は、当方にございません。
しかしながら、全体の印象としては、ロネッツ・サウンド≒スペクター・サウンドは、大瀧サウンドに大きな影を落としている、というのは間違いがないと思われます。
でなければ、リフレイン地獄に陥ったりはしませんって。
まずは、これから。
*以下、「この動画はごらんいただけません。Youtubeでごらんください」という表示が出ますが、アンダーラインがついた「Youtubeでごらんください」をクリックしていただければお聴きいただけます。悪しからず。
「 私のベイビー Be My Baby」2020 ザ・ロネッツ Ronettes
「ビー・マイ・ベイビー」は、1963年8月に発表された楽曲です。同年10月に全米2位を記録しました。プロデューサーのフィル・スペクターによるウォール・オブ・サウンドの傑作として高い評価を受け、後の音楽シーンに多大な影響を与えました。ちなみに、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは当楽曲に感銘を受け、翌年に「Don't Worry Baby」を発表し、ロネッツとフィル・スペクターに捧げています。
ロネッツは、シングル8枚とアルバム一枚を残して66年に解散をしたそうですから、以下に掲げる楽曲もおそらく同じ時期に作られたものなのでしょう。名曲ぞろいですよ。
それにしても、ヴェロニカの突出した存在感のあるヴォーカルはすごいですね。
The Ronettes - You Baby (HQ)
BABY I LOVE YOU (ORIGINAL SINGLE VERSION) - THE RONETTES
The Ronettes - When I Saw You (Official Audio)
次の「Walking In The Rain」ですが、大雨の効果音は、もっと大袈裟な形で、シリア・ポールの『夢で逢えたら』収録の「こんな時」で使われています。
Walking In The Rain [日本語訳付き] ザ・ロネッツ
次は「So Young」です。当楽曲については、大瀧さんがDJを務める伝説の趣味趣味音楽番組「Go Go Niagara」でたまたま聴いていて、思わず涙がちょちょびれたことを白状しておきます。YouTubeで大瀧さんの声を聴きながら寝付くのがここ数年の習慣になっておりますもので。
So Young
*その後、結局、といいましょうか、ザ・ロネッツの唯一のオリジナルアルバム『・・・presenting the fabulous RONETTES featuring VERONICA』を購入しました。ご紹介した上記の5曲を含む全12曲が収録されています。私が言うのもなんですが、名曲ぞろいでとても良いアルバムですよ。ちなみに当方が購入したのは、CD版で1000円+税です。オリジナルLPは、プレミアム価格10000円以上で、とても手がでません。
当CDに添付されている、土屋一夫氏の解説文のなかに、つぎのようなくだりがありました。参考までに掲げておきます。
全体的には、第二期ウォール・オブ・サウンドの完成形とも言える、エコーが少し深くなり始め、ストリングスやパーカッションを多用し、ハル・ブレインのドラムスが派手にフィーチャーされた濃密なサウンドと、バリー・マン&シンシア・ワイル、エリー・グリニッチ&ジェフ・バリー、それに元々はフィルの門下生だったピート・アンダース&ヴィニ・ポンシアといったブリル・ビルディング系を中心とした優れた作家のナンバーを起用し、そこにジャック・ニッチェ独特のアレンジ手法と、ラリー・レヴィンによるエンジニアリングが加わった、フィレスの最高傑作LPに位置付けることができよう。ハル・ブレインらレッキング・クルーと呼ばれることになるメンバーによる演奏も素晴らしく、その後の音楽シーンに大きな影響を与えたエヴァー・グリーンな一枚である。
あまり馴染みのない名前が列挙されていますが、「新春放談」での大瀧詠一と山下達郎のやり取りのなかで、頻出していたような気もします。