国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その1) (美津島明)
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以下は、いわゆるBABYMETAL現象なるものについての私見です。当ダンス・ユニットの基礎知識にあたることがらについては、以前「BABYMETAL(ベビー・メタル)は、クール・ジャパンの王道を歩んでいる」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/7f20ff67f6b98537b0ad77e2d77118b1)で触れているので、興味のある方は、そちらをご覧ください。
昨年の七月、BABYMETAL(ベビーメタル)は、フランス・ドイツ・イギリス・アメリカ・日本を巡る初のワールドツアーを開始しました。その大きなきっかけは、YoutubeにアップされたPV動画『Gimme Chocotate!!』のアクセス数1000万超えでした(いまでは約2800万です)。日本で、いわばカルト的な根強い人気があったBABYMETALが、それをきっかけに、世界で大きな反響を呼ぶことになったのですね。その人気がいわば逆輸入される形で、日本の一般の人々にもその名が次第に知られるようになり、アイドルについてほとんど何も知らなかった私が、当ユニットに関心を持ったりするようにもなったわけです。
BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていないようです。翌年一月、ファースト・ライブアルバム『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT〜』と映像作品『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT & BLACK NIGHT APOCALYPSE〜』が、オリコン週間チャートで、それぞれアルバムで3位、Blu-ray総合で1位となり、女性アーティストのライブアルバムとしては十一年ぶりにTOP3に入り、Blu-rayでは総合1位の女性最年少記録を更新することになりました。また、同月に開催されたさいたまスーパーアリーナでの公演では二万人を動員しました。ちなみに、いま触れたCDとDVDは、前年三月、2日間にわたって日本武道館で単独公演を行ったときの模様を音と映像で記録したものです(私はその両方を持っていますが、いずれもSumetalの渾身の歌とYuimetal&Moametalの「切れっ切れ」ダンスと神バンドの卓越した演奏を心ゆくまで堪能できる逸品です)。
BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていない、という話にもどりましょう。二〇一五年の三月、「第7回 CDショップ大賞 2015」で、アルバム『BABYMETAL』が大賞を受賞した(これは、レコード大賞などよりすごい賞であると思います。お金や枕営業などはいっさい介在していないですからね)のが前祝いのような形になり、五月、メキシコ・カナダ・アメリカ・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・イギリスを巡る2度目のワールドツアーを敢行しました。六月二一日の幕張メッセ・ワールド・ツアーの凱旋ライヴは、全席オールスタンディングで、ワンマンライブとしては自己最多となる2万5000人を動員しました(残念ながら、私は抽選漏れで、このライヴに参戦することがかないませんでした。いつのもことですが)。アメリカでは「Rock On The Range 2015」に、ドイツでは「ROCKAVARIA」と「Rock im Revier」にも出演しました。また、海外レーベルのearMUSIC、RALと契約し、欧米でCDの販売を開始したほか、国内で発売した映像作品『LIVE IN LONDON -BABYMETAL WORLD TOUR 2014-』がオリコン週間チャートのBlu-ray総合で1位となり、十代アーティスト初の2作連続Blu-ray総合1位を記録しました。これは、前年七月と十一月のロンドンでのライヴの模様を映像で記録したものです。これを観れば、シンプルな舞台装置でのBABYMETALの歌や踊りや演奏の卓越性も、観客の自然発生的な熱狂ぶりもよく分かります。特に、「メギツネ」でのSumetalの、会場に向かってキックしながらの「ナメたらいかんぜよ」のセリフを観客たちが一緒に言っているのを見たときは、「みんなよく研究しているなぁ」と感心してしまいました。
ほかにもまだまだありますが、これくらいにしておきましょう。
私が、このように、BABYMETALの活躍をこれでもかこれでもかというくらいにしつこく強調するのには理由があります。それは、彼らがテレビにほとんど出ないので、AKB48やモーニング娘の認知度にははるかにおよばないということです。
言いかえれば、彼らが世界レベルの成功を手に入れるうえで、電通や博報堂という既存の大手広告代理店はいっさい介入していないということです。それが証拠に、テレビ局で、BABYMETALを本格的に取り上げたのは、電通の力の及ばないNHKだけです。NHKは、昨年の十二月二十一日に「BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~」という特集番組を放映しました。当番組は、BABYMETALファンからの熱いエールの的になりました。私は、彼らの気持ちがよく分かるような気がします。(私をふくめた)彼らは、大手メディアがBABYMETALの良さをきちんと伝えてくれて、その名が日本においてメジャーになることを切望しているのです。去年の紅白歌合戦にBABYMETALが出場できなかったことにがっかりしたファンが少なからずいたことがそのことを雄弁に物語っています。しかしそこには、「オレたちにしか、BABYMETALの本当の良さは分からない」という矛盾した思いもあって、恋心はなかなかやっかいなものです。
ついでながら、電通などは、おそらく、躍起になってあの手この手でBABYMETALの既存メディアへの露出を防ごうとしているはずです。そうしなければ、自分たちのメディア支配力を呑みこむ勢力の台頭を許すことになってしまいかねないからです。自分たちの軍門に下ったならば、安心して彼らがメディアへ露出するのを許すのでしょうが。
いろいろと申し上げてしまいましたが、そこからおのずと浮かび上がってくるのは、世界同時のBABYMETAL現象は、メディアが作り上げたものというより多分に自然発生的なものである、ということです。いささか大げさに言えば、BABYMETAL現象は、先進資本主義の現在におけるある種の精神の流れを象徴している、と考えられるのですね。
告白めきますが、そこをきちんと論じられなければBABYMETALの本質を射抜いたことにはならない、という思いが、この半年ほど、脳裡の片隅にこびりついて離れませんでした。だから、インターネット上のBABYMETAL関連のコメントには、できるだけ目を通してきました。何かヒントになる言葉はないのか、と。BABYMETALへの熱い思いや深い愛の感じられる良質なコメントにはたくさん接しましたが、目からうろこというわけにはいきませんでした。要するに「てめぇの頭で考えろ」ということなのでしょう。
手がかりは、ひょんなところからやってきました。最近のことです。オタク評論家の兵頭新児氏から、本田透『萌える男』(ちくま新書・2005)を紹介されてどれどれという感じで読んでみたところ、示唆を受けるところ大だったのです。
本書は、オタク用語の「萌え」に対する視線変更を敢行し、現代資本主義の精神史的文脈における「萌え」の潜在的可能性を探り当てる、という離れ業を半ば以上成就した思想書です。個人的なモチベーションとしては、世間の無理解・蔑視に対するオタクの側からの反攻を企てたいということがあったものと思われます。一時期、各種メジャー・メディアをにぎわした『電車男』に対するやむにやまれぬ反発が、著者をして檄文のような『電波男』を書かしめ、それを一般人にも受け入れ可能な形にしたものとして本書が上梓されたというのがその出版事情のようです。
さて、本書によれば、「萌え」とは、脳内恋愛であり、昔はゲーテやダンテなどの芸術家のような限られた人々だけが萌えていたのだが、その後、科学技術の発達や萌えオタク市場の確立によって、だれでも萌えることが可能になりました。一方、近代は、かつて人々が宗教に求めていた魂の救済の役割を恋愛に求めることになりました。それは近代化の過程が、同時に宗教の力の衰退の過程(神の存在に対する懐疑の深化の過程)でもあることによって不可避的にもたらされた精神の傾向といえましょう。それが、かつて北村透谷らが欧米思想から輸入した恋愛至上主義です。しかし、八〇年代になって、個々人の恋愛行為が、メディアや広告代理店の流布する大量のイメージに縛られたり洗脳されたりするようになり、資本の論理に汚染されるようになります。それを本田氏は、「恋愛資本主義」と名付けます。以上のような議論を踏まえたうえで、本田氏は次のように述べます。
「萌え」とは、メディアが押付けてくる恋愛資本主義システムという共同幻想とは異なる自己幻想を自らの内面に持つことで「自分で自分を救う」ことである。
私は、現状ではそこまで「萌え」を積極的に評価することはかないませんが、恋愛の露骨な商品化や家族の解体現象を目の当たりにして、鋭敏な感性を有する若者たちが、商品化された恋愛ゲームのプレイヤーであることを静かに断念し、純愛願望を秘めながら二次元世界に撤収して「萌え」に専念するに至った心の事情を共感とともに思い浮かべることはできます。これは、マルクスのいわゆる労働力の商品化をはるかに超えて、エロスの領域までも微細に商品価値化するようになった爛熟期の資本主義が不可避的に招き寄せた事態であると言っても過言ではないでしょう。資本主義に対していささか肯定的な物言いをすれば、「萌え」というエロスのモラトリアムを許容しうるほどに社会が豊かになったということでもあります。
日本と同じく先進資本主義諸国である欧米社会においても似たような若者事情があると考えるのはむしろ自然なことでしょう。というより、そもそも純愛感情に根差した恋愛(プラトニック・ラブ)や恋愛結婚そのものが、明治維新から大正デモクラシー期にかけて西欧から輸入された外来文化であるという側面があるのです。たしかに、恋愛感情は太古の昔から日本にもあったのでしょうが、性欲をことさらに排した神聖なる恋愛という観念は、たしかに西欧産であり、その起源がキリスト教にあるというのも妥当な見解であるような気がします。
それゆえ欧米諸国の鋭敏な若者たちが、近代におけるキリスト教の衰退によって、それが担っていた魂の救済の役割を恋愛が代わりに担うことを期待し重視する度合や、資本主義が爛熟期をむかえることによって、エロスの商品化が不可避的に進行する過程において、恋愛の神聖性の破壊や家族の物語の解体が進むことに対して抱く危機感は、現代の日本の鋭敏な若者に勝るとも劣らないほどのものがあると想像してもそれほど不自然ではないでしょう。伝統的にキリスト教を信じてきたからこそ、その救済の力が衰えることは、欧米社会の人々が自己の存在根拠を確認するうえでのゆゆしき問題になるのではないでしょうか。
私が申し上げたいことを要するに、現代の欧米社会においては日本に勝るとも劣らないほどに「萌え」に傾く心性が高まっているのではなかろうか、ということです。日本の心ある若者たちと同じくらいにいまの欧米社会の心ある若者たちも、「萌え」の対象を渇望しているのではないでしょうか。
それが正しいとするならば、次に、その対象としてなにゆえBABYMETALが選ばれることになるのか、という疑問が浮かんできます。言いかえれば、「萌え」の対象を欲する心性が、爛熟期の資本主義に普遍的に存在するとして、純然たる日本語の歌を歌うBABYMETALというアイドル・ダンス・ユニットがそういう心性に対してなにゆえ国境を越えた強い訴求力や魅力を持ちえるのか、という問題です。
話が長くなりそうなので、それについては、次回に述べることにしましょう。
〔オマケ〕BABYMETALの曲のなかで、私が最も愛する「紅月(あかつき)」の素晴らしい音質と画質の動画があったので、アップしておきます。たしか昨年三月・武道館ライヴの二日目の映像ではないかと思います。この曲には、当ダンス・ユニットの生みの親にしてプロデューサーであるKobametalの、Xjapanへのオマージュが込められているとは、よく言われることです。なんというか、日本人の滅びの美意識を激しく揺さぶるところがあるような気がします。Sumetalという超絶美少女がマントをひるがえしながら、なんの技巧もほどこさずに、どこまでもまっすぐにのびていくすずやかな声音で「紅く染まれ、真っ赤に染まれ」と絶唱すると、私はいつも脳内センサーの針が振り切れてノックアウトを喰らってしまいます。Kobametalは、昭和男があえて人目のつくところにさらそうとはしない感性上の弱点をよく知っているのではないかと思われます。いま「なんの技巧もほどこさずに」と申し上げましたが、これは天賦の鋭敏な音感がなければできない芸当です。微妙な音程の狂いが増幅されてしまうという、悲惨な結果を招きやすい極めてリスキーな歌唱法なので、普通の歌手は、とてもじゃないが怖くてようせんわ、という感じではなかろうかと思われます。
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="//www.dailymotion.com/embed/video/x38akfc" allowfullscreen></iframe>Babymetal Live - Benitsuki -Akatsuki- 紅月-アカツキ... 投稿者 newmarxssahd2
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残念ながら、削除されてしまいました。もともと違反なのですから、仕方ないですね。しかし、なにもないのは淋しいので、ファン・カム動画のなかではけっこう録音状態が良いものをアップしておきましょう。はじめてお聴きになる方に、一言いっておくと、高音が伸びていないかのように聴こえますが、たぶん、録音機械の性能のせいで高い音程を拾い切れていないのでしょう。そのあたり、割り引いで聴いてください。昨年七月のアメリカ公演のようですね。
140727 - BABYMETAL - Akatsuki @ Fonda Theatre
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以下は、いわゆるBABYMETAL現象なるものについての私見です。当ダンス・ユニットの基礎知識にあたることがらについては、以前「BABYMETAL(ベビー・メタル)は、クール・ジャパンの王道を歩んでいる」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/7f20ff67f6b98537b0ad77e2d77118b1)で触れているので、興味のある方は、そちらをご覧ください。
昨年の七月、BABYMETAL(ベビーメタル)は、フランス・ドイツ・イギリス・アメリカ・日本を巡る初のワールドツアーを開始しました。その大きなきっかけは、YoutubeにアップされたPV動画『Gimme Chocotate!!』のアクセス数1000万超えでした(いまでは約2800万です)。日本で、いわばカルト的な根強い人気があったBABYMETALが、それをきっかけに、世界で大きな反響を呼ぶことになったのですね。その人気がいわば逆輸入される形で、日本の一般の人々にもその名が次第に知られるようになり、アイドルについてほとんど何も知らなかった私が、当ユニットに関心を持ったりするようにもなったわけです。
BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていないようです。翌年一月、ファースト・ライブアルバム『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT〜』と映像作品『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT & BLACK NIGHT APOCALYPSE〜』が、オリコン週間チャートで、それぞれアルバムで3位、Blu-ray総合で1位となり、女性アーティストのライブアルバムとしては十一年ぶりにTOP3に入り、Blu-rayでは総合1位の女性最年少記録を更新することになりました。また、同月に開催されたさいたまスーパーアリーナでの公演では二万人を動員しました。ちなみに、いま触れたCDとDVDは、前年三月、2日間にわたって日本武道館で単独公演を行ったときの模様を音と映像で記録したものです(私はその両方を持っていますが、いずれもSumetalの渾身の歌とYuimetal&Moametalの「切れっ切れ」ダンスと神バンドの卓越した演奏を心ゆくまで堪能できる逸品です)。
BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていない、という話にもどりましょう。二〇一五年の三月、「第7回 CDショップ大賞 2015」で、アルバム『BABYMETAL』が大賞を受賞した(これは、レコード大賞などよりすごい賞であると思います。お金や枕営業などはいっさい介在していないですからね)のが前祝いのような形になり、五月、メキシコ・カナダ・アメリカ・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・イギリスを巡る2度目のワールドツアーを敢行しました。六月二一日の幕張メッセ・ワールド・ツアーの凱旋ライヴは、全席オールスタンディングで、ワンマンライブとしては自己最多となる2万5000人を動員しました(残念ながら、私は抽選漏れで、このライヴに参戦することがかないませんでした。いつのもことですが)。アメリカでは「Rock On The Range 2015」に、ドイツでは「ROCKAVARIA」と「Rock im Revier」にも出演しました。また、海外レーベルのearMUSIC、RALと契約し、欧米でCDの販売を開始したほか、国内で発売した映像作品『LIVE IN LONDON -BABYMETAL WORLD TOUR 2014-』がオリコン週間チャートのBlu-ray総合で1位となり、十代アーティスト初の2作連続Blu-ray総合1位を記録しました。これは、前年七月と十一月のロンドンでのライヴの模様を映像で記録したものです。これを観れば、シンプルな舞台装置でのBABYMETALの歌や踊りや演奏の卓越性も、観客の自然発生的な熱狂ぶりもよく分かります。特に、「メギツネ」でのSumetalの、会場に向かってキックしながらの「ナメたらいかんぜよ」のセリフを観客たちが一緒に言っているのを見たときは、「みんなよく研究しているなぁ」と感心してしまいました。
ほかにもまだまだありますが、これくらいにしておきましょう。
私が、このように、BABYMETALの活躍をこれでもかこれでもかというくらいにしつこく強調するのには理由があります。それは、彼らがテレビにほとんど出ないので、AKB48やモーニング娘の認知度にははるかにおよばないということです。
言いかえれば、彼らが世界レベルの成功を手に入れるうえで、電通や博報堂という既存の大手広告代理店はいっさい介入していないということです。それが証拠に、テレビ局で、BABYMETALを本格的に取り上げたのは、電通の力の及ばないNHKだけです。NHKは、昨年の十二月二十一日に「BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~」という特集番組を放映しました。当番組は、BABYMETALファンからの熱いエールの的になりました。私は、彼らの気持ちがよく分かるような気がします。(私をふくめた)彼らは、大手メディアがBABYMETALの良さをきちんと伝えてくれて、その名が日本においてメジャーになることを切望しているのです。去年の紅白歌合戦にBABYMETALが出場できなかったことにがっかりしたファンが少なからずいたことがそのことを雄弁に物語っています。しかしそこには、「オレたちにしか、BABYMETALの本当の良さは分からない」という矛盾した思いもあって、恋心はなかなかやっかいなものです。
ついでながら、電通などは、おそらく、躍起になってあの手この手でBABYMETALの既存メディアへの露出を防ごうとしているはずです。そうしなければ、自分たちのメディア支配力を呑みこむ勢力の台頭を許すことになってしまいかねないからです。自分たちの軍門に下ったならば、安心して彼らがメディアへ露出するのを許すのでしょうが。
いろいろと申し上げてしまいましたが、そこからおのずと浮かび上がってくるのは、世界同時のBABYMETAL現象は、メディアが作り上げたものというより多分に自然発生的なものである、ということです。いささか大げさに言えば、BABYMETAL現象は、先進資本主義の現在におけるある種の精神の流れを象徴している、と考えられるのですね。
告白めきますが、そこをきちんと論じられなければBABYMETALの本質を射抜いたことにはならない、という思いが、この半年ほど、脳裡の片隅にこびりついて離れませんでした。だから、インターネット上のBABYMETAL関連のコメントには、できるだけ目を通してきました。何かヒントになる言葉はないのか、と。BABYMETALへの熱い思いや深い愛の感じられる良質なコメントにはたくさん接しましたが、目からうろこというわけにはいきませんでした。要するに「てめぇの頭で考えろ」ということなのでしょう。
手がかりは、ひょんなところからやってきました。最近のことです。オタク評論家の兵頭新児氏から、本田透『萌える男』(ちくま新書・2005)を紹介されてどれどれという感じで読んでみたところ、示唆を受けるところ大だったのです。
本書は、オタク用語の「萌え」に対する視線変更を敢行し、現代資本主義の精神史的文脈における「萌え」の潜在的可能性を探り当てる、という離れ業を半ば以上成就した思想書です。個人的なモチベーションとしては、世間の無理解・蔑視に対するオタクの側からの反攻を企てたいということがあったものと思われます。一時期、各種メジャー・メディアをにぎわした『電車男』に対するやむにやまれぬ反発が、著者をして檄文のような『電波男』を書かしめ、それを一般人にも受け入れ可能な形にしたものとして本書が上梓されたというのがその出版事情のようです。
さて、本書によれば、「萌え」とは、脳内恋愛であり、昔はゲーテやダンテなどの芸術家のような限られた人々だけが萌えていたのだが、その後、科学技術の発達や萌えオタク市場の確立によって、だれでも萌えることが可能になりました。一方、近代は、かつて人々が宗教に求めていた魂の救済の役割を恋愛に求めることになりました。それは近代化の過程が、同時に宗教の力の衰退の過程(神の存在に対する懐疑の深化の過程)でもあることによって不可避的にもたらされた精神の傾向といえましょう。それが、かつて北村透谷らが欧米思想から輸入した恋愛至上主義です。しかし、八〇年代になって、個々人の恋愛行為が、メディアや広告代理店の流布する大量のイメージに縛られたり洗脳されたりするようになり、資本の論理に汚染されるようになります。それを本田氏は、「恋愛資本主義」と名付けます。以上のような議論を踏まえたうえで、本田氏は次のように述べます。
「萌え」とは、メディアが押付けてくる恋愛資本主義システムという共同幻想とは異なる自己幻想を自らの内面に持つことで「自分で自分を救う」ことである。
私は、現状ではそこまで「萌え」を積極的に評価することはかないませんが、恋愛の露骨な商品化や家族の解体現象を目の当たりにして、鋭敏な感性を有する若者たちが、商品化された恋愛ゲームのプレイヤーであることを静かに断念し、純愛願望を秘めながら二次元世界に撤収して「萌え」に専念するに至った心の事情を共感とともに思い浮かべることはできます。これは、マルクスのいわゆる労働力の商品化をはるかに超えて、エロスの領域までも微細に商品価値化するようになった爛熟期の資本主義が不可避的に招き寄せた事態であると言っても過言ではないでしょう。資本主義に対していささか肯定的な物言いをすれば、「萌え」というエロスのモラトリアムを許容しうるほどに社会が豊かになったということでもあります。
日本と同じく先進資本主義諸国である欧米社会においても似たような若者事情があると考えるのはむしろ自然なことでしょう。というより、そもそも純愛感情に根差した恋愛(プラトニック・ラブ)や恋愛結婚そのものが、明治維新から大正デモクラシー期にかけて西欧から輸入された外来文化であるという側面があるのです。たしかに、恋愛感情は太古の昔から日本にもあったのでしょうが、性欲をことさらに排した神聖なる恋愛という観念は、たしかに西欧産であり、その起源がキリスト教にあるというのも妥当な見解であるような気がします。
それゆえ欧米諸国の鋭敏な若者たちが、近代におけるキリスト教の衰退によって、それが担っていた魂の救済の役割を恋愛が代わりに担うことを期待し重視する度合や、資本主義が爛熟期をむかえることによって、エロスの商品化が不可避的に進行する過程において、恋愛の神聖性の破壊や家族の物語の解体が進むことに対して抱く危機感は、現代の日本の鋭敏な若者に勝るとも劣らないほどのものがあると想像してもそれほど不自然ではないでしょう。伝統的にキリスト教を信じてきたからこそ、その救済の力が衰えることは、欧米社会の人々が自己の存在根拠を確認するうえでのゆゆしき問題になるのではないでしょうか。
私が申し上げたいことを要するに、現代の欧米社会においては日本に勝るとも劣らないほどに「萌え」に傾く心性が高まっているのではなかろうか、ということです。日本の心ある若者たちと同じくらいにいまの欧米社会の心ある若者たちも、「萌え」の対象を渇望しているのではないでしょうか。
それが正しいとするならば、次に、その対象としてなにゆえBABYMETALが選ばれることになるのか、という疑問が浮かんできます。言いかえれば、「萌え」の対象を欲する心性が、爛熟期の資本主義に普遍的に存在するとして、純然たる日本語の歌を歌うBABYMETALというアイドル・ダンス・ユニットがそういう心性に対してなにゆえ国境を越えた強い訴求力や魅力を持ちえるのか、という問題です。
話が長くなりそうなので、それについては、次回に述べることにしましょう。
〔オマケ〕BABYMETALの曲のなかで、私が最も愛する「紅月(あかつき)」の素晴らしい音質と画質の動画があったので、アップしておきます。たしか昨年三月・武道館ライヴの二日目の映像ではないかと思います。この曲には、当ダンス・ユニットの生みの親にしてプロデューサーであるKobametalの、Xjapanへのオマージュが込められているとは、よく言われることです。なんというか、日本人の滅びの美意識を激しく揺さぶるところがあるような気がします。Sumetalという超絶美少女がマントをひるがえしながら、なんの技巧もほどこさずに、どこまでもまっすぐにのびていくすずやかな声音で「紅く染まれ、真っ赤に染まれ」と絶唱すると、私はいつも脳内センサーの針が振り切れてノックアウトを喰らってしまいます。Kobametalは、昭和男があえて人目のつくところにさらそうとはしない感性上の弱点をよく知っているのではないかと思われます。いま「なんの技巧もほどこさずに」と申し上げましたが、これは天賦の鋭敏な音感がなければできない芸当です。微妙な音程の狂いが増幅されてしまうという、悲惨な結果を招きやすい極めてリスキーな歌唱法なので、普通の歌手は、とてもじゃないが怖くてようせんわ、という感じではなかろうかと思われます。
<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="//www.dailymotion.com/embed/video/x38akfc" allowfullscreen></iframe>Babymetal Live - Benitsuki -Akatsuki- 紅月-アカツキ... 投稿者 newmarxssahd2
(↑クリックしてください)
残念ながら、削除されてしまいました。もともと違反なのですから、仕方ないですね。しかし、なにもないのは淋しいので、ファン・カム動画のなかではけっこう録音状態が良いものをアップしておきましょう。はじめてお聴きになる方に、一言いっておくと、高音が伸びていないかのように聴こえますが、たぶん、録音機械の性能のせいで高い音程を拾い切れていないのでしょう。そのあたり、割り引いで聴いてください。昨年七月のアメリカ公演のようですね。
140727 - BABYMETAL - Akatsuki @ Fonda Theatre
「萌え」の流行は「おニャン子」的な虚構性を否定し、リアルな女子へと居直ったアイドルへの嫌悪という側面もあると思いますが、BABYMETALを見ると「電通的なお仕着せへの嫌悪」とも読み替えられる気もします。
ただ、「恋愛資本主義」という言葉を一番最初に持ち出してきたのは(これはあまり言及されていないことで、大したことではないのですが)森永卓郎のようです。
兵頭さんから、本田透氏の『萌える男』を紹介していただいたおかげで、BABYMETALをめぐっての視野が開けました。実は、半年ほど五里霧中の状態だったのです。
自分の専門外の知見だからといって、めんどうがらずにちょっと覗いてみることも大事、ということでしょうね。
兵頭さんの、「萌え」の読み替え、とても興味深いと思います。