吉原の秘密(その1)吉原の秘密(その1)平成十年に店をたたんだ吉原の引手茶屋・松葉屋について、猿若流八世家元・猿若清三郎氏が、あるところで次のように言っています。「松葉屋がなくなるということは...
思い入れひとしおの論考なので、再アップさせていただきます。「その3」まであります。
実は、今年の五月、私は友人Iと吉原めぐりをしてきました。見返り柳に出迎えられ、江戸時代の吉原の地図を片手に、真昼の吉原をあちらこちらと散策し、Iと「ああ、やはり松葉屋がなくなっている」と嘆き合ってみたり、「おいらんたちの面倒をみてきた吉原病院が、あんなに立派な建物になってるぞ」と驚いてみたりしました。そこから歩いて数分の樋口一葉記念館にも行きました。女史の、半井桃水宛の長文の恋文の、源氏物語のような情念のうねりに圧倒されてしまいました。夜は、地下鉄浅草駅の、日本で一番古い地下街のタイ料理屋で、店の人たちから呆れられるほどアルコールをしこたま呑みました。そうして、そのまま安宿に泊まり、翌日は、玉ノ井に行こうとしたのですが、人身事故のせいでダイヤが乱れていたので、それじゃあということで、近場の鳩ノ街にタクシーで行きました。
そういうことをしたせいでしょうか、いにしえの淪落の淵に沈んだ女性たちのどうしようもない切なさのようなものが、身体にこびりついて離れないのです。もっと切なくなるのかもしれませんが、今度は、玉ノ井に行ってみようかと思っています。
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