実家の兄がヘンテコな物を買った。
30センチ四方の立方体の音楽機器だ。たまーに、中高年向けに新聞広告など出てるやつ。それ程高価ではない。どころか…¥9000(税抜き)だとっ!
凄っ、MDの差し込み口はさすがに無い。残念。
私はMDなるものをごっちゃり持っている。再生機器はもう業界では生産中止…いや、終了かな?無責任だよねー。私の世代(ちなみにアラ還)では、困ってる人居るんじゃない?ちっとも声は上がらないけど。
ま、それはともかく。
一番上にレコードプレーヤーがついている。
レコードプレーヤー!値段からして音質に期待はもてないが、
そうかー、これがあれば懐かしのレコード達が聴けるんだよね!早速ホコリを被ったしまいっぱなしの古〜いレコード棚を探る。
私のレコードは嫁に出た時に持って来てしまい、その後ほとんど人にあげてしまうという愚行をしでかし手元には無いが、それでも、自分でレコードなるものを買う前に聴いていた兄達のものがある。
この器械を見た瞬間、まず聴きたーい!と思ったのは
M・ポルナレフ
これは私の小学5〜6年の頃、(そう、今から40年以上昔ね)当時、大大大流行していたポルナレフ様の2枚組LPだ。
ミッシェル・ポルナレフ 知ってますか?
えっ?という人でも、あの「トゥトゥ ポマ シェリー
マイ シェリー〜♪」といえばたいてい「あゝ、あの!」ということになるのは、フランス 🇫🇷ワールドカップの恩恵。
昭和40年代末期…と、書き表すとかっこわりー
では、気を取り直して1970年代初頭、当時相当大ヒットしてはいても、日本の歌謡曲全盛期でもあったので、洋楽に興味無い人は知らなかっただろう。私の従姉妹たちもタイガース(野球じゃなくて、ジュリーのいるやつね)に熱をあげていた。しかし、そんな中、学校内でこのポルナレフ様に関しては唯一の同好の友がいた。
GOちゃん。 私の事覚えているだろうか…。
どうしているかな?地元の中学校を卒業して以来会ってない。いや、中学時代もろくに言葉を交わしたかどうか?
とにかく、小学生のこの時、このポルナレフ様に関してだけ何故か彼女と心に残る思い出があるのである。
ある日、私がこの2枚組LPをGOちゃんに貸すかわりに、GOちゃんの持ってるレコードを貸してくれるというので家まで借りに行った。
GOちゃんの家の二階に上がり、まず、私の持って来たレコードをかけてみることになった。その時のGOちゃんの手つき…それはそれは大切そうにレコードを覆っている薄いビニールの袋から(今の人は知らんだろうが、レコードというものはジャケットに挟まれて、さらに薄いビニールの袋に入っていたものなのだ、Uの字型の)指先を優雅に使って捧げるように取り出し、そうっとターンテーブルに乗せた。
うーん🙄。
私は感動したのだ。そうか、レコードとはこんなにも繊細で、丁寧に扱わなければならないものなのだと。
私の家は、当時喫茶店を経営していた。夜になるとカクテルなども出し、娯楽の少ない時代の若者の溜まり場的存在でもあった。そして、ジュークボックスがあった。ジュークボックス…知らない?そう。検索してみ!
レコードのシングル盤などは、入れ替えが激しく、店のレジの片隅などに裸のまま山積みされていたりしたものなのだ。
そんな環境に育ったせいなのか、ごく普通の家庭の子女が優雅にレコードを取り出す様がそれだけでなんだか素敵な風情に感じてしまった、小学生のワタシなのだった。
とりあえず、次回へっ!
30センチ四方の立方体の音楽機器だ。たまーに、中高年向けに新聞広告など出てるやつ。それ程高価ではない。どころか…¥9000(税抜き)だとっ!
凄っ、MDの差し込み口はさすがに無い。残念。
私はMDなるものをごっちゃり持っている。再生機器はもう業界では生産中止…いや、終了かな?無責任だよねー。私の世代(ちなみにアラ還)では、困ってる人居るんじゃない?ちっとも声は上がらないけど。
ま、それはともかく。
一番上にレコードプレーヤーがついている。
レコードプレーヤー!値段からして音質に期待はもてないが、
そうかー、これがあれば懐かしのレコード達が聴けるんだよね!早速ホコリを被ったしまいっぱなしの古〜いレコード棚を探る。
私のレコードは嫁に出た時に持って来てしまい、その後ほとんど人にあげてしまうという愚行をしでかし手元には無いが、それでも、自分でレコードなるものを買う前に聴いていた兄達のものがある。
この器械を見た瞬間、まず聴きたーい!と思ったのは
M・ポルナレフ
これは私の小学5〜6年の頃、(そう、今から40年以上昔ね)当時、大大大流行していたポルナレフ様の2枚組LPだ。
ミッシェル・ポルナレフ 知ってますか?
えっ?という人でも、あの「トゥトゥ ポマ シェリー
マイ シェリー〜♪」といえばたいてい「あゝ、あの!」ということになるのは、フランス 🇫🇷ワールドカップの恩恵。
昭和40年代末期…と、書き表すとかっこわりー
では、気を取り直して1970年代初頭、当時相当大ヒットしてはいても、日本の歌謡曲全盛期でもあったので、洋楽に興味無い人は知らなかっただろう。私の従姉妹たちもタイガース(野球じゃなくて、ジュリーのいるやつね)に熱をあげていた。しかし、そんな中、学校内でこのポルナレフ様に関しては唯一の同好の友がいた。
GOちゃん。 私の事覚えているだろうか…。
どうしているかな?地元の中学校を卒業して以来会ってない。いや、中学時代もろくに言葉を交わしたかどうか?
とにかく、小学生のこの時、このポルナレフ様に関してだけ何故か彼女と心に残る思い出があるのである。
ある日、私がこの2枚組LPをGOちゃんに貸すかわりに、GOちゃんの持ってるレコードを貸してくれるというので家まで借りに行った。
GOちゃんの家の二階に上がり、まず、私の持って来たレコードをかけてみることになった。その時のGOちゃんの手つき…それはそれは大切そうにレコードを覆っている薄いビニールの袋から(今の人は知らんだろうが、レコードというものはジャケットに挟まれて、さらに薄いビニールの袋に入っていたものなのだ、Uの字型の)指先を優雅に使って捧げるように取り出し、そうっとターンテーブルに乗せた。
うーん🙄。
私は感動したのだ。そうか、レコードとはこんなにも繊細で、丁寧に扱わなければならないものなのだと。
私の家は、当時喫茶店を経営していた。夜になるとカクテルなども出し、娯楽の少ない時代の若者の溜まり場的存在でもあった。そして、ジュークボックスがあった。ジュークボックス…知らない?そう。検索してみ!
レコードのシングル盤などは、入れ替えが激しく、店のレジの片隅などに裸のまま山積みされていたりしたものなのだ。
そんな環境に育ったせいなのか、ごく普通の家庭の子女が優雅にレコードを取り出す様がそれだけでなんだか素敵な風情に感じてしまった、小学生のワタシなのだった。
とりあえず、次回へっ!