幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

歩きこぼし(160日目)

2022年02月19日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月19日 (土)  2/9℃  
歩きこぼしを歩く

(160日目)
江戸・歴史街道歩き旅で鹿児島・鶴丸城址、薩摩藩から徳川家康が眠る日光東照宮までの歩いた道のりを検証していたら、歩きこぼしがあることを発見😭 追加して160日目を歩く。

以下の写真は今日の京都・東寺から


初めて街道歩きをした2年前の1月、東海道五十三次は京都の三條大橋からだった そこまでは出発地の大阪・箕面から高麗橋へ そこから京街道4次を歩き着いていた
(後の東海道57次)





その年 今度は山陽・西国街道を起点地の京都・東寺の羅城門から出発し九州へ歩きだした

一昨年、1日目この東寺から歩きだした西国街道だが、九州まで果たして歩けるか不安だったことを思い出す 





発見した歩きこぼしはこの京都・三條大橋と東寺・羅城門の間が抜けているのだ😂





今まで2回バスに乗りその区間を後日に歩いたが、1回目は東海道の鈴鹿峠越えで朝からの豪雨と霧のため宿舎から鈴鹿峠山麓まで地域のコミュニティーバスに乗せてもらったが後日にしっかりと歩いた





もう一回は同じ東海道の箱根峠越えで突然の雨と風、次いでドカ雪で山道がわからなくなり遭難を覚悟した時、奇跡的に箱根峠の宿舎に着いたが、翌日の山下りは積もった雪で危険だからと宿の主人に言われ、箱根湯本まで開通したバスに乗ったが、この間も雪が解けた3日後にしっかり歩き終えた







こうして自分の足で途切れることなく日本列島を歩いてきたことを思い、わずかな区間であっても歩きこぼしはごまかせない



悪友らからは時たま、誰も見てない一人歩き旅なのでバスに乗ったりしてるんだろう🤣 とからかわれるが、この歩き旅はいつも自分との戦い もう1人の自分が空からしっかりと管理し見届けているから誤魔化すことなど考えた事は無い






と言うことで前置きが長くなったが、これも記録しておかないとすぐに忘れるからね😂

京都・東寺駅前に着き東寺へ向かう


まだ2年前のことだが、よく鹿児島から日光まで歩いたものだと自分のダックスの短い足や膝腰肩身体とさらに薄くなったハゲ頭にも触り撫でながら ありがとう と感謝した😂🤣



ここまで今日の京都・東寺の境内から

東寺を散策後、目的地の京都・三條大橋へ向かう
途中 梅小路公園を通り梅林をみる ここには京都鉄道博物館や京都水族館、野外ステージなどある広い公園だ













 
龍谷大学・大宮キャンパス前を通る


興正寺前を通る






京都は古い町並みとモダンな街が混在する




東本願寺前を通る









 
女性の厄除けの神様とか




五条大橋に着く










川端通りをすすむ


鴨川には鳥たちが憩う




鴨川の水べり刻む青春賦 












三条大橋に到着






街道筋で多くみられる高札場跡




池田屋事件の時の刀傷とされている




三条大橋の袂にある東海道中膝栗毛の弥次・喜多コンビの像
旧東海道五十三次の西の起点地だ


2年前の1月、ここから東海道五十三次の歩き旅に出発した あれから先日の鹿児島・鶴丸城址から日光東照宮までこれで途切れることなく 2.954㎞を歩いたことになり我ながら驚く 

参勤交代などで江戸から地元へ帰藩する大名行列や旅人もここで一休みし、大坂を避けて山崎街道、西国街道、山陽道を経て帰る


(160日目)
歩き残し区間は13.71km   18.308歩だった
 
これを加えたここまでの累計歩数は
2.954km 406.3万歩 となった

日本列島縦断の江戸街道歩き旅は終着地、北海道の松前藩までまだ68%の途中だが、この喜寿の放浪青春旅を楽しみたい


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江戸・西国街道歩き旅 38日目(完歩)

2021年03月10日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月9日(火)4/13℃
西国街道歩き旅(38) 完歩!

関門トンネルを経て門司・大里宿、小倉へ 
 いよいよ西国街道の歩き旅も終着に近づいてきた。
昨日歩き終えた下関から、念願の関門トンネルの人道口を入り、20分ほどで門司にでるが感無量だ😂

 門司港のレトロな雰囲気を味わいながら最後の大里宿へ向かう
やがて煉瓦のレトロな昔の街で、かつての大里宿本陣跡や長崎奉行所の番所が置かれた場所などを訪ね終着地とした。

(無事完歩でき、感謝と幸せに涙する 今日も歩いた順に写真を羅列して終える 帰ってからゆっくりと楽しみながら編集する予定)






関門トンネル人道は歩行者は無料だと


















名物と言うおでん店は開店前だった









門司港のレトロタウンへ向かう











大里宿へ入る

















終着の大里宿本陣跡で旅を終える





これより小倉・常磐橋へ向かう








ここが次の長崎街道の出発・帰着地だ
かつてシーボルト始めオランダ交易盛んな頃は長崎から江戸へ向かうルートであり、各藩大名の参勤交代でも賑わったようだ

まだ足が元気な内に、ここより長崎まで歩きたいと次の目標をもつ
かの江戸幕府の鎖国政策時代にシーボルトなどオランダ人が唯一許された長崎街道、西国街道、東海道を歩いて江戸へ向かった事を想えば、その全行程を体験して見たいものだ














  京都・羅城門を起点に西国街道を歩いて来たが38日目にして九州・大里宿に到着した。

これは1年前の3月に歩き終えた東海道(大阪・箕面から東海道57次を経て千葉・浦安まで歩いた38日間と同じで、東海道は916km.124万歩だった

今回の西国街道の累計は延べ38日間
936km.130万歩 だった。

宿の前にあった居酒屋に入り、ビールで初めて自分自身に祝杯をあげた🍺
熱い風呂に浸かり足腰を摩りながらよく歩いてくれたなー ありがとう と何度も感謝した。

 そして今こうして念願の歩き旅か放浪か自由にあるがままに自分らしく、毎日生き生きと生きがいを持って過ごせる老楽、老春が本当に幸せでありがたく、支えてくれる人たち、人生で関わってくれた一人一人を想い何度も感謝の涙を流した。

いろいろあったが幸せな人生だった
さらば!! と言いたいが、
ちゃうなー 😭😭 
もう少し放浪させてくれー 🤣🤣

コメント (8)
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江戸・西国街道歩き旅 37日目

2021年03月09日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月8日(月) 3/16℃ 
西国街道歩き旅(37)

埴生から長府、赤間、下関へ
 今日はお天気も良く快調に歩き出す。 歩く両足膝股関節と体に話しかけながら、いつもの創作ハッピーモーニング、ハッピーディを歌いながら春を歩ける幸せに 感謝😂

予定していた長府までをクリアした後、壇之浦、関門海峡、人道トンネル前から赤間神宮を経て下関まで34kmほどを歩いた お疲れさん‼️

(宿の熱いお風呂で足や体を癒し、横になったらもう眠くて心地よく、今日も編集は後日として記録用の写真だけ羅列して早く寝ることにする)
































































































旧山陽道の終着、起点地に着く




とうとう下関まで歩いてきた



西国街道の起点地は様々な説や文献もあり、東海道のようにはっきりと定まっていない。
最も多いのが今日歩き終えた赤間神宮、赤間宿だが、九州太宰府や長崎までとかの説もあるが、私は江戸幕府の公文書にあると言う九州・大里宿を終着地とする。

 したがって明日下関から関門トンネル人道トンネルを経て門司に出て大里宿を目指す。 
いよいよ終着地目前となった。
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江戸・西国街道歩き旅 36日目

2021年03月08日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月7日(日) 4/13℃ 
西国街道歩き旅(36)

厚東から厚狭、埴生へ
 昨日歩き終えた厚東(ことう)から厚狭(あさ)、埴生(はぶ)へ歩くが、地名が読めずに困った
今日も疲れて宿に入りバタンキュー

























































酒蔵が目につくなー












海が見えてきた もうすぐだ






埴生(ハブ)の町に入るとやけに爆音が響く
 後で知ったが 山陽オート(オートバイレース場)があり、公営ギャンブルにたくさんの人が集まっていた 
 自分は若い頃からギャンブルは一切しないが、この地響きするような爆音に住民の生活環境が破壊しかねないと危惧する

  

明日は長府から壇之浦、赤間宿へ向かうが、西国街道の西の起点はこの赤間宿と本にはあるが諸説あるようで、私は九州・大里(だいり)宿説をとり、明後日に関門トンネルの地下人道を歩き(当時は当然船だがね)門司へ渡り大里宿へ向かう予定

いよいよ西国街道の歩き旅も終わりに近づいてきたようだ😂😆
  
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江戸・西国街道歩き旅 35日目

2021年03月07日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月6日(土)7/16℃
西国街道歩き旅(35)

小郡、新山口から厚東(ことう)へ
 朝から小郡(おごおり)の街を歩いたが既に令和の番地がありビックリだ

 西国街道(旧山陽道)を歩くも、迷い思い込みからいつしか違う道を歩いていたりすることもあり戸惑うが、何とか一日の目的地に着く。

最近は歩く速度が早くなったのか!? 意外と早く目的地に着くのでそれから先が中途半端で困る😅
(今日も疲れバタンキューなので記録用のスマホ写真羅列のみとする)













三原屋本陣跡は銀行の植え込みの中にプレートだけが残されていて面影は全くなし








ここにもファンの山頭火の地酒醸造元があり、試飲できますとの事だが、飲めば街道で昼寝となり山頭火らしくなると思いしも、まさに放浪の廃人となりかねないのでやめた












偶然だが街道沿いにかつて憧れのキャンピングカーが置いてあった 
 このキャビンの中に寝室からキッチンまで生活用具全てが合理的に収まっている リタイア後これをマイカーで引いて日本一周をするのが夢だった 
 若い頃はアメリカ大陸横断や世界一周を夢見たが 懐かしい夢を思い出し乍らも今はこの歩き旅がベストハッピー!🤗










おいはぎ峠にその名のレストランが一軒だけぽつんとあったが急いで通り抜ける🤣



ここはかつての周防国と長門国の国境だ







旧山陽道を進む のどかで穏やか




ここで詠ったのか川沿いのお地蔵さんの中に山頭火の句があった










川向こうに地酒「男山」醸造元が見える 立ち寄ってみる




まさか貧乏神を参拝する人はいないだろうがね⁉️







珍しい水路橋をみる




今日の到着予定地 厚東(ことう)の駅は無人で淋しい 宿がないので新山口へ




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江戸・西国街道歩き旅 34日目

2021年03月06日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月5日(金)9/17℃
西国街道歩き旅(34)

防府から小郡(おごおり)、新山口へ
 昨日歩き終えた防府(ほうふ)からスタートする
昨夜からの雨が止まず、ビニールカッパをかぶるが、それでもリュックが濡れる
時折 晴れ間が見えてラッキーと思ったらまた雨で今日は終日春のお天気を体感する
(ここからまた歩いた順に写真を羅列するだけとし、詳細は帰ってからゆっくりと楽しみに編集する😆)

































































































今日は目的地の新山口に早く着いた

この四日間で着替えがなくなり、コインランドリーに行ってまとめて洗濯・乾燥したが便利なものだ。

道も迷いながらもナビがあるし、
昔の旅人を常に想い乍ら歩いているが、昨日声をかけられ話した爺さんが最後に この歩き旅は現代の究極の贅沢旅かもしれませんな と言われたが 諸々納得した。
ありがたく感謝と幸せでいっぱい😂
 
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江戸・西国街道歩き旅 33日目

2021年03月05日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月4日(木)1/15℃
西国街道歩き旅(33)

徳山、新南陽から防府へ
 昨日歩き終えた新南陽から先ずあの毛利元就が3人の息子に対して教訓状を書いたと言う栄寺をたずねる

三本の矢の話しは亡父からよく聞いたが、私も3人兄弟の長男なのでそんな話をしたのかもしれないが、それとともに先祖はその毛利元就の御殿医だったと親族からも聞き、その真偽はともかく親しみを感じていた




脇本陣としても使われた真福寺を訪ね、福川宿の痕跡を探すももうなかった






夜市川沿いを歩き、やがて海を見て集落に入る














線路脇と道路ガードのわずかな土地に野菜を植えているお婆さんを見たが危ないよ


暫くして後からカゴに買い物袋を入れた自転車のおじさんから声をかけられた 街道を歩いているんですか? どこから? どこまで? いつから・・と次々と質問が来るが、ご自分の話も含めて話が尽きない 
 私の歩くペースに合わせ自転車を並走しながらお喋りを楽しんだが、
どうもこのリュックを下げた歩き旅の服装が興味を引くようだ 
 いろいろと励まされて再出発したが、最後に歳を聞かれて喜寿だと応えると最敬礼していた 

集落を向け赤坂峠に入ると、その坂道を上るたび汗が吹き出し、途中で着替えた













山越えをして里に降りてきたら神社仏閣が多くある


















再び今度は長い椿峠を越えるが、一部国道と重なり走って抜ける
途中 周防灘を遠望する



















富海(とのみ)宿から防府へ

















防府(ほうふ)に入り、宮市本陣跡を訪ねる








ここで今日の予定は終わりだったが、ここがファンである放浪の俳人・山頭火の出身地であると思い出し探せば、防府の街あげて山頭火への待遇にこちらも嬉しくなった














全国を放浪した俳人・山頭火の本は色々と読んだが、その生まれ故郷に来ることができて感無量だ 想えばどこか似ている一面があって憧れファンになったが、
私はただの(放浪の廃人)だがね トホホ‼️

今日もよく歩いたが、両足に関節も体も元気で順調で、我が体ながら実に頼もしい限りだ  
感謝でいっぱい 幸せいっぱい
ハックション🤧😭😂🤣





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江戸・西国街道歩き旅 32日目

2021年03月04日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月3日(水)0/12℃
西国街道歩き旅(32) 

高水から呼坂宿、花岡宿、徳山へ
 今日は朝からお天気も良く、昨日の高水から順調に歩き始める。

 歩き疲れて、昨夜も半分眠りながらブログを書いていたが、歩いた写真だけでもUPしておかねば後でさっぱりわからなくなるので、今夜もメモ写真を残す。 

 今日はお天気も良く気分的に街道を一時離れ、足の赴くままに歩いてみた  
自由に自分の赴くままに行動できる事はなんといっても1番幸せなことだ 


















街道沿いのいくつかの神社仏閣を訪ねたが、高い所にお社や本殿がある所は昔から参拝は大変な事だったろう
穏やかな春の1日だ

















歴史街道を歩いて思うのは、後世の人がその歴史的事実を石碑文字の中に見る限りだが、徐々に忘れさられてしまう
















地域により歴史の残し方も様々だ


























今日は徳山を過ぎ、新南陽まで歩いたが、トクヤマの巨大な化学工場とその白煙には驚いた 
無害処理はなされていると思うが、さすがその下でマスクを外し深呼吸はできなかった










今日も順調に歩き、ホテルの熱い風呂の中で両足と体を癒した 
健康に歩けることに感謝と幸せを実感して涙する
もっとも鼻、目、くしゃみとその涙も混じっているがね トホホ😂😂

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江戸・西国街道歩き旅 31日目

2021年03月03日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月2日(火)3/15℃
西国街道歩き旅(31)

柱野から高森宿、中山峠、高水へ
 昨夜から鈍行列車で岩国に入り、前夜からの大雨が上がり、今朝は心配するほどの雨ではなかった。

 ところが前回歩いたJR岩徳(がんとく)線はその大雨の影響でダイヤが乱れ単線なので50分遅れ、無人の柱野駅に8時過ぎに着き歩き始めた。   次の電車は昼前までないとかで便が悪く、乗り遅れたらと緊張した。

 雨上がりとは言え小雨が残る街道を歩き始める。 人は見かけない。    新しい靴なので少し慣れたが、足のかかとが擦れて痛いのでケアする。





























途中でまた道を間違え、欽明峠のトンネルに入ってしまった。 すぐ出るのかと思ったら1km以上も中を歩いてすすだらけの感じ  トホホ!




 欽明寺や武田屋敷跡へ行きたく、相当街道を戻ったが、そこで車に乗った年配の方に声をかけられ、街道を歩いているんですか? と。

 そうですと言うと、それから長い時間この街道の話を詳しく教えてくれた。 
 聞けば80歳、ブログやYouTubeで発信しているとのことで名刺をいただき、少し中身を見せてもらったらとてもプロ級でびっくり‼️

80歳でお元気‼️ 
 あんたはおいくつで⁉️ 
私は喜寿ですが! 
 そんなら3つしか違わんが、ワシはこの周辺だけだが、あんたはあちこちと歩いているようで すごいわ‼️  と逆に言われたが、歴史を調べて道を調べ、本格的に旧街道を歩いてブログにUPしている人に比べれば、私は園児と同じだなと恐れ入る 


















まあでも私は私のペースで自分なりに自由に楽しんであるがままに歩けたらそれで幸せだ


















高森本陣跡に着く
















25kmを歩いた後で、難所と言われた中山峠を超えるのはしんどかった

今日も感謝と幸せの1日だった 















(風呂上がりのビールでほろ酔いの中、今日の足跡を振り返るのも楽しみの1つだが、このブログは無茶苦茶だが後でリライトする時の記憶のため羅列写真で記録する) 
終日涙目、鼻水、くしゃみ🤧に悩まされたが花粉の最盛期だもんな トホホのホ‼️
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老春の生き甲斐

2021年02月22日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月21日(日)8/23℃
老春の生き甲斐

昨日歩き終えた岩徳線柱野駅へ向かうべく時刻表を見れば、次の出発は3時間半後の昼前迄なし。

 泊まるところがない時は、近くの駅まで歩きそこから電車で宿のあるところまで行くのだが、昨日はその岩徳線の無人駅から2時間待ってやっときた電車に乗って岩国のホテルへ入ったので、今朝はまたその柱野駅からスタートする予定でいたのだが・・ 自分の段取りの悪さにまさにトホホだ😭

 3日後に人間ドックを予約しているので、ここを区切りに一旦帰阪することにして、岩国から鈍行列車で帰ることにした。

乗り換え5回、約8時間の各駅停車だが車窓から見る見覚えのある風景が随所に見られて自分の足跡を垣間見ながら帰路についた。

 今回は1週間の区切り旅だが、吹雪の大山峠越えやその後の山崩れの谷間に知らずに入り、戻るに戻れず道なき大崩落の谷間を彷徨ながらも脱出できた時の安堵の涙は忘れられない。

 青春のやり残し症候群と揶揄されながらも老春を楽しめる自由と幸せを実感する。
だが気力と体力が噛み合わず、否応なく
「ひ孫2人もいる喜寿なんだから」 と周りから言われる言葉をかみしめる事もある。

 しかし、そんな時にかかりつけの医師から「青春は年齢に関係ないんですよ」と励まされる。
私も好きなサムエル・ウルマンの「青春」の詩は「青春とは心の若さである」と強調されがちだが、私は詩の一行一行に心惹かれるが、最後に 
「頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろう人は青春にして己(や)む」 が好きだ。

2/14から2/20間の 
<西国街道歩き旅の記録>
距離 183.8 ㎞(1日平均 26.2㎞)
歩数 25.1万歩(@35.800歩)

<起点の京都・羅城門から30日目累計>
延べ距離 703.8㎞(1日平均 23.4㎞)
延べ歩数 984.188歩(@32.800歩)

終着の九州・大里宿まで後 約200㎞以上だが、これからがまた大変だが、完歩の夢があり楽しい歩き旅としたい。  
スケジュールミスで次の再開は3月になりそうだが、暑くなる前の3月以内には達成したいと期待する。

帰路、広島駅で出会ったSETO号 
鉄道も夢があって好きだ








大阪駅に到着 その人並みにびっくり



また都会の生活が始まる。



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江戸・西国街道歩き旅 30日目

2021年02月21日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月20日(土)2/20℃
西国街道歩き旅(30)

玖波宿から関戸宿、御庄宿へ
 昨日歩き終えた玖波宿からスタート。
今日は朝から暖かく、予報では日中20℃以上になるとか!?  
誂えた靴は足との見合い期間を超短期で終えて愛でたく合体⁉️ 相性が良いようだ🤣
実に順調快適に歩く。

玖波(くば)から大竹の海岸沿いを歩く

























いよいよ山口県に入る

竹の切り出し作業をしていたが、この周辺は立派な竹林が多い

何度か道を間違え、今日は峠越えにトンネル越えを4回と国道を歩いてしまった




やっと関戸宿に着く









錦帯橋に向かう












今回唯一のmyお土産、錦帯橋下の小石を拾う



御庄宿を経て玖珂(くが)本郷宿へ向かうが、日暮れとなり途中の柱野(はしらの)までとしたが、岩徳線柱野駅は無人で2時間に1本の超ローカル線で自販機一つも人影もなく参ったが、何とか今日の宿に着く🤣😂












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江戸・西国街道歩き旅 29日目

2021年02月20日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月19日(金)-1/11℃
西国街道歩き旅(29)

広島・廿日市宿から玖波宿へ
昨日歩き終えた廿日市宿から出発


















新しい靴は連日の酷使にもかかわらず徐々に両足に馴染んできた

今日の楽しみは街道を離れ、また60年前の高校の修学旅行で原爆ドームの次に訪れた厳島だ
早速 船で島へ渡り半世紀以上昔の若き記憶を辿る











厳島神社はその昔のままの佇まいを見せているが、大鳥居も五重塔も現在  大修理中









その昔の記憶を辿り高いところから見下ろした記憶を想い出し探したら ここからだと思い出した
なんと不思議なこと、昨日の夕食メニューは思い出さないのに、60年前の記憶が鮮明に蘇る  老春の宝だな🤣



しかし観光客の少なさが、厳島の活気を失わせているかのような印象だった






想い出の旅から西国街道に戻るが、瀬戸内海の穏やかな春の海に心惹かれる 





旧東海道の箱根峠で難儀した石道を思い出したが、西国街道でも随所にその面影が残されている 













昔の旅人はスマホもGPSもコンビニもない時代によくここを歩いたものだと、改めて昔の街道を想いながら玖波宿まで歩いた











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江戸・西国街道歩き旅 28日目

2021年02月19日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月18日(木)-2/4℃
西国街道歩き旅(28)

海田宿から広島宿、廿日市宿へ
 一昨日は山上の宿で温泉に浸り、昨日は俺もここで終わりかと一瞬どん底に至り、正に天国と地獄を味わい、さて今日は⁉️

 昨日は日頃使わない筋肉を使ったようで、朝からあちこちが悲鳴をあげている。
しかし基軸の両足が大丈夫だ👌 と心強い太鼓判‼️  ありがたいねぇ🤣🤣

昨夕 へたへたに辿り着いた海田宿からスタートする












そこから15kmほど歩いて原爆記念公園に着く 現在修理中の原爆ドームを見ながら、その半年前に生まれた自分の時代を想う








この折り鶴のモニュメントの前で60年前、高校の修学旅行の途中に立ち寄った学生服を着た自分の写真があり、いつか訪れたいと思っていたが今日実現した  
併せて平和の鐘を鳴らし切に平和を祈る











更に15km近く歩き廿日市宿へ向かう
















今日もよく歩いたが、宿の風呂で足と身体に声を掛け摩りつつ感謝した。

(自分の生きがい記録ブログですが、見て頂きまた心配し励ましてくださる方がいて感謝です  自分のトラウマからお返事は控えますが、いつもありがとうございます)
 
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江戸・西国街道歩き旅 27日目

2021年02月18日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月17日(水) 0/7℃
西国街道歩き旅(27)

 西条宿から海田宿へ
(危機!!)
  昨日は快適に歩きすぎて、今朝は両足ともにもう少し休ませてくれと言うので、出発を1時間ほど遅らせた。
足と気持ちが噛み合わないな😅

 今日は八本松から海田宿へ向かう。
小雪が舞う寒い朝だ🥶❄️
しかしすぐに青空が広がり、その美しさに見とれた。
しかしこれから先がまさかの事態に陥るとは想像がつかなかった。
 
 全て自分の判断ミスで自己責任そのものだが、1年前の同じ2月 東海道の箱根宿への旧街道登り道で、突然の雨と大雪で山の中で遭難するかとの体験をしたが、また同じ思いをしてしまった。

 一昨日から危険な街道情報にそれを回避して里道など回り道をしてきたが、今日は小雪程度でお天気も良く大山峠を越えようと山道に入った。

 山の途中で通行止め!? 土嚢が積んである。 しかし表示も何もなく横道から更に上に向かうが随所に土砂崩れの箇所が目立つ 引き返すがいいか?
しかしもう少し・・ が判断ミス。

 やがて山路が大きく崩落して通れない。 でももうすぐ山頂と横道から進む。
やがて山頂に着いたものの、その先は獣道のような細い下り道。 ここまできたら引き返すにも難しく前へ進む。

 下り坂は木の枝をつかみ1歩1歩と慎重に降るが、そのうち横なぐりの雪に細い獣道が探しづらくなる。

 足は急坂で滑り、慎重にもどこを歩いているのか全くわからない? もちろんGPSで調べても位置は分かっても周辺に道表示はなく全くの山の中。 引き返すにも雪と急坂に路も分からずそれも危険だ。 
どうやらどこかで道にも迷ったようだ。

 必死だが反面これも運命かと開き直り、森の中でリュックから水を取り出し飲みながら周辺の吹雪の森を見渡す。 
しかし何事も1歩を踏み出さねば始まらない。
最善を尽くしてそこで倒れても仕方ない。

 山の中を掻き分けながらも、今まで同じような箕面の奥山を何度か体験してきたので勘を働かせて下る。
何か峠道に下りた。 標識が見える。
どうやらここが本来の目的地のようで、山頂越えをしてしまったようだ。

どっちへ行ったらいいのか⁉️
ここでまた判断ミス。
目的地の海田市宿のある西へ向かう。

 再び藪漕ぎをしながら山道のはっきりしない山の中を下る。 木々をかき分けながらやっと開けたところへ出たと思ったら
オーマイガー ウソだろう⁉️

 各所から大規模な土砂崩れによる倒木だらけの視界が開けるが、もう戻ることは不可能。 雪はやみ青空となるも、このどこまで続くかわからない崩落現場を下るしかない。

 溜息の後、ここでなぜか1枚自撮りを押し、自分の笑顔の写真を1枚撮った。 
ここで最後かもしれないとの覚悟だ。

 スマホの電波が切れたら探しようもなく、勿論こんな所を歩く人もなく探す手立てもない。 一歩踏み外したら終わりだ。この大規模な崩落では人がはいるまでに何年もかかるかも⁉️

 しかし自分の信念の1つ「小さな一歩」の人生らしく歩けそうな所を探しつつ1歩1歩と道なき道の悪戦苦闘が始まる。
靴もズボンも泥だらけ。 途中雪解けの水で靴を洗うが、今回特注した防水のゴア製だけに靴下が濡れていないのが凄い。
山登りの靴でなく、ウォーキングシューズなのにしっかりと足を守ってくれる。

 途中経過は後ほどとして、夢中でかきわけ乍らも遠くで工事現場が見えた時は心底安堵。 やがて人家のある所へ降りてきたら、遠くから私を見つけたらしく家の人が声をかけてくれた。

「あんた まさか⁉️」と、山を指差す。
「ハイ 迷って・・」
「なんとなー」とびっくりするようなあきれ顔だったが、自分も無事帰還に思わず涙した。






































山を下り集落に着くと、あの山頭火が滞在したのか? 各所にいくつも句が掛けてあり、かつて憧れた放浪の俳人の歩みに不思議な想いを感じた。







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江戸・西国街道歩き旅 26日目

2021年02月17日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月16日(水)0/10℃
江戸・西国街道歩き旅(26)

 西条宿への途中から
 かなり厳しい山越との情報に躊躇し、途中で山の上の宿を取り思わぬ温泉に浸ることになり余禄を味わう。

 夕陽を眺めながら山の温泉につかる至福のひととき🤣😂
しかし夜は強い風が吹き外は嵐模様に、歩いている時でなく良かったと安堵する。

快晴の気持ちの良い朝、ルンルンで足も軽く西条宿へ向かう


















西条の酒蔵巡りに時を忘れる












西条宿(四日市宿)に着く。      
と言っても酒蔵・賀茂鶴の隣だ







マンホールも土地柄があって面白い






西条宿を経て八本松まで歩く
靴も少し馴染む




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