「馬鹿」の語源はいろいろあるが、なるほどとうなづけるのが「鹿をさして馬となす」故事によるものだ。
秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力を振るった宦官の趙高が群臣のうち自分の敵味方を判別するために用いた方法。
宮中に鹿を曳いてこさせ「馬でございます」と言うと、皇帝は笑って「宰相は間違っているのではないか。鹿をさして馬などというとは」と言い、左右の群臣に問うた。
群臣は、ある者は黙りこみ、ある者は馬であると言って趙高にごまを擦った。中には正直に、鹿だと言った者がいたが、張高はあとでひそかにこれらの者を法律によって罰した。
この故事は今から2200年ほど前の話である。
しかし似たようなことはこの日本でもつい最近起こっている。
「歴史は繰り返す」とはまさに言い得て妙である。
◉ふるさと納税をめぐり当時の菅総務大臣に異を唱えた平嶋税務局長を左遷。
◉森友問題では正論を吐いた財務局の職員が自死した。
(財務省幹部の安倍・菅への過度の忖度が原因だ)
◉「桜を見る会」における文書改ざん・破棄
◉「日本学術会議」任命拒否問題ーー政府の政策に異を唱える学者をパージする行い
上記に示した内容は、趙高が行った行為と極めて似通う。
自分たちにに不都合な人間は「切る」という権力の暴走である。
ところが官僚たちと違ってコロナウイールスは「忖度」など一切しない。
だから菅政権は、打つ手なし。
対策を打つべき時に「GOTOトラベル」などにうつつを抜かしていた。
まさに「キリギリスガ」だったということだ。