川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

12月16日/ 今日は何の日

2012-12-16 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1997年)ポケモンショック

テレビ東京のアニメ『ポケットモンスター』の放送中、激しい光の点滅シーンを観た視聴者の一部が痙攣を起こす等の体調不良に陥り、病院に搬送される事態が発生。
光過敏性発作と診断される。
批判を受けた局は、番組の放映中止を余儀なくされた(後に再開)。

アニメに限らず、全ての番組に於いて、映像上の光の演出効果に一定の制限が加えられるようになったのは、この事件がきっかけ。
また、今でも一番影響が残っているのは、新作・旧作を問わず、アニメの本編が始まる際「テレビを見るときは部屋を明るくして」云々のテロップが必ず添えられるようになったこと。
あれはどうかと思う。
本気で視聴者のことを心配してというよりも、いざ同様な事件が起こった場合、抗議されても「ちゃんと警告してましたよ」と言い訳出来るように機械的に付け加えてるに過ぎない。
企業防衛の為の逃げの姿勢そのもの。
テレ東以外の関係者はうちじゃなくてよかったぐらいにしか思ってなかったのが本当のところだろう。


12月15日/ 今日は何の日

2012-12-15 00:15:00 | 忌日

(1975年)井上成美死去

帝国海軍最後の海軍大将。
日独伊三国軍事同盟条約締結や日米開戦に反対し、本土決戦を主張する陸軍・大本営の姿勢にも強硬に異を唱え、終戦工作に奔走した。
軍部が暴走したあの時代、命の危険も顧みず最後まで文民統制の思想を棄てなかった気骨の武人。
米内光政や山本五十六らと同様、井上のような人物がもっと多く存在していれば、あれほどの悲劇は避けられたかも知れない。



(2005年)仰木彬死去

プロ野球選手としてよりも監督としてのイメージの方が強い。
近鉄時代の「10・19」、対巨人・日本シリーズでの「3連勝の後の4連敗」、野茂英雄のよき理解者、オリックス時代のイチロー抜擢、阪神大震災後の躍進そして優勝……など数々のエピソードの持ち主。
また、いろんな奇策を繰り出してファンを楽しませる演出上手な人でもあった。
あんな個性的な、というよりクセのある監督は、この先そうそう現れまい。


12月14日/ 今日は何の日

2012-12-14 00:15:00 | その他

(1959年)北朝鮮への第1次帰国船が新潟港を出港

「地上の楽園」と持て囃された北朝鮮への帰還事業が、人道的な見地から進められた(この「人道的」というのが、今となっては悪い冗談にしか思えない)。
国の内情が殆んど判らない中で、在日朝鮮人は朝鮮総連や、左右を問わず多くのマスコミ各社、そして、当時「進歩的文化人」と呼ばれた知識人らの撒き散らす北朝鮮礼賛の言質を信じ、海を渡った。
その後の悲劇はご存知の通り。
激しい差別と理不尽な待遇の中、皆不幸な人生を歩んだと、脱北者の証言により後年次々と明らかになった。
同胞はもとより、朝鮮人の夫について行った日本人妻は特に悲惨だったと言われる。
このような許されざる政策を行った北朝鮮の罪は、遠くない将来に体制が崩壊した暁に徹底的に裁かれるだろうが、同時に、それに加担した上記の第三者も等しく責任を追及されなければならない。
たとえ善意の下に行ったことであれ、現実にもたらしたその罪科が見過ごされていい筈がない。
自らの罪を棚にあげて政府等を責める姿が容易に想像されるが、そのキャンペーンに安易に乗っかってはならない。
今から警告しておく。


12月13日/ 今日は何の日

2012-12-13 00:15:00 | 事件・事故・災害

(2005年)阿子島たけしの自宅から出火

13日に自宅から出火、その後3日も経って焼け跡から遺体が発見されるという不自然さ。
警察・消防の見識が疑われる。
今なおこの経緯については具体的に検証されていない。

音楽評論家である阿子島は同年のレコード大賞審査委員長を務めていたが、業界関係者からの金銭授受を暴露する怪文書が撒かれていた。
この件と上記の不可解な火災との間に何らかの接点があるのではないか、と疑われたが、結局真相は薮の中。

この事件?に関しては断定出来ないが、レコード大賞にまつわる裏金工作の噂は昔から流れている。
音楽そのものとは関係のない、見えない「力」で曲や歌手への評価が決められているのは、素人目にも明らかだ。
そんな名ばかりの、下らない賞をいつまで続けるつもりなのだろう。


12月12日/ 今日は何の日

2012-12-12 00:15:00 | 忌日

(2002年)笠原和夫死去

脚本家。
手掛けた作品では『仁義なき戦い』シリーズが一番有名だろうが、個人的には何と言っても『二百三高地』(1980年公開)。
常人には真似出来ぬ程の圧倒的な取材を敢行、そして出来上がったのが、異様にリアルなあの映画だった。
笠原の脚本あってこそあの見事な作品は生まれた。
日本の戦争映画にありがちな、後世の価値観的台詞で埋め尽さなかった手法が成功の理由だろう。
だからこそ、あおい輝彦演じる小賀中隊長が、参謀の面々に向かい涙ながらに訴えるシーンが胸に迫る(唯一自らの思いを託したのがあのシーンだった)。

ただ、次の『大日本帝国』(1982年公開)ではややブレーキが緩み、思想が過剰に表出したきらいを感じるが、それは、自身が海軍に志願した経験の持ち主であることが深く関わっていると思われる。
あの絶望的な時代を生きた者に客観的になれというのが無理な話で、その点を批判するつもりはない。