「協同組合」をその歴史から考えてみる(その1)(美津島明)
ロバート・オーエン
三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)を読んでいろいろと考えたことをきっかけに、当論考を書き始めました。今回は、埼玉県私塾協同組合の機関誌『SSKレポート』の最新号に掲載した「その1」を掲載します。一見ちょっと地味な論考のようですが、そうでもないような予感があります。「協同組合」の問題を掘り下げていくと、過酷な競争社会のなかでいかに生きるべきかとか、圧倒的な拝金主義の奔流のなかで自分はいかなる価値観を抱いていきていくべきなのか、また、どうやってその実践を実りあるものとしたらよいのか、といった実存的諸問題が、ごくリアルな形で自分に突き付けられる思いがするからです。また、私が協同組合という結社の形にこだわるのは、ごく卑近なところでどうやって、現代版資本原理主義の権化であるグローバリズムの圧倒的な押し寄せをいささかながらでも押し返すことができるか、という問題意識があるからでもあります。
***
はじめに
今回からしばらくの間、「埼玉県私塾協同組合」という名称のなかの、「協同組合」という言葉に着目した話を展開してみようと思っています。「協同組合」には、いったいどんな意味合いがあるのか。そうして、この結社形態にはどのような社会的可能性があるのか。そういう問題を、「協同組合」の歴史をふりかえることによって掘り下げてみようと思うのです。そういう試みが、埼玉県下の初等・中等教育を底辺のところで日々支え続けている中小学習塾の活動をいわば黒子としてサポートする役割を担う埼玉県私塾協同組合に資するところがあれば幸いであると思っています。明晰な自己認識こそがさらなる発展の基礎である、という命題は、組織にも個人にも当てはまる普遍性を有するものと思われます。その意味で、埼玉県私塾協同組合の「明晰な自己認識」に資するところが多少なりともあるような話ができれば、と考えています。
協同組合の定義
これから協同組合について、いま申し上げたように、その歴史的展開を軸にしながら、いろいろとお話しをしていくつもりなのですが、まずは、その定義をはっきりとさせておきましょう。漠然としたイメージだけで話を進めると、書き手にとっても読み手にとっても、無用の混乱を招きやすいので。
協同組合の定義については、国際協同組合同盟(ICA=International Co-operative Alliance)のものが普遍的であると思われるので、ここでも、それを採ります。
それをごらんいただく前に、ICAの概要について触れておきましょう。
ICAは、世界各国のさまざまな協同組合によって作られている国際組織です。ICAには、世界九五カ国から生協、農協、漁協、森林組合、労働者協同組合、住宅協同組合、信用協同組合など、あらゆる分野の二八四におよぶ協同組合組織が加盟しており、組合員の総数は、10億人を超えます(二〇一五年一月現在)。10億人といえば、世界の人口は約70億人とされているので、その7分の1に当たります。世界の7人に1人がなんらかの形で協同組合に関与しているということになります。ICAは、国連に登録された世界最大のNGO(非政府組織)でもあります。
ICAは、1995年、イギリスはマンチェスターで開催された「ICA100周年記念大会」で、「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」を採択し、「協同組合の定義・価値・原則」を定めました。これは、世界中のさまざまな協同組合の指針となっています。
そのなかで、協同組合の「定義」は次のようになっています。
「協同組合は、共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治的な組織である。」
何度読み返してみても、なるほどよくできた定義であると、感心してしまいます。
この定義は、「声明」が規定する協同組合の「価値」と合わせて読めば、その意とするところの理解が深まります。「価値」は、以下のとおりです。
「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。それぞれの創設者の伝統を受け継ぎ、協同組合の組合員は、正直、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」
これらを読むと、協同組合とNPOの違いが気になってきますね。両者は、ともに、株式会社のように営利追求を目的とする組織でない点では似ています。しかしNPOが、公益を実現し社会的な使命を達成するための組織であるのに対して、協同組合は、組合員の「経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たす」こと、すなわち、「組合員の生活向上」を目的とする組織である点が異なります。
イギリスにおける近代的協同組合誕生の歴史的背景
共同体の成員同士が助け合う相互扶助の歴史は、人類の誕生とともに始まったものと思われます。しかしここでは、話を近代に限りましょう。
今日にまで続く「制度としての協同組合」すなわち近代的協同組合が誕生し、初めて成功を収めたのは、十九世紀の半ばのイギリスにおいてです。その具体的なお話は次にするとして、まずは、その歴史的背景について触れておきましょう。それをおさえておくことが、協同組合とはなんぞや、を理解するうえで、きわめて重要であると思われるからです。
イギリスでは、一七三〇年代から約百年間、人力にかわって機械の動力を使う機械制工場生産の確立をもたらした産業革命が進行しました。イギリスで最初に産業革命がおこったのは、①名誉革命(一六八八~八九)によって、絶対王政が終わりをつげ、議会主権にもとづく立憲王政の基礎が確立され、地方に定着した中小地主層であるジェントリが、政治の主導権を握るようになり、中央政治への国民の精神的エネルギーの吸い上げが可能になったこと、②地主貴族が中小農地を併合して大農地をつくり(囲い込み〈エンクロージャー〉)、農業の生産力が高まり、これを資本家が借りて近代農法による市場向けの生産をはじめた(農業革命)ため、囲い込みで土地を失った農民が労働者として都市へ流入したこと、③フランスとの七年戦争(一七五六~六三)以来、広大な海外市場をもったこと、などが原因とされています。
産業革命によって安い商品が大量に生産され市場に出回り始めると、それまでの工業の担い手だった手工業者が没落し、囲い込みで土地を失った農民とともに工場労働者になりました。資本家にとっては、大量の安価な労働力が生まれたことになり、まことに好都合な事態だったといえましょう。
一方、人口が急にふえた都市は伝染病や犯罪の巣窟となり、労働者はひどい労働条件と非衛生的な生活環境をしいられることになりました。のみならず、産業革命は、熟練した技術を不必要なものとし、賃金の安い女性や子どもが多く使われるようになりました。炭鉱などでは、子どもの労働時間が一九時間にもおよぶ悲惨なものとなったという記録もあります。
このように、産業資本主義の発達によって、資本家がますます富み栄え、労働者・農民・中小事業者などの弱者がますます経済的に圧迫され窮乏化する、という対照的な事態が同時並行で進むことになりました。いわゆる「階層分化の進展」や「階級対立の先鋭化」が生じたのです。
こういう事態に心を痛める資本家がまったくいないわけではありませんでした。それが、かの有名なロバート・オーエンです。オーエンは、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』においてサンシモン、フーリエとともに「空想的社会主義者」のひとりとして批判的に紹介されています。
ついでながら、私たちは、社会主義諸国の誕生と大崩壊と残存する社会主義国の現実とをすべて知っています。だから、オーエンの社会的実践とマルクス=エンゲルスの思想的実践とのどちらがより〈空想的〉であるのかについて、マルクス=エンゲルスほど歯切れよく断言できない、と言えるでしょう。これはいまだに、思想上の大問題につらなる重要な論点であり続けています。そのことについては、いずれ深く掘り下げることになるでしょう。
話を戻しましょう。
イギリス人のオーエンは、スコットランドのニューラナークに工場を建て、当時としては画期的な10時間労働を実施し、清潔なアパートを建設し、世界最初の幼稚園を運営しました。そのような実践を通して、利潤追求を抑制し、環境の改善による豊かな人間性の育みを実現しようとしました。
オーエンの協同組合思想を受け継ぎ、近代史上はじめて成功した協同組合として歴史にその名を刻み込んだのが、「ロッチデール先駆者協同組合」です。
ロッチデール先駆者協同組合
ロッチデール先駆者協同組合についての以下の記述は、もっぱら三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)に依っていることをあらかじめ述べておきます。
産業革命によって機械制工場における大量生産が支配的となったイギリスでは、さきほど述べたように、製造業に従事する労働者が劣悪な雇用環境と貧困にあえいでいました。それとともに、労働者は日常的に購入する食料や衣類などの生活必需品の品質の低下や価格高騰に悩まされていました。労働者側に販売店を選ぶ余地などほとんどなく、質が悪くて割高な商品であったとしても、労働者たちは、それを購入せざるをえませんでした。
ひとりの消費者として微弱な存在でしかなかった労働者たちは、大手の小売業者の巨大なセリングパワーに、個人として対抗する力は持っていませんでした。そこで労働者たちは、団結・連帯してバイイングパワーを獲得するために、協同組合を立ち上げたのでした。
一八四四年十二月二一日、新興の工業都市だったランカシャーのロッチデールに、いま申し上げた趣旨のもと、ロッチデール先駆者協同組合が誕生したのです。同組合は、出資した組合員の「社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」を標榜しました。
ロッチデール先駆者組合で特筆されるべきは、教育の重視です。同組合は組合員の社会的・知的向上を目的の一つにしていて、四半期ごとに剰余金の2.5%が教育費とされました。
一八五四年、本店に設けられた新聞閲覧室は日曜日も含め朝九時から夜九時まで開かれていました。検閲は行われなかったそうです。一八六一年には蔵書が五千冊に達し、顕微鏡・望遠鏡を借りることもできました。支部にも同様の施設が設けられていました。
組合員の子女は科学・美術・フランス語などの教育を受けることができました。また、成人向けの講演も行われており、ケンブリッジ大学からは公開講座が提供されました。一八六四年に100ポンドの特別教育基金が用意され、優秀な生徒に賞金が与えられました。
(次回に続く)
参考資料
日本生活協同組合HP http://jccu.coop/aboutus/coop/#ICA
『亡国の農協改革』(三橋貴明 飛鳥新社)
『もういちど読む 山川世界史』(山川出版社)
『協同組合理論の展開と今後の課題』(清水徹朗 農林金融2007.12)
Wikipedia「ロッチデール先駆者協同組合」の項
ロバート・オーエン
三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)を読んでいろいろと考えたことをきっかけに、当論考を書き始めました。今回は、埼玉県私塾協同組合の機関誌『SSKレポート』の最新号に掲載した「その1」を掲載します。一見ちょっと地味な論考のようですが、そうでもないような予感があります。「協同組合」の問題を掘り下げていくと、過酷な競争社会のなかでいかに生きるべきかとか、圧倒的な拝金主義の奔流のなかで自分はいかなる価値観を抱いていきていくべきなのか、また、どうやってその実践を実りあるものとしたらよいのか、といった実存的諸問題が、ごくリアルな形で自分に突き付けられる思いがするからです。また、私が協同組合という結社の形にこだわるのは、ごく卑近なところでどうやって、現代版資本原理主義の権化であるグローバリズムの圧倒的な押し寄せをいささかながらでも押し返すことができるか、という問題意識があるからでもあります。
***
はじめに
今回からしばらくの間、「埼玉県私塾協同組合」という名称のなかの、「協同組合」という言葉に着目した話を展開してみようと思っています。「協同組合」には、いったいどんな意味合いがあるのか。そうして、この結社形態にはどのような社会的可能性があるのか。そういう問題を、「協同組合」の歴史をふりかえることによって掘り下げてみようと思うのです。そういう試みが、埼玉県下の初等・中等教育を底辺のところで日々支え続けている中小学習塾の活動をいわば黒子としてサポートする役割を担う埼玉県私塾協同組合に資するところがあれば幸いであると思っています。明晰な自己認識こそがさらなる発展の基礎である、という命題は、組織にも個人にも当てはまる普遍性を有するものと思われます。その意味で、埼玉県私塾協同組合の「明晰な自己認識」に資するところが多少なりともあるような話ができれば、と考えています。
協同組合の定義
これから協同組合について、いま申し上げたように、その歴史的展開を軸にしながら、いろいろとお話しをしていくつもりなのですが、まずは、その定義をはっきりとさせておきましょう。漠然としたイメージだけで話を進めると、書き手にとっても読み手にとっても、無用の混乱を招きやすいので。
協同組合の定義については、国際協同組合同盟(ICA=International Co-operative Alliance)のものが普遍的であると思われるので、ここでも、それを採ります。
それをごらんいただく前に、ICAの概要について触れておきましょう。
ICAは、世界各国のさまざまな協同組合によって作られている国際組織です。ICAには、世界九五カ国から生協、農協、漁協、森林組合、労働者協同組合、住宅協同組合、信用協同組合など、あらゆる分野の二八四におよぶ協同組合組織が加盟しており、組合員の総数は、10億人を超えます(二〇一五年一月現在)。10億人といえば、世界の人口は約70億人とされているので、その7分の1に当たります。世界の7人に1人がなんらかの形で協同組合に関与しているということになります。ICAは、国連に登録された世界最大のNGO(非政府組織)でもあります。
ICAは、1995年、イギリスはマンチェスターで開催された「ICA100周年記念大会」で、「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」を採択し、「協同組合の定義・価値・原則」を定めました。これは、世界中のさまざまな協同組合の指針となっています。
そのなかで、協同組合の「定義」は次のようになっています。
「協同組合は、共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治的な組織である。」
何度読み返してみても、なるほどよくできた定義であると、感心してしまいます。
この定義は、「声明」が規定する協同組合の「価値」と合わせて読めば、その意とするところの理解が深まります。「価値」は、以下のとおりです。
「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。それぞれの創設者の伝統を受け継ぎ、協同組合の組合員は、正直、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」
これらを読むと、協同組合とNPOの違いが気になってきますね。両者は、ともに、株式会社のように営利追求を目的とする組織でない点では似ています。しかしNPOが、公益を実現し社会的な使命を達成するための組織であるのに対して、協同組合は、組合員の「経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たす」こと、すなわち、「組合員の生活向上」を目的とする組織である点が異なります。
イギリスにおける近代的協同組合誕生の歴史的背景
共同体の成員同士が助け合う相互扶助の歴史は、人類の誕生とともに始まったものと思われます。しかしここでは、話を近代に限りましょう。
今日にまで続く「制度としての協同組合」すなわち近代的協同組合が誕生し、初めて成功を収めたのは、十九世紀の半ばのイギリスにおいてです。その具体的なお話は次にするとして、まずは、その歴史的背景について触れておきましょう。それをおさえておくことが、協同組合とはなんぞや、を理解するうえで、きわめて重要であると思われるからです。
イギリスでは、一七三〇年代から約百年間、人力にかわって機械の動力を使う機械制工場生産の確立をもたらした産業革命が進行しました。イギリスで最初に産業革命がおこったのは、①名誉革命(一六八八~八九)によって、絶対王政が終わりをつげ、議会主権にもとづく立憲王政の基礎が確立され、地方に定着した中小地主層であるジェントリが、政治の主導権を握るようになり、中央政治への国民の精神的エネルギーの吸い上げが可能になったこと、②地主貴族が中小農地を併合して大農地をつくり(囲い込み〈エンクロージャー〉)、農業の生産力が高まり、これを資本家が借りて近代農法による市場向けの生産をはじめた(農業革命)ため、囲い込みで土地を失った農民が労働者として都市へ流入したこと、③フランスとの七年戦争(一七五六~六三)以来、広大な海外市場をもったこと、などが原因とされています。
産業革命によって安い商品が大量に生産され市場に出回り始めると、それまでの工業の担い手だった手工業者が没落し、囲い込みで土地を失った農民とともに工場労働者になりました。資本家にとっては、大量の安価な労働力が生まれたことになり、まことに好都合な事態だったといえましょう。
一方、人口が急にふえた都市は伝染病や犯罪の巣窟となり、労働者はひどい労働条件と非衛生的な生活環境をしいられることになりました。のみならず、産業革命は、熟練した技術を不必要なものとし、賃金の安い女性や子どもが多く使われるようになりました。炭鉱などでは、子どもの労働時間が一九時間にもおよぶ悲惨なものとなったという記録もあります。
このように、産業資本主義の発達によって、資本家がますます富み栄え、労働者・農民・中小事業者などの弱者がますます経済的に圧迫され窮乏化する、という対照的な事態が同時並行で進むことになりました。いわゆる「階層分化の進展」や「階級対立の先鋭化」が生じたのです。
こういう事態に心を痛める資本家がまったくいないわけではありませんでした。それが、かの有名なロバート・オーエンです。オーエンは、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』においてサンシモン、フーリエとともに「空想的社会主義者」のひとりとして批判的に紹介されています。
ついでながら、私たちは、社会主義諸国の誕生と大崩壊と残存する社会主義国の現実とをすべて知っています。だから、オーエンの社会的実践とマルクス=エンゲルスの思想的実践とのどちらがより〈空想的〉であるのかについて、マルクス=エンゲルスほど歯切れよく断言できない、と言えるでしょう。これはいまだに、思想上の大問題につらなる重要な論点であり続けています。そのことについては、いずれ深く掘り下げることになるでしょう。
話を戻しましょう。
イギリス人のオーエンは、スコットランドのニューラナークに工場を建て、当時としては画期的な10時間労働を実施し、清潔なアパートを建設し、世界最初の幼稚園を運営しました。そのような実践を通して、利潤追求を抑制し、環境の改善による豊かな人間性の育みを実現しようとしました。
オーエンの協同組合思想を受け継ぎ、近代史上はじめて成功した協同組合として歴史にその名を刻み込んだのが、「ロッチデール先駆者協同組合」です。
ロッチデール先駆者協同組合
ロッチデール先駆者協同組合についての以下の記述は、もっぱら三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)に依っていることをあらかじめ述べておきます。
産業革命によって機械制工場における大量生産が支配的となったイギリスでは、さきほど述べたように、製造業に従事する労働者が劣悪な雇用環境と貧困にあえいでいました。それとともに、労働者は日常的に購入する食料や衣類などの生活必需品の品質の低下や価格高騰に悩まされていました。労働者側に販売店を選ぶ余地などほとんどなく、質が悪くて割高な商品であったとしても、労働者たちは、それを購入せざるをえませんでした。
ひとりの消費者として微弱な存在でしかなかった労働者たちは、大手の小売業者の巨大なセリングパワーに、個人として対抗する力は持っていませんでした。そこで労働者たちは、団結・連帯してバイイングパワーを獲得するために、協同組合を立ち上げたのでした。
一八四四年十二月二一日、新興の工業都市だったランカシャーのロッチデールに、いま申し上げた趣旨のもと、ロッチデール先駆者協同組合が誕生したのです。同組合は、出資した組合員の「社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」を標榜しました。
ロッチデール先駆者組合で特筆されるべきは、教育の重視です。同組合は組合員の社会的・知的向上を目的の一つにしていて、四半期ごとに剰余金の2.5%が教育費とされました。
一八五四年、本店に設けられた新聞閲覧室は日曜日も含め朝九時から夜九時まで開かれていました。検閲は行われなかったそうです。一八六一年には蔵書が五千冊に達し、顕微鏡・望遠鏡を借りることもできました。支部にも同様の施設が設けられていました。
組合員の子女は科学・美術・フランス語などの教育を受けることができました。また、成人向けの講演も行われており、ケンブリッジ大学からは公開講座が提供されました。一八六四年に100ポンドの特別教育基金が用意され、優秀な生徒に賞金が与えられました。
(次回に続く)
参考資料
日本生活協同組合HP http://jccu.coop/aboutus/coop/#ICA
『亡国の農協改革』(三橋貴明 飛鳥新社)
『もういちど読む 山川世界史』(山川出版社)
『協同組合理論の展開と今後の課題』(清水徹朗 農林金融2007.12)
Wikipedia「ロッチデール先駆者協同組合」の項
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