窪島さんは実の父上の水上勉氏と1977に30数年ぶりに
再会されています。著書、「雁と雁の子」には衝撃的な
邂逅(かいこう)から、父、水上勉氏が亡くなられるまでの間の
普通の親子とは少し違う愛憎ある日々が綴られています。
そして再会の2年後に、それまでにこつこつと収集されていた
夭折された画家達の作品を一堂に集められて「信濃デッサン館」を
1979年6月に信州上田の前山に開館されています。
父上は息子さんに影響を受けられたのか、その後、故郷福井県の
若狭に「若州一滴文庫」を開館されています。
お二人の間には微妙なライバル意識もあったようです。
窪島さんは米国進出も考えられたようで、1981年にはニューヨーク
ウッドストックに日系画家野田英夫館を建設されていますが、
それについてはよく分かりません。野田英雄は30歳位で
夭折された日米を行き来した日系の画家だそうです。
1997年に無言館を設立されました。窪島さんの子供向きの絵本「約束」が
手元にありますがとても温かみのある絵本です。
そこにはご自分で描かれた挿絵と、無言館設立に
至られた経緯が、幼い頃からの体験を通して
わかり易く綴られていて、産経児童文化賞、菊池寛賞
信毎賞などの数々の賞を受賞されています。
読んでいるうちに、ドライアイの私ですが、ウエットアイになります。
時の流れや世代の移り変わり、上田駅からのアクセス、
ご自身の健康上の問題などで、「信濃デッサン館」収蔵の絵は
先を考えられて、昨年長野県に寄贈されたそうです。
この夏は来場者の多いシーズンだったせいか開館されていて、
数多くの素晴らし作品を見ることが出来ました。
上を見上げるとエキゾチックな天井画がありました。又
高く積み上げられた蔵書のある図書室など温かみのある設計で
私は大変素晴らしい建築物だと感心して気に入っています。
無言館だけ見て帰ってしまわれた方がおられるようですが
それは大変残念なことだと思います。そこまで
足を運ばれたなら、別館もセットで見ないと来た意味がない様に思いました。
今回の19号台風での長野、上田方面の水害の影響を懸念しています。
ユニークな2つの美術館の収集品が将来的に散逸しないことを願っています。