美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

妄想科学小説・iPS細胞は人類を救う? (イザ!ブログ 2012・12・5 掲載)

2013年12月04日 23時05分29秒 | 文学
妄想科学小説・iPS細胞は人類を救う?
                                   美津島明

今年の10大ニュースのトップを飾るのは、なんだろうか。私見によれば、山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞である。これは、多くの人に賛同していただけるのではないかと思う。今年の流行語大賞は、「iPS細胞」なのではないか、とも。アメリカ・アップル社の大人気商品「i POD」にヒントを得て、山中さんは世界中の人々に注目されるように「I」を小文字の「i」 に変えた。そのポップ・センスは大したものだと思う(などと言っていたら、今年の流行語大賞は、すぎちゃんの「ワイルドだろぉ」に決まったと報じられた。私は、一度もその言葉を耳にしたことがない。電波系芸人たちの痴呆的な笑い声が聞こえてきたら即座にチャンネルを切り替えることにしているので)。


ヒトiPS細胞 ( http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/nakagawa/?page_id=1163より)

これから話すのは、iPS細胞を小道具に使ったSF小説のあらすじのようなものである。だから、「お前は、iPS細胞のことをまるで分かっていない」と眉間にシワを寄せて私を難詰するのは勘弁してほしい。また、愛国心溢れる山中教授の画期的な研究成果にイチャモンをつけようなどという魂胆などまるでないことも合わせて言っておきたい。

中東アフリカで猿人「ルーシー」が誕生してから数百万年間。人類にとって最大の問題であり続けてきたのは「食料問題」である。「日本の食料自給率は、カロリー・ベースで約39%である。穀物自給率はもっと低くて28%である」という事実を突きつけられると、心穏やかではいられなくなるのは、そのことの名残なのかもしれない。高度資本主義は、食料問題をおおむね解決した、とはしばしば耳にする言葉である。が、私はそれをにわかには信じられない。「食料問題」と格闘してきた人類の記憶は、われらが高度資本主義の住人たちのDNAにも深く深く刻み込まれているに違いないと考えるからである。

それよりもなによりも、現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人であり、その数は毎年増加傾向にあり、毎年約1500万人、4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している(国連食糧農業機関の統計(2008年))という事実が、世界レベルにおいて、「食料問題」がいまだに深刻な問題であり続けていることを雄弁に物語っている。

そこで、心ある科学者たちは、iPS細胞の技術を応用・改善して食料問題を解決しようと叡智を絞った。

やがてドクターP.D.を中心とする科学者グループZが、食料問題の究極的な解決法を考案した。

それは、葉緑体をiPS細胞に組み込んでそれを人体に移植する、というものであった。ご存知のように、葉緑体は光合成を行う場である。光合成によって、水と二酸化炭素から酸素とでんぷんなどの養分が作られる。

道管がなくても、人間は水分を摂取できるからその点は問題ない。ところが、光合成によって作られた養分を体全体に運ぶ師管が人体にはない。

これをめぐって、グループZは少なからず試行錯誤を繰り返した。しかしながら、ほどなくその問題は解決された。彼らは、体中の葉緑体で作られた養分を血流の利用によって胃にまで運ぶ新物質アルファ(これは宇宙船での無重力実験によって偶然見つかったものである)を含有した新薬を開発したのである。

彼らの献身的かつ英雄的な研究活動によって、人類誕生以来自分たちを悩まし続けてきた「食料問題」は究極的最終的に解決されたのである。

「食料問題」の最終的な解決は、人類社会に文字通り革命的な変化をもたらした。最も大きな変化は、人類が労働から最終的に解放されたことである。経済は、根本的な変化を被り、衣と住関連を除けば、諸文化活動だけで構成されることになった。

また、人類は死の恐怖からも最終的に解放された。食の問題の消滅は、死の恐怖が「食料問題」に直面し続けてきた人類の切迫した歴史に基因する幻想に過ぎなかったことが、全人類レベルにおいて判明したのである。さらに、過剰な金銭欲からも解放された。もちろん、戦争の恐怖からも解放された。戦争を起こす根本動機としての動物的な自己保存欲求が希薄化したからである。自己保存欲求と死の恐怖とは表裏一体だったのである。

ささいなことを付け加えれば、人類は、哲学なるいかがわしいものからも解放された。死の恐怖が消滅したので、「死のレッスン」という遊戯のしようがなくなったのである。

このように、「食料問題」の解決は良いことだらけのようだが、問題がないわけではなかった。

まずは、見た目の問題があった。つまり、全身に葉緑体を移植された人間は、要するに、緑色なのだ。その見た目の異様さに慣れるまでに結構な時間がかかった。しかし、これも単に慣れの問題なので時間が解決した。各国政府が各種メディアを駆使して「Green  is  beautiful」のキャンペーンを大いに盛り上げたことが功を奏した、という面もあった。結局は、人類が皆緑色になってしまえば、それが常識になってしまうということである。

もちろん、葉緑体の移植を拒む少数派が存在した。彼らは「人間らしさの保守」をスローガンに立ち上がった。しかし、彼らは、金銭欲や征服欲や破壊衝動の肯定者として社会的に反動と見なされ危険視され差別されたので、人類の進歩の名においてその人権を剥奪され圧殺されてしまった。

もう一つの問題は、より深刻だった。「食料問題」の解決は、動物としての意識の希薄化をもたらしたのである。つまり、人間の植物化が進んでしまったのである。エサを求めてうろつきまわるという動物としての習性の必要がまったくなくなったので、その習性と不可分の関係にある、活性化された意識状態が保てなくなったのだ。

そうすると、メスを求めてうろつきまわるオスの習性も希薄化してきた。気に入ったオスを誘惑するメスの手練手管もその存在根拠を失った(ついでに言えば、飽くことなく人間のスケベ心を扱い続けてきた文学なるヤクザな存在も消滅した)。「食料問題」の解決は、人類を性衝動からも解放してしまったのである。これは、出家僧や敬虔なキリスト教徒ならいざ知らず、人類の存続にとっては由々しき事態である。

結局、人工授精の普及によって、人類はこの問題に対処した。

科学の力で、人類は存続の危機から脱することができたかのようであったが、そうは問屋が卸さなかった。肉食動物たちが、逃げ回る衝動そのものが希薄になった人間を格好の餌食にするようになったのである。これは、悲劇かそれとも喜劇なのか。ドクターP.D.は、考えあぐね、酸素まじりの溜息をつくのだった。

人類を脅かし続けてきた大問題の根本的な解決によって、人類が、肉食類の餌食になることに怯え続けるか弱い存在に成り下がった、というお話。

(もし、類似のストーリーがあったとしても、私はそれを参考にしたわけではありません。悪しからず)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小浜逸郎 中立性という名の... | トップ | 先崎彰容  「橋下・石原現... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文学」カテゴリの最新記事