少年少女のために、大人が心からの愛情と良識を持って雑誌が作られていた昭和時代が、今も私は好きだ。
「漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
『漫画少年』は、
子供の心を明るく楽しくする本である『漫画少年』には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ
『漫画少年』を読んで清く明るく正しく伸びよ!!
創刊のことば
加藤謙一
(昭和23年1月号)」
今日の画像は、あの伝説の【漫画少年】昭和29年(1954年)お正月オール漫画特大号に掲載された井上一雄先生の不朽の名作【バット君】のラストシーンと「漫画少年」史(1981年)と、【バット君】が収録された筑摩書房の少年漫画劇場(1971年)と、湘南出版社から発行された復刻本(1981年)。
【漫画少年】発行元の出版社である学童社は、今はもう存在してないので、この幻の雑誌を私が手に入れて実物を眼にするまでには、小学生の頃から25年近くの歳月がかかってしまったので、おじさんになってしまっていた。(涙)
なので、少年時代の思い入れとの再会は、「今月のよびもの 井上一雄先生の友情漫画 バット君とハヤちゃん」80頁(2色16P+1色64P)の特集が、一番強かった。
松田哲夫さんが編集を担当した筑摩書房の【少年漫画劇場】の中に収録されていた【バット君】は、私の少年時代のお気に入り作品の一つなのだが、どうやらこの特集を再編集、再構成して収録したのではないだろうか。
オリジナルの単行本も、当時連載中であった掲載誌【漫画少年】も、希少本なのに購入希望者が多いため、古書価格が異常に高騰し、高額のため一介の漫画史研究家では、実物を中々手に入れることは出来なかった。
一度別冊付録(昭和26年正月号)にもなっており、表紙の無い状態が悪い物ではあったが、縁あって一昨年実物を入手することが出来た。(*´∀`)♪
今日5月3日は1949年に急逝された井上一雄先生の命日なので、少年の日に読んで以来30年以上を経て全話を読み返してみた。
上田トシコ先生の【フイチンさん】に続き、井上一雄先生の【バット君】を満を持して電子書籍化する際の解説執筆のためだ。(*´∀`)♪
さて、私が所蔵している『漫画少年』は、表紙周りが痛み、裏表紙が欠損していたため、格安の数万円(涙)で入手することが出来たのだが、状態が美本なら、以前なら10万円前後はしていたはず。
内容は勿論、大満足過ぎる充実ぶり。
巻頭カラーページ特集「年賀状まんが読者のみなさんへ」では、漫画家の先生方(一頁に二人ずつ田河水泡、島田啓三、芳賀まさお、沢井一三郎、手塚治虫、福井英一、うしおそうじ、馬場のぼる、古沢日出夫、茨木啓一、田中正雄、木下としお、瀬越憲、最終ページのみ四人、寺田ヒロオ、坂本三郎、山根青鬼、山根赤鬼)から読者の子供たちへの年賀状が紹介されています。
現在【漫画少年】(学童社)は、蔵書として私の手元に七冊ある。
評論家や、マンガ図書館ならともかく、漫画史研究家として多いのか?
少ないのか?
トキワ荘のテラさんとして手塚治虫先生始め、後輩となる漫画家の藤子不二雄@先生、F先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、鈴木伸一先生たちから慕われた漫画家の寺田ヒロオ先生は、編著した「漫画少年」史(湘南出版社・1981年)のあとがきにて
「この本は『漫画少年』の資料です。
復刻本ではありません。
休刊後二十五年たった『漫画少年』が、散逸消滅するのを防ぎたい一心で、緊急に企画刊行いたしましたので、不備な点も多く、読者のご不満も強いことでしょう。
しかしこの本が出ることで、この「戦後最高の児童文化財」が再認識され、その保存保護が、真剣に考慮されると思います。
またこの本が呼び水となり、もっと豊富でもっと正確な『漫画少年』関連図書が続刊され、復刻のみか、復刊の動きさえ起こるかもしれません。
だが、私の真の期待は、若者の「温故知新」です。
「昔は良い本があった」
「今はどうだ」
「私達の手で“漫少”を越えるものをつくろう」
そういう声が強く高く上り、近い将来、開花結実することを、心から祈ります。」
とありました
『「漫画つうしんぼ」前後』
と書かれた文章の中には、次のような記述があり、少年時代の私を評論家ではなくコレクターへと導きます。
「ところが、天の啓示か魔がさしたか、日本の雑誌ならすべて揃っていると信じていた国会図書館に、至宝『漫画少年』が三冊きり、と聞かされて飛び上り、
「マンガショウネン」
「マンガショウネン」
と、わめきだした。
「漫画少年が消えてしまう」
「漫画少年を無くしちゃいけない」
寺田ヒロオ先生の思いに、遅れてきた漫画少年である少年時代の私は共感したのです。
そして、「漫画少年」史を手本に【少年画報大全】のコンセプトを作り監修、発売します。
映画や漫画、アニメに特撮、絵物語に少年小説、街頭紙芝居に音楽といった、大正・昭和時代の大衆文化に対する考え方は、在野にいる数少ない漫画史研究家である私と、評論家や、現在あるマンガ関連施設の殆んどと、考え方の根本部分が異なるようで、私の元へ展示資料に関する協力要請が来ることはありません。
逓信総合博物館や、山本有三記念館、弥生美術館など、マンガ専門でない広い視野を持った施設の総合的な学芸員の資格を有する人達からしか協力依頼が来ません。
facebookや、Twitterをみると、交流する人達の違いからその世界観の違いも判ってきますが、年賀状に関しても同じことがいえるようです。
評論家でない私の所には、ファンであり私の好きな名作を書かれている漫画家の先生方へ出した年賀状の返事がたくさん届きます。
何とも不思議な現象ですね。(*´∀`)♪
今年は、私が所蔵する少しレアな戦後の少年雑誌たちを紹介していきます。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com
漫画史研究家 本間正幸
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
実証的な資料を踏まえて、これからも引き続き最良の底本を元に電子書籍による昭和時代の名作漫画アーカイブの構築を独自の視点で進めていきたいと考えています。
それが漫画コレクターであり、漫画史研究家、漫画出版プロデューサーを兼ねる私に出来る唯一のことなのですから。
「漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
『漫画少年』は、
子供の心を明るく楽しくする本である『漫画少年』には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ
『漫画少年』を読んで清く明るく正しく伸びよ!!
創刊のことば
加藤謙一
(昭和23年1月号)」
今日の画像は、あの伝説の【漫画少年】昭和29年(1954年)お正月オール漫画特大号に掲載された井上一雄先生の不朽の名作【バット君】のラストシーンと「漫画少年」史(1981年)と、【バット君】が収録された筑摩書房の少年漫画劇場(1971年)と、湘南出版社から発行された復刻本(1981年)。
【漫画少年】発行元の出版社である学童社は、今はもう存在してないので、この幻の雑誌を私が手に入れて実物を眼にするまでには、小学生の頃から25年近くの歳月がかかってしまったので、おじさんになってしまっていた。(涙)
なので、少年時代の思い入れとの再会は、「今月のよびもの 井上一雄先生の友情漫画 バット君とハヤちゃん」80頁(2色16P+1色64P)の特集が、一番強かった。
松田哲夫さんが編集を担当した筑摩書房の【少年漫画劇場】の中に収録されていた【バット君】は、私の少年時代のお気に入り作品の一つなのだが、どうやらこの特集を再編集、再構成して収録したのではないだろうか。
オリジナルの単行本も、当時連載中であった掲載誌【漫画少年】も、希少本なのに購入希望者が多いため、古書価格が異常に高騰し、高額のため一介の漫画史研究家では、実物を中々手に入れることは出来なかった。
一度別冊付録(昭和26年正月号)にもなっており、表紙の無い状態が悪い物ではあったが、縁あって一昨年実物を入手することが出来た。(*´∀`)♪
今日5月3日は1949年に急逝された井上一雄先生の命日なので、少年の日に読んで以来30年以上を経て全話を読み返してみた。
上田トシコ先生の【フイチンさん】に続き、井上一雄先生の【バット君】を満を持して電子書籍化する際の解説執筆のためだ。(*´∀`)♪
さて、私が所蔵している『漫画少年』は、表紙周りが痛み、裏表紙が欠損していたため、格安の数万円(涙)で入手することが出来たのだが、状態が美本なら、以前なら10万円前後はしていたはず。
内容は勿論、大満足過ぎる充実ぶり。
巻頭カラーページ特集「年賀状まんが読者のみなさんへ」では、漫画家の先生方(一頁に二人ずつ田河水泡、島田啓三、芳賀まさお、沢井一三郎、手塚治虫、福井英一、うしおそうじ、馬場のぼる、古沢日出夫、茨木啓一、田中正雄、木下としお、瀬越憲、最終ページのみ四人、寺田ヒロオ、坂本三郎、山根青鬼、山根赤鬼)から読者の子供たちへの年賀状が紹介されています。
現在【漫画少年】(学童社)は、蔵書として私の手元に七冊ある。
評論家や、マンガ図書館ならともかく、漫画史研究家として多いのか?
少ないのか?
トキワ荘のテラさんとして手塚治虫先生始め、後輩となる漫画家の藤子不二雄@先生、F先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、鈴木伸一先生たちから慕われた漫画家の寺田ヒロオ先生は、編著した「漫画少年」史(湘南出版社・1981年)のあとがきにて
「この本は『漫画少年』の資料です。
復刻本ではありません。
休刊後二十五年たった『漫画少年』が、散逸消滅するのを防ぎたい一心で、緊急に企画刊行いたしましたので、不備な点も多く、読者のご不満も強いことでしょう。
しかしこの本が出ることで、この「戦後最高の児童文化財」が再認識され、その保存保護が、真剣に考慮されると思います。
またこの本が呼び水となり、もっと豊富でもっと正確な『漫画少年』関連図書が続刊され、復刻のみか、復刊の動きさえ起こるかもしれません。
だが、私の真の期待は、若者の「温故知新」です。
「昔は良い本があった」
「今はどうだ」
「私達の手で“漫少”を越えるものをつくろう」
そういう声が強く高く上り、近い将来、開花結実することを、心から祈ります。」
とありました
『「漫画つうしんぼ」前後』
と書かれた文章の中には、次のような記述があり、少年時代の私を評論家ではなくコレクターへと導きます。
「ところが、天の啓示か魔がさしたか、日本の雑誌ならすべて揃っていると信じていた国会図書館に、至宝『漫画少年』が三冊きり、と聞かされて飛び上り、
「マンガショウネン」
「マンガショウネン」
と、わめきだした。
「漫画少年が消えてしまう」
「漫画少年を無くしちゃいけない」
寺田ヒロオ先生の思いに、遅れてきた漫画少年である少年時代の私は共感したのです。
そして、「漫画少年」史を手本に【少年画報大全】のコンセプトを作り監修、発売します。
映画や漫画、アニメに特撮、絵物語に少年小説、街頭紙芝居に音楽といった、大正・昭和時代の大衆文化に対する考え方は、在野にいる数少ない漫画史研究家である私と、評論家や、現在あるマンガ関連施設の殆んどと、考え方の根本部分が異なるようで、私の元へ展示資料に関する協力要請が来ることはありません。
逓信総合博物館や、山本有三記念館、弥生美術館など、マンガ専門でない広い視野を持った施設の総合的な学芸員の資格を有する人達からしか協力依頼が来ません。
facebookや、Twitterをみると、交流する人達の違いからその世界観の違いも判ってきますが、年賀状に関しても同じことがいえるようです。
評論家でない私の所には、ファンであり私の好きな名作を書かれている漫画家の先生方へ出した年賀状の返事がたくさん届きます。
何とも不思議な現象ですね。(*´∀`)♪
今年は、私が所蔵する少しレアな戦後の少年雑誌たちを紹介していきます。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com
漫画史研究家 本間正幸
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
実証的な資料を踏まえて、これからも引き続き最良の底本を元に電子書籍による昭和時代の名作漫画アーカイブの構築を独自の視点で進めていきたいと考えています。
それが漫画コレクターであり、漫画史研究家、漫画出版プロデューサーを兼ねる私に出来る唯一のことなのですから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます