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現在、深夜アニメーションの「おそ松さん」に続き、スカパー!「時代劇専門チャンネル」にて、「仮面の忍者 赤影」と共に「サスケ」「カムイ外伝」の再放送が大好評を博している。(^-^)
「仮面の忍者 赤影」は、東映のテレビ特撮時代劇で、漫画家の横山光輝先生の原作。
「サスケ」と「カムイ外伝」は、漫画家の白土三平先生の原作で、エイケン製作のテレビアニメーション。
共に私が子供の頃、繰り返しテレビで再放送され続けた誰もが知る名作中の名作だ。
当時、秋田書店より発売された本に「忍法十番勝負」(昭和41年10月5日初版、昭和43年12月30日16版)という新書判の漫画の単行本が有り、当時、秋田書店に繋がりのある漫画家が10人、月刊の少年雑誌『冒険王』誌上にて連作をされた。
一番勝負(堀江卓)、二番勝負(藤子不二雄)、三番勝負(松本あきら)、四番勝負(古城武司)、五番勝負(桑田次郎)、六番勝負(一峰大二)、七番勝負(白土三平)、八番勝負(小沢さとる)、九番勝負(石森章太郎)、十番勝負(横山光輝)。
一冊で十人の作家の作風が楽しめるとあって、私はこの本が大のお気に入りだった。
私の世代では、横山光輝、白土三平の忍者漫画は知っていても、他の漫画家の忍者漫画は、リアルタイムでは知らない。
堀江卓、古城武司、一峰大二、小沢さとるは、当時、正直いって既に知らない漫画家になっていた。
後に桑田次郎先生、藤子不二雄先生、堀江卓先生に「少年画報大全」にて、インタビューをする運命で、松本あきらこと、松本零士先生や、桑田次郎先生、藤子不二雄先生に、何度も御逢いできることになると、当時の私に教えてあげたら、小学生の私は信じてくれるだろうか?(^-^)
横浜で生まれ育った私は、小学生の頃、「仮面の忍者 赤影」をプロデュースされた東映の名プロデューサー、平山亨プロデューサーを大泉学園にある撮影所まで訪ねている。(^-^)
そして、「サスケ」「カムイ外伝」をプロデュースしたエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安プロデューサーが、私が経営する池袋の漫画喫茶メトロポリス(1997年9月~1999年9月)に、「宇宙少年ソラン」ファンの方と一緒に訪ねて来てくれたことがある。(^-^)
そして、東映の平山亨プロデューサーも、「悪魔くん」「河童の三平 妖怪大作戦」の本を作る為、来店されたのだ。
「仮面の忍者 赤影」で、青影役を演じた金子吉延さんは「河童の三平 妖怪大作戦」で、主役の河原三平を演じ、白影役を演じられた牧 冬吉さんは、甲羅の六兵衛を演じられている。
その関係で、金子吉延さんも、メトロポリスに来店され、「河童の三平 妖怪大作戦」を見直しながら、当時の思い出を語ってくれたのだ。
日本では、悲しいことに今まで漫画を原作とした特撮作品や、アニメーション作品について、総合的に研究する研究者が存在しなかった。
漫画の評論家達は、漫画のみ、特撮や、アニメーションの研究者達は特撮や、アニメーションのみ、そんな時代遅れの研究者ばかりが幅を利かせて来た。
私は、「ワイルド7」望月三起也先生の突然の訃報を知り、望月三起也先生全作品の見直しと、エイケンの幻のアニメーション企画「ケネディ騎士団(ナイツ)」の存在を思い出す。
「ケネディ騎士団(ナイツ)」を企画したエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安さんの著書が、今週の金曜日、4/15に、ぶんか社より発売される。
望月三起也先生の師匠となる吉田竜夫先生と、吉田竜夫先生が設立したタツノコプロ作品の数々。
漫画を中心に、映画、音楽と、昭和時代を総合的に研究している私にとって、Twitter、ブログ、Facebookと、近年急速に発達を続けているSNSの存在により、本物と偽物、本当の人間関係、因果関係を見極めることが容易になったのが便利だ。
虫の知らせだろうか?先年(2015年4/7~6/16)、長らく見のがしていた望月三起也先生原作のテレビアニメーション「マシンハヤブサ」(全21話)が、スカパー!「東映チャンネル」で放送されていたものをBlu-rayに録画成功。
瑛太さん主演の映画「ワイルド7」は勿論、小野進也さん主演のテレビドラマ「ワイルド7」も、スカパー!で放送された物をBlu-rayにコンプリート済み。
主演された小野進也さんとは、昨年、知り合いのジャニーズのグループANHKのボーカルだった東真司監督の三軒茶屋のライブで正式に紹介してもらっており、Facebookでは、東真司監督共々私のFacebookfriendとして承認してもらっている。
ライフスタイルの変化により、映像の収集、保存が簡単になったことが有難い。
映像のアーカイブが格段に進化したのに比べて、マンガのアーカイブの進化はどうなっているのだろう?
2001年、私が監修させてもらった「少年画報大全」(少年画報社)にて、『少年画報』に連載された望月三起也先生の全作品のカラーページでの紹介と、インタビュー記事を載せさせてもらっている。
その前に、私が池袋でマンガ喫茶メトロポリスを経営していた際(1997~1999)、取材をしてもらったことをきっかけに、編集にほんのチョッピリ協力させてもらったマンガ情報誌に、『Comnavi』(全研本社)がある。
毎回、漫画家界の巨星達が自らを語るインタビューと、作品リスト&作品解説があり、松本零士、さいとう・たかを、ちばてつや、赤塚不二夫、望月三起也、石ノ森章太郎、小池一夫、永井豪、横山光輝、手塚治虫の昭和を代表する10人の天才漫画家の軌跡が紹介された。
それまでの記憶が頼りのマンガ評論家達の本がほとんど売れず、アーカイブとデータ、漫画家さん本人のインタビューを中心とした学術的な手法に、マンガ評論の世界も進化、発展する未来が私には簡単に予想出来た。
その時は、丁度テレビ東京の「TVチャンピオン少年マンガ王選手権」第四回に出場し、第五回、第六回は番組の製作ブレーンとして参加させてもらう。
さて、私が「少年画報大全」を監修してから以降のマンガ評論家達の書籍で、望月三起也先生作品をきちん読み込み、紹介出来ている本があるだろうか?
ファンの方たちが中心となって運営されている公式サイト「月刊望月三起也」が、マンガ評論家達の本より、望月三起也先生作品の本質を正しく伝えられており、大変参考になったので、ブックマークさせてもらっている。
今回、映像に比べ、マンガのアーカイブや、研究手法が、マンガ評論家達の手により、2001年以降すっかり退化してしまっていることを痛感し、再度、ブログ記事更新の必要性と、日本の漫画を中心に、アニメーション、特撮、映画、音楽を社会学視点から、総合的に研究する日本初の漫画総合研究所であるメトロポリス漫画総合研究所(since1997)を主宰する矜持から、ブログ記事更新を再開することを報告致します。
以下、今朝の記事を再録。
「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。
葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。
しのぶ会を後日開くとのこと。
1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。
1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。
1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。
代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。
医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。
余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)
医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。
いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。
望月三起也先生、素晴らしい作品の数々、本当に有り難うございました。
先生の素晴らしい作品のアーカイブは、ファンの皆さんの手で、後世に伝えられていくと思いますので、安心しておやすみください。
合掌。
漫画史研究家&映画史研究家
本間正幸
「仮面の忍者 赤影」は、東映のテレビ特撮時代劇で、漫画家の横山光輝先生の原作。
「サスケ」と「カムイ外伝」は、漫画家の白土三平先生の原作で、エイケン製作のテレビアニメーション。
共に私が子供の頃、繰り返しテレビで再放送され続けた誰もが知る名作中の名作だ。
当時、秋田書店より発売された本に「忍法十番勝負」(昭和41年10月5日初版、昭和43年12月30日16版)という新書判の漫画の単行本が有り、当時、秋田書店に繋がりのある漫画家が10人、月刊の少年雑誌『冒険王』誌上にて連作をされた。
一番勝負(堀江卓)、二番勝負(藤子不二雄)、三番勝負(松本あきら)、四番勝負(古城武司)、五番勝負(桑田次郎)、六番勝負(一峰大二)、七番勝負(白土三平)、八番勝負(小沢さとる)、九番勝負(石森章太郎)、十番勝負(横山光輝)。
一冊で十人の作家の作風が楽しめるとあって、私はこの本が大のお気に入りだった。
私の世代では、横山光輝、白土三平の忍者漫画は知っていても、他の漫画家の忍者漫画は、リアルタイムでは知らない。
堀江卓、古城武司、一峰大二、小沢さとるは、当時、正直いって既に知らない漫画家になっていた。
後に桑田次郎先生、藤子不二雄先生、堀江卓先生に「少年画報大全」にて、インタビューをする運命で、松本あきらこと、松本零士先生や、桑田次郎先生、藤子不二雄先生に、何度も御逢いできることになると、当時の私に教えてあげたら、小学生の私は信じてくれるだろうか?(^-^)
横浜で生まれ育った私は、小学生の頃、「仮面の忍者 赤影」をプロデュースされた東映の名プロデューサー、平山亨プロデューサーを大泉学園にある撮影所まで訪ねている。(^-^)
そして、「サスケ」「カムイ外伝」をプロデュースしたエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安プロデューサーが、私が経営する池袋の漫画喫茶メトロポリス(1997年9月~1999年9月)に、「宇宙少年ソラン」ファンの方と一緒に訪ねて来てくれたことがある。(^-^)
そして、東映の平山亨プロデューサーも、「悪魔くん」「河童の三平 妖怪大作戦」の本を作る為、来店されたのだ。
「仮面の忍者 赤影」で、青影役を演じた金子吉延さんは「河童の三平 妖怪大作戦」で、主役の河原三平を演じ、白影役を演じられた牧 冬吉さんは、甲羅の六兵衛を演じられている。
その関係で、金子吉延さんも、メトロポリスに来店され、「河童の三平 妖怪大作戦」を見直しながら、当時の思い出を語ってくれたのだ。
日本では、悲しいことに今まで漫画を原作とした特撮作品や、アニメーション作品について、総合的に研究する研究者が存在しなかった。
漫画の評論家達は、漫画のみ、特撮や、アニメーションの研究者達は特撮や、アニメーションのみ、そんな時代遅れの研究者ばかりが幅を利かせて来た。
私は、「ワイルド7」望月三起也先生の突然の訃報を知り、望月三起也先生全作品の見直しと、エイケンの幻のアニメーション企画「ケネディ騎士団(ナイツ)」の存在を思い出す。
「ケネディ騎士団(ナイツ)」を企画したエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安さんの著書が、今週の金曜日、4/15に、ぶんか社より発売される。
望月三起也先生の師匠となる吉田竜夫先生と、吉田竜夫先生が設立したタツノコプロ作品の数々。
漫画を中心に、映画、音楽と、昭和時代を総合的に研究している私にとって、Twitter、ブログ、Facebookと、近年急速に発達を続けているSNSの存在により、本物と偽物、本当の人間関係、因果関係を見極めることが容易になったのが便利だ。
虫の知らせだろうか?先年(2015年4/7~6/16)、長らく見のがしていた望月三起也先生原作のテレビアニメーション「マシンハヤブサ」(全21話)が、スカパー!「東映チャンネル」で放送されていたものをBlu-rayに録画成功。
瑛太さん主演の映画「ワイルド7」は勿論、小野進也さん主演のテレビドラマ「ワイルド7」も、スカパー!で放送された物をBlu-rayにコンプリート済み。
主演された小野進也さんとは、昨年、知り合いのジャニーズのグループANHKのボーカルだった東真司監督の三軒茶屋のライブで正式に紹介してもらっており、Facebookでは、東真司監督共々私のFacebookfriendとして承認してもらっている。
ライフスタイルの変化により、映像の収集、保存が簡単になったことが有難い。
映像のアーカイブが格段に進化したのに比べて、マンガのアーカイブの進化はどうなっているのだろう?
2001年、私が監修させてもらった「少年画報大全」(少年画報社)にて、『少年画報』に連載された望月三起也先生の全作品のカラーページでの紹介と、インタビュー記事を載せさせてもらっている。
その前に、私が池袋でマンガ喫茶メトロポリスを経営していた際(1997~1999)、取材をしてもらったことをきっかけに、編集にほんのチョッピリ協力させてもらったマンガ情報誌に、『Comnavi』(全研本社)がある。
毎回、漫画家界の巨星達が自らを語るインタビューと、作品リスト&作品解説があり、松本零士、さいとう・たかを、ちばてつや、赤塚不二夫、望月三起也、石ノ森章太郎、小池一夫、永井豪、横山光輝、手塚治虫の昭和を代表する10人の天才漫画家の軌跡が紹介された。
それまでの記憶が頼りのマンガ評論家達の本がほとんど売れず、アーカイブとデータ、漫画家さん本人のインタビューを中心とした学術的な手法に、マンガ評論の世界も進化、発展する未来が私には簡単に予想出来た。
その時は、丁度テレビ東京の「TVチャンピオン少年マンガ王選手権」第四回に出場し、第五回、第六回は番組の製作ブレーンとして参加させてもらう。
さて、私が「少年画報大全」を監修してから以降のマンガ評論家達の書籍で、望月三起也先生作品をきちん読み込み、紹介出来ている本があるだろうか?
ファンの方たちが中心となって運営されている公式サイト「月刊望月三起也」が、マンガ評論家達の本より、望月三起也先生作品の本質を正しく伝えられており、大変参考になったので、ブックマークさせてもらっている。
今回、映像に比べ、マンガのアーカイブや、研究手法が、マンガ評論家達の手により、2001年以降すっかり退化してしまっていることを痛感し、再度、ブログ記事更新の必要性と、日本の漫画を中心に、アニメーション、特撮、映画、音楽を社会学視点から、総合的に研究する日本初の漫画総合研究所であるメトロポリス漫画総合研究所(since1997)を主宰する矜持から、ブログ記事更新を再開することを報告致します。
以下、今朝の記事を再録。
「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。
葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。
しのぶ会を後日開くとのこと。
1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。
1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。
1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。
代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。
医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。
余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)
医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。
いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。
望月三起也先生、素晴らしい作品の数々、本当に有り難うございました。
先生の素晴らしい作品のアーカイブは、ファンの皆さんの手で、後世に伝えられていくと思いますので、安心しておやすみください。
合掌。
漫画史研究家&映画史研究家
本間正幸
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