興味津々、さきたま古墳群

2018-11-28 | 歴史、

漠然と古墳は奈良など大和地方に行って見学するものと思っていましたが

九州から東北の一部にまで散在していることを知りました。行田市のこの辺りは

周囲全体が一面の平野で古代から見晴らしの良い場所だったことがこの場所に

立てば分かります。石田堤を横切って丸墓山古墳に登りました。途中に桜の木が

多く春は桜見物も出来そうです。

丸墓山古墳は日本最大級の円墳としても有名です。埋葬施設は発掘されていない

ため詳しいことは分かっていません。6世紀前半に造られたことが推定されています。

 

割と簡単に登っていけました。いいお天気で頂上からは四方八方見渡せます。

 

ここは思わぬ形で歴史の舞台になりました。豊臣秀吉が天下統一を進める

小田原城攻めの際、(1590年)家臣の石田三成はここから遠くに見える忍城を

水攻めにします。その際、城がよく見えるこの古墳の上に陣を張ったそうです。

忍城は耐え抜き水攻めは失敗したのですが。400数年前に光成はここから

中間の建物などのなかった頃の忍城や周囲の光景を見つめていた訳です。

 

忍城は写真のほぼ中心にある三層の城です。↓

 

 話題の稲荷山古墳(前方後円墳、5世紀末に造られた)に向います。

  ワカタケルに親衛隊長として仕えたというヲワケの臣と称する方の「金錯銘鉄剣」

  や甲冑等が1968年に発見されました。これは古代史を考える上で貴重な資料と

  なるので1983年に国宝に指定され、国宝展示室金錯銘鉄剣に常時展示されています。

 

それにしてもオワケさんは、どのような手段で大和の国から遠い 

武蔵の国のここへ移動してきたのか?陸伝いで?海伝いで?凄く体力のある

人だと思いますが疑問は尽きません。 

 

次に6世紀末に造られた将軍山(塚)古墳の石室を再現した展示場を見学しました。

 何故将軍山の名がついているのか分かりませんが、当時の権力者が埋葬

されているからでしょうか? 

二子山古墳は これから発掘調査が行われるようです。新しい発見があるかも。

古墳ブームが来そうな予感がします。下記の様に広報に書いてありました。

きたま史跡の博物館では、今年度、埼玉古墳群の中の二子山古墳を史跡整備

するために発掘調査を実施しています。調査を担当している学芸員が現地で

解説しながら発掘の成果をご紹介します。発掘調査によって出土した資料も現地で

展示します。」

 小学生達がバス旅行で来ていました。広場昼食とって遊んでいました。 

 さきたま古墳群は世界遺産を目指しているそうです。応援しています!