幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

季節と気分と音楽と

2022年04月27日 | 春・喜寿の青春賦 日記!
4月28日(木)14/26℃ 
季節と気分と音楽と

昨夜は大荒れの春の嵐だった
今は雨も上がり青空が見えている
大阪はあっという間に葉桜となり、今はツツジが花盛り

以下は千里南公園の散歩道から 
タヌキのpontaとは同腹の友


今年も多くの皆さんからブログを通じ、日本各地の桜や春の花、季節の風景を楽しませて頂いた🌸

今日も帯広白馬からの素晴らしい花見を楽しませてもらったが、改めて日本の素晴らしい四季と自然の営みに感動🍀

もうすぐ5月~ 
大正初期の5月、東京音楽学校教授だった吉丸一品信州・安曇野を訪れ、穂高の雪解けの風景に感銘を受け感動し作詞、中田章が作曲して「早春賦」が生まれたと🌱
 春は名のみの風の寒さや
 谷のうぐいす歌はおもえど
 時にあらずと声も立てず・・・


安曇野に生まれ遊んだ自分の子供時代の印象が、そのまま歌詞にあり親しんできた唄でメロデーも好きだ🌿

リチャード・クレイダーマンのピアノ、レイモン・ルフェーブル楽団で心ゆくまで聴き故郷を偲んだ



先日から連日報道されていて心を痛め、そして悲しい知床遊覧船の海難事故を想い、関係はないのだが「知床旅情」を聴いた  これはやはりしみじみと唄う森繁久彌が一番だ 
 知床岬のハマナスが咲くころ
 ・・・
聴きながら遭難者の一刻も早い発見を祈った



次いでモーツアルトの「春への憧れ」を聴く🍃
1791年にウイーンで初演された子供向け歌曲のようだが、小川のほとりにスミレが咲き乱れる5月の想いを唄ったとか



だがこれも聴きながら反面、あの無残な焼け野原となったウクライナの森や自然の光景を想い涙がこぼれた🌲
 楽しや5月 草木は萌え
 小川の岸にスミレにおう
 やさしき花を 見つついけば
 心もかろし そぞろ歩き



静かな宵に好きなル・コルビジェのLC4・シェーズロングチェアーに体を預けながら、今宵はブランデーとチーズをつまみながら至福の音楽に浸る・・・

世情を見るにつけ、何という心穏やかな至福の時間なのだろうか
改めて今のこの時間を大切にしたい



「早春賦」「知床旅情」「春への憧れ」の三曲はそれぞれが全く違う場所なのに、実はメロデーがとてもよく似ていて、今の季節感と自分の気分に合っていたので楽しめた 音楽は疲れた心を癒やしてくれる

阪急・南千里駅改札口に、今年もツバメが営巣を始めた 今年から随所に台が作られ下を歩くのにも安心だ

久しぶりに芝生広場はでいっぱい 
だがこれが当たり前の日常だったことを思う 近くの大学のサークルかな? 
開放感でいっぱいだ 
改めて春と青空に乾杯!!








天気と共に公園にキッチンカーが並ぶ

南千里駅と次の山田駅前のマンホールデザイン



これは地元大阪・吹田市のマンホールデザイン 万博の太陽の塔 


次の歩き旅の資料収集や準備に追われていたが、週末は久しぶりに春の万博公園へでかけて見るとしょう

先ほど、孫息子から3人目の曾孫が無事に誕生したとの嬉しい知らせあり😍  
我がDNAが更に未来に繋がり不思議で感慨深い 感謝😂 
しみじみと幸せ人生かみしめる


夕暮れの南千里駅前から



コメント (2)
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My 自由五七五句 ㊷ 2021~

2022年04月27日 | 頑爺のMy 川柳
My  自由五七五句  ㊷  2021~

・美術館おすまし顔の絵と対峙
・オーマイガー ムンクの叫びウクライナ
・赤提灯  大法螺吹いてピノキオだ
・ピノキオがくいだおれ前踊ってる
・寝たふりを熊はとっくにお見通し
・猫の背にネズミ遊びて悩ましき
・春が来た野山に里にクシャミ飛ぶ
・嘘つけばピノキオみたい象の鼻
・ピノキオは星に願いを流れ星
・ピノキオは猫とキツネとフラダンス

・ピノキオは何を食べるか食い倒れ
・人間になったピノキオ玉手箱
・春が来て外を伺うムジナかな
・外見れば朝だ寝坊だチンドン屋
・外の顔  家の顔とは違います
・蓑虫は外へ出ようか春の風
・外見は「女ですわ」と喉ぼとけ
・外は晴  家は嵐のど真ん中
・蚊帳の外  母娘3人笑い声
・外食は野菜サラダを付けている

・ウクライナ元はソ連だオレの国
・プーチンとレーニン魂が手を結ぶ
・プーチンは上げた拳で鳩殺す
・夜が明けた花粉も連れて春が来た
・梅の花  次は桜とハイタッチ
・明日があるでもひょっとして無いのかも
・希望持つ地球船からガスが漏れ
・石投げて広がる波紋追いかける
・日帰りの天国地獄ツアーです
・ほろ酔いに銀河鉄道  雲の上 

・濁酒にズシン大砲ぶち込まれ
・美術展  感想逆の夫婦連れ
・描けそうだ思って見たらピカソだと
・なぜ高価この絵の価値はクレイジー
・モナリザをルーブルで見た微笑んだ
・絵に迷うメトロポリタン迷路なり
・描いた絵を逆さに見れば芸術品
・アンコーは何故に旨くて怖い顔
・そう言えばサンマしばらく食べてない
・まさかだが鯛とサンマと同じ値と

・廻る寿司ネタは魚かこれなんや
・廃屋はニシン御殿のなれの果て
・水槽がいつの間にやら画像なり
・配色を熱帯魚から教えられ
・魚へん謎とかいてシーラカンス
・キッチンを磨きつ怒り抑えてる
・諦めと折り合いつけて昼行燈
・最後には花咲か爺で灰を蒔く
・詳しくはウエブを見てとはチンドン屋
・コンサート花粉ハクション止まらない

・時は金  今じゃ蔵建つ小金持ち
・不合格だったからこそバネが効く
・願いごと多すぎたかな流れ星
・急行が来たけど鈍行に乗っていく
・句が出来た紙にペンなし記憶呆け
・蜂と嗅ぐ麗し香り藤の花
・夜手紙  朝に見直し全てボツ
・太陽に背を向け過去は全て種
・陽を仰ぎ土と種あり水もある
・悔いはなし生まれた時も丸裸

・天国は感謝幸せ今にあり
・野ブドウを口にほおばりお化け顔
・乗ってけと言われ謝る歩き旅
・野の花に憩い癒されつつ逃げる
・乗り鉄が撮り鉄しかる線路ぎわ
・飲兵衛が桜の下で泣きじょうご
・ノックさん今の大阪どうでっか


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My 自由五七五句 ㊵ 2021~

2022年04月27日 | 頑爺のMy 川柳
My  自由五七五句 ㊵ 2021~

・マツタケや口に入るはいつのこと
・マツタケや匂いだけとは殺生な
・いけずな娘  虫が好かんとそっぽ向く
・我が娘  箱に入れたら虫ついた
・虫でたとキャーキャー騒ぐ可愛い娘
・秋空を見上げながらも腰伸ばす
・聞こえない笑顔で頷き全て丸
・バースデーカードで歳を知らされる
・喜寿祝い丸いケーキに灯が八つ
・メールにてポスト不要の手紙かな

・ラヴレター青春の門赤ポスト
・草笛を吹きつ歌いつ手をつなぐ
・ピアノ弾くネコ踏んじゃったしか知らぬ
・アナログ派  街道歩き国を知る
・ささやかな祝い酒盛り虎になり
・猿山のボスの仕草に威厳あり
・タヌキ腹見ては食事も八分目
・ただいまと言ってみたとてコダマなし
・先ず一歩踏み出し転ぶ歩き旅
・同窓会お前いくつと真面目顔

・我が城は畳6枚全てなり
・城巡り戦国時代目に浮かぶ
・急な雨もらったチラシ傘代わり
・間の悪い苦手な人と鉢合わせ
・まあいいさ何とかなるよケセラセラ
・呆け薬老いらくの恋効くという
・処方箋  貰ったとたん胃が治る
・老い楽の生きがい日記白いまま
・持ち物に落とし忘れぬ紐つけて
・酒飲めばいつのまにやら雲の上

・赤ちゃんはお乳をつかみゴクゴクと
・無になれと言われそのまま夢の中
・難しい読めない漢字スマホみる
・虫干しに出されたまんま放っとかれ
・無駄骨を放置してたら達磨さん
・新年の誓いの言葉いまいずこ
・喜寿が来て年賀状少おし増えた
・しっかりとしてるつもりで道迷う
・しがらみを捨てた後から糸ほどけ
・今いずこあの人紅白でてなんだ

・今一度ピンピンコロリで頼んます
・距離をとり影を踏まずに生きてます
・根性の悪い人いて世は楽し
・猿回しいざ本番に機嫌とる
・ウクライナどんでん返しあみだくじ
・老い楽はひ孫と遊ぶ太平洋
・午前4時  寝るか起きるか迷う朝
・故郷は縁者が減って遠くなり
・幸せは満艦飾の洗い物
・ただいまと帰る家ある有難さ


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爺の学び

2022年04月18日 | 春・喜寿の青春賦 日記!
4月18日(月)12/23℃ 
爺の学び

春休みが終わって新学期が始まったのは若者ばかりではない   
ジジババのシニアとていろんな学びがあり、頑爺もその新学期が始まった🤣

以下、千里南公園の散歩道から 
今は八重桜が満開だ




 先週は歩き旅から帰阪後すぐ自然学校で「地球環境自然学」の講義を受けた  森里海連環学でポイントもつかめない正に地球規模の問題だが、現実には地元の森と里、海との連環であり、自分たちの一歩から始められるものと知った



自然学校(NPO法人・シニア自然大学校)だが、各コースや数十の講座にイベントにと数千人のシニアが何らかの学びを通して老後を生き生きと活動している 
こんな終生の学びと生き甲斐の場があり有難く嬉しい😆



大阪文学学校の新学期も始まった
自分のクラスは新人を加え従来からのメンバーと共に学ぶが、先生から教えてもらう形式のものでなく、メンバーが毎回発表する各自作品を全員で合評するのが特徴で、人それぞれに違う意見がその作品を鍛えていくから面白くも厳しい😆



本校出身の直木賞作家・朝井まかてさんが励ましに来ていたが、彼女の作品を読みたいとnetで新作「ボタニカ」を注文した
植物学の父・牧野富太郎博士の波乱の生涯を描いているそうだが、来年のNHK 朝ドラのモデルだとか


自然学校も文学学校もいずれもその日の活動を終えると飲兵衛?🍻🥂🍷となり、衣を脱ぎ捨てリタイアした百戦錬磨の人生達人ばかりなので、人との交わりが面白く学びとなり生き甲斐となる😂 


 
この歳になり新たな友達が沢山できるなどと思いもよらなかった
みなさん多様な経歴の持ち主だが、しっかり距離感がありプライベートに踏み込まない交わりなので、お互いに気が楽でありがたい😆



先日 別の教室に興味を持ち学ぶつもりで申し込んだが、歩き旅の間に先生が自宅に来られたとかでお手紙と資料が置かれていたが、それを知っただけで嫌悪感が走りダメ お断りした  
距離感や性分の違いはどうしようもなく、歳と共にやっと迎合せず自分らしく生きられるようになった👍



次に「川柳」は好き勝手に五七五を並べて自己流で満足してきたが、縁あって川柳界その道の重鎮が主管する会に入会を認めて頂き、今月から川柳クラブと教室の 2ヶ所 で学ぶ 半分呆け気味の頭だがついていけるかな? トホホ!🤣



好奇心は前向きに生きるのに生涯大切だと思えるようになった
今日も学び、みんなと会食後の帰路 日の暮れた南千里駅から千里南公園の中を歩くと季節の花と店の灯り、人の交わり、笑顔と会話があり人肌のぬくもりを感じる





木々や植物たちが眠りにつく頃だが、ほろ酔いながら自分の居場所があることが嬉しく、今日も人生最高の一日だったな と感謝と幸せをかみしめながら帰路につく🌿
いつしか幸せ涙が零れる 涙脆くなったなー トホホ!😂

先ほど友達からのLineで教えてもらった満月・ピンクムーンと言うらしい 
窓を開けてしばし眺める・・・ 
幽玄の朧月夜か旅がらす 頑爺


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春爛漫

2022年04月16日 | 春・喜寿の青春賦 日記!
4月16日 (土) 10/18℃ 
春爛漫

歩き旅から帰阪し、心身ともに一休みした
ダックスの足も膝腰肩にハゲ頭も、もうそろそろ歩かないのか? と催促されるぐらいに至って元気😄  

久しぶりに千里南公園の散策へ
メタセコイアにあっという間に新芽が出ていた


つい先日 4/6 の10日前に歩いていたあの宮城県柴田の桜が満開となったと、TVで上空からの映像を見た 改めて1200本の桜が8㎞に渡り一斉に咲き見事だ  町のポスターにある光景に目を見張ったがまさに春爛漫

春! 昨日 奥歯2本のインプラント手術をし土台を入れてもらったが、全身麻酔で夢の中 痛くなかった👌
手術の傷が治れば順次歯を作り2ヶ月程で完成だが、今までの入れ歯ではものが上手く噛めず美味しくなかったが、さてこれからは旨いものが沢山食べられるかと思うと嬉しくなる

以下は全て千里南公園の散策から



春! 最近急に視力が落ちて困っていたが、診てもらうと後発性白内障とかで白内障手術後 約20%の人が起こるが、YAGレーザー治療で数分で治るとの事で次の歩き旅前に治療してもらうことにした👌
現代技術の恩恵で有難いこと これも春!
  
ラクウショウにも芽吹く それぞれに憩い楽しむ春





春! いつものかかりつけ医に旅の報告がてら診てもらう 何ら問題はなく順調と、いつもの薬でコントロールされているようで一安心 嬉しい限り 帰阪すると東北で苦しんだあの花粉症が無くなりこれも春だ!😂

ソメイヨシノの残り桜にありがとう




春を身近に実感する千里南公園
半月前と公園の様相が一変し、自然の営みに驚く
ゆっくりノンビリと散策を楽しみながら春を満喫する

公園の花壇の花々も一斉に花開く





公園でお友達と憩う人々


公園のカフェレストランも賑やかだ

春爛漫を楽しめる人生はとても幸せ
コロナ禍に注意しながらもみんな外の春の空気を吸いに出てきている感じだ

世界を見れば悲惨なニュースが毎日飛び込んでくるが、この自由で自然豊かな平和な日本を大切にしたいとしみじみ思う




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江戸奥州街道・仙台道 歩き旅 1⃣ 2⃣ 完歩 雑感

2022年04月10日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月10日(日)11/25 ℃ 
奥州街道 歩き旅
  1⃣奥州道中   2⃣仙台道
  完歩・雑感

今回も無事に街道歩き旅を楽しむことができた。
季節の移り変わりを肌で感じながら、いつもの春の如く花粉症に悩まされながらも、冬から春へと自然の営みを味わいつつ歩いてきた。


幸いダックスの短い足も 膝腰肩にポンタの出腹も ハゲ頭も何とか協調して最後まで頑張ってくれた🤣

なぜか今回はいつもの如く何の事前運動もせずに急に歩きだしたものの、
一日平均 30㎞、4万歩といつになく快調で、予定より4日も早く着き、我乍ら驚きだった。

 
友からは近くの有名な観光地や温泉、桜の名所など紹介されたりしたものの、本来の自分の目的と違うのと毎日道を間違えないように、また途中でへタらないように、迷って山の中で野宿とならないようにとか、目的地まで体力を維持し歩くだけで精いっぱいだった。 


また撮った写真などをこのブログにその日に載せて記録しておかないと次の日には記憶が薄れ、すぐに忘れてしまい、その内に何が何だか分からなくなるのが目に見えているので夜中まで必死だった。

 
もっとゆっくり落ち着いて遊びながらの弥次・喜多道中でもと思うものの、そうすれば本来のナマケモノ性分から今の4,5倍もかかり、その内もうダメだと諦めになるので、マイペースでかつ青春時代からの夢の一つをやり遂げること、なぜ今この旅を続けているのかを思い出せば、瞬時に覚醒するから不思議だった。


今の自分が嬉しくて、幸せで、有難く、人生で出会った全ての人々に思いを馳せながら、ありがとう ありがとうと感謝の日々だった。
涙脆くなり何度も幸せ涙を流したが、半分は花粉の涙かも🤣

自分らしく、あるがままに、自分の意志で、自由に動けることが、今の自分にとって最も貴重な今が最高の人生なのだと、この喜寿の青春賦を賛美し謳歌してきた。


 
今回の累計(奥州道中・奥州街道仙台道)
宇都宮宿~白河宿~福島宿〜仙台宿
 13日間 390.59㎞ 530.406歩
 (一日平均 30.0㎞ 4.0万歩)

これまでの累計(東海道、山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道・仙台道)
 区切り延べ 
<132日間 3.331㎞  457万歩>
 (一日平均 25.2㎞  3.46万歩)
 *半日、雪、暴風雨日など含む日数

<日本列島縦断 
  江戸歴史街道歩き旅> 
進捗状況 74% / 4.500km
(鹿児島県  薩摩藩・鶴丸城址から宮城県  仙台藩・青葉城址の間)

*次回予定は5月から  奥州街道・盛岡道 仙台宿から岩手・一関宿ー盛岡宿~更に松前道の二戸宿まで)を目指す
  
終着の <奥州街道・松前道>  の青森・三厩から対岸の江戸期・最北の蝦夷地(北海道)の松前藩 松前城址へと、まだ遠い道のりが続く




*応援いただいた皆さまへ
 いつも温かい応援を頂きまして 本当にありがとうございます。
多くの皆様に励まされ感謝にたえません。

 個々に皆さまからのBlogコメントや mail また LINE での温かいメッセージを頂きながら、お返事をする事もできず申し訳ありません。
 
 頑固爺じいの拙い放浪歩き旅の記録ですが、多くの方々に応援して頂き、一歩一歩元気を貰い励まされ、大我なく、不思議な力を頂いてきました。

 終着地までもうしばらくかかりそうですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

お一人お一人の皆さまに心から感謝と御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

        頑爺(肇&K)




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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(9)

2022年04月08日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月7日(木)
 4/12℃(宮城県岩沼市中央)
(9日目)奥州街道・仙台道 
増田宿ー中田宿ー長町宿ー仙台宿 
 増田宿(70)(近世奥州街道の旧宿場)ー衣笠の松ー中田宿(71)ー名取川ー長町宿(72)ー広瀬川ー橋姫明神社ー旅立稲荷神社(仙台藩主が江戸に向かう際に道中安全を祈ったと)ー広瀬橋―仙台城下町ー荒町ー三宝荒神社ー大銀杏ー泰心院(山門は仙台藩校養賢堂の正門)ー東漸寺(名横綱・谷風の碑)ー大日堂ー芭蕉の辻ー国分町―仙台宿(73)ー青葉神社ー輪王寺ー検断屋敷遺構ー資福寺ー仙台城址(青葉城)ー広瀬川ーキリシタン殉教の碑ー瑞鳳殿ー仙台


伊達政宗公の霊屋から

今日は仙台に到着する予定で、昨日歩き終えた名取・増田宿から出発  朝食もしっかりとる 何でも美味しく食べられる幸せ😂


春霞のような曇り空で冷たい風が吹くが、足取りは軽く順調に進む




















岩沼宿から仙台平野を北に向かうと増田宿に着く 仙台藩主・伊達政宗は慶長5年(1,600年)に始まった仙台城築城の際に、この地の奥大道を東に付け替えて奥州道中とし、これにより設置されたのが増田宿 

このほかに中田宿、長町宿も1601年以降に仙台城築城とその町の建設に伴い設置された宿場とか 
だがどちらの宿場も何らその跡を見つけることができなかった













仙台城下には奥州街道の宿場として国分町、北材木町、北目町、新傳馬町の4カ所に設
けられた

伊達氏62万石の城下町・仙台は陸奥の覇者・伊達政宗が築いた新都

参勤交代で江戸へ向かう各藩の殿様が参拝したという旅立稲荷神社は門柱しか残っていなかった











この枝垂れ桜もまだ蕾み





近くのお寺の桜は満開だ🌸



東北大学(旧制第二高等学校)を訪ねる
ちなみに第一は今の東京大学かと












仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿をたずねる 
徳川家康公の日光東照宮を想う































感仙殿 2代藩主・伊達忠宗公 霊屋














善応殿 3代藩主・伊達綱宗公 霊屋










他に諸々の妙雲階界廟や御子様御廟など多くの御霊が眠る
権力の威光を物語る











森には熊がでるのか? この先へ行くのはやめた


キリシタン殉教の碑


仙台城下は武士の町でもあり、城に近い川内には幕府から派遣された国目付の屋敷が置かれ、広瀬川河岸段上には城を守るように上級武士の屋敷が立ち並んでいたという

ちなみに仙台城は青葉山の地形を利用して築いた山城で別名 青葉城 とも呼ばれている この地は北側に広瀬川の沢、南に竜の口渓谷、東に広瀬川に落ちる断崖、西に山林を控え天然の要塞とも言うべき地形条件を備えていた
















東北の雄、仙台藩伊達氏が、約270年間にわたって拠点とした奥州の名城だが、先日の地震の影響がここまであるのかと思えるほどに、城内各地で通行止めや補修工事のため、仙台城本丸まで行くことができなかった😭










ちなみに広瀬川は昔  さとう宗幸の歌 <青葉城恋歌> (昭和53年発売)で知ったので懐かしい響きがする  独立して会社を立ち上げた若き33歳の頃のことだが鮮明に想い出す











広瀬川を眺めつYouTubeでさとう宗幸を検索<青葉城恋歌>を聴く 

広瀬川 流れる岸辺  想い出は帰らず
早瀬 踊る光に揺れていた 君の瞳
時はめぐりまた夏が来て 
あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき杜の都  
あの人はもういない・・・

懐かしさと歌詞に思わず涙が零れた
吹く風優し杜の都   仙台

とうとう <奥州道中14次> と <奥州街道・仙台道42次> の計56次を完歩できたので今回はここまでとする

 予定より数日早く着いたが、次の予定もあり回顧にふける間もなく帰路につくが、ここも仙台ー福島間の東北新幹線が地震の影響で不通のためダイヤが乱れていて何処も大変だ

今日 仙台の桜開花宣言🌸 とか
一週間遅く出発していたらな😭

 次は5月に<奥州街道・盛岡道 で、仙台から盛岡へ向かう予定だが、それまでに膝のガクガクが治るかな⁉️ あちこちのパーツも修理せねばならぬし・・・トホホ😂

 奥州街道 終着地の青森・三厩(みんまや)宿から対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)・松前藩、松前城址へはまだ遠い道のりが続く




(9日目)  26.42㎞  36.097歩 
仙台道の累計 255.02km 68.2万歩

累計(奥州道中と併せて13日間)
     390.59㎞ 530.406歩
 1日平均(13日間)
          30.04km
          4.08万歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(8)

2022年04月07日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月6日(水)
 3/19℃ (宮城県柴田郡大河原町)
(8日目)奥州街道・仙台道 
船宿迫ー槻木宿岩沼宿ー増田宿
荒川ー船岡城址公園ー舟迫(ふなばさま)宿(67)ー平和観音ー麴屋土蔵ー槻木(つきのき)宿(68)ー逢隈亭(おうくまてい)ー阿武隈川堤防ー郡境石ー玉崎問屋跡ー御城米倉庫跡ー小野酒造ー南町検断屋敷跡(八島家)ー脇本陣(相原麴屋)ー竹駒神社ー武隈の松ー岩沼宿(69)ー増田宿



今朝は昨夜の洗濯物の片付けや、リュックサックの点検等でバタバタ
相変わらず思い込み、勘違い、忘れごと、予定や段取りが狂ったりして大慌てだ😆

相変わらず段取り下手の不器用さに改めて昔から何度も言われてきたなぁ  と思い出す😭

9時、やっと昨日歩き終えた船岡城跡公園前着き、今日の歩き旅の出発だ

ところが駐輪場のおばさんと挨拶を交わしたら話しが続き、なんと80歳とか お元気ですね! と言うと、家に主婦は2人はいらないからねと🤣

なんでも息子の嫁と同じ家にいると平和が乱れるから、外に出て働けるまで働いて楽しんでいるのさ と
至極納得👌 

それからお父さん(夫82歳)は資格を12も持っているから、私も頑張らねばとこの仕事をしながらヘルパーの資格やら  ???の資格まで頑張ったり遊んだりして楽しんでいるんです 生きがいを持つと生き生きと毎日楽しく過ごせるからね 家庭も円満 と大きな声で笑っている🤣

朝から意気投合 2人で大笑いしながら大いに盛り上がったが、見ず知らずの人とお喋りも楽しい😂

ここ何年かは歩き旅をしながらコロナ禍もあり自分からは話しかけるのは控えてきたが、周りの人々もそろそろいいかなぁー  とマスクをしながらだが会話を楽しむようになったようだ🤣

一目千本🌸と言われる白石川堤防桜はいつ頃咲くのかね? と聞けば、さあな桜に聞いてくれ! と笑うが、もうそろそろの様子だ

(船岡駅の現地柴田のポスターから   
後10日もすればこのような光景が見られるようだ)




そろそろ歩かねば今日の目的地に着かないので お互いに元気に生き生きと生きがいを持って外へ出て元気に人生を楽しみましょう と合意して別れた🤣 
朝から楽しかった😂

この堤防沿い1200本の桜は、その昔 当地出身の実業家による寄付とか







見れば1部の桜が咲きはじめたようだ




先の山が昨日歩いた船岡城跡公園


























大きな白石川の河川敷に畑をしている人は見かけたが、住んでいる人は初めて見た しかもブルーシート張りの家の周りには防風林、前の畑には作物が育っているし洗濯物もあり かなり年季の入った人のようだ🤣 
まさに晴耕雨読の感 優雅だな⁉️



昔の船着場跡


堤防で疲れた足を休める




















































舟迫(ふなばさま)は柴田郡にて伊達騒動の悲劇の地で四代藩主の後見政治を巡るお家騒動 その後の歌舞伎にも登場する 要害跡は船岡城址公園となっている

今日は増田宿までとした
と言うのも、お天気が回復した途端に杉やヒノキの花粉が大量に飛び交っているようでクシャミ、鼻水、涙目と終日最悪😱😭

公園でちょうど3時なので一休みしながら箕面FMラジオの「植田洋子とTea For Two」の生放送をインターネットラジオで聴きながら体調を確認😆

番組は都心で養蜂業を営む人の話だったが、農薬の関係で田園地帯でする養蜂より安全との話に、地球環境の危惧を考えさせられた

さあもうひと歩き と思ったが無理せずここまでとし、予約したホテルへ向かうことにし名取へ向かう

今回の目的地・仙台へはもう数日の頑張りだが、ここまで張り切って歩いてきたせいか、予定より2.3日早く到着しそうだ👌



(8日目) 
               27.31㎞ 36.366歩 
 累計  ㎞  歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(7)

2022年04月06日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月5日(火)  
 6/13℃(宮城県白石市本町)
(7日目)奥州街道・仙台道
白石宿ー宮宿ー金ケ瀬宿ー大河原宿-船迫宿
白石宿(63)ー白石川(白石大橋)ー陣場山ー世良修蔵の墓(戊辰戦争・奥羽総督府下参謀)ー白鳥橋ー刈田嶺神社ー宮宿(64)ー北白川橋ー里程標ー金ケ瀬宿(65)大高山神社(白鳥崇拝発祥の地)ー船岡城址ー大河原(おがわら)(66)船迫宿

今朝も雨だが、徐々に晴れてくるとの予報 雨具はいらないようだ

しっかりと朝食を済ませ、昨日歩き終えた白石宿を8.00スタート 
外へ出ると小雨なので、そのまま白石城へ向かう 桜はまだのようだ

もうすぐ咲くのかな? 
桜はまだ蕾の白石城


途中 白石高等学校のバックを持った生徒が元気に挨拶して通る
















桜まつりのぼんぼりが見えるがお祭りをするのかな?

一部工事中のようだ 一通り見終えて下に降りかけるとおじさんがフーフー言いながら上がってきたが、
ありゃー ??門もやられたのか と
どうやら3/16の地震の影響がここにもあるようだ 









城下から武家屋敷跡へ向かう 
屋敷の周りに川が流れ立派な武士の屋敷跡があった もう相当古いな
(ここも3/16の地震で被害があり入館はできないとの張り紙)









城下町を散策





















白石城は1868年の戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟締結に向け諸藩の代表が参集した舞台であった  戦う相手の薩摩・長州を主体とする官軍に敗れ、一時は共和制による「東日本国  政権」構想もあったというから、南北朝鮮のような事態になっていたかも? なんて想像した

(以下、記録用に写真を羅列)







































 




























































金ケ瀬宿は西側の本町に片倉藩の足軽が白石城の方角に玄関を設け、東側の新町には仙台藩の百姓が住み家は仙台の方角を向いていて、その特徴的景観が今も残っているというのが面白い





























ブログを書きながらテレビを見ていたら今タイミングよくその一目千本のことを昨年の満開の映像とともに写し出されていた 桜の寿命は7.80年とか 老木古木が多い
あと10日前後で美しい花を咲かせる と

今年も桜祭りは中止とか
見物は自由なのでコロナ対策をしてお出かけ下さいとの事だった

船岡城址に着く



















今日は早いがここまでとして船岡から予約したホテルに向かう
昨日 雨に濡れた衣服も含めてコインランドリーで全て洗濯・乾燥だ




(7日目) 
                26.94㎞  35.948歩 
 累計  ㎞   歩


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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(6)

2022年04月05日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
 
4月4日(月)  
 2/9 ℃(福島県伊達郡国見町)
(6日目)奥州街道・仙台道 
桑折宿ー藤田宿貝田宿ー越河宿ー斎川宿ー白石宿
 桑折宿- 藤田宿(59)ー硯石山(弁慶の硯石)ー国見神社ー義経の腰掛松ー厚樫山ー旧奥州街道・国見坂長坂跡の標識ー奥の細道石碑ー湯殿山碑ー三ツ石ー奥州街道・貝田(かいだ)宿(60)標識ー最禅寺ー貝田口留番所跡ー小原の材木岩ー福島・宮城県境ー下紐石(越河番所跡)ー白鳥神社ー越河(こすごう)宿(61)馬牛沼ー孫太郎虫ー鐙摺坂(あぶみすりざか)-田村神社ー六角堂ー斎川(さいかわ)宿(62)ー検断屋敷(旧島貫家)ー陸羽街道道標ー米沢街道分岐ー白石城ー片倉家中武家屋敷地区ー白石宿(63)

今日は雨の予報☔️
朝食をしっかりとりスタートする


朝 出発時にとても気持ちの良いホテルだったので、いつもの感謝を込めて ありがとう のメッセージとコメントを残してきた


昨日歩き終えた桑折(こおり)宿に戻るのに時間がかかった 

なんでも3/16の地震の影響で、今も福島〜仙台間の東北新幹線は復旧工事中、東北本線はその影響もありダイヤが相当乱れているようだ
気を取り直し元気に出発🤣

桑折宿は山形、秋田を経て青森へ通じる羽州街道が分岐する奥州街道の要の宿場であったとか









その桑折が松平藩だった頃に開発された銀山が「飯田銀山」で半田山一帯にあったと言うので訪ねる













(以下、歩いた順に羅列する)






あちこちに果樹園が見られ桃、りんご、柿、さくらんぼなどの木々が見える









畑の向こうから犬の散歩をする人がやってきて話しかけてきたので おはようございますと

実は申し訳ないのですが早口の東北弁はさっぱりわからない? 周辺の案内を説明してくれているようだがね😂 ありがとうございますと お礼を言って別れたが、親切な方だった🙏













左が東北新幹線、右が東北本線


























厚樫山、陸奥国・平泉200年の栄華を誇った奥州藤原氏と 鎌倉から北上し源頼朝軍との激戦の舞台 この戦いに敗れた藤原氏はその栄華とともに滅亡したと 
雨の中その戦場の後を眺めながらまたなぜか涙がこぼれる  
この足元の下に幾多の屍が眠るのか?







































藤田宿場近辺はつい先日M7.4の大きな地震があり、報道では死者も何人かあり、家屋の崩壊、土砂崩れなどの被害を伝えていた
またこの1ヶ月は同程度の余震もあるからと報道されていたのでいずれも慎重に歩く












雨の日の歩き旅の問題は、国道と並走する街道を歩く時だ 大型トラックが水しぶきをあげ、水たまりの水をはねるからだが、早々に小さな地道を探して避難しながら前に進む😭


この右側が国道、左側が街道






江戸時代の仙台藩領の南端、白石宿へ向かう
白石は伊達政宗の知将・片倉景綱が拝領して以来明治維新に至る270余年間、片倉氏が治めた城下町で往時の武家屋敷の姿を今にとどめる





































滅亡した奥州藤原氏に代わって伊達氏が興隆した街道 その歴史を刻んだ藤田宿から白石宿へ向かう

あれ? 東北新幹線の工事中現場はここなのかな? TVで見た脱線現場の復旧なのかな? 
雨の中昼夜を問わず懸命に作業をしていると言うニュースを見たので頭が下がる






ここから延々と何キロも農道を進む 車も来ないし安全だ👌 

雨は急に土砂降りになったり小降りになったり、だが風がきつく難儀だが、雨宿りするところもなく、これが歩き旅のきついところ😭
おかげで服は上下ともびしょ濡れだ










今日は白石にホテルを予約した
あまりのびしょ濡れにフロントで恥ずかしかったが、説明したら納得してくれた🤣

小さなホテルで前にコンビニ位しかなく、部屋で簡単な食事をして熱い風呂に入る   疲れたなー😂

だが1日自由にあるがままに元気に歩けることに ありがたいなぁ としみじみ感謝と幸せの涙を流す❤️

今 地震だ 左右に大きく揺れる😱
大丈夫だ👌💤



(6日目) 
    29.76km   41.184歩
 累計  ㎞  歩



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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(5)

2022年04月04日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月3日(日)  
 0/12℃ (福島県安達郡安達町)
日目)奥州街道・仙台道
二本柳宿ー八丁目宿ー浅川新町宿ー清水町宿福島宿ー瀬上宿伊達宿ー桑折宿
 松川ー安達ー二本柳宿-安達太良連峰風景ー円東寺ー鹿の鳴石ー境川ー信夫隠の碑ー口留番所ー松川橋ー西光寺ー八丁目宿(53)ー浅川村―浅川新町宿(54)ー清水町ー清水町宿(55)ー出雲大神宮ー共楽園ー羽山獄の石碑群ー馬頭観世音碑ー伏拝舟繋ぎ石ー杉妻村道元標ー須川(荒川)ー信夫橋ー柳稲荷ー福島城址ー(旧杉妻城)ー福島宿(56)瀬上宿ー伊達宿ー桑折宿(こおり)

今朝も0℃ と寒い🥶
厚着をして松川から出発
松川と言えば松川事件を思い出すが、もう相当古い昔の話となった

奥州街道は霊峰・安達太良(あだたら)山を仰ぎ、その裾野の春は紅色の桃の花や白いリンゴの花で桃源郷と化すという もう少しで花を咲かすことだろう



やがて福島盆地の入り口の八丁目宿に至る この宿場は「宿地千軒」と称され、東山道以来の古い宿場だ
冠雪の山並みは故郷・信州安曇野のアルプス連山を想う



福島盆地の中央に福島城下町が広がる 城下の信夫山は熊野山、羽黒山、羽山と呼ばれる三峰を持ち、平安時代以来信仰の対象とされ修験の山であったという





福島藩は三万石と小藩ながら、東北地方屈指の養蚕地帯で繫栄したというが、その後 昭和の大恐慌で衰退し、阿武隈川やその支流の摺上川流域に広がっていた広大な桑畑は果樹園に生まれ変わり、現在の果物王国の基礎が築かれることになったとか

(ここから歩いた順に記憶写真を羅列)















峠道にて おはようございます
わー びっくりした 何してるだ?
歩き旅です なんだかわからんけど気をつけてな 
ありがとうございます お元気で‼️

春の村祭りのようだ




































疲れた足を癒しながらおにぎりを食べる 早春賦を歌いながら



やー  こんにちは 仲良くね













福島県庁の横手にある福島城跡を訪ねるが、城の痕跡は見当たらなかった











古関裕而記念館に着く



古関裕而作曲の歌をYouTubeで探し聴きながら歩くが、たくさんの歌の中から 
モンテンパルの夜は更けて 長崎の鐘 若鷲の歌 には思わず涙がこぼれる 

学生時代 高校3年生 いつでも夢に は青春を想い、紺碧の空 には、次生まれる時は真面目に勉強して早稲田の杜を歩くぞと

六甲おろしを歌い、早春賦 野に咲く花のように を歌いながら歩いた 















































今日は歩きやすく桑折宿まで歩いた
何もない無人の桑折駅から50分待って福島に出て予約したホテルに入る

今回ディナーはいつも時間に追われバタバタと済ませるが、今日はホテルの居酒屋で久しぶりに寛ぐ🍺
1人で飲むのも好きだが、気の合う仲間とまた飲みたいものだ🤣🍻🥂





(5日目)
     34.19㎞ 44.985歩
  累計  ㎞   歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(4)

2022年04月03日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月2日(土)
 1/9℃ (福島県本宮市本宮)
(4日目)奥州街道・仙台道
本宮宿ー南杉田宿ー北杉田宿ー二本松宿ー二本柳宿
 杉田宿ー本宮宿㊽ー安達太良神社ー薬師堂ー南杉田宿㊾ー杉田川ー北杉田宿㊿ー光恩寺ー杉田館跡ー藤原実方供養塔ー旧市川家ー七夜坂ー正法寺地区ー木のぼり地蔵ー大壇口古戦場跡ー大隣寺(二本松藩主丹羽氏や二本松少年隊士の墓、戊辰戦争殉難者群霊塔などがある)ー二本松神社ー二本松城址ー二本松宿(51ー油井集落ー酒銘・花霞(屋号・米屋 高村智恵子の生家)ー鞍掛山ー二本柳宿(52ー松川

城址から桜が咲けば絵にしたい光景だ

今朝のホテルモーニングは定食スタイルでおかわり自由とのこと
いつものごとくお腹いっぱいにしっかりとおかわりをして食べた


今朝の気温はマイナス1℃の予報で厚着をして出発 
昨夜歩き終えた北杉田に8.30に戻り歩き始めるが、30分もしたら汗が出てきて軒先で薄着に替える 少し寒いぐらいが歩きやすい

















本宮宿から三春街道をゆくと滝桜で有名な樹齢1000年と言われる国の天然記念物で日本三大桜のエドヒガン系イトザクラの巨木があるらしいが、福島の桜の開花は4月20日頃だとのことで残念

大阪・箕面は今桜が満開と写真をメールで送ってもらったが、福島とは3週間の違いで、今は梅の花が咲く


二本松城跡に着く 事前の資料収集では歴史的なこと、山城であることと、戊辰戦争時の二本松少年隊の壮絶な戦いなどの知識しかなかったが・・・









だがこの辺で次の宿場へと思いつついると、上の方から同年輩の地元の方が下りてこられ声をかけてくれた 

それから1時間以上もかけて現地案内をしてくださった その豊富な知識とともに何とこの城跡の奥深いこと本の知識との大きな違いに驚く





















歩き旅でたくさんのお城を見てきたが、この二本松城跡は私にはその周囲の景観と合わせ最高に思えた
ここに高村光太郎と智恵子が座り、後に智恵子抄に歌われた場所と説明してもらった












二本松宿は寛永20年(1643年)白河から入封した丹羽光重によって整備された10万石の城下町で幕末まで治められたと

二本松城は戊辰戦争で悲劇的な結末を迎えたが、もし籠城していたらかなり持ちこたえたのではないかと思われる相当な規模と地形だ 専門家が名城の一つと言うのも頷ける
ここからの眺めは素晴らしい 

あと3週間ほどで桜が咲き、また秋には紅葉がとても美しいとの事













「もう一つの白虎隊」の悲劇は涙を誘う  かつて会津藩とともに勇兵の名高い二本松藩だったが、藩士が出陣して不在時に二本松城総攻撃をくらい、立ち向かったのは22歳を隊長に12歳から17歳まで60人ほどの少年隊だった 
勇敢に戦い長州藩隊長を大砲一門で討ったが僅か1日で落城し多くの少年が戦死した その悲劇に今も墓所の大隣寺少年隊士の墓には香の煙が絶えないという




見事な傘の樹形の松 びっくりだ









もっともっと沢山の個々の説明をいただいたが、また機会を見て訪れたいものだと思う
渡邊様ありがとうございました。

二本松宿から日本柳宿に至る間に高村智恵子の生家造り酒屋・花霞がある  至高の愛に生きた芸術家・高村光太郎とその妻・智恵子は後に光太郎が綴った詩集「智恵子抄」で知る所だ 
智恵子の生家を訪ねる












二人の魅惑に満ちた暮らしと、その後の智恵子の実家の破産で精神に変調をきたし、光太郎の看病空しく53歳で没するという 




 正気を失った智恵子を心から愛し続けた光太郎だが、その没落した智恵子の実家を見れば心が痛むのは何故だろうか 霞ケ城公園には「樹下の二人」の詩碑があった

今日は少し早めに切り上げ松川まで歩き、予約した福島のホテルに入る




















(4日目)
    23.67㎞  32.698歩
 累計  ㎞  歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(3)

2022年04月02日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月1日(金)
 2/7℃(福島県郡山市中町)
(3日目)奥州街道・仙台道
郡山宿ー福原宿ー日和田宿ー高倉宿ー本宮宿杉田宿
 郡山(こおりやま)宿㊹ー逢瀬川ー安積橋ー安積山公園ー陸羽街道ー日吉神社(伊達政宗の郡山合戦の本陣・山王舘跡)ー16石像塔婆ー仙台佛(伊藤井肥前碑)-福原宿㊺ー豊景神社ー史跡一里坦址石碑ー宝沢沼ー日和田(ひわだ)宿㊻ー蛇骨地蔵堂ー西方寺の傘松ー安積山史跡公園ー並木松ー高倉宿㊼ー高倉城(松峯城)址ー五百川橋ー観音堂ー瀬戸川(山田橋)-人取橋古戦場跡ー積達騒動鎮定之遺跡碑ー本宮(もとみや)宿㊽ー杉田宿

今朝は特に寒く山麓は雪のようだ😱
大阪から昨夜も満開の桜🌸を皆が撮り送ってくれたが、ここ福島では一部を除きまだ蕾は固く、今はまだ梅の花かな

今日は少し出遅れ、昨日歩き終えた郡山宿に9.00に戻りスタート
小雪が舞う🥶

歩き旅に出て7日目だが、最初ブツブツ文句を言ってた足膝腰肩に禿げ頭も諦めたのか? それとも一心同体、天の国まで離れようがないので心を入れ替えたのか🤣 順調👌

(今日も時間的に記憶記録写真の羅列)
昨夜の宿泊地 須賀川は宇宙の星と姉妹都市とか すごいね🤣
昨日歩き終えた郡山から歩く






















郡山は今では福島県随一に発展した都会だが、そのきっかけは安積原野の開拓で、旧米沢藩士・中條政恒の唱導で大槻原野(現在の開成山一帯)の開拓であったと 安積疎水は明治15年に完成し約4000町歩もの原野が開墾されて近代郡山発展の礎になったとのこと















































































以下は福島の大震災、原発事故などを思い出す光景が広がり涙が出た


























































今日の予定地・本宮宿に着くが、まだ3時前なので次の宿場へ向かう





























日和田宿を過ぎて本宮宿の間に高倉城址を尋ねたが、どう見ても山への登り口がない?

人は全く見かけず、家も遠くに点在する位で聞くに聞けずに探していたら、やっと1人の爺さんがいたので道を聞いてみた

前歯が無く東北弁で全く内容がわからないが、身振りから道はもうなく、崩落して登れない様子 ありがとうございました😂 この山の上に高倉城址があった事だけは確認した





山里を下ると畑の真ん中にモダンな住宅にびっくり その次は家の玄関脇に植栽されたトトロがいた




杉田宿に着き 今日はここまでとした  だが全くの無人駅で周辺にも何もなく、ホテルを予約し1時間電車を待って福島駅へ出る

駅に今場所 大相撲優勝の垂れ幕があった
ここの出身と知った




(3日目)
              31.6km㎞ 42.812歩
  累計  ㎞   歩



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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(2-1)

2022年04月01日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月31日(木)
 7/15℃  (福島県白河市矢吹町)
(2日目①)奥州街道・仙台道
矢吹宿ー久来石宿ー笠石宿ー鏡石宿ー須賀川宿ー笹川宿 
 矢吹(やぶき)宿㊳ー石地蔵ー久来石(きゅうらいいし)宿㊴ー熊野神社ー笠石(かさいし)宿㊵ー笠地蔵ー矢吹ヶ原ー行方野ー岩瀬牧場ー須賀川一里塚ー朝日稲荷神社ー本町の黒門(木戸)跡ー十念寺ー芭蕉句碑ー中宿橋ー岩瀬の渡しー二階堂城址ー鎌足神社ー須賀川(すかがわ)宿㊶ー阿武隈川ー大聖不動明王堂ー二十三夜塔ー森宿街道下の石碑石塔群ー筑後塚ー滑川集落ー滑川橋ー笹川宿㊷ー安積永盛(あかさながもり)



今日、明日は当初より体を休める予定で行程をゆっくり目に組んだ
今朝もたっぷりと朝食をとり万全👌

昨夕歩き終えた矢吹駅に8.30に着く
さぁ今日も元気に出発‼️🍀
ふと振り返ると オッと駅舎がこんなデザインなのか とびっくり😆



今日は曇天、雨、晴と 更に汗をかいた昨日から今朝は寒い と天気予報が目まぐるしく変わる

(以下 歩き順に記憶写真を羅列)
















おおはようございます!
ハー おはようさんです 
ご夫婦とおばあちゃんの畑仕事
































樹齢250年の枝垂れ桜だと 凄い😱






須賀川には<奥の細道>旅の松尾芭蕉が4.5日滞在したようで、その時に詠んだ句碑が随所に見られた

東北の春は遅い 
大阪の友達から満開の桜の写真が送られてきた ひと月ぐらい遅いか?









福島県岩瀬郡鏡石町立第一小学校
懐かしい銅像がある



















ここで雨 ちょうど公園に東屋があり雨宿りしつつ早めのコンビニパンで昼食 須賀川市に入った
























勇壮な祭り須賀川の「松明あかし」は有名なようだが、これは1589年会津の蘆名氏を滅ぼした伊達政宗は二階堂氏の居城・須賀川城の攻撃に転じ、激戦の末に城は火災に包まれ落城 この戦いで戦死した人々の霊を弔うために始まったのが「松明(たいまつ)あかし」とのこと

須賀川市内に入りびっくり😱
ウルトラセブン⁉️ 懐かしい😆
子供たちが夢中だったが、今は孫も知らないだろうなぁ?
ひょっとしたら4歳と2歳の曽孫に見せたら喜ぶかな⁉️  と思ったり🤣
円谷英二の故郷だったんだ
















古く須賀川には室町幕府が奥羽統監の為に稲村御所を置いたとされる また歴史的には伊達政宗を初めてする戦国武将が領土拡張の争奪となった地のようだから重要な地であったようだ  











歴史街道はまた同じ大和民族が血みどろで戦ってきた道であり悲惨な戦場であったので悲しい出来事も多くあり心が痛む

今日はここまでの予定だが、なんとなくもう少し歩きたいと足も膝腰肩も賛同⁉️  ただ禿げ頭だけが冷たい強風に帽子を飛ばされ、その都度寒い思いをして怒っているのだ🥶😭

だがそこは一心同体しぶしぶ賛同🤣
②へ続く😱

2日目 ②へ


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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅 (2-2)

2022年04月01日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月31日(木)②
 7/15℃(福島県須賀川市本町)
(2日目ー②)奥州街道・仙台道
須賀川宿ー笹川宿ー日出山宿ー小原田宿ー郡山宿 

須賀川宿㊶ー阿武隈川ー大聖不動明王堂ー二十三夜塔ー森宿街道下の石碑石塔群ー筑後塚ー滑川集落ー滑川橋ー笹川宿㊷ー安積永盛(あかさながもり)笹川宿㊷ー東館稲荷神社(篠川御所跡)-日出山(ひでのやま)宿㊸ー磐城道追分ー音無川ー小原田ー本町本陣ー会津街道追分ー如宝寺(いぼなしの鐘)ー郡山(こおりやま)宿㊹

さてそういうことで⁈ 
 ①からの続き②を歩く


須賀川宿から次の宿場へ向かう


































































今日はここまでとし、須賀川宿にホテルを予約したので、郡山駅から向かう

昨夜6時間しっかり寝たので眠くはないが今宵も午前様😪
毎日5時起きなので中途半端だがこの辺で もうお休み💤



①と②
(6日目) 35.38km  42.704歩
 累計  km   歩


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