明治維新で、約260年間続いた江戸幕府が崩壊し、四民平等の社会(完全ではないが)が出現した。
「ガラスの天井」が破れたということだ。
当時の指導者たちは下級武士の出だが、漢学や和歌に造詣が深く、さらには数年かけて欧米を視察している。
西郷南洲翁は次のように語る。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にし国家の大業を成し得られぬなり。
この明治維新と似たような状況が生まれたのは太平洋戦争で日本が破れた時だ。
戦時中の指導者たちは殆どが公職追放の憂き目を見た。
翼賛体制に距離を置いていた吉田茂や鳩山一郎などが政界を引っ張った。
経済界は、財閥が解体されて新しい経済人が戦後の興廃から立ち上がった。
ところが、戦争を知る年代がほとんどいなくなり、第二次安倍政権以降、倫理観の喪失が甚だしい。
それと目につくのが世襲政治家の跋扈(ばっこ)である。
まるで「ツタウルシ」がはびこる様にだ。
私はウルシにかぶれるので雑木林から這い上がって来る「ツタウルシ」を目の敵にしているが。
世襲が良くないのは、苦労もしないで親の地盤・看板・鞄を継いだだけで能力も志もない政治家になるからだ。
(なかにはそうでない人間もいるが少数だ)
安倍晋三、岸田文雄、河野太郎などを見ているとよくわかる。
もし世襲政治家でなかったら首相や大臣になれただろうか?
公私混同は当たり前、都合悪くなると開き直り、最後は記憶を失念する。
児孫のために美田を買わず 西郷南洲
自分の子や孫のために、私腹を肥やして財産を残すべきではない。