勇者の大局観

ヘボ投資とつれづれなる日々・・・
(投資に関する投稿は私感に基くものです)

知っておこう『富岡製紙場』

2014年04月28日 | 時事
富岡製糸場が世界文化遺産登録勧告されて2日目の昨日は、来場者数は過去最高の4972人に達したとの事です。世界遺産になろうとなるまいと富岡製糸場のたたずまいは変わらずそこに在るわけで、いかにメディアの力が凄いかという事が分ります。
さて、この『富岡製糸場』については少しばかり覚え書きをしておきます。関東出張の時に話題になって、食い付けないと困りますから

かいつまんで押えておくだけですが・・・



『富岡製紙場』は1872年(明治5年)開業の日本初の本格的器機製糸工場。
明治開国直後から日本は養蚕業(ようさんぎょう)が盛んになり出し、蚕(かいこ)の病気が原因でヨーロッパの養蚕業が壊滅的になる。
その後、外国からの製糸場建設の要望もあり明治政府は建設を決断。
繰糸器300釜を備えるのは当時世界最大規模。
中で働く工女たちの労働環境は1日8時間程度で日曜の休みも有り充実していた。
1893年(明治26年)に入札の結果、三井家に払い下げとなる。
1902年(明治35年)に「原 合名会社」に譲渡。
この年の10月に「原 合名会社」から「原富岡製糸所」と改名。
満州事変や日中戦争によって国際情勢は不安定化し1938年に群馬最大の山十製糸が倒産。更に主要輸出先アメリカで絹の代替となるナイロンが台頭した事も有り製糸事業の縮小に踏み切った。同年6月に「株式会社富岡製糸所」として独立する。
1939年に日本最大の繊維企業「片倉」に吸収され「片倉富岡製糸所」と改称。
太平洋戦争中は軍需用の落下傘向けの製糸工場として操業される。
戦後、GHQは経済の民主化を進め、1946年(昭和21年)に「片倉工業株式会社富岡工場」となる。
片倉工業は富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後も一般向けの公開をせず、「貸さない、売らない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念。固定資産税だけで年間2000万円、その他の膨大な維持・管理費用を払ってきた取組が有り、富岡製糸場が良好な保存状態で保たれてきた。
2005年に国の重要文化財に指定される。

まさに「歴史の中で皆の思いが詰め込まれて今日がある」と言ったところでしょうか

場所は覚えやすいです。
群馬県富岡市富岡1番地1


関西からはかなり遠いので行く機会が有ればと思いますが、いざ行くとなればなかなかどうして根性要りそうですね~。ちなみに大阪からググってみると電車で5時間40分かかります。日帰りは完全に無理ですね





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