幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸奥州街道・仙台道 歩き旅 1⃣ 2⃣ 完歩 雑感

2022年04月10日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月10日(日)11/25 ℃ 
奥州街道 歩き旅
  1⃣奥州道中   2⃣仙台道
  完歩・雑感

今回も無事に街道歩き旅を楽しむことができた。
季節の移り変わりを肌で感じながら、いつもの春の如く花粉症に悩まされながらも、冬から春へと自然の営みを味わいつつ歩いてきた。


幸いダックスの短い足も 膝腰肩にポンタの出腹も ハゲ頭も何とか協調して最後まで頑張ってくれた🤣

なぜか今回はいつもの如く何の事前運動もせずに急に歩きだしたものの、
一日平均 30㎞、4万歩といつになく快調で、予定より4日も早く着き、我乍ら驚きだった。

 
友からは近くの有名な観光地や温泉、桜の名所など紹介されたりしたものの、本来の自分の目的と違うのと毎日道を間違えないように、また途中でへタらないように、迷って山の中で野宿とならないようにとか、目的地まで体力を維持し歩くだけで精いっぱいだった。 


また撮った写真などをこのブログにその日に載せて記録しておかないと次の日には記憶が薄れ、すぐに忘れてしまい、その内に何が何だか分からなくなるのが目に見えているので夜中まで必死だった。

 
もっとゆっくり落ち着いて遊びながらの弥次・喜多道中でもと思うものの、そうすれば本来のナマケモノ性分から今の4,5倍もかかり、その内もうダメだと諦めになるので、マイペースでかつ青春時代からの夢の一つをやり遂げること、なぜ今この旅を続けているのかを思い出せば、瞬時に覚醒するから不思議だった。


今の自分が嬉しくて、幸せで、有難く、人生で出会った全ての人々に思いを馳せながら、ありがとう ありがとうと感謝の日々だった。
涙脆くなり何度も幸せ涙を流したが、半分は花粉の涙かも🤣

自分らしく、あるがままに、自分の意志で、自由に動けることが、今の自分にとって最も貴重な今が最高の人生なのだと、この喜寿の青春賦を賛美し謳歌してきた。


 
今回の累計(奥州道中・奥州街道仙台道)
宇都宮宿~白河宿~福島宿〜仙台宿
 13日間 390.59㎞ 530.406歩
 (一日平均 30.0㎞ 4.0万歩)

これまでの累計(東海道、山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道・仙台道)
 区切り延べ 
<132日間 3.331㎞  457万歩>
 (一日平均 25.2㎞  3.46万歩)
 *半日、雪、暴風雨日など含む日数

<日本列島縦断 
  江戸歴史街道歩き旅> 
進捗状況 74% / 4.500km
(鹿児島県  薩摩藩・鶴丸城址から宮城県  仙台藩・青葉城址の間)

*次回予定は5月から  奥州街道・盛岡道 仙台宿から岩手・一関宿ー盛岡宿~更に松前道の二戸宿まで)を目指す
  
終着の <奥州街道・松前道>  の青森・三厩から対岸の江戸期・最北の蝦夷地(北海道)の松前藩 松前城址へと、まだ遠い道のりが続く




*応援いただいた皆さまへ
 いつも温かい応援を頂きまして 本当にありがとうございます。
多くの皆様に励まされ感謝にたえません。

 個々に皆さまからのBlogコメントや mail また LINE での温かいメッセージを頂きながら、お返事をする事もできず申し訳ありません。
 
 頑固爺じいの拙い放浪歩き旅の記録ですが、多くの方々に応援して頂き、一歩一歩元気を貰い励まされ、大我なく、不思議な力を頂いてきました。

 終着地までもうしばらくかかりそうですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

お一人お一人の皆さまに心から感謝と御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

        頑爺(肇&K)




コメント (3)
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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(9)

2022年04月08日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月7日(木)
 4/12℃(宮城県岩沼市中央)
(9日目)奥州街道・仙台道 
増田宿ー中田宿ー長町宿ー仙台宿 
 増田宿(70)(近世奥州街道の旧宿場)ー衣笠の松ー中田宿(71)ー名取川ー長町宿(72)ー広瀬川ー橋姫明神社ー旅立稲荷神社(仙台藩主が江戸に向かう際に道中安全を祈ったと)ー広瀬橋―仙台城下町ー荒町ー三宝荒神社ー大銀杏ー泰心院(山門は仙台藩校養賢堂の正門)ー東漸寺(名横綱・谷風の碑)ー大日堂ー芭蕉の辻ー国分町―仙台宿(73)ー青葉神社ー輪王寺ー検断屋敷遺構ー資福寺ー仙台城址(青葉城)ー広瀬川ーキリシタン殉教の碑ー瑞鳳殿ー仙台


伊達政宗公の霊屋から

今日は仙台に到着する予定で、昨日歩き終えた名取・増田宿から出発  朝食もしっかりとる 何でも美味しく食べられる幸せ😂


春霞のような曇り空で冷たい風が吹くが、足取りは軽く順調に進む




















岩沼宿から仙台平野を北に向かうと増田宿に着く 仙台藩主・伊達政宗は慶長5年(1,600年)に始まった仙台城築城の際に、この地の奥大道を東に付け替えて奥州道中とし、これにより設置されたのが増田宿 

このほかに中田宿、長町宿も1601年以降に仙台城築城とその町の建設に伴い設置された宿場とか 
だがどちらの宿場も何らその跡を見つけることができなかった













仙台城下には奥州街道の宿場として国分町、北材木町、北目町、新傳馬町の4カ所に設
けられた

伊達氏62万石の城下町・仙台は陸奥の覇者・伊達政宗が築いた新都

参勤交代で江戸へ向かう各藩の殿様が参拝したという旅立稲荷神社は門柱しか残っていなかった











この枝垂れ桜もまだ蕾み





近くのお寺の桜は満開だ🌸



東北大学(旧制第二高等学校)を訪ねる
ちなみに第一は今の東京大学かと












仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿をたずねる 
徳川家康公の日光東照宮を想う































感仙殿 2代藩主・伊達忠宗公 霊屋














善応殿 3代藩主・伊達綱宗公 霊屋










他に諸々の妙雲階界廟や御子様御廟など多くの御霊が眠る
権力の威光を物語る











森には熊がでるのか? この先へ行くのはやめた


キリシタン殉教の碑


仙台城下は武士の町でもあり、城に近い川内には幕府から派遣された国目付の屋敷が置かれ、広瀬川河岸段上には城を守るように上級武士の屋敷が立ち並んでいたという

ちなみに仙台城は青葉山の地形を利用して築いた山城で別名 青葉城 とも呼ばれている この地は北側に広瀬川の沢、南に竜の口渓谷、東に広瀬川に落ちる断崖、西に山林を控え天然の要塞とも言うべき地形条件を備えていた
















東北の雄、仙台藩伊達氏が、約270年間にわたって拠点とした奥州の名城だが、先日の地震の影響がここまであるのかと思えるほどに、城内各地で通行止めや補修工事のため、仙台城本丸まで行くことができなかった😭










ちなみに広瀬川は昔  さとう宗幸の歌 <青葉城恋歌> (昭和53年発売)で知ったので懐かしい響きがする  独立して会社を立ち上げた若き33歳の頃のことだが鮮明に想い出す











広瀬川を眺めつYouTubeでさとう宗幸を検索<青葉城恋歌>を聴く 

広瀬川 流れる岸辺  想い出は帰らず
早瀬 踊る光に揺れていた 君の瞳
時はめぐりまた夏が来て 
あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき杜の都  
あの人はもういない・・・

懐かしさと歌詞に思わず涙が零れた
吹く風優し杜の都   仙台

とうとう <奥州道中14次> と <奥州街道・仙台道42次> の計56次を完歩できたので今回はここまでとする

 予定より数日早く着いたが、次の予定もあり回顧にふける間もなく帰路につくが、ここも仙台ー福島間の東北新幹線が地震の影響で不通のためダイヤが乱れていて何処も大変だ

今日 仙台の桜開花宣言🌸 とか
一週間遅く出発していたらな😭

 次は5月に<奥州街道・盛岡道 で、仙台から盛岡へ向かう予定だが、それまでに膝のガクガクが治るかな⁉️ あちこちのパーツも修理せねばならぬし・・・トホホ😂

 奥州街道 終着地の青森・三厩(みんまや)宿から対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)・松前藩、松前城址へはまだ遠い道のりが続く




(9日目)  26.42㎞  36.097歩 
仙台道の累計 255.02km 68.2万歩

累計(奥州道中と併せて13日間)
     390.59㎞ 530.406歩
 1日平均(13日間)
          30.04km
          4.08万歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(8)

2022年04月07日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月6日(水)
 3/19℃ (宮城県柴田郡大河原町)
(8日目)奥州街道・仙台道 
船宿迫ー槻木宿岩沼宿ー増田宿
荒川ー船岡城址公園ー舟迫(ふなばさま)宿(67)ー平和観音ー麴屋土蔵ー槻木(つきのき)宿(68)ー逢隈亭(おうくまてい)ー阿武隈川堤防ー郡境石ー玉崎問屋跡ー御城米倉庫跡ー小野酒造ー南町検断屋敷跡(八島家)ー脇本陣(相原麴屋)ー竹駒神社ー武隈の松ー岩沼宿(69)ー増田宿



今朝は昨夜の洗濯物の片付けや、リュックサックの点検等でバタバタ
相変わらず思い込み、勘違い、忘れごと、予定や段取りが狂ったりして大慌てだ😆

相変わらず段取り下手の不器用さに改めて昔から何度も言われてきたなぁ  と思い出す😭

9時、やっと昨日歩き終えた船岡城跡公園前着き、今日の歩き旅の出発だ

ところが駐輪場のおばさんと挨拶を交わしたら話しが続き、なんと80歳とか お元気ですね! と言うと、家に主婦は2人はいらないからねと🤣

なんでも息子の嫁と同じ家にいると平和が乱れるから、外に出て働けるまで働いて楽しんでいるのさ と
至極納得👌 

それからお父さん(夫82歳)は資格を12も持っているから、私も頑張らねばとこの仕事をしながらヘルパーの資格やら  ???の資格まで頑張ったり遊んだりして楽しんでいるんです 生きがいを持つと生き生きと毎日楽しく過ごせるからね 家庭も円満 と大きな声で笑っている🤣

朝から意気投合 2人で大笑いしながら大いに盛り上がったが、見ず知らずの人とお喋りも楽しい😂

ここ何年かは歩き旅をしながらコロナ禍もあり自分からは話しかけるのは控えてきたが、周りの人々もそろそろいいかなぁー  とマスクをしながらだが会話を楽しむようになったようだ🤣

一目千本🌸と言われる白石川堤防桜はいつ頃咲くのかね? と聞けば、さあな桜に聞いてくれ! と笑うが、もうそろそろの様子だ

(船岡駅の現地柴田のポスターから   
後10日もすればこのような光景が見られるようだ)




そろそろ歩かねば今日の目的地に着かないので お互いに元気に生き生きと生きがいを持って外へ出て元気に人生を楽しみましょう と合意して別れた🤣 
朝から楽しかった😂

この堤防沿い1200本の桜は、その昔 当地出身の実業家による寄付とか







見れば1部の桜が咲きはじめたようだ




先の山が昨日歩いた船岡城跡公園


























大きな白石川の河川敷に畑をしている人は見かけたが、住んでいる人は初めて見た しかもブルーシート張りの家の周りには防風林、前の畑には作物が育っているし洗濯物もあり かなり年季の入った人のようだ🤣 
まさに晴耕雨読の感 優雅だな⁉️



昔の船着場跡


堤防で疲れた足を休める




















































舟迫(ふなばさま)は柴田郡にて伊達騒動の悲劇の地で四代藩主の後見政治を巡るお家騒動 その後の歌舞伎にも登場する 要害跡は船岡城址公園となっている

今日は増田宿までとした
と言うのも、お天気が回復した途端に杉やヒノキの花粉が大量に飛び交っているようでクシャミ、鼻水、涙目と終日最悪😱😭

公園でちょうど3時なので一休みしながら箕面FMラジオの「植田洋子とTea For Two」の生放送をインターネットラジオで聴きながら体調を確認😆

番組は都心で養蜂業を営む人の話だったが、農薬の関係で田園地帯でする養蜂より安全との話に、地球環境の危惧を考えさせられた

さあもうひと歩き と思ったが無理せずここまでとし、予約したホテルへ向かうことにし名取へ向かう

今回の目的地・仙台へはもう数日の頑張りだが、ここまで張り切って歩いてきたせいか、予定より2.3日早く到着しそうだ👌



(8日目) 
               27.31㎞ 36.366歩 
 累計  ㎞  歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(7)

2022年04月06日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月5日(火)  
 6/13℃(宮城県白石市本町)
(7日目)奥州街道・仙台道
白石宿ー宮宿ー金ケ瀬宿ー大河原宿-船迫宿
白石宿(63)ー白石川(白石大橋)ー陣場山ー世良修蔵の墓(戊辰戦争・奥羽総督府下参謀)ー白鳥橋ー刈田嶺神社ー宮宿(64)ー北白川橋ー里程標ー金ケ瀬宿(65)大高山神社(白鳥崇拝発祥の地)ー船岡城址ー大河原(おがわら)(66)船迫宿

今朝も雨だが、徐々に晴れてくるとの予報 雨具はいらないようだ

しっかりと朝食を済ませ、昨日歩き終えた白石宿を8.00スタート 
外へ出ると小雨なので、そのまま白石城へ向かう 桜はまだのようだ

もうすぐ咲くのかな? 
桜はまだ蕾の白石城


途中 白石高等学校のバックを持った生徒が元気に挨拶して通る
















桜まつりのぼんぼりが見えるがお祭りをするのかな?

一部工事中のようだ 一通り見終えて下に降りかけるとおじさんがフーフー言いながら上がってきたが、
ありゃー ??門もやられたのか と
どうやら3/16の地震の影響がここにもあるようだ 









城下から武家屋敷跡へ向かう 
屋敷の周りに川が流れ立派な武士の屋敷跡があった もう相当古いな
(ここも3/16の地震で被害があり入館はできないとの張り紙)









城下町を散策





















白石城は1868年の戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟締結に向け諸藩の代表が参集した舞台であった  戦う相手の薩摩・長州を主体とする官軍に敗れ、一時は共和制による「東日本国  政権」構想もあったというから、南北朝鮮のような事態になっていたかも? なんて想像した

(以下、記録用に写真を羅列)







































 




























































金ケ瀬宿は西側の本町に片倉藩の足軽が白石城の方角に玄関を設け、東側の新町には仙台藩の百姓が住み家は仙台の方角を向いていて、その特徴的景観が今も残っているというのが面白い





























ブログを書きながらテレビを見ていたら今タイミングよくその一目千本のことを昨年の満開の映像とともに写し出されていた 桜の寿命は7.80年とか 老木古木が多い
あと10日前後で美しい花を咲かせる と

今年も桜祭りは中止とか
見物は自由なのでコロナ対策をしてお出かけ下さいとの事だった

船岡城址に着く



















今日は早いがここまでとして船岡から予約したホテルに向かう
昨日 雨に濡れた衣服も含めてコインランドリーで全て洗濯・乾燥だ




(7日目) 
                26.94㎞  35.948歩 
 累計  ㎞   歩


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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(6)

2022年04月05日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
 
4月4日(月)  
 2/9 ℃(福島県伊達郡国見町)
(6日目)奥州街道・仙台道 
桑折宿ー藤田宿貝田宿ー越河宿ー斎川宿ー白石宿
 桑折宿- 藤田宿(59)ー硯石山(弁慶の硯石)ー国見神社ー義経の腰掛松ー厚樫山ー旧奥州街道・国見坂長坂跡の標識ー奥の細道石碑ー湯殿山碑ー三ツ石ー奥州街道・貝田(かいだ)宿(60)標識ー最禅寺ー貝田口留番所跡ー小原の材木岩ー福島・宮城県境ー下紐石(越河番所跡)ー白鳥神社ー越河(こすごう)宿(61)馬牛沼ー孫太郎虫ー鐙摺坂(あぶみすりざか)-田村神社ー六角堂ー斎川(さいかわ)宿(62)ー検断屋敷(旧島貫家)ー陸羽街道道標ー米沢街道分岐ー白石城ー片倉家中武家屋敷地区ー白石宿(63)

今日は雨の予報☔️
朝食をしっかりとりスタートする


朝 出発時にとても気持ちの良いホテルだったので、いつもの感謝を込めて ありがとう のメッセージとコメントを残してきた


昨日歩き終えた桑折(こおり)宿に戻るのに時間がかかった 

なんでも3/16の地震の影響で、今も福島〜仙台間の東北新幹線は復旧工事中、東北本線はその影響もありダイヤが相当乱れているようだ
気を取り直し元気に出発🤣

桑折宿は山形、秋田を経て青森へ通じる羽州街道が分岐する奥州街道の要の宿場であったとか









その桑折が松平藩だった頃に開発された銀山が「飯田銀山」で半田山一帯にあったと言うので訪ねる













(以下、歩いた順に羅列する)






あちこちに果樹園が見られ桃、りんご、柿、さくらんぼなどの木々が見える









畑の向こうから犬の散歩をする人がやってきて話しかけてきたので おはようございますと

実は申し訳ないのですが早口の東北弁はさっぱりわからない? 周辺の案内を説明してくれているようだがね😂 ありがとうございますと お礼を言って別れたが、親切な方だった🙏













左が東北新幹線、右が東北本線


























厚樫山、陸奥国・平泉200年の栄華を誇った奥州藤原氏と 鎌倉から北上し源頼朝軍との激戦の舞台 この戦いに敗れた藤原氏はその栄華とともに滅亡したと 
雨の中その戦場の後を眺めながらまたなぜか涙がこぼれる  
この足元の下に幾多の屍が眠るのか?







































藤田宿場近辺はつい先日M7.4の大きな地震があり、報道では死者も何人かあり、家屋の崩壊、土砂崩れなどの被害を伝えていた
またこの1ヶ月は同程度の余震もあるからと報道されていたのでいずれも慎重に歩く












雨の日の歩き旅の問題は、国道と並走する街道を歩く時だ 大型トラックが水しぶきをあげ、水たまりの水をはねるからだが、早々に小さな地道を探して避難しながら前に進む😭


この右側が国道、左側が街道






江戸時代の仙台藩領の南端、白石宿へ向かう
白石は伊達政宗の知将・片倉景綱が拝領して以来明治維新に至る270余年間、片倉氏が治めた城下町で往時の武家屋敷の姿を今にとどめる





































滅亡した奥州藤原氏に代わって伊達氏が興隆した街道 その歴史を刻んだ藤田宿から白石宿へ向かう

あれ? 東北新幹線の工事中現場はここなのかな? TVで見た脱線現場の復旧なのかな? 
雨の中昼夜を問わず懸命に作業をしていると言うニュースを見たので頭が下がる






ここから延々と何キロも農道を進む 車も来ないし安全だ👌 

雨は急に土砂降りになったり小降りになったり、だが風がきつく難儀だが、雨宿りするところもなく、これが歩き旅のきついところ😭
おかげで服は上下ともびしょ濡れだ










今日は白石にホテルを予約した
あまりのびしょ濡れにフロントで恥ずかしかったが、説明したら納得してくれた🤣

小さなホテルで前にコンビニ位しかなく、部屋で簡単な食事をして熱い風呂に入る   疲れたなー😂

だが1日自由にあるがままに元気に歩けることに ありがたいなぁ としみじみ感謝と幸せの涙を流す❤️

今 地震だ 左右に大きく揺れる😱
大丈夫だ👌💤



(6日目) 
    29.76km   41.184歩
 累計  ㎞  歩



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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(5)

2022年04月04日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月3日(日)  
 0/12℃ (福島県安達郡安達町)
日目)奥州街道・仙台道
二本柳宿ー八丁目宿ー浅川新町宿ー清水町宿福島宿ー瀬上宿伊達宿ー桑折宿
 松川ー安達ー二本柳宿-安達太良連峰風景ー円東寺ー鹿の鳴石ー境川ー信夫隠の碑ー口留番所ー松川橋ー西光寺ー八丁目宿(53)ー浅川村―浅川新町宿(54)ー清水町ー清水町宿(55)ー出雲大神宮ー共楽園ー羽山獄の石碑群ー馬頭観世音碑ー伏拝舟繋ぎ石ー杉妻村道元標ー須川(荒川)ー信夫橋ー柳稲荷ー福島城址ー(旧杉妻城)ー福島宿(56)瀬上宿ー伊達宿ー桑折宿(こおり)

今朝も0℃ と寒い🥶
厚着をして松川から出発
松川と言えば松川事件を思い出すが、もう相当古い昔の話となった

奥州街道は霊峰・安達太良(あだたら)山を仰ぎ、その裾野の春は紅色の桃の花や白いリンゴの花で桃源郷と化すという もう少しで花を咲かすことだろう



やがて福島盆地の入り口の八丁目宿に至る この宿場は「宿地千軒」と称され、東山道以来の古い宿場だ
冠雪の山並みは故郷・信州安曇野のアルプス連山を想う



福島盆地の中央に福島城下町が広がる 城下の信夫山は熊野山、羽黒山、羽山と呼ばれる三峰を持ち、平安時代以来信仰の対象とされ修験の山であったという





福島藩は三万石と小藩ながら、東北地方屈指の養蚕地帯で繫栄したというが、その後 昭和の大恐慌で衰退し、阿武隈川やその支流の摺上川流域に広がっていた広大な桑畑は果樹園に生まれ変わり、現在の果物王国の基礎が築かれることになったとか

(ここから歩いた順に記憶写真を羅列)















峠道にて おはようございます
わー びっくりした 何してるだ?
歩き旅です なんだかわからんけど気をつけてな 
ありがとうございます お元気で‼️

春の村祭りのようだ




































疲れた足を癒しながらおにぎりを食べる 早春賦を歌いながら



やー  こんにちは 仲良くね













福島県庁の横手にある福島城跡を訪ねるが、城の痕跡は見当たらなかった











古関裕而記念館に着く



古関裕而作曲の歌をYouTubeで探し聴きながら歩くが、たくさんの歌の中から 
モンテンパルの夜は更けて 長崎の鐘 若鷲の歌 には思わず涙がこぼれる 

学生時代 高校3年生 いつでも夢に は青春を想い、紺碧の空 には、次生まれる時は真面目に勉強して早稲田の杜を歩くぞと

六甲おろしを歌い、早春賦 野に咲く花のように を歌いながら歩いた 















































今日は歩きやすく桑折宿まで歩いた
何もない無人の桑折駅から50分待って福島に出て予約したホテルに入る

今回ディナーはいつも時間に追われバタバタと済ませるが、今日はホテルの居酒屋で久しぶりに寛ぐ🍺
1人で飲むのも好きだが、気の合う仲間とまた飲みたいものだ🤣🍻🥂





(5日目)
     34.19㎞ 44.985歩
  累計  ㎞   歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(4)

2022年04月03日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月2日(土)
 1/9℃ (福島県本宮市本宮)
(4日目)奥州街道・仙台道
本宮宿ー南杉田宿ー北杉田宿ー二本松宿ー二本柳宿
 杉田宿ー本宮宿㊽ー安達太良神社ー薬師堂ー南杉田宿㊾ー杉田川ー北杉田宿㊿ー光恩寺ー杉田館跡ー藤原実方供養塔ー旧市川家ー七夜坂ー正法寺地区ー木のぼり地蔵ー大壇口古戦場跡ー大隣寺(二本松藩主丹羽氏や二本松少年隊士の墓、戊辰戦争殉難者群霊塔などがある)ー二本松神社ー二本松城址ー二本松宿(51ー油井集落ー酒銘・花霞(屋号・米屋 高村智恵子の生家)ー鞍掛山ー二本柳宿(52ー松川

城址から桜が咲けば絵にしたい光景だ

今朝のホテルモーニングは定食スタイルでおかわり自由とのこと
いつものごとくお腹いっぱいにしっかりとおかわりをして食べた


今朝の気温はマイナス1℃の予報で厚着をして出発 
昨夜歩き終えた北杉田に8.30に戻り歩き始めるが、30分もしたら汗が出てきて軒先で薄着に替える 少し寒いぐらいが歩きやすい

















本宮宿から三春街道をゆくと滝桜で有名な樹齢1000年と言われる国の天然記念物で日本三大桜のエドヒガン系イトザクラの巨木があるらしいが、福島の桜の開花は4月20日頃だとのことで残念

大阪・箕面は今桜が満開と写真をメールで送ってもらったが、福島とは3週間の違いで、今は梅の花が咲く


二本松城跡に着く 事前の資料収集では歴史的なこと、山城であることと、戊辰戦争時の二本松少年隊の壮絶な戦いなどの知識しかなかったが・・・









だがこの辺で次の宿場へと思いつついると、上の方から同年輩の地元の方が下りてこられ声をかけてくれた 

それから1時間以上もかけて現地案内をしてくださった その豊富な知識とともに何とこの城跡の奥深いこと本の知識との大きな違いに驚く





















歩き旅でたくさんのお城を見てきたが、この二本松城跡は私にはその周囲の景観と合わせ最高に思えた
ここに高村光太郎と智恵子が座り、後に智恵子抄に歌われた場所と説明してもらった












二本松宿は寛永20年(1643年)白河から入封した丹羽光重によって整備された10万石の城下町で幕末まで治められたと

二本松城は戊辰戦争で悲劇的な結末を迎えたが、もし籠城していたらかなり持ちこたえたのではないかと思われる相当な規模と地形だ 専門家が名城の一つと言うのも頷ける
ここからの眺めは素晴らしい 

あと3週間ほどで桜が咲き、また秋には紅葉がとても美しいとの事













「もう一つの白虎隊」の悲劇は涙を誘う  かつて会津藩とともに勇兵の名高い二本松藩だったが、藩士が出陣して不在時に二本松城総攻撃をくらい、立ち向かったのは22歳を隊長に12歳から17歳まで60人ほどの少年隊だった 
勇敢に戦い長州藩隊長を大砲一門で討ったが僅か1日で落城し多くの少年が戦死した その悲劇に今も墓所の大隣寺少年隊士の墓には香の煙が絶えないという




見事な傘の樹形の松 びっくりだ









もっともっと沢山の個々の説明をいただいたが、また機会を見て訪れたいものだと思う
渡邊様ありがとうございました。

二本松宿から日本柳宿に至る間に高村智恵子の生家造り酒屋・花霞がある  至高の愛に生きた芸術家・高村光太郎とその妻・智恵子は後に光太郎が綴った詩集「智恵子抄」で知る所だ 
智恵子の生家を訪ねる












二人の魅惑に満ちた暮らしと、その後の智恵子の実家の破産で精神に変調をきたし、光太郎の看病空しく53歳で没するという 




 正気を失った智恵子を心から愛し続けた光太郎だが、その没落した智恵子の実家を見れば心が痛むのは何故だろうか 霞ケ城公園には「樹下の二人」の詩碑があった

今日は少し早めに切り上げ松川まで歩き、予約した福島のホテルに入る




















(4日目)
    23.67㎞  32.698歩
 累計  ㎞  歩

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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(3)

2022年04月02日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
4月1日(金)
 2/7℃(福島県郡山市中町)
(3日目)奥州街道・仙台道
郡山宿ー福原宿ー日和田宿ー高倉宿ー本宮宿杉田宿
 郡山(こおりやま)宿㊹ー逢瀬川ー安積橋ー安積山公園ー陸羽街道ー日吉神社(伊達政宗の郡山合戦の本陣・山王舘跡)ー16石像塔婆ー仙台佛(伊藤井肥前碑)-福原宿㊺ー豊景神社ー史跡一里坦址石碑ー宝沢沼ー日和田(ひわだ)宿㊻ー蛇骨地蔵堂ー西方寺の傘松ー安積山史跡公園ー並木松ー高倉宿㊼ー高倉城(松峯城)址ー五百川橋ー観音堂ー瀬戸川(山田橋)-人取橋古戦場跡ー積達騒動鎮定之遺跡碑ー本宮(もとみや)宿㊽ー杉田宿

今朝は特に寒く山麓は雪のようだ😱
大阪から昨夜も満開の桜🌸を皆が撮り送ってくれたが、ここ福島では一部を除きまだ蕾は固く、今はまだ梅の花かな

今日は少し出遅れ、昨日歩き終えた郡山宿に9.00に戻りスタート
小雪が舞う🥶

歩き旅に出て7日目だが、最初ブツブツ文句を言ってた足膝腰肩に禿げ頭も諦めたのか? それとも一心同体、天の国まで離れようがないので心を入れ替えたのか🤣 順調👌

(今日も時間的に記憶記録写真の羅列)
昨夜の宿泊地 須賀川は宇宙の星と姉妹都市とか すごいね🤣
昨日歩き終えた郡山から歩く






















郡山は今では福島県随一に発展した都会だが、そのきっかけは安積原野の開拓で、旧米沢藩士・中條政恒の唱導で大槻原野(現在の開成山一帯)の開拓であったと 安積疎水は明治15年に完成し約4000町歩もの原野が開墾されて近代郡山発展の礎になったとのこと















































































以下は福島の大震災、原発事故などを思い出す光景が広がり涙が出た


























































今日の予定地・本宮宿に着くが、まだ3時前なので次の宿場へ向かう





























日和田宿を過ぎて本宮宿の間に高倉城址を尋ねたが、どう見ても山への登り口がない?

人は全く見かけず、家も遠くに点在する位で聞くに聞けずに探していたら、やっと1人の爺さんがいたので道を聞いてみた

前歯が無く東北弁で全く内容がわからないが、身振りから道はもうなく、崩落して登れない様子 ありがとうございました😂 この山の上に高倉城址があった事だけは確認した





山里を下ると畑の真ん中にモダンな住宅にびっくり その次は家の玄関脇に植栽されたトトロがいた




杉田宿に着き 今日はここまでとした  だが全くの無人駅で周辺にも何もなく、ホテルを予約し1時間電車を待って福島駅へ出る

駅に今場所 大相撲優勝の垂れ幕があった
ここの出身と知った




(3日目)
              31.6km㎞ 42.812歩
  累計  ㎞   歩



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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(2-1)

2022年04月01日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月31日(木)
 7/15℃  (福島県白河市矢吹町)
(2日目①)奥州街道・仙台道
矢吹宿ー久来石宿ー笠石宿ー鏡石宿ー須賀川宿ー笹川宿 
 矢吹(やぶき)宿㊳ー石地蔵ー久来石(きゅうらいいし)宿㊴ー熊野神社ー笠石(かさいし)宿㊵ー笠地蔵ー矢吹ヶ原ー行方野ー岩瀬牧場ー須賀川一里塚ー朝日稲荷神社ー本町の黒門(木戸)跡ー十念寺ー芭蕉句碑ー中宿橋ー岩瀬の渡しー二階堂城址ー鎌足神社ー須賀川(すかがわ)宿㊶ー阿武隈川ー大聖不動明王堂ー二十三夜塔ー森宿街道下の石碑石塔群ー筑後塚ー滑川集落ー滑川橋ー笹川宿㊷ー安積永盛(あかさながもり)



今日、明日は当初より体を休める予定で行程をゆっくり目に組んだ
今朝もたっぷりと朝食をとり万全👌

昨夕歩き終えた矢吹駅に8.30に着く
さぁ今日も元気に出発‼️🍀
ふと振り返ると オッと駅舎がこんなデザインなのか とびっくり😆



今日は曇天、雨、晴と 更に汗をかいた昨日から今朝は寒い と天気予報が目まぐるしく変わる

(以下 歩き順に記憶写真を羅列)
















おおはようございます!
ハー おはようさんです 
ご夫婦とおばあちゃんの畑仕事
































樹齢250年の枝垂れ桜だと 凄い😱






須賀川には<奥の細道>旅の松尾芭蕉が4.5日滞在したようで、その時に詠んだ句碑が随所に見られた

東北の春は遅い 
大阪の友達から満開の桜の写真が送られてきた ひと月ぐらい遅いか?









福島県岩瀬郡鏡石町立第一小学校
懐かしい銅像がある



















ここで雨 ちょうど公園に東屋があり雨宿りしつつ早めのコンビニパンで昼食 須賀川市に入った
























勇壮な祭り須賀川の「松明あかし」は有名なようだが、これは1589年会津の蘆名氏を滅ぼした伊達政宗は二階堂氏の居城・須賀川城の攻撃に転じ、激戦の末に城は火災に包まれ落城 この戦いで戦死した人々の霊を弔うために始まったのが「松明(たいまつ)あかし」とのこと

須賀川市内に入りびっくり😱
ウルトラセブン⁉️ 懐かしい😆
子供たちが夢中だったが、今は孫も知らないだろうなぁ?
ひょっとしたら4歳と2歳の曽孫に見せたら喜ぶかな⁉️  と思ったり🤣
円谷英二の故郷だったんだ
















古く須賀川には室町幕府が奥羽統監の為に稲村御所を置いたとされる また歴史的には伊達政宗を初めてする戦国武将が領土拡張の争奪となった地のようだから重要な地であったようだ  











歴史街道はまた同じ大和民族が血みどろで戦ってきた道であり悲惨な戦場であったので悲しい出来事も多くあり心が痛む

今日はここまでの予定だが、なんとなくもう少し歩きたいと足も膝腰肩も賛同⁉️  ただ禿げ頭だけが冷たい強風に帽子を飛ばされ、その都度寒い思いをして怒っているのだ🥶😭

だがそこは一心同体しぶしぶ賛同🤣
②へ続く😱

2日目 ②へ


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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅 (2-2)

2022年04月01日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月31日(木)②
 7/15℃(福島県須賀川市本町)
(2日目ー②)奥州街道・仙台道
須賀川宿ー笹川宿ー日出山宿ー小原田宿ー郡山宿 

須賀川宿㊶ー阿武隈川ー大聖不動明王堂ー二十三夜塔ー森宿街道下の石碑石塔群ー筑後塚ー滑川集落ー滑川橋ー笹川宿㊷ー安積永盛(あかさながもり)笹川宿㊷ー東館稲荷神社(篠川御所跡)-日出山(ひでのやま)宿㊸ー磐城道追分ー音無川ー小原田ー本町本陣ー会津街道追分ー如宝寺(いぼなしの鐘)ー郡山(こおりやま)宿㊹

さてそういうことで⁈ 
 ①からの続き②を歩く


須賀川宿から次の宿場へ向かう


































































今日はここまでとし、須賀川宿にホテルを予約したので、郡山駅から向かう

昨夜6時間しっかり寝たので眠くはないが今宵も午前様😪
毎日5時起きなので中途半端だがこの辺で もうお休み💤



①と②
(6日目) 35.38km  42.704歩
 累計  km   歩


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江戸・奥州街道 仙台道 歩き旅(1)

2022年03月31日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月30日(水)
 5/19℃ (福島県白河市中町)
(1日目)奥州街道・仙台道
白河宿ー根田宿ー小田川宿ー太田川宿ー踏瀬宿ー大和久宿ー中畑新田宿ー 矢吹宿 
 白河(しらかわ)宿㉗ー白河城址(小峰城)ー鹿島神社ー長寿院ー白河だるまー三柱神社ー女石追分ー大木戸ー阿武隈川ー田町大橋ー女石ー会津街道分岐ー遊女志女の碑ー根田(ねだ)宿㉜ー大清水ー安珍の墓ー根田醤油ー高札場ー泉田村ー小野薬師堂ー古碑群ー小田川宿㉝ー泉崎村ー武光地蔵ー太田川宿㉞ー旧検断の家ー愛宕神社ー岩崎地区ー溜池ー踏瀬(ふませ)宿㉟ー飯豊山(いいでさん)碑ー検断屋敷ー踏瀬旧国道松並木ー泉崎村ー大和久(おわく)宿㊱中畑新田宿㊲ー常陸街道追分ー矢吹宿㊳ー本陣跡
番号は江戸日本橋からの宿場通し番号)

昨日は江戸幕府直轄の 奥州街道・奥州道中  を歩き終えホッとしてミニ乾杯!  
7日ぶりのビールが旨かった😂🍺

今日からはいよいよ  奥州街道・仙台道  に入る 
江戸参勤交代では、仙台・伊達家、盛岡・南部家、蝦夷地の松前藩始め、奥州の諸大名29家が利用したとか

名物  白河だるま




今朝はホテルのバイキングモーニングをしっかりと頂く 朝食は今日の健康のバロメーターだ👌
具材たっぷりの豚汁が旨い😆


昨日歩き終えた白河宿に戻り、8.20〜 今日をスタートする
曇天の昨夕見た小峰城を朝見るとまた違った雰囲気がする
桜ももうすぐだ🌸









白河宿場跡を歩く 



































阿武隈川を渡ると江戸幕府直轄の奥州道中はここ女石追分まで 
この左側の道は会津越後道、右側が奥州街道・仙台道

この周辺には戊辰戦争で戦った戦士の仙台藩、福島藩、会津藩や他藩の名の墓碑が多く見られる

以下仙台道を北上する













冬眠から覚めた熊が活動し始める頃だ









根田宿から小田川宿へ向かうと、前から3人連れの昔美人が散歩中 挨拶をするとにこやかに話しかけてきた

なんでも幼なじみで仲良しの三婆ババだとかで大笑い😆
 (どこかで聞いた気がするが🤣)  
八十過ぎでお元気で何より😂





































































今日は矢吹宿の入り口までとした

奥州街道は松尾芭蕉の 奥の細道 漂泊の旅、伊能忠敬の全国沿岸測量の為、吉田松陰は東北遊歴の旅はじめ 菅江真澄、高山彦九郎 等の他に多くの人々が歩いたという街道だ

今日はまさに春の陽気で気持ちよく歩けた🌱🍀🌿

早めに切り上げ予約したホテルに入り、着替えがなく五日分溜まった洗濯をコインランドリーでする 乾燥機の調子が悪く結局洗って乾燥して3時間もかかってしまった😭

ここしばらく睡眠時間が短く、今日は早めに寝ることにしよう😆💤😪

明日はまたお天気が悪いとか? 
本当に日替わりの天気に翻弄されるが、これも人生と同じだな🤣



(1日目)25.64km  34.621歩
 

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江戸・奥州街道 奥州道中 歩き旅(4)

2022年03月30日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月29日(火)
 3/13℃(栃木県那須郡那須町芦野)
(4日目)奥州街道・奥州道中
芦野宿ー板谷宿ー寄居宿白坂宿ー白河宿
 芦野(あしの)宿㉕ー建中寺ー遊行柳ー湯泉神社ー新町地蔵尊ー岩倉右大臣歌碑ーべこ石の碑ー峯岸館従軍者之碑ー二十三夜塔ー諭農の碑ー板屋の一里塚ー高徳寺ー脇沢の地蔵様ー八幡社ー観音坂ー座り地蔵尊ー湯殿山常夜燈ー與楽寺ー松本家ー大島家ー泉田の一里塚ー初花清水碑ー馬頭観音ー玉津島明神ー住吉明神ー白河二所之関址碑ー衣がえの清水ー山の神ーおくのほそ道道標ー丁津屋跡ーかめや跡ー本陣跡ー白坂(しらさか)宿㉖ー念仏供養塔ー大垣藩士戦死之跡碑ー本陣跡ー旧陸羽街道ー廿三夜燈ー金売吉次兄弟墓ー名号碑ー題目碑ー馬頭観音ー戊辰の役古戦場跡ー権兵衛稲荷神社ー八雲神社ー金刀比羅神社ー西宮大神ー藤屋ー奈良屋ー山木屋ー松河屋ー敷教舎跡ー脇本陣柳屋跡ー白河(しらかわ)宿㉗ (奥州道中・完歩)

今日は曇天 寒の戻りのようだ 
とにかく寒い一日 🥶
だが歩き旅には冬場が一番好きだから 今朝も元気に出発‼️😆

表写真は白河宿・小峰城から


今朝は昨日歩き終えた芦野宿から
スタート 8.30〜

芦野城跡の表示があったが山城のようで城壁等はなかった
途中で出会った人が詳しく周辺の説明をしてくれた 感謝!
以下はまた歩いた順に写真を羅列するが、説明書きは後日に 桜は一部で咲き始めだが蕾はまだ硬いようだ


























































































































今日はここまでとし、宇都宮宿から白河宿までの奥州道中を予定より2日早く4日で歩き着いた

徳川幕府の道中奉行が管轄する江戸五街道の一つ  <奥州道中>  は日本橋から宇都宮宿を経て白河宿の女石追分まで
白河宿は江戸幕府の道中奉行が直接管轄した最北の宿

 

 下野国(栃木県)から陸奥国(福島県)への国境を越えると白河関所跡があり、かつての東山道の山間部に佇む ここは古代の奥羽三関所(福島の勿来なこそと山形の念珠ねず)との一つで関東と奥の国(奥州)との境界をなした要衝であるという  

 廃墟となっていた白河関跡を復活させたのは天明3年(1783年)白河藩主になった松平定信と
 
 白河関跡は平安末期の歌僧・西行はじめ後に芭蕉など多くの文人墨客が歌に詠んだ歌枕の地としても名高いそうだ

いよいよ明日から奥州街道・仙台道への未知の旅路に入るので慎重にまた果敢に一歩一歩進んでいきたい



(4日目)  30.22㎞ 41.300歩
 累計(135.57㎞ 182.939歩) 

*階段カウントは400段以上上り下りしたが? 階数?

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江戸・奥州街道 奥州道中 歩き旅(3)

2022年03月29日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月28日(月)春の嵐強風
 2/12℃(栃木県大田原市新富町)
(3日目)奥州街道 ・奥州道中
大田原宿鍋掛宿ー越堀宿ー寺子宿ー芦野宿
 大田原(おおたわら)宿㉒ー那須屋ー旅籠・上州屋跡ー龍泉寺ー大田原城址ー大久保木戸跡標石ー大田原神社ー平家の豪族・瀬尾家居館跡碑ー中田原の一里塚ー棚倉追分道標ー十王堂跡ー高野槙ー如意輪観音ー弘法大師の碑ー麻疹地蔵堂ー那須湯道追分道標ー市境標石ー馬頭観音ー桶沢神社ー桶沢の大沼ー鍋掛の一里塚ー鍋掛神社ー清川地蔵尊ー鍋掛(なべかけ)宿㉓ー八坂神社ー正観寺ー那珂川の渡しー枡形跡ー問屋場跡ー本陣跡ー浄泉寺ー加茂神社ー越堀宿坂本屋碑ー越堀(こえぼり)宿㉔ー高久あい崖の墓ー伊勢大神宮碑ー金刀比羅神社碑ー冨士見峠ー温泉神社ー寺子の一里塚ーはしか地蔵ー余笹川の渡しー弁慶の足踏み石ー八雲神社ー石仏石塔群ー旧愛宕神社ー湯泉神社跡ー番太坂ー馬頭観音群ー明治天皇碑ー夫婦石ー夫婦石の一里塚ー館山城址ー芦野氏居館跡ー芦野氏陣屋裏門ー三光寺ー芦野氏陣屋跡ー問屋場跡ー脇本陣跡ー平久江家門ー番所跡ー本陣跡ー芦野(あしの)宿㉕

 昨日は5月の気候とかで23℃と暖かく歩きやすかったが、今日も同じような天候かと外へ出たら昼間も12℃と寒くてびっくり🥶

しかも一転 春の嵐か? 朝から晩まで冷たい強風が吹き荒れ、終日震えた😂

鍋掛宿の鍋掛牧場から



(* 今日も写真を200枚以上撮ったので整理が追いつかず、また写真の記憶用羅列とし後日説明文を入れる) 

昨夜 歩き終えた大田原宿・金燈篭に8時に着きスタート、先ず太田原城址へ向かう






































早くも田植えの水張りかな?



村ではゲートボールが盛んなようだ





















































































今回出発前に読んでいた  
「流人道中記」浅田次郎著(中央公論新社刊)の上巻にこの芦野宿界隈のことがあり、ここがその舞台かと小説の中の江戸に帰ったみたいで懐かしい思いがした 

物語にもあったが山越や峠道を何度も上り下りし結構足がいつになく疲れたが、今日はみんな文句なし⁉️
疲れて怒る気にもなれないらしい🤣

体の芯から冷えた😱
熱い風呂に長く浸かり過ぎたか? 今度は出てから汗が流れ止まず困った トホホ😂  
明日も早い 寝るとしよう😪💤



(3日目)
      36.54㎞ 48.678
 累計 105.35㎞  141.639歩


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江戸・奥州街道 奥州道中 歩き旅(2)

2022年03月28日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月26日(土)
(2日目)奥州街道・奥州道中
  12/23℃ (栃木県塩谷郡氏家町)
氏家宿ー喜連川宿ー佐久山宿-八木沢宿ー大田原宿 
 氏家(うじいえ)宿⑲ー石井脇本陣跡ー阿久津河岸ー薬王寺ー村上家棟木門ー脇本陣跡ー八幡宮ー松並木跡ー狭間田の一里塚ー琴平神社ー大黒天ー勝善神ー弥五郎殿ー史跡・奥州街道古道標識ー高塩背山道標ー愛宕山神社ー喜連川(きつれがわ)宿⑳ー脇本陣跡-本陣跡ー喜連川城址ー喜連川神社ー喜連川陣屋跡ー旧萬屋ー枡形跡ー追分道標ー専念寺ー突抜井戸ー金鶏神社ー馬頭尊ー鶴ヶ坂ー南和田の一里塚ー浅間神社ー長屋門ー御膳水碑ー明治天皇碑ー下河戸の一里塚ーほほえみ仏ーつぶれ坂ー木の股地蔵尊ー旧陸羽街道ー佐久山前坂ー山の神ー虚空蔵尊堂ー豊道春海翁生誕の碑ー佐久山城址ー実相院ー本陣跡ー佐久山宿㉑ー正浄寺ー桜観音ー聖徳太子碑ー長屋門ー題目碑ー親園地蔵尊ー八木沢陣屋跡ー湯殿神社ー護法寺ー馬頭観音群ー浅野八幡宮ー大田原宿新田木戸跡ー忍精寺ー大田原宿㉒ー本陣・問屋場・高札場跡ー幸矢の与一像ー金燈籠ー西那須野

夕暮れの大田原宿近くから 
あの山の名前は⁉️


今日は朝から快晴の良いお天気
気温は23℃を超えるとの予報
今日も元気に出発‼️🌿

昨日歩き終えた氏家宿の西導寺へ
7.40に着きスタートする 
昨日到着時の曇天と、今朝と場所が違うみたいだ😆


氏家宿には大きな屋敷跡 (本陣や脇本陣跡も) が今も残る












氏家宿の南、鬼怒川左岸には「小江戸」と称され賑わった阿久津河岸があり、仙台藩、米沢藩、二本松藩や近郊の大田原藩、宇都宮藩などの諸藩や天領で収穫された米を江戸へ出荷する水運の一大拠点だったという 
 
(以下、歩き順に記憶の記録の一部を羅列)
今日は写真を100枚ほど撮ったので時間的に編集ができず後日補充 
歩き疲れたので写真の説明も後日に



























二羽のウグイスが交互に鳴き恋の季節かなと見上げる





































故郷・安曇野と日本アルプスの光景に似ていて見とれる






















バス停を見ると行きと帰り一日1本だけ? 車がないと田舎に住めないなと思ったが、免許証返納したのでこりゃ無理だなと実感😰 














大田原は源平合戦の屋島の戦いで名を馳せた、那須与一(なすのよいち)ゆかりの地で、那須野は平安時代末期から名門・那須氏が支配した地であるとか

今日は昨日と同じ、朝から花粉症状で悩まされた😭
主治医から薬をもらっているが杉花粉からヒノキ花粉に変わると一向に効果がないみたいだ😂

歩いていてもどこかしこでクシャミ、鼻水、涙目、時に喉が痛く咳も出て最悪だ😭 とボヤいても始まらず、これこそケセラセラだな😭 

今日はお天気も心地良く、つい歩き過ぎてしまった😂
1日5万歩、40km  以上を歩いたのは、東海道歩き旅の最終日以来かな

足膝腰肩に禿げ頭まで怒る前に呆れたようで好きにして‼️ と諦めてしまった様子 これこそケセラセラ🤣

だが熱い風呂にゆっくり浸りながら
珍しくサロンバスでカバーした😂
明日はこれで大丈夫かな⁉️😅💤😪



(2日目)
    42.68 ㎞ 57.154歩
 累計 68.81㎞ 92.961歩

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江戸・奥州街道 奥州道中 歩き旅(1)

2022年03月27日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
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