OさんがC型肝炎を発症されたのは、輸血後数十年たってからと
聞いています。 知り合った頃には毎週ご主人の運転される車で
インターフェロンの注射を打ちに病院に通われるのが日課になっていました。
因みに私自身も出産時、かなり大量に輸血を受けています。
杉並にあるTという米国系の病院でしが。そこでは当時の日赤血液センター
からではなくよく覚えていないのですが、健康な人からの献血を選んで輸血して、
それと同量分を健康な患者の家族や友人達が一人200ccずつ返却するという方法を
取っていたように思います。(当時の関係者の方々にはいつも感謝しています。)
もしかしたらアメリカでは輸血とC型肝炎ウィルスとの関係を
早くから知り始めていたのかも知れません。
私も疲れやすい体質で輸血によるC型肝炎が問題になり始めて以来、
何回もHCV抗体検査を受けているのですが、常に(-)なのです。
運よくウィルスなしの献血を受けていたように思います。
そうでなくても私の世代は学校での集団接種では1本の注射器に数人分の量を入れての
回し打ちでした。九州八幡の友人は注射器によるC型肝炎で治療していましたが
最近運よく小さな肝がんも消えて元気になっています。
Oさんの周りの患者さんの中でもインターフェロンでウィルスが消えてよくなられる方も
いらしたそうなのに、Oさんのウィルスは悪性度が高く、病院通いが段々頻繁になってきて
偶にお会いしても大変なやつれかたでお話も出来ない位でした。
Oさんの訃報の知らせあったのはそれから間もなくのことでした。
当時のメンバー皆で、無力感を抱きながらお見送りをました。
残念無念だったのは画期的な治療薬が普及する少し前だったからです。
間もなく95%以上の人でウィルスを体内からなくすC型肝炎治療の画期的な治療薬が
登場して多くの苦しんでいる患者さん達が新薬で治ることが出来るようになったのでした。