石橋山の古戦場はかなりの急傾斜地でした。(2)

2022-02-08 | 歴史、

大河ドラマは殺傷シーンが嫌なので見ないという友人が結構います。私もそれは嫌なの

ですが、さらりと流してほしいと思っています。ディレクターの感性次第でではないでしょうか?

伊東方に狙われていた宗時が斬られしまってとても残念です。宗時ロスになりそうです。

回想シーンでもいいので愛之助さんに又出てきてほしいと期待しています。

さて数年前に訪れた石橋山ですが、相模湾沿いを走るの西湘バイパスの石橋料金所を出た

目立たないところに入り口があったように思います。きつい斜面なので、私達一行は

バスから降りて歩いて登っていきました。

左側の坂を上って東海道線のトンネルの上の道を更に登りました。

上まで行くと佐奈田神社があり、駐車場がありました。

梶先生の講談風の説明を聞く。

8月23日に大庭景親軍3000人に対して頼朝軍300人で戦う羽目になっ壮絶な石橋の合戦

(和田の援軍1000兵が加わる手はずだったそう)ですが、もしかして負ける覚悟で

逃げ道も考えていたのかと思ったりもしてしまいます。→(しとどの窟)

頼朝方は佐奈田与一が先陣について15騎対75騎で戦闘開始になったそうです。

与一は8人討ち取って、敵方の大庭景親の弟俣野景久を組み伏せていたのに刀が前戦の

錆で抜けず、又声枯れで援軍に声が掛けられず、壮絶な戦死を遂げたそうです。

この辺の畑で採れる農作物はねじれているそうですが、農家の方の確認は得ていません。

後ほど頼朝がここを訪れて墓が築かれて、それぞれ(佐奈田霊社)、親がかりで

家臣の文三は(分三堂)に祀られています。佐奈田霊社には美味しいのど飴がありました。

丸い飴で確かに声枯れや喉に優しい作用があるみたいです。沢山買ってきました。

佐奈田与一塚と文三堂の説明版

文三堂方面にも上って見てきました。



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