詩人・谷川俊太郎を見かけました
私は最近、なんとなく何かとても大事なことを忘れているような気がしていました。胸になにかちいさなものがつっかえているような、知人たちになにか伝え忘れているような、そんな感じがあったのですね。むろん、振り返ってみれば、の話ですよ。昨日の午後、人のまばらな電車の中で、幸運なことに、それが心にぽっかりと浮かんできました。私は、ひと月ほど前に高名な詩人・谷川俊太郎を見かけたのです。そのことをなぜかすっかり忘れていたのです。
それは猛暑と言っても大袈裟ではないほどに暑い日のことでした。新宿の人ごみにもまれているうちに、私は涼を取りたくなってきたので、銀座ルノアール小滝橋通り店に入りました。なぜそんなに詳しく店名を知っているのかと言えば、十年ほど前からなにかとよくそこを利用しているからです。読書会はいつも銀座ルノアール四谷店で催しています。どうやらルノアールとは浅からぬ縁があるようです。
エアコンのよく効いた店内に入り、ボディペーパーで、暑さのためにすっかり火照ってしまった身体を拭いて、しばらくぼおっとしたまま、まとわりつく熱気が鎮まるのを待っていました。すると目の前数メートルくらいのところに、ジーンズと白いTシャツ姿の小柄な老人が店の奥から歩いてきたのです。そうしておもむろに振り返って、後続の取り巻きの男女二人とちょっと言葉を交わしました。二、三度うなずいた後、その老人はひとりですっと外に出ていきました。「とてもよく似ているが、そんなはずはないだろう」。私は自分の考えを思い過ごしと決めこんだのです。
すると、その取り巻きの男女のうちの男のほうが、私の隣りでノート・パソコンのキーを叩いていた男にすっと近づいてきて、やや上気したような表情で「詩人だよ、谷川俊太郎。」という小声の言葉を残して、店を出て行きました。
そうか、あれはやっぱり谷川俊太郎だったのか。私は、視界を横切って行った彼の姿かたちを心のなかでいとおしむように反芻しました。
腰に巻く小物入れのほかに、彼は何も持っていませんでした。年のせいか、やや猫背気味だった気もしますが、それにしてもずいぶんすっきりとした立ち姿でした。そうして、ぜい肉がまったくない。動きや表情に老いぼれたところがまったく見受けられなかったのです。若々しいというのとはちょっと違っていて、彼の思考経路には「年齢」という因子がないにちがいない、という言い方の方が合っているような気がします。つまり、彼には無駄なものがなにもない、という印象が残ったのです。その印象は、どうやら彼の感性や生き方に深く関わっているようなのです。彼は一九三一年生まれですから、いま八一歳です。それを考えると、彼のすっきりとした印象は驚異的なことのように感じられてきます。
その、時の経過とともに私の心のなかで鮮やかになっていく彼の立ち姿を反芻するうちに、次の詩がおのずと浮かんできました。
芝生
谷川俊太郎
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
(『夜中に台所でぼくはきみに話かけたかった』(青土社1975)所収)
彼の心には、おそらくいつも宇宙の風のようなものがそよいでいるのでしょう。その姿を見かけたときのことを思い浮かべると、年甲斐もなくそういうロマンティックな思いに襲われます。谷川俊太郎は、人間のなかで、風の又三郎にいちばん似ている人なのではないでしょうか。風の又三郎が、自分の通じにくい思いをごくふつうの人にも分かるように、なるべくかみくだいて言葉を紡ぎ出そうとする。その気の遠くなるような努力を積み重ねているうち、あっという間に半世紀が過ぎてしまった。そういうところに、谷川俊太郎の詩人としての偉大さがあるような気がします。
私は最近、なんとなく何かとても大事なことを忘れているような気がしていました。胸になにかちいさなものがつっかえているような、知人たちになにか伝え忘れているような、そんな感じがあったのですね。むろん、振り返ってみれば、の話ですよ。昨日の午後、人のまばらな電車の中で、幸運なことに、それが心にぽっかりと浮かんできました。私は、ひと月ほど前に高名な詩人・谷川俊太郎を見かけたのです。そのことをなぜかすっかり忘れていたのです。
それは猛暑と言っても大袈裟ではないほどに暑い日のことでした。新宿の人ごみにもまれているうちに、私は涼を取りたくなってきたので、銀座ルノアール小滝橋通り店に入りました。なぜそんなに詳しく店名を知っているのかと言えば、十年ほど前からなにかとよくそこを利用しているからです。読書会はいつも銀座ルノアール四谷店で催しています。どうやらルノアールとは浅からぬ縁があるようです。
エアコンのよく効いた店内に入り、ボディペーパーで、暑さのためにすっかり火照ってしまった身体を拭いて、しばらくぼおっとしたまま、まとわりつく熱気が鎮まるのを待っていました。すると目の前数メートルくらいのところに、ジーンズと白いTシャツ姿の小柄な老人が店の奥から歩いてきたのです。そうしておもむろに振り返って、後続の取り巻きの男女二人とちょっと言葉を交わしました。二、三度うなずいた後、その老人はひとりですっと外に出ていきました。「とてもよく似ているが、そんなはずはないだろう」。私は自分の考えを思い過ごしと決めこんだのです。
すると、その取り巻きの男女のうちの男のほうが、私の隣りでノート・パソコンのキーを叩いていた男にすっと近づいてきて、やや上気したような表情で「詩人だよ、谷川俊太郎。」という小声の言葉を残して、店を出て行きました。
そうか、あれはやっぱり谷川俊太郎だったのか。私は、視界を横切って行った彼の姿かたちを心のなかでいとおしむように反芻しました。
腰に巻く小物入れのほかに、彼は何も持っていませんでした。年のせいか、やや猫背気味だった気もしますが、それにしてもずいぶんすっきりとした立ち姿でした。そうして、ぜい肉がまったくない。動きや表情に老いぼれたところがまったく見受けられなかったのです。若々しいというのとはちょっと違っていて、彼の思考経路には「年齢」という因子がないにちがいない、という言い方の方が合っているような気がします。つまり、彼には無駄なものがなにもない、という印象が残ったのです。その印象は、どうやら彼の感性や生き方に深く関わっているようなのです。彼は一九三一年生まれですから、いま八一歳です。それを考えると、彼のすっきりとした印象は驚異的なことのように感じられてきます。
その、時の経過とともに私の心のなかで鮮やかになっていく彼の立ち姿を反芻するうちに、次の詩がおのずと浮かんできました。
芝生
谷川俊太郎
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
(『夜中に台所でぼくはきみに話かけたかった』(青土社1975)所収)
彼の心には、おそらくいつも宇宙の風のようなものがそよいでいるのでしょう。その姿を見かけたときのことを思い浮かべると、年甲斐もなくそういうロマンティックな思いに襲われます。谷川俊太郎は、人間のなかで、風の又三郎にいちばん似ている人なのではないでしょうか。風の又三郎が、自分の通じにくい思いをごくふつうの人にも分かるように、なるべくかみくだいて言葉を紡ぎ出そうとする。その気の遠くなるような努力を積み重ねているうち、あっという間に半世紀が過ぎてしまった。そういうところに、谷川俊太郎の詩人としての偉大さがあるような気がします。
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