日本は頭の部分から崩れ始めているようだ。
その象徴的な例が国立科学博物館が運営困難になり民間に寄付を求めたということだ。
幸い心ある人たちがその寄付に応じ、1億円の目標に対してすでに5億円ほど集まっているようだ。
それにしても、科学という知性の原点にあるものに対してこの国の指導者は、何と感度が鈍いのか。
このような予算はおそらく文科大臣レベルで処理できる話だろうが、その文科大臣(永岡桂子)が頼りない。
旧統一教会問題についてもなしのつぶてだが、判断不能なのだろう。
今の文科大臣は田舎のおばちゃん然として庶民的に見えるが、残念なことに知性がない。しかも麻生派だ。
知性的な人とは、自説に固執せず他人の言うことをとりあえず黙って聴く。
その上で自分の中でかみ砕いて理非の判断をする人だと思う。
ところが自説に固執して有無を言わさず「俺の言うことを黙ってきけ」というのが河野太郎。
聞く耳を持つという割に国民の声は何も聞いていない岸田首相。
(アメリカのバイデン大統領の話は良く聴くようだが)
ここまで指導者たち(今の自民・公明政権)がだらしなくなった責任の一端は国民にもある。
有権者の25%の数で自民・公明政権に圧倒的多数を与えたからだ。
しかも最近は、維新や国民民主がその自民の仲間に加わりたいと言い出している。
良樹細根の生き方に徹する
この国は、コツコツと努力している人たちが報われない社会を作り出してしまったようだ。
目先の欲に走る人間がいるのはどの世にもあることだが、そのような人たちばかりがツタウルシのようにはびこっている。
細根とはコツコツと努力をしている人たちだ。
その努力が報われる社会にしていかなければならない。
そうすればこの国は自ずから良樹になるのだ。