(1902年)八甲田山雪中行軍遭難事件発生
近く迫る対ロシア戦を念頭に、厳寒地での作戦展開を見据え、様々に対策が練られる中、鉄道が止まった場合の部隊移動を想定し、陸軍第8師団・歩兵第5連隊第2大隊が冬季訓練でこの年の1月23日、青森の駐屯地から八戸へ向け出発、遭難した事件。
部隊の210名中199名が死亡。
生き残った11名も、比較的軽症なのは僅か3名に過ぎず、他は四肢切断などの重症を負った。
新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』や、それをもとにつくられた映画『八甲田山』により、今日でもよく知られる事件だ。
記録的な風雪や不十分な装備、更には指揮系統の混乱など、原因は様々に指摘されるが、それら全てが複雑に絡みあって起こった悲劇と見るのが、やはり妥当だろう。
絶望の中死んでいった兵士らへの同情を禁じ得ないのは勿論、無事帰還した者もその体故に不自由な生活を余儀なくされ、また、軽症で済んだ3名も、日露戦争で戦死或いは負傷しており、結局、部隊全員が過酷な運命を辿ったことになり、その悲惨さに言葉をなくす。