極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一)極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一) 私淑している田恆存について、自分のブログで、「田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて...
由紀草一氏の秀逸な田恆存論です。当論考を掲載できることは、編集者冥利に尽きます。
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一)極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一) 私淑している田恆存について、自分のブログで、「田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて...
しかし、いかに図々しい私でも、「文章作法の……参考」にする、とまで言われると、面映ゆいというより、恐ろしくなります。前途有望な若人に道を誤らせる基になってしまうのではないか、と。福田恆存先生(私淑しているだけですが)を始め、立派なお手本は最近の日本でもたくさんありますから……。そのへんは多分、弁えていらっしゃるだろうと思いますが、念のため。
それはそうと、私も自分なりには天皇問題には関心がありますので、御論「『欺瞞の時代』と奪われた天皇」を拝読してすぐ、コメントしようと思いました。しかし、すぐにKKさんの連続コメントが入り、天道公平さんもご自身のブログで取り上げるなど、反響の大きさに驚きましたし、おっさん連が若い人に、寄ってたかって言いたいことをぶちまけている図は、時々酒席で見かけますが、決してみっともいいものではないですから、ひとまず控えることにしました。
もっとも、KKさんや天道さんのお気持ちはわかります。天皇という存在は、我々日本人にとって元来非常に大きく、しかも戦後という時代の捩れを背負わされてもいる。拙文に引き寄せて言えば、一匹と九十九匹の両方の領域に大きくまたがっている。御論はそれを正面から取り上げたものですし、それに触発されたKKさんや天道さんの発言に対して、多少の違和感はあっても、馬鹿にしようなどとはさらさら思いません。
また、KKさんへのコメント返しで述べられた岡部さんのご見解を読むと、私如きの口出しは無用だな、とも思えました。
それでも、言い出した以上、コメントしようとしたことのさわりだけでも述べておきましょうか。
仰るように、象徴天皇制というのは欺瞞です。しかし、それを指摘しただけではなんにもならない。みんな欺瞞ですから。明治期に、帝国empireの帝王emperorとなったことも、それ以前に、武家の棟梁に征夷大将軍の呼称を与え、統治を代行させる形になったことも。欺瞞と言って言葉が強すぎるならば、フィクション=人間世界の約束事です。
問題はこのフィクションをいかに生かすか、そこでどれだけ「筋を通せるか」にかかっているのだと思います。岡部さんは三島由紀夫に共感するところが大きいようですが、彼の天皇論にはかなりの無理がある。それでも、ああいう形で死んで、自己の信じる「幻の天皇」への忠誠を全うしたように見えるので、今も人を動かす力を失いません。ここがポイントなのです。
一方象徴天皇、「開かれた皇室」などの戦後の皇室理念に一番忠実なのは、昭和天皇と今上陛下であるように思えるのですが、いかがですか? 本気で現憲法を守ろうとしておいでのようだし。東日本大震災の被災者を直接励まされる、などの御姿には、国民の一人として感動せざるを得ない、のですよね?
これをそう簡単に否定することはできんでしょう? といって、完全に肯定できる、と言う気もしない。ここでは天皇の神聖性の由来は、不問にされていますからね。あの存在は日本人にとって結局なんなのか、どうも落ち着きません。ここが考えどころでしょう。
以上の議論は結局、御論とその展開をなぞったようなものですね。これ以上は、私も、今後死ぬまでの課題の一つにするつもりでおりますが、どうなりますか。せめて、新進、でなくても、気鋭で誠実な論者たちに多少の刺激を与えられることを念願して、自分のブログなどで細々やる所存です。興味とお時間がありましたら、覗いてみてください。
今後一層のご活躍を祈念いたします。
私も福田恆存については前回少し書きましたが、由紀氏の福田論は福田恆存についてわかりやすく紹介しつつも、自身の論説を提示し、秀逸な解説文でありながら同時に秀逸な論説文であり、由紀氏の批評の精神と技術に敬服するばかりです。
私の文章はどこか固いと言われるので由紀氏のこの論考は文章作法としても次回の原稿の参考にしたいと思います。
*岡部さんから、当ブログ編集者のFBに送られてきた当論考へのコメントを、ご本人の承諾を得て転載しました。