岸田首相のセールスポイントは「聞く耳を持つ」だった。
まともな人から聞いていれば大きく道を踏み外すことはなかった。
安倍元首相が凶弾に倒れて以降の相談相手がかなりひどかった。
先ず「安倍国葬」の入れ知恵をしたのが麻生副総裁と言われている。
麻生派・岸田派・茂木派・谷垣グループなどをまとめたうえで、「安倍国葬」を言い出せば安倍派を取り込めるとの浅知恵。
麻生太郎の頭の思考回路はこの程度だろう。
戦後初めて政治家で国葬を行ったのは吉田茂(麻生太郎の祖父)だが、この時に特に盛り上がったという記憶はない。
8月3日夜、岸田は森喜朗に内閣改造のアドバイスを求めた。
森はストレートに西村康稔、萩生田光一、松野博一、高木毅、世耕弘成の名を挙げたという。
一押しは萩生田光一だった。
しかしそれが結果的に岸田の足を引っ張る。
萩生田光一と生稲晃子のツーショットで旧統一教会詣ではマスコミの格好の餌食になった。
さらには、森に200万円のお見舞金疑惑までついてきた。
幹事長に留任した茂木敏充の評判も良くない。
まずなにより「上から目線」だ。麻生太郎にもそんなところがあるが、茂木の場合かなり性格的なものからくる。
自民党としては関係ない、議員個々の問題だ、と強気の発言に終始したが、ボロボロと関係する議員が出て来てもはや収拾がつかない。
慌ててアンケート調査をするようだが、もはや手遅れ。
安倍首相の時だったらこんな時には安倍援護をした右派論壇はおとなしい。
もっとも「旧統一教会」に肩入れなどしようものなら集中砲火を浴びる。
この宗教?の教義を少しでも読んだらとんでもない反日・侮日思想を含んでいる。
自分たちのボスがこんなとんでもないものに肩入れしていた、そしてそのボスを神格化していたことに赤面するだけだ。
いずれにしても永田町と言うところは魑魅魍魎が跋扈するところのようだ。