メディアが嘘をつく、というのは周知の事実です。しかし、高齢者ドライバーは危険である、というのもその一例である、とは気づきませんでした。メディアに対する警戒の念はいくら強くても強すぎることはないようです。小浜逸郎氏のブログ「ことばの闘い」からの転載です。(編集長 記)
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客:久しぶり。この前会った時よりだいぶ老けたな。
主:何しろもうすぐ古希だからな。そういうおぬしも人のことは言えんぞ。
客:そりゃそうだ。ところで君はまだ運転やってるのか。
主:何だやぶからぼうに。やってるよ。仕事で必要だしドライブは好きだからな。
客:いや、最近、ほら高齢者ドライバーが起こす事故が連続して起きているだろう。ここに新聞を持って来たんだが、11月12日、立川市で乗用車が歩道に乗り上げ2人死亡。10日には栃木県で乗用車がバス停に突っ込み3人死傷。19月28日には横浜市で軽トラックが小学生の列に突っ込み7人死傷。13日にも小金井市と千葉県で交通死亡事故。運転していたのはいずれも80歳以上の高齢者とある。こう続くと俺も運転するのが怖くなってくる。
主:たしかに年を取ると、自分ではちゃんとしているつもりでも判断能力や運動神経がどんどん鈍ってくるからな。俺も気をつけるようにしてはいるけどね。
客:しかしこの横浜の事件では、認知症の疑いがあったそうだ。認知症だったら「気をつける」なんて次元の問題じゃないだろう。
主:その人はいくつだったの。
客:87歳。
主:87歳かあ。そんなに高齢じゃ、認知症を疑われるのも無理はないな。家族がちゃんと監視して運転をやめさせるべきだな。
客:いや、一人住まいだったのかもしれない。孤独な老人が増えてるからな。それに、認知症でなければいいのかというとそうも言いきれないだろう。あと数年で俺たち団塊も75歳だぞ。こういう事件がどんどん増えるんじゃないか。
主:でも地方の過疎地域なんかでは車がないと買い物にも医者にも行けない人が多いんだろう。簡単に免許返納というわけにもいかんじゃないか。
客:自動運転車の早期実用化や地域の協力体制が求められるな。でもそれを待っている間にも事故は起きるだろうしな。だからどうしても規制強化が必要だと思う。
主:今の道交法では、高齢者の免許に対する規制はどうなっているんだっけ。
客:75歳以上の免許更新時に認知機能検査をやって、「認知症の恐れがある」とされても、交通違反がなければ免許の取り消しとはならないんだそうだ。これははなはだ不十分だな。で、一応2017年3月の改正道交法では、「恐れがある」場合には医師の診断が義務づけられて、認知症と診断されると免停か取り消しになることになってる。俺はこれでも甘いと思うよ。さっき言ったように、認知症でなくたって危ないからな。
主:そうすると、君の考えでは、免許返納を制度面で強化することと……。
客:うん。高齢者の自覚を促すキャンペーンをさかんにして、家族もこれに協力して自主的な免許返納のインセンティブを高める必要があると思う。俺ももうそろそろ免許証を返上しようかと思ってるよ。君も考えたほうがよさそうだぞ。自信過剰は最大の敵だ。
主:なるほど。我々は都会に住んでるから、車がなくてもなんとかやって行けるしな。でも俺の場合は今のところどうしても必要だから、できるだけ慎重な運転を心がけて、もうちょっと続けることにするよ。ところでこれはけっして自信過剰で言っているんじゃなくて、免許返納制度の強化というのにはちょっと異論があるな。
客:どうして? 免許を更新するときにもっと厳しいテストを課せばいいじゃないか。
主:それは口で言うのは簡単だけど、膨大な免許保有者に対していちいち時間のかかる厳しいテストを課すことが今の警察の限られた交通安全対策施設や人員で可能だろうか。
客:それは、ITをフルに活かした最新鋭の診断システムを導入するとか、早急に増員を考えるとかすればいいだろう。
主:それだって相当時間がかかるぞ。君がさっき言っていたとおり、そういうシステムが整うのを待っている間にも事故は起こるだろう。しかも一律規制を厳しくして、テストに引っかかった過疎地の人はどうするのかね。
客:……。
主:じつは俺の異論というのは、今話したような問題点だけじゃなくて、もっと根本的な疑問にかかわっているんだ。昔と違って今の時代は、ふつう想像している以上に元気な高齢者がわんさかいる。また最近は車の性能がすごく進化しているから、歩いたり走ったりするのが困難な人でも精神さえしっかりしていればむしろ運転のほうが容易な場合が多い。そういう人たちの意志や行動の自由を拘束するのはあまりよくないと思う。身体障害者に対しては、条件さえ整えば健常者と同等に免許が取れるように制度が整備されてきたよね。精神はたしかだけど体にガタが来ている高齢者って、一種の身体障害者だと思うんだ。そうすると単に高齢者だからという理由で規制を厳しくするのは矛盾してないか。
客:そうはいっても、その意志や行動の自由が、生命を奪うことになりかねないんだぜ。これは「個人の自由」を尊重するか、「生命の大切さ」を尊重するかという問題で、俺は無条件に「生命の大切さ」を選ぶね。だって、当の高齢者ドライバー自身の命もかかってるんだし、たとえドライバーが命も失わず怪我を負わないにしても、人を殺めてしまったら、加害者やその家族のほうも計り知れない有形無形の苦痛を背負うだろう。
主:まてまて。いま君の議論を聞いていて気づいたんだが、「個人の自由」か「生命の大切さ」かというような抽象的な二項選択問題に持っていく前に、もっと冷静に考えておくべきことがある。いままで俺たちは、高齢者ドライバーの引き起こす事故が増えていることを前提に議論してきたよな。でもそれって本当なのかね。
客:だって、現にこんな短期間に80歳以上のドライバーが次々に事故を起こしている事実が報道されているじゃないか。まさか君はそれを認めないわけじゃないだろう。
主:個々の事故報道を疑っているわけじゃないよ。だけど、「超高齢社会・日本」というイメージが我々ほとんどの日本人の中に刷り込まれていて、それに絡んだ問題点を無意識のうちに拡大してとらえてしまう傾向が、もしかしたらありゃしないだろうか。昔からよく言うよな、「ニュースは作られる」って。これはニュースの発信者と受信者が同じ空気を醸成していて、いわばその意味では、両者は共犯者なわけだ。発信者は「87歳の高齢者ドライバーによる死亡事故がありました」と報道する。聞く方も、「えっ、それはたいへんだ。そんな高齢者に運転させるのは間違いだ」と即座に感情的に反応してしまう。そこから「規制をもっと強化しろ」という結論までは簡単な一歩だ。
客:しかしごく自然に考えて、年を取れば取るほど生理的に衰えてくるから、運転の危険度も増すことは否定できないだろう。君だってそれは認めていたじゃないか。
主:もちろん認めたよ。でもそれを認めることと、高齢者への運転規制を強化しろという結論を認める事との間には、まだ考える余地があると言っているんだ。俺が何でこんなことにこだわるかというと、俺たちはマスメディアの流すウソ情報にさんざん騙されてきたからだ。たとえば旧帝国軍隊は韓国女性を「従軍慰安婦」として強制連行しただとか、三十万人に上る「南京大虐殺」があっただとか、アメリカは自由・平等・民主主義という「普遍的価値」のために戦ってきただとか、ヨーロッパを一つにするEUの理想は素晴らしいだとか、自由貿易を促進するTPPは参加国の経済を飛躍的に発展させるだとか、「国の借金」が国民一人当たり八百万円だから、財政を健全化させるために消費増税はやむを得ないだとか、トランプ候補はとんでもない差別主義者で暴言王だとか……。だけどこれらはよく調べてみると全部デタラメだということがいまでははっきりしている。
客:わかった、わかった。そう興奮するな。それが君の持論だということは俺も君の本(*注1)やブログ(*注2)を読んだから認めるよ。だけど高齢者ドライバーがもたらす危険性については、事実が証明しているんじゃないか。少し疑り深くなりすぎてやしないか。
主:そうかもしれない。じゃ、ちょうどパソコンの前に座っているから、果たして高齢者ドライバーが起こす事故が、他の世代に比べて多いかどうか調べてみようじゃないか。
客:もとより異存はないよ。(以下次号)
(初出 2016年12月10日 23時28分35秒 | 社会評論)
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