うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
 《うれし涙》こうして流す。
  《うれし涙》家族で流す。

みんな違ってみんないい

2023-12-08 18:12:51 | 講師から
最近誕生日を迎えて、なんとか20歳になりました。

20歳になったからといって、
何か大きな変化があるかと言われれば、そんなものはないのですが
強いていえば20歳になったことでお酒が飲めるようになったことでしょうか。

お酒を飲んでみての感想は「なるほど」です。
幼少の頃は夕食でお酒を飲む両親が羨ましかったことを覚えています。
特にワインには憧れ、机の上に放っておかれたオシャレなコルクをじっと見つめていたくらいです。

ですが、実際飲んでみると、
案外こんなものかと特別な感動はありませんでした。

ワイン、特に赤ワインは渋みがあり
味見の一口で突っ返してしまったほどです。

これからも、今までも、
このように期待を超える経験はあんまりないのかもしれません。

誰かの人生を終わらせる力をも秘めたお酒は、
それ自体には別に世界を変える力はなかった。

この発見を落胆と呼んだら、流石に重すぎるかもしれませんね。
しかし、このような落胆は案外ありふれているものかもしれません。

ギャップというものがあります。

ふんわりと柔らかい雰囲気をまとった人が毒舌だったり、
真面目でしっかりした人がおっちょこちょいだったりと、
いい意味で使う人が多いように感じます。

でも、もちろん悪い意味もあります。

例えば、アイドルに実は恋人がいたとか。

どんなに好きなアイドルでも、
いえ、好きだったからこそその人に落胆する。

ファンって身勝手だなと思います。

その人への愛で登りつめたところから奈落の底へ落とされるのだから、
愛が大きい方がダメージは大きく、受けた痛みだけ憎しみが募っていく様子は、
残念ながらありふれていてさみしく思います。

どうして好きな人の好きな人に憧れるのではなく、
好きな人自身を憎んでしまうのだろうと疑問に思っていたこともあります。

最近気付いたのは、憧れるのは存外辛いということです。

憧れとは、自分がそこに至っていないことを認めることです。

だから、自分という存在を肯定できていないと、
そこへ至っていないという事実の容認が難しくなり、
優れた人を目にするのが辛くなってしまう。

人は誰かに憧れるより、憎む方が楽に感じるのかもしれません。

みんな違ってみんないいはずなのに、
その違いを認められない人もいるんでしょうね。
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