Googleで漫画史研究家を検索すると、ここ数年目立った活動記録の見当たらない私、本間正幸の名前が沢山出てくる。
光栄にも上位殆ど全ての項目においてなのだから、その期待値の高さには驚くばかり。
在野にいる数少ない漫画史研究家である私がブログを始めたのが2009年3月。
エロや批判、批評を好む漫画評論家と似て非なる志、矜持の下、昭和時代の少年少女マンガ史の実証的な資料に基づく研究にこだわり続けた地味な漫画史研究家ブログでも、継続は力、gooブログの訪問者の累計が2013年2月4日(月)で20万人、閲覧数の累計が2013年2月5日(火)70万に達成した。
ブログからTwitter、facebookと言った、ソーシャルネットワークの急速な発達により、一億総評論家時代が到来。
実証的な研究成果を発表する数少ない漫画史研究家の矜持と、現物の資料には当たらず、引用、孫引き、あげくは変節に明け暮れる上から目線の漫画評論家たちの矜持、品性及び人間性の違いが謀らずも白日の下に晒されることも日常茶飯事。
ネット上、素人とプロの実力差が殆んど見当たらない漫画評論家たちの沢山のイタイブログよりも、実際の資料の添付がある素人のブログの方がアクセス数が多くなる。
漫画評論家たちの過去の無責任な発言や、トラブルによる変節ぶりさえ一目瞭然、全ての検索が容易となった。
最新のソーシャルメディアを利用しながら、その特性を充分理解し得なかった今日の漫画評論家たちの権威、影響力の凋落ぶりは、因果応報であり自業自得。
身内贔屓で公平さを欠く発言の数々は、その著書の多くが殆んど売れず、数年で絶版の憂き目にあっていることでも一目瞭然。
新たな出版需要の喚起には、殆んど役には立っていないようだ。
私は、2001年夏の【少年画報大全】監修時から、昭和時代の少年少女漫画史を飾る名作群のアーカイブ化をいち早く提唱し続けた。
2013年となり、映画のアーカイブに続き、漫画のアーカイブも電子書籍化によってやっと進んでいくような気がする。
これからの私の行動に御注目下さい。(笑)
今夜は節分。
私は、年賀状のやりとりや、節分といった古き良き日本の風習が好きだ。
【おしん】や【とんび】など、今はドラマの中にだけ残された昭和の時代。
最近「何か昭和臭い」と、昭和時代を蔑視するような言葉の表現を使う人を見ることがある。
果たして昭和とはどういう時代だったのだろうか?
今日の画像は、赤塚不二夫先生の鬼の面がオマケについてる株式会社でん六の福豆。(出羽三山羽黒山伏祈願なのが私の大のお気に入り)と、山根赤鬼先生の著作権継承者である奥様からの年賀状の返事である。
赤塚不二夫先生と、山根赤鬼先生。
共に故人となられてしまったが、生前、昭和時代の子供たちのために素晴らしい作品群を描かれただけでなく、人柄も大変素晴らしい先生たちであった。(涙)
漫画評論家でなく漫画史研究家である私の矜持、それは、日本の現在の隆盛する漫画やアニメーション業界の礎となった昭和時代の名作群とその人柄を、後世の子供たちのためにも正しく正確に伝え残して行くことにある。
赤塚不二夫先生の人柄や作品については、今更私が説明するまでもないだろう。
【おそ松くん】【ひみつのアッコちゃん】【天才バカボン】だけでなく、私は【もーれつア太郎】や、【風のカラッぺ】も好きな作品であった。
【めいたんていカゲマン】で知られる山根青鬼先生と、【よたろうくん】で知られる山根赤鬼先生は、双子の兄弟で漫画家。
山根青鬼先生作品と、山根赤鬼先生作品の詳細については、漫画家四十周年記念として、1989年に草の根出版会事業部から発行され、コミックパークから私がオンデマンド復刊した【山根青鬼・赤鬼漫画道中記】を御覧いただけたら幸いである。
私が小学生の頃、小学館の学年誌で【めいたんていカゲマン】の連載が始まった。
附録に付いたクイズブックなど、毎月楽しみにしていたのだが、途中から学年が一つ下の世代に連載が移り、近所の一学年下の友だちの所へ行き、毎月【めいたんていカゲマン】と、【ドラえもん】だけ読ませてもらっていたほど私が好きな作品のひとつだった。
私は、子供の頃からのリアルタイムの読者世代の代表として、山根青鬼先生作品の復刻に携われたのである。
今夜は節分なので、福は内!鬼は外!(笑)
古き良き日本の風習を、今夜も私は楽しんでいる。
AKB48峯岸みなみ(20)「お泊まり報道で丸刈り 涙の謝罪3分49秒」が物議を醸しているようだ。
責任の取り方、ケジメのつけかたには人それぞれある訳だが、その潔さとは裏腹に悲壮感と後味の悪さだけが感じられる。
一方、女子柔道 園田監督は「続投」から一転「辞意」へ
柔道 女子日本代表 園田隆二監督(39)の暴力や暴言に対する責任の取り方には、武道家として無様な醜態を晒してしまった感が否めない。
金メダリスト準強姦裁判
内柴正人被告(34)に懲役5年実刑
因果応報、自業自得の判決だが、往生際の悪さに不快感が漂ってしまう。
アイドルオタクでも、柔道関係者でもない私は、この三つの騒動の顛末について、第三者として傍観するだけしか出来ない。
私は、ブログを始めたばかりの2009年に「漫画史研究者のみにくいアヒルの子」という漫画研究業界内最大のタブーとされる事柄を告発した。
今日の画像は、「内記稔夫 日本初のマンガ図書館をつくった男」明治大学米沢嘉博記念図書館2012年10月5日(金)~2013年1月27日(日)のチラシ。
漫画評論家でなく、漫画史研究家を名乗って活動している私のせめてもの良心である。
では、漫画評論家、漫画批評家、漫画コラムニスト、漫画愛読家の良心とは?
批評家の矜持として、ネット上に公開を続けている「芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け!-伊藤剛のトカトントニズム」(2005年11月5日)の鮮やかな変節ぶりには、どうしても堪えきれずに噴飯してしまった。
昨年、文化庁の推薦マンガとして、芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】が選ばれた。
その選考委員の一人に伊藤剛の名前がある。
かつて伊藤は、芳崎せいむさんの金魚屋古書店について
「いずれにせよ、『金魚屋古書店』に対するぼくの評価は「唾棄すべき作品」です。
このマンガから見える感情は、「マンガへの愛」を口にしながら、その実マンガの首を絞め続けているものだ。
寄生虫とでもいうべきものだろう。
(中略)
批評家としての矜持である。
譲れない一線はある。
それでも批判的言辞をとらざるを得ないときがある。
今回がそれだ。
ふざけんな、と思う。
マンガをなめんな、と思う。(以下略)」(2005年11月5日)
と批評し、2010年8月26日の記事を最後に何の説明もなく更新が途絶えTwitterに移行。
そのため、今回、推薦図書に変節した釈明は、残念ながら見付けられなかった。
まさに天に唾吐く者が、吐いた唾が身に降りかかり飲まされたあげく、何の釈明もないままなのは、余りにも無責任極まりないのではないだろうか。
批評家としての矜持はどこにある!(笑)
現在はブログの更新を中止し、Twitterで、
伊藤剛(反省中)
としているので、これが漫画評論家である伊藤剛としての変節に対する身の施しかた、処世術なのだろう。
創作者である漫画家の芳崎さんに対し、漫画評論家である伊藤が、作品に対して信念と責任を持って発言をしていた段階までは、人それぞれ好みにより作品に対して好き嫌いがあるので、それはそれで構わないと私は考えていた。
だが、今回の伊藤の行動や主旨は一貫しておらず、明らかな変節がみてとれる。
ネットで伊藤剛を検索すると、他にも
「伊藤剛は漫画史研究会を牛耳ったか」
なるキーワードが出てくる。
漫画史研究会を代表し象徴する新進気鋭の漫画評論家として、鳴り物入りで売り出した伊藤剛は、私と同学年でありながら、残念なことに早くも絶頂期は過ぎ、今回の騒動で年老いたかませ犬の老醜を晒してしまった感がある。
私が漫画史研究家を名乗り、漫画評論家という人種を毛嫌いする理由の本質は、何も生み出さない、上から目線の実証的でない無責任な発言に対する嫌悪感と、独善的な偽善行為にある。
2000年頃、まだお互い無名だった時に伊藤剛と私は漫画史研究会で何度か会ったことがあり、当時は面識があったものの、現在は何の接点もなく、交流は一切ない。
何の怨みもないが義理もなく、同世代の客観的な立場で自由に伊藤剛に発言する権利を有する私は、伊藤剛が漫画家さんを批評する漫画評論家である以上、今回、人としての品性を私なりに検証してみたい。
当時、川崎市民ミュージアムの学芸員だった細萱さんから声をかけられたのがきっかけとなり、一時期漫画史研究会に参加したことがある私の印象は、漫画評論家予備校とでもいうべき烏合の衆の集まりであり、一応有名大学卒の肩書きが有るものが多くいたが、これといった著作があるものは殆んどおらず、参加者全体の研究レベルも素人に毛の生えた程度の集まりだった。
漫画界に関する情報も、研究者の発表、研究成果においても、私にとっては横浜から交通費と移動時間をかけてまで参加する魅力はなかったので、参加メンバーの誰よりもいち早く【少年画報大全】でメジャーデビューを飾ってからは、参加する意義が見いだせなくなり訣別する。
後に、参加メンバーの中から漫画評論家として漫画研究に関する著作を出せた者も数名いるようだが、著書を出してプロとしてメジャーデビュー出来た時期の差が、その頃からの実力差だと考えてもらえば分かりやすいのではないだろうか?
あくまでも私だけのイメージかもしれないが、人として信頼に値するような指導者や指導教官のいない、漫画評論家予備校や、自動車学校のような所だったので、(笑)メジャーデビューした者はやがて参加しなくなるし、志半ばで諦める者が多数続出し、未だメジャーデビュー出来るあてもなく、何浪もし続けている往生際の悪い者たちが今も多数蠢いているのかも知れない。
伊藤剛は、そんな漫画史研究会の参加者たち死屍累々の屍の中から蜘蛛の糸を登ってきた希望の星だったのだろう。
私はブログを始めて間もない頃、漫画史研究会の内容に対して
「漫画研究者のみにくいアヒルの子」
と題した告発記事を書いている。
私は在野にいる漫画史研究家であることを誇りに感じ、変節した漫画評論家である伊藤剛とは志の本質が違うので、以前発言した事柄に関して現在も何ら変節をしていないことをここに記した次第である。
芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】については、初期の【金魚屋古書店出納帳】や、【ビリーパック】に関するエピソードについては、一定のクオリティーに達していると感じており、漫画史研究家である私の評価は、漫画評論家である伊藤剛の評価とは真逆の判断だ。
芳崎せいむさんについては、伊藤剛と同じくかつて面識はあったが、現在は一切の交流がないし、今後も交流する縁はない可能性が高い。
作品のクオリティーと、作者の人格とは別なので、年賀状のやりとりなど、人として交流していきたいと思われる魅力ある人はどうしても限られてしまう。
現代マンガ図書館については、設立時の構想に深く関わった石子順造氏の理念や思想部分の功績が大であり、実際に運営に携わってきた館長の内記稔夫氏については、第二の功労者ではあるが、人としての魅力はあまり感じられず、当時小学生として、末席に駆けつけた私を含め開館時にあれほど多く集まっていた人の殆んどが2000年頃には内記氏の元を離れていた。
現代マンガ図書館のあまりの凋落ぶりに業を煮やした私は、漫画史研究会に渋る内記氏を説得し連れ出すことに成功する。
その後の内記氏と、漫画史研究会参加メンバーたちとの蜜月ぶりについては、私が説明するまでもないだろう。
2001年の【少年画報大全】発売以降に私は内記氏と訣別し、私が漫画史研究家として活動していく上において、現代マンガ図書館を利用する必要制は、現在に至るまで一度も感じられなかった。
内記氏との訣別により、全て自前で資料を用意する習慣がついた私は、昭和の日本の漫画史を代表する重要作品の収集、保存を心掛けるようになる。
そのことが、私を漫画評論家でなく、在野にいる数少ない実証的な漫画史研究家としての礎を築かせたのである。
2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。
配信対象の13作品※かっこ内は出版年
浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)
やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。
その為だろうか?
昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。
在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。
配信対象の五作品※()内は連載年。
上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)
以下、続々と電子書籍化予定です。
田河水泡・のらくろ館特別展
「永遠の少女マンガ展」
会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館
時間:午前9時~午後9時
会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】
東京都江東区森下3ー12ー17
TEL03(5600)8666
主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター
■原画'(ダッシュ)
出展作家
松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子
■三原順原画展示
■編集者・小長井信昌の仕事
小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。
■田河水泡と弟子たち
「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。
■おことわり
株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。
先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。
大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。
また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。
私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。
少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。
以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。
2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。
鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!
とある。
私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。
【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。
その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。
二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。
そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)
プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。
そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。
私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。
だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。
スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。
私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。
後は、私自身の才能と努力の問題である。
街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。
漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
さて、昨晩は、江東区森下文化センターで、辻真先先生と唐沢俊一さんの対談を聴くことが出来た。
詳細は、又、後程。
大雪の日の出来事。
東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?
私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。
そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。
さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。
12日(土)
13:00~【憧れのハワイ航路】
15:40~【川の底からこんにちは】
13日(日)
10:00~【運が良けりゃ】
13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映
【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子
【雄呂血】弁士・澤登 翠
16:50~【お早よう】
14日(月・祝)
10:00~【ゴジラ】フィルム上映
13:30~【愛妻物語】フィルム上映
16:20~【晩春】フィルム上映
私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。
今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。
前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。
上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!
更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。
その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。
同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。
本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。
また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。
各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?
マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。
漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。
三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、(私は、漫画史研究家として、この人物の生き方や人柄を反面教師として肝に刻んでいる)謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)
さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com
漫画史研究家 本間正幸
今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!
先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。
次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。
2013年は【リボンの騎士】連載60周年。
【鉄腕アトム】放送50周年。
【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。
【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。
【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。
【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。
手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。
漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。
今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く
と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。
漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
光栄にも上位殆ど全ての項目においてなのだから、その期待値の高さには驚くばかり。
在野にいる数少ない漫画史研究家である私がブログを始めたのが2009年3月。
エロや批判、批評を好む漫画評論家と似て非なる志、矜持の下、昭和時代の少年少女マンガ史の実証的な資料に基づく研究にこだわり続けた地味な漫画史研究家ブログでも、継続は力、gooブログの訪問者の累計が2013年2月4日(月)で20万人、閲覧数の累計が2013年2月5日(火)70万に達成した。
ブログからTwitter、facebookと言った、ソーシャルネットワークの急速な発達により、一億総評論家時代が到来。
実証的な研究成果を発表する数少ない漫画史研究家の矜持と、現物の資料には当たらず、引用、孫引き、あげくは変節に明け暮れる上から目線の漫画評論家たちの矜持、品性及び人間性の違いが謀らずも白日の下に晒されることも日常茶飯事。
ネット上、素人とプロの実力差が殆んど見当たらない漫画評論家たちの沢山のイタイブログよりも、実際の資料の添付がある素人のブログの方がアクセス数が多くなる。
漫画評論家たちの過去の無責任な発言や、トラブルによる変節ぶりさえ一目瞭然、全ての検索が容易となった。
最新のソーシャルメディアを利用しながら、その特性を充分理解し得なかった今日の漫画評論家たちの権威、影響力の凋落ぶりは、因果応報であり自業自得。
身内贔屓で公平さを欠く発言の数々は、その著書の多くが殆んど売れず、数年で絶版の憂き目にあっていることでも一目瞭然。
新たな出版需要の喚起には、殆んど役には立っていないようだ。
私は、2001年夏の【少年画報大全】監修時から、昭和時代の少年少女漫画史を飾る名作群のアーカイブ化をいち早く提唱し続けた。
2013年となり、映画のアーカイブに続き、漫画のアーカイブも電子書籍化によってやっと進んでいくような気がする。
これからの私の行動に御注目下さい。(笑)
今夜は節分。
私は、年賀状のやりとりや、節分といった古き良き日本の風習が好きだ。
【おしん】や【とんび】など、今はドラマの中にだけ残された昭和の時代。
最近「何か昭和臭い」と、昭和時代を蔑視するような言葉の表現を使う人を見ることがある。
果たして昭和とはどういう時代だったのだろうか?
今日の画像は、赤塚不二夫先生の鬼の面がオマケについてる株式会社でん六の福豆。(出羽三山羽黒山伏祈願なのが私の大のお気に入り)と、山根赤鬼先生の著作権継承者である奥様からの年賀状の返事である。
赤塚不二夫先生と、山根赤鬼先生。
共に故人となられてしまったが、生前、昭和時代の子供たちのために素晴らしい作品群を描かれただけでなく、人柄も大変素晴らしい先生たちであった。(涙)
漫画評論家でなく漫画史研究家である私の矜持、それは、日本の現在の隆盛する漫画やアニメーション業界の礎となった昭和時代の名作群とその人柄を、後世の子供たちのためにも正しく正確に伝え残して行くことにある。
赤塚不二夫先生の人柄や作品については、今更私が説明するまでもないだろう。
【おそ松くん】【ひみつのアッコちゃん】【天才バカボン】だけでなく、私は【もーれつア太郎】や、【風のカラッぺ】も好きな作品であった。
【めいたんていカゲマン】で知られる山根青鬼先生と、【よたろうくん】で知られる山根赤鬼先生は、双子の兄弟で漫画家。
山根青鬼先生作品と、山根赤鬼先生作品の詳細については、漫画家四十周年記念として、1989年に草の根出版会事業部から発行され、コミックパークから私がオンデマンド復刊した【山根青鬼・赤鬼漫画道中記】を御覧いただけたら幸いである。
私が小学生の頃、小学館の学年誌で【めいたんていカゲマン】の連載が始まった。
附録に付いたクイズブックなど、毎月楽しみにしていたのだが、途中から学年が一つ下の世代に連載が移り、近所の一学年下の友だちの所へ行き、毎月【めいたんていカゲマン】と、【ドラえもん】だけ読ませてもらっていたほど私が好きな作品のひとつだった。
私は、子供の頃からのリアルタイムの読者世代の代表として、山根青鬼先生作品の復刻に携われたのである。
今夜は節分なので、福は内!鬼は外!(笑)
古き良き日本の風習を、今夜も私は楽しんでいる。
AKB48峯岸みなみ(20)「お泊まり報道で丸刈り 涙の謝罪3分49秒」が物議を醸しているようだ。
責任の取り方、ケジメのつけかたには人それぞれある訳だが、その潔さとは裏腹に悲壮感と後味の悪さだけが感じられる。
一方、女子柔道 園田監督は「続投」から一転「辞意」へ
柔道 女子日本代表 園田隆二監督(39)の暴力や暴言に対する責任の取り方には、武道家として無様な醜態を晒してしまった感が否めない。
金メダリスト準強姦裁判
内柴正人被告(34)に懲役5年実刑
因果応報、自業自得の判決だが、往生際の悪さに不快感が漂ってしまう。
アイドルオタクでも、柔道関係者でもない私は、この三つの騒動の顛末について、第三者として傍観するだけしか出来ない。
私は、ブログを始めたばかりの2009年に「漫画史研究者のみにくいアヒルの子」という漫画研究業界内最大のタブーとされる事柄を告発した。
今日の画像は、「内記稔夫 日本初のマンガ図書館をつくった男」明治大学米沢嘉博記念図書館2012年10月5日(金)~2013年1月27日(日)のチラシ。
漫画評論家でなく、漫画史研究家を名乗って活動している私のせめてもの良心である。
では、漫画評論家、漫画批評家、漫画コラムニスト、漫画愛読家の良心とは?
批評家の矜持として、ネット上に公開を続けている「芳崎せいむ『金魚屋古書店』に唾を吐け!-伊藤剛のトカトントニズム」(2005年11月5日)の鮮やかな変節ぶりには、どうしても堪えきれずに噴飯してしまった。
昨年、文化庁の推薦マンガとして、芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】が選ばれた。
その選考委員の一人に伊藤剛の名前がある。
かつて伊藤は、芳崎せいむさんの金魚屋古書店について
「いずれにせよ、『金魚屋古書店』に対するぼくの評価は「唾棄すべき作品」です。
このマンガから見える感情は、「マンガへの愛」を口にしながら、その実マンガの首を絞め続けているものだ。
寄生虫とでもいうべきものだろう。
(中略)
批評家としての矜持である。
譲れない一線はある。
それでも批判的言辞をとらざるを得ないときがある。
今回がそれだ。
ふざけんな、と思う。
マンガをなめんな、と思う。(以下略)」(2005年11月5日)
と批評し、2010年8月26日の記事を最後に何の説明もなく更新が途絶えTwitterに移行。
そのため、今回、推薦図書に変節した釈明は、残念ながら見付けられなかった。
まさに天に唾吐く者が、吐いた唾が身に降りかかり飲まされたあげく、何の釈明もないままなのは、余りにも無責任極まりないのではないだろうか。
批評家としての矜持はどこにある!(笑)
現在はブログの更新を中止し、Twitterで、
伊藤剛(反省中)
としているので、これが漫画評論家である伊藤剛としての変節に対する身の施しかた、処世術なのだろう。
創作者である漫画家の芳崎さんに対し、漫画評論家である伊藤が、作品に対して信念と責任を持って発言をしていた段階までは、人それぞれ好みにより作品に対して好き嫌いがあるので、それはそれで構わないと私は考えていた。
だが、今回の伊藤の行動や主旨は一貫しておらず、明らかな変節がみてとれる。
ネットで伊藤剛を検索すると、他にも
「伊藤剛は漫画史研究会を牛耳ったか」
なるキーワードが出てくる。
漫画史研究会を代表し象徴する新進気鋭の漫画評論家として、鳴り物入りで売り出した伊藤剛は、私と同学年でありながら、残念なことに早くも絶頂期は過ぎ、今回の騒動で年老いたかませ犬の老醜を晒してしまった感がある。
私が漫画史研究家を名乗り、漫画評論家という人種を毛嫌いする理由の本質は、何も生み出さない、上から目線の実証的でない無責任な発言に対する嫌悪感と、独善的な偽善行為にある。
2000年頃、まだお互い無名だった時に伊藤剛と私は漫画史研究会で何度か会ったことがあり、当時は面識があったものの、現在は何の接点もなく、交流は一切ない。
何の怨みもないが義理もなく、同世代の客観的な立場で自由に伊藤剛に発言する権利を有する私は、伊藤剛が漫画家さんを批評する漫画評論家である以上、今回、人としての品性を私なりに検証してみたい。
当時、川崎市民ミュージアムの学芸員だった細萱さんから声をかけられたのがきっかけとなり、一時期漫画史研究会に参加したことがある私の印象は、漫画評論家予備校とでもいうべき烏合の衆の集まりであり、一応有名大学卒の肩書きが有るものが多くいたが、これといった著作があるものは殆んどおらず、参加者全体の研究レベルも素人に毛の生えた程度の集まりだった。
漫画界に関する情報も、研究者の発表、研究成果においても、私にとっては横浜から交通費と移動時間をかけてまで参加する魅力はなかったので、参加メンバーの誰よりもいち早く【少年画報大全】でメジャーデビューを飾ってからは、参加する意義が見いだせなくなり訣別する。
後に、参加メンバーの中から漫画評論家として漫画研究に関する著作を出せた者も数名いるようだが、著書を出してプロとしてメジャーデビュー出来た時期の差が、その頃からの実力差だと考えてもらえば分かりやすいのではないだろうか?
あくまでも私だけのイメージかもしれないが、人として信頼に値するような指導者や指導教官のいない、漫画評論家予備校や、自動車学校のような所だったので、(笑)メジャーデビューした者はやがて参加しなくなるし、志半ばで諦める者が多数続出し、未だメジャーデビュー出来るあてもなく、何浪もし続けている往生際の悪い者たちが今も多数蠢いているのかも知れない。
伊藤剛は、そんな漫画史研究会の参加者たち死屍累々の屍の中から蜘蛛の糸を登ってきた希望の星だったのだろう。
私はブログを始めて間もない頃、漫画史研究会の内容に対して
「漫画研究者のみにくいアヒルの子」
と題した告発記事を書いている。
私は在野にいる漫画史研究家であることを誇りに感じ、変節した漫画評論家である伊藤剛とは志の本質が違うので、以前発言した事柄に関して現在も何ら変節をしていないことをここに記した次第である。
芳崎せいむさんの【金魚屋古書店】については、初期の【金魚屋古書店出納帳】や、【ビリーパック】に関するエピソードについては、一定のクオリティーに達していると感じており、漫画史研究家である私の評価は、漫画評論家である伊藤剛の評価とは真逆の判断だ。
芳崎せいむさんについては、伊藤剛と同じくかつて面識はあったが、現在は一切の交流がないし、今後も交流する縁はない可能性が高い。
作品のクオリティーと、作者の人格とは別なので、年賀状のやりとりなど、人として交流していきたいと思われる魅力ある人はどうしても限られてしまう。
現代マンガ図書館については、設立時の構想に深く関わった石子順造氏の理念や思想部分の功績が大であり、実際に運営に携わってきた館長の内記稔夫氏については、第二の功労者ではあるが、人としての魅力はあまり感じられず、当時小学生として、末席に駆けつけた私を含め開館時にあれほど多く集まっていた人の殆んどが2000年頃には内記氏の元を離れていた。
現代マンガ図書館のあまりの凋落ぶりに業を煮やした私は、漫画史研究会に渋る内記氏を説得し連れ出すことに成功する。
その後の内記氏と、漫画史研究会参加メンバーたちとの蜜月ぶりについては、私が説明するまでもないだろう。
2001年の【少年画報大全】発売以降に私は内記氏と訣別し、私が漫画史研究家として活動していく上において、現代マンガ図書館を利用する必要制は、現在に至るまで一度も感じられなかった。
内記氏との訣別により、全て自前で資料を用意する習慣がついた私は、昭和の日本の漫画史を代表する重要作品の収集、保存を心掛けるようになる。
そのことが、私を漫画評論家でなく、在野にいる数少ない実証的な漫画史研究家としての礎を築かせたのである。
2013年1月29日、文化庁は国立国会図書館の蔵書データを大日本印刷が電子書籍の形にして、紀伊国屋書店の電子書店を通して無料配信する実験を、2月1日から3月3日まで行うと発表した。
配信対象の13作品※かっこ内は出版年
浪花禿箒子著、石川豊信画「絵本江戸紫」(1765)
住吉内記写「平治物語絵巻 第一軸」(1798)
グリム著、上田万年訳「おほかみ」(1889)
竹久夢二「コドモのスケッチ帖 動物園にて」(1912)
芥川龍之介「羅生門」(1917)
芥川龍之介「河童」(1927)
酒井潔「エロエロ草紙」(1930)
柳田国男「遠野物語」(1910)
夏目漱石「硝子戸の中」(1915)
永井荷風「腕くらべ」(1918)
宮沢賢治「春と修羅」(1924)
宮沢賢治「四又の百合」(1948)
写真絵本「きしゃでんしゃ」(1953)
やはり、今年の出版界を読みとくキーワードは、温故知新と電子書籍のようだ。
著者が故人となった出版物の電子書籍化実現には、様々な困難が伴う。
近年では、今回のリストにも名前がある明治の大文豪・夏目漱石の遺族、親族同士による利権をめぐる確執と争いが、マスコミやネットを騒がし物議を醸したことも記憶に新しい。
作品の素晴らしさと、作家の人格は別であり、更に作家の遺族と出版交渉をすることは、非常な困難を伴うことがあるのが事実である。
その為だろうか?
昨今の出版不況に伴い、昭和時代の漫画史を代表する名作漫画の復刻については、現在、ごく一部の有名作家の作品を除き、大手出版社による商業出版の道は、ほぼ閉ざされた状態が続いている。
在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、現状を憂い続けていました。
国会図書館や、膨大な蔵書量を誇る関西・関東にある有名マンガ図書館に比較すると、一個人の蔵書数二万冊というのは、蟷螂の斧のごとくあまりにも儚い僅かばかりの蔵書量に過ぎないのかも知れません。
けれども、日本の昭和の漫画史を代表する名作アーカイブの確立、復刻事業の礎となるために、粉骨砕身精一杯努力し、頑張っていきたいと常日頃から考え続けていました。
昨年の秋口、私は大日本印刷の電子書籍に対する真摯な姿勢に共感し、微力ながらも株式会社パインウッドカンパニーを通じて、慎重に作品の検討、選択をし、統一定価525円にて、2013年1月28日より一足早く次の作品の復刻、電子書籍化出来たことを正式に発表します。
配信対象の五作品※()内は連載年。
上田トシコ「フイチンさん1」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん2」(1957~1962年)
上田トシコ「フイチンさん3」(1957~1962年)
上田トシコ「ぼんこちゃん」(1955~1962年)
上田トシコ「お初ちゃん」(1958~1969年)
以下、続々と電子書籍化予定です。
田河水泡・のらくろ館特別展
「永遠の少女マンガ展」
会期:2013年1月19日(土)~2月11日(月・祝)※1月21日(月)2月4日(月)は休館
時間:午前9時~午後9時
会場:森下文化センター一階展示ロビー【入場無料】
東京都江東区森下3ー12ー17
TEL03(5600)8666
主催:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団
江東区森下文化センター
■原画'(ダッシュ)
出展作家
松本かつち゛、上田としこ、わたなべまさこ、今村洋子、高橋真琴、巴里夫、水野英子、牧美也子、あすなひろし、北島洋子、上原きみ子、竹宮惠子、佐藤史生、花郁悠紀子
■三原順原画展示
■編集者・小長井信昌の仕事
小長井さんが、長年、編集者・編集長として関わってきた美内すずえさん、和田慎二さん、成田美名子さんのカラー原画や作品等も展示します。
■田河水泡と弟子たち
「のらくろ」の作者として有名な田河水泡は、戦前、『少女倶楽部』でも作品を発表しています。
本展では、水泡の作品を展示するとともに、弟子である、長谷川町子さん、倉金章介さん、永田竹丸さん、山根赤鬼さん、山根青鬼さんたちの少女マンガ作品を紹介します。
■おことわり
株式会社パインウッドカンパニーでは現在、昭和を代表する少女マンガのアーカイブ化事業に取り組んで来ました。
先ずは上田トシコ先生の代表作【フイチンさん】【お初ちゃん】【ぼんこちゃん】の三作品をコミックパークからオンデマンドで販売。
大好評につき、三作品全てを電子書籍化し、2013年1月28日より定価525円にて販売を開始致しましたので、併せて購入を御検討いただけましたら幸いです。
また、少女まんが史を理解する上において、私は二上洋一先生が残された【少女まんがの系譜】(ぺんぎん書房)の入手をお薦めしたい。
発売後、直ぐに出版社が倒産の憂き目に遇ってしまいましたが、二上洋一先生こと、集英社の名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する深い愛情が伝わってくる一冊です。
「西の新井善久(講談社)、東の山本順也(小学館)」と云われる少女まんがの名編集者の歴史において、第三の男とも言うべき集英社を代表する少女まんがの名編集者であった倉持功さんの少女まんがに対する考え方が理解出来る一級品の資料です。
今日的少女まんが史研究の視点からすると、別人の手による巻末のデータベースの不備、未成熟度は、その時代における少女まんが史研究最前線の遅れを顕著に示しています。
米澤嘉博さん亡き後の、正当な少女まんが史研究家の長き不在。
私共、株式会社パインウッドカンパニーでは、これからも絶版のため、長らく入手困難だった昭和の少女マンガ史を代表する名作群の電子書籍化に取り組んでまいります。
少女マンガ史を代表する名作群を、実際に読みこむことによって、一日も早い実証的な少女まんが史研究家の登場が待ち望まれます。
以下の文章は、今年の二上洋一先生の命日に際しての私の思いを再録しましたので、参考までに。
2009年1月16日、私が大変お世話になった二上洋一先生が亡くなられた。享年71歳。
鮎川哲也監修、芦辺拓編【少年探偵王】(2002年・光文社)の目次をみると、はじめに 芦辺拓、秋山憲司「回想の乱歩・洋一郎・峯太郎」、二上洋一「吸血魔」解説、山前譲 鮎川哲也氏の年少者向け推理小説、本間正幸「ビリーパック」解説、解説 僕らも少年探偵団!
とある。
私と二上先生の名前が一緒に出てくる最初の本だ。
【少年画報大全】(2001年・少年画報社)監修後、当時フリーの編集者だった中野晴行さんの紹介により、芦辺拓先生と御逢いできた私は、芦辺先生の依頼により、光栄にも漫画【ビリーパック】の解説者に大抜擢してもらった。
その後、【少年画報大全】監修の実績により、弥生美術館の日本出版美術研究会へ学芸員以外の研究者では、最年少で私の入会が認められ、会合の時に長老格の二上先生に初めて御逢いすることが出来た。
二上先生は、当時出版関係者の間でのみ高い評価を受けていた【少年画報大全】を発売と同時に購入していただいていた。
そして、親子ほど年の離れた漫画史研究家として、まだメジャーデビューしたての私の才能を、いち早く見極めてくれていた。(実際、二上先生は私の亡き父より一歳年下だったので、酒好きの父が生きていたなら二上先生と同じくらいの年頃になるんだろうな。)
プロの評論家として活動するには、文章が下手だが、新たな分野のパイオニアとなる漫画史の研究者としての才能なら突出していることを見抜いてくれていたのだ。
そして、現在の一億総評論家時代の到来に伴い評論家の肩書きや、大学教授、大学講師の地位待遇が今のように凋落してこそ初めて、在野にいる数少ない漫画史研究家としての私の稀少価値が認められるようになり、活躍する場も増える筈だが、その時が訪れるまではまだまだ時間が掛かることも予見されていた。
私は、二上先生から将来、漫画史研究家のパイオニアとして活動するための覚悟や心構え、人としてのあり方を学ぶようになり、少年小説研究について師事するのだが、師事した矢先に二上先生は急逝されてしまった。
だが、私の手元には、二上先生の残された著書がある。
スタッフとして関わられた【少年小説大系】の膨大な作品群(昨年やっと全巻購入出来た)がある。
私は、二上先生から直接、少年小説大系に懸けた情熱を何度も何度も繰り返し聞くことが出来た。
後は、私自身の才能と努力の問題である。
街頭紙芝居の研究や、無声映画時代の映画やアニメーションについては、マツダ映画社に、我が師匠である故・松田春翠先生が終生情熱を持って集められた膨大なフィルムが残されているので、毎月の無声映画鑑賞会に参加して、私は自分の才能と、独自の視点を持って研究を進めればよい。
漫画史研究家である私が、師事し最も影響を受けた人物は、マツダ映画社を創立し今日まで残る無声映画の発展普及に尽力し続けた故・松田春翠先生と、少年小説大系編纂に関わった故・二上洋一先生の二人である。
さて、昨晩は、江東区森下文化センターで、辻真先先生と唐沢俊一さんの対談を聴くことが出来た。
詳細は、又、後程。
大雪の日の出来事。
東京、横浜在住の新成人の皆さんは、成人式に参加されたでしょうか?
私が新成人の頃の横浜では、成人式に参加するのは、あまりお洒落ではないという考えが一部に根強くあり、私は参加しませんでした。
そのことが、今になって考えると高校時代の悪縁を全て断ち切ることに繋がり、その後の幸せな人生へのステップアップに繋がった気がします。
さて、大好評のうちに終了した第六回江東シネマフェスティバル。
12日(土)
13:00~【憧れのハワイ航路】
15:40~【川の底からこんにちは】
13日(日)
10:00~【運が良けりゃ】
13:30~無声映画特集 弁士・楽団(カラード・モノトーン)付フィルム上映
【争闘阿修羅街】弁士・松田貴久子
【雄呂血】弁士・澤登 翠
16:50~【お早よう】
14日(月・祝)
10:00~【ゴジラ】フィルム上映
13:30~【愛妻物語】フィルム上映
16:20~【晩春】フィルム上映
私は、3日間通し券を購入していたので、日曜日の朝【おしん】の再放送を観て、午後の無声映画特集から、3日目は朝から終日会場におりました。
無声映画特集には、脚本家の石森史郎先生夫妻が観にいらっしゃったので、新年の御挨拶。
今回の目玉は、何といっても【ゴジラ】のスクリーン上映とトークイベント。
前売りは完売で、会場も大雪なのに満員状態。
上映後のトークイベントは、「ゴジラ誕生秘話」で、俳優の宝田明さんと、本多猪四郎監督の長男、本多隆司さんが登場で満員の会場は大盛り上がり。
幾つも取材カメラがあるだけでなく、マスコミだけでなく観客も撮影OKのフォトセッションタイムがあり、ビックリ!
更に宝田さんは、会場にいるファンの希望者まで壇上に登壇OKの記念写真タイムを作ってくれたのだからそのお人柄に感心してしまいました。
その後、【ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒沢明の友情】本多きみ 著、取材・構成・文 西田みゆき(宝島社)定価1300円+税に、希望者は、本多隆司さんのサインを入れて貰える販売タイムがあり、私も勿論購入してサインを入れてもらいました。
その際、先日のNHKBSの番組で放映されたラストに、本多監督の生まれ故郷が、私の父の故郷である庄内地方鶴岡市にある地元の有名なお寺であり、少年時代に私は家族と一緒にそのお寺にお参りしたことがあるので、訊ねてみたらドンピシャリ。
せっかくの機会なので私が漫画やアニメ、特撮や映画を研究していること、父の実家が庄内鶴岡にある本間家の中でも指折りの旧家であり、庄内地方に将来漫画やアニメ、映画に関する総合的な観光施設を作ることが出来たらいいなと考えていることなど、簡単に自己紹介することが出来ました。
同行されていた株式会社本多フィルムの副社長からは名刺をいただき、やはり庄内地方に本多監督の記念館が出来たらいいのにと、話題になりました。
本多猪四郎監督と私の間には、不思議な縁があるようなので、これを機会に父の故郷出身の偉大な先人である本多監督の作品とその生涯についても今後はより一層研究を深めていきたいと考えています。
また、この三連休には漫画やアニメ、特撮や映画に関する様々なイベントが開催されていたようです。
各々のイベントにおいて、各々のイベントに関係する人達や、興味がある人達が集まる訳ですが、正に類は友を呼び朱に交われば赤くなるといいますが、まさにその通りだったのではないでしょうか?
マンガ評論家でなく漫画史研究家として活動を続ける私の場合、大正・昭和時代の漫画を中心とした映画やテレビ、アニメ、特撮、街頭紙芝居、絵物語、少年小説、挿絵など研究対象となる範囲が広く、交流する人々も多くなります。
漫画や映画などジャンルが異なるイベントが同じ日に重なることが日常茶飯事となるため、より良い縁である所に顔を出すように心掛けています。
不思議と良い縁のイベントに集まる人達は、良い人達が多いため居心地が良く段々と栄えてくるようになります。
ところが、栄枯盛衰とは大変不思議なもので、悪い人達が集まる縁やイベントには、内容はどうあれ、段々と人が集まらなくなってくるのですから驚くばかりです。
私のブログは、私と縁のある良い人達やイベントを中心に紹介しています。
かつて、私と縁があった人達や団体で、現在、私のブログで話題となったり、登場してこないものの殆んどは、私にとって悪縁と思われるから、敢えて話題から避けてます。
その人物が亡くなり、その人物と関係する著作権上、大問題がある書籍を数年前に出版した出版社が、その問題ある書籍を出版した後、大手からの資本提携を解除された上、再度別の問題を起こし、出版した本の回収騒ぎの後、昨年末にあえなく倒産。
三連休中に行われた追悼イベントは、大雪のため人が集まらなかったようなのに、世間的には肩書きのある著名人の関係者二人が「たくさんの人に集まっていただき」とTwitterし、人柄の良い善良な関係者の一人が、「最悪、スタッフだけのイベントになるかと思われたが、こじんまりとした集まりぐらいの人が来てくれたので良かった」と、同じくTwitter上で呟く別の関係者の矛盾に、故人と関わりの強い関係者三人の人間性まであからさまに露呈してしまったようです。
内容に自信さえあれば、イベントに人が集まっていなくても、たくさんの人が来たような嘘をつく必要はないと私は思うのですが・・・。
亡くなってからも、肩書きだけ立派な故人の悪い人間性が、(私は、漫画史研究家として、この人物の生き方や人柄を反面教師として肝に刻んでいる)謀らずも関係者によって鮮やかに受け継がれている負の遺産を垣間見た瞬間でした。
全ては因果応報であり、自業自得。
改心しない限りこれからも悪縁や、負の遺産は、故人の関係者の手により受け継がれていくことでしょう。
虚しくはないのかな?(笑)
さて、私は今、アニメと映画、漫画史を皆で語れるオフ会の設立を考えています。
題して【アニメと映画、マンガ史研究会】(笑)。
参加資格は、アニメor映画orマンガが好きな人。
私がブログなどで紹介するアニメ、映画、マンガが好きだというのなら、誰でも参加OK。
イベントの前後、会場などで御会いしましょう。
入会希望者は、会場で一声かけて下さいね。
会員証は【少年画報大全】ということでよろしく。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
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漫画史研究家 本間正幸
今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!
先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を紹介させて貰いましたが、鈴木伸一館長とは、毎年、東京国際アニメフェアの功労賞でのパーティ会場や、手塚治虫文化賞で御一緒させていただいております。
次の年賀状は、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのもの。
2013年は【リボンの騎士】連載60周年。
【鉄腕アトム】放送50周年。
【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。
【リボンの騎士】は、虫プロのテレビアニメの再放送から、音楽、漫画と全て私好み。
【鉄腕アトム】は、漫画からリバイバルのカラー放送を見て。
【ブラック・ジャック】は、『週刊少年チャンピオン』の連載時からリアルタイムで、初出のカラー扉も楽しむことが出来ました。
「沈む女」の二色ページは美しく、ストーリーはあまりにも物悲し過ぎて・・・。
手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きで、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。
漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。
今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く
と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。
漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。