幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

晩秋の千里北公園

2022年11月27日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月27日 (日) 14/21℃  
晩秋の千里北公園

今日は南千里の自宅から40分ほど歩いて北千里の千里北公園にやってきた


 
千里北公園は緑豊な芝生広場がある








アメリカフー、タイワンフー、トウカエデなどが紅葉してきれいだ




美しい風景が広がるが殆ど人を見かねないね 紅葉狩りの穴場だ







銀の鳥 時計塔


蓮間ケ池の先に吹田市立北千里市民体育館、北千里高校があり、その先に国立循環器病研究センターがあったが、摂津市に引っ越した。


歌碑「丘の上に来て」下村非文作

広い公園で保育児がランチタイムのようだ。ここなら思い切り遊べそうだ。想えば子供が幼かった頃  時々遊びに来たな




数年前、宿泊しながら3日間ここで自然観察指導員の資格講習(日本自然保護協会認定)を受けたが懐かしい



3本の飛行機雲が浮かぶ 空軍機の後のようだが、ふっとウクライナを想う

吹田市のマンホールデザイン 万博の太陽の塔がモチーフ

一人紅葉狩りを楽しんだ こんな日に本を一冊持ってくればよかったが、マイペースの時間が好きだ

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落葉の千里南公園 青春とは

2022年11月26日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月26日 (土)  9/18℃  
青春とは

 文庫本を一冊持って落葉の千里南公園を散歩する ベンチや座る所は色々あるので本を読んだりするのにも向いている


何より戸外で季節を感じながら本を読める環境がありがたい


晩秋の落葉を楽しみながら本を開く



サムエル・ウルマンの詩「青春とは心の若さである」作山宗久訳(角川文庫)
何度読んでいても特に「青春」の詩は勇気づけられるね



「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う・・・たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす・・・」




「・・・青春とは人生の深い泉の清新さをいう」 



「・・・年を重ねただけで人は老いない 理想を失うとき初めて老いる 歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心がしぼむ・・・」




「・・・60才であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある・・・」




「・・・20才であろうと人は老いる 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80才であろうと人は青春にして已む」





この詩はサムエル・ウルマンが78歳の時のもの 同じ歳になり、同じような心を持ってこれからの青春を生きていきたいものだね


 
もう早春の水仙が顔をだしたよ
 

南千里駅前のスーパーで食材を買って帰る さて今宵のディナーは何にしようか
色鮮やかなハゼの木が見ごろ


*写真は全て千里南公園の散歩道から


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中国街道を歩く

2022年11月24日 | 江戸・中国街道歩き旅(大阪高麗橋ー兵庫西宮宿)
中国街道を歩く

 今年6月に鹿児島薩摩藩・鶴丸城址から北海道松前藩・松前城までの街道歩き旅を終えたが、その日々はこのBlogでも記載してきた。
大阪文学学校の先輩・Nさまから中国街道があると教えて頂いた。

 早速調べてみると、京街道の起点地でもある大坂城下の高麗橋から難波橋、淀川を十三の渡し、神埼の渡し、大物浦、尼崎城下などを経由して西宮本町で西国街道と合流する中国街道がある。資料によれば、参勤交代で江戸へ上下する西国の諸大名は、豊臣秀吉の大阪城下を通るのを避けて、京都から西宮を経ていたとあり、中国街道は主に西国諸国との物流に利用されていたようだ。
 この三角分岐点が何とも悩ましい。だがせっかく情報をいただいたので、その部分を埋めたく歩いてみることにした。
(*画面をタッチすると拡大します)

朝7時、淀屋橋からスタート 
目の前の御堂筋や大阪市庁舎周辺も黄葉
 

土佐堀川と日本銀行大阪支店
 

フェスティバルホールと対岸の三井住友銀行本店
 

道修町通りを歩く
 

街中の少彦名神社 こ界隈は薬の町だ
 

淀屋橋から周辺を散策しながら起点地の高麗橋へ向かう 
往時の街道は戦災の為、周辺は大幅な区画整理をされ、忠実に辿ることはできないので随時ポイントを探し歩く事とする
今回は中国街道と併走する大和田街道を経て西宮宿へ向かうルートを選んだ

高麗橋に着き出発 
大阪市中央区の東横堀川に架かる橋 江戸時代から明治にかけて高麗橋は京街道、中国街道、暗越奈良街道、紀州街道、亀岡街道の起点地となり高札場が設置され、里程元標が置かれて西日本の道路距離計算の起点地となった重要な公儀橋だったという 
ここから中国街道を行く
 

 

難波橋(なにわばし)
堺筋の大川に架かる通称ライオン橋 
大和田街道はこの橋が起点地
  

 

中之島の こども本の森(図書館)、中央公会堂、府立中之島図書館、大阪市庁舎、裁判所などを経て土佐堀川を下る 
  

  

大江橋、渡辺橋、肥後橋と大阪は八百八橋と呼ばれるぐらい橋が多い 
 

 

ビル街の川沿いに花や緑があると安らぐ
大阪中之島美術館 今は<ロートレックとミュシヤ>展など
 

玉江橋(中央の茶系の建物は 朝日放送本社)から福島へ向かう
 

福島天満宮からJR福島駅前を経て大和田街道へ
 

この町は占いの町で有名 商店街の売り物は「売れても占い(うらない)商店街」で売っている
 

 

大和田街道別名・梅田街道)起点地は難波橋北詰めー海老江ー姫島ー大和田ー出来島ー佃ーそして左門殿川の辰巳橋を渡って兵庫県尼崎市の大物(だいもつ)に入り、西宮の西国街道に合流するものでほぼ中国街道と併走する
 

海老江八坂神社 
大和田街道西成大橋の親柱がある
  

 

松下幸之助の創業地とあり立ち寄る 今の世界企業・パナソニックもこの町工場から出発したまだご存命の頃、ロータリークラブの例会でお会いしたことがある)
 

 
海老江は戦災被害が少なかったようで古い家並みが残る

淀川大橋(旧西成大橋)を渡る 昔は渡し舟があった
 

 

西淀川区に入り、姫嶋神社へ(別名やり直し神社と呼ばれ、ホタテ貝に縁切りなどの願い事が書かれている)
 

大和田の町に入る(かつての大野川は埋め立てられて公園となっている)

 

旧大和田東小学校と大和田城址の標示 石碑は校内にある 大和田城は海に面した海の城で、毛利水軍からの防衛の為に築城されたとか 1575年に荒木村重が攻め入り落城 その3年後に織田信長の命により再築城、だが廃城資料などがなく幻の城のようだ 

 

 

 

神埼川に架かる千船大橋を渡り佃、出来島を見る
 

左門殿川の辰巳橋を渡り尼崎市に入る(辰巳橋遺跡があるように鎌倉時代から江戸時代に至る多量の遺跡が出土している古い地域だ)
 

大日本紡績(ユニチカ)の旧工場跡

 

残念さんの墓(尼崎市大物町大物公園内大物主神社 大物崩れ戦跡など巡る
 

昔の船着き場跡と大物(だいもつ)橋跡碑
 

大物川緑地で一休み
 

尼崎市立歴史博物館をみる
 

 

尼崎城址 は元和3年(1617年)、江戸時代初期に築城された平城(別名・琴浦城)で今は石垣、土塀、一部天守閣も復元されている
 

 

JR尼崎駅前と本戎事代主神社
 

 

   

 

海抜がマイナス0.2mの地  は初めてみた
 

 

琴浦神社
小学校の前で一休みをしていたら、登下校の警備員の人から声をかけられた 
「歩いてられるんですか いいですね この辺は昔一面のいちご畑でしたわ この先の右に曲がったところに資料館がありますよ もう少しで武庫川を超えたら西宮市ですわ・・・」と、最後はいつもの「健脚ですね うらやましいですわ 私らもう歳なんで おいくつですか えっ私より10歳も上ですか?」

中国街道の標示版と琴浦神社
 

雉ガ坂伝説地 岡太神社 鳴尾の孤松 西宮市里中町を巡る
武庫川を渡り西宮市に入る 橋の上に多数のカワウが羽を休める
 

 

 

 

 

目的地の西宮神社に到着
 

西国街道との分岐点 
夕暮れの西国街道 西宮神社 西宮宿 に着く
現代の道では近道がいくつもあるが、当時の街道を歩くとなると大回りをして歩く事になり相当時間がかかった 
 

歩き疲れたが熱い風呂でしっかりとフォローした。
 

中国街道(高麗橋ー西宮宿)
 11時間 39.2㎞ 5.2万歩
*総計に加算する

「街道歩き4000km」の旅は
総計161日間  4162.7㎞  602.9万歩

これにて<街道歩き旅>の全行程を終える

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生き甲斐

2022年11月21日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月21日(月)12/20℃ 
生きがい

生きがいは人によって其々違うけれど
私は今の毎日の生活が生きがい  
誰からも束縛されることなく、自由に空を飛び廻れる鳥のように自分を生きられること



だから人に何と言われようと、自分らしくあるがままに自然に生きる
今が人生最高に幸せ!



でもそんな自分を発見するまで、長い年月を費やした  
今は自分の為だけに生きる 自分の喜ぶ心を大切に生きる


ひとり身となって10㎏も増えた 
お腹もpontaと同じ🤣
でもこれも幸せ太りで気にしない 
生き甲斐は今を幸せに生きること 


幸せも生き甲斐も自分の心次第で今からでもつくられる
生きがいは自分らしく生きること

*写真は全て千里南公園の散歩道から

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大阪のオモロイ町・空堀

2022年11月17日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月16日 (水) 9/19℃ 
大阪のオモロイ町・空堀

大阪中央区の谷町にある空堀(からほり)商店街レトロでモダンな大阪の街だ。
昔ながらの長屋は映画撮影にもよく使われるという。

  

   

  



空堀は戦争による空襲を免れた街で古い建物も随所に見られ、長屋や路地もあり懐かしさを感じられる
 

 

商店街800Ⅿほどの屋根が丸、三角、四角と違う部分があるが、エリアで組合が違うからとか
    

 

商店街の裏通りがまたレトロで味わいのある店が見られる
 

 

 

長屋再生複合ショップやミシュランガイド大阪に掲載されているたこ焼きビストロがあったり
 

 

 

紙匠雑貨店、手帳専門店、1800年代の江戸時代にも遡る蔵が有ったり
   

    

からほり御屋敷や居酒屋、旧ヤム邸のカレーは有名、スイーツのお店もいろいろあり
 

 

 

レトロ&モダンな店と何故か懐かしい面白い町だ
 

  
そんな一角に直木賞に由来する
直木三十五記念館がある 大正末期から昭和初期に活躍した作家だ
 

その空堀の表通りに面した古いビルの3階に大阪文学学校がある 
これまで芥川賞を受賞した田辺聖子、玄月、直木賞を受賞した朝井まかて、また木下昌輝はじめH賞や各文学賞受賞はじめ多くの作家を輩出している名門だ

空堀のレトロとモダンが混在した町に大阪文学学校がよく似合う

空堀界隈をまだ1/10も知らないが
大阪のオモロイ町に違いない。

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晩秋のひとコマ

2022年11月14日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月14日(月) 10/19℃ 
晩秋のひとコマ

千里南公園の散歩道から
千里トンネルを抜けて南千里駅に向かう阪急電車(千里線)





昨年から芝生広場で何度かお目にかかり、青春の懐かしき歌声を聴く



これはユーカリの大木 

樹齢を調べたが数えきれなかった その昔オーストラリアを旅した時にユーカリの木の下で可愛いコアラを抱っこしたことがあり懐かしい

公園では其々が自然の緑の中で遊び寛ぐ姿を目にする







晩秋の風景 枯葉が舞い落ちる下で俳句を練る人をよく見かける



季節は徐々に晩秋から初冬へ向かう 自然の営みは確実に時を刻む


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朝のローテーション

2022年11月12日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月12日(土) 11/24℃ 
朝のローテーション    

朝5時いつものベルが鳴る
起きる時と、夢の続きを見たくて起きたくない時と
そのまま暖かい布団の中で音楽を楽しむ日もある



冬場はまだ暗く寒いが、起きると5箇所の窓を全開する
新鮮な空気に入れ替えて深呼吸 心も新たな朝を迎える
部屋の観葉植物一つ一つをみて声(肥え)かけをする



東の空がうっすらと明るくなってくる
早くも前の公園ではウオーキング 
 ジョギングをする人たち
朝だよーとばかりに野鳥が飛び交う 



時に広く緑豊かな公園の四季を楽しみながら散歩へでかける
楓の木々から紅葉した枯葉が舞う ラクウショウも色づく
花壇では秋の花々が静かに美しく咲き乱れる



家に戻りモーニング珈琲を淹れる
体調に合わせて食べたいものを作る
ベランダに朝陽が差し込む PCのスイッチを入れる



結婚生活延べ50余年を経て独り身となり4年が過ぎた
自分らしいあるがままの朝を迎える 自分だけの自由な朝
人生の黄金期を迎え、なんて素晴らしい日々なのだろうか
(人生史77 散文詩から)




*写真は全て千里南公園の散歩道から



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朝の窓

2022年11月08日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月8日(火) 9/20℃ 
朝の窓 

朝焼けの空を飛行機雲がぐんぐんと伸びていく
米軍の空軍機かな ふとウクライナの戦場を想う
左の窓から右の窓へすぐに消えた



目の前を烏が二羽 上下左右に乱舞していたかと思ったら
やがて仲良く並んで飛んで消えた
恋人かな それともあの乱舞は夫婦かな



目の前の公園の銀杏や桜、楓の木が大きく揺れる
時折吹く秋風に枯葉が大きく舞い落ちる
メタセコイアの先端が見える 随分と色づいてきたな



十数羽の鳥たちが隊列をなして東の空へ飛んでいく
越冬渡り鳥かな どこからやってきたのか
それとも既に到着していて朝の狩りに出かけるのかな



時を知らせる公園の鐘が鳴った
微かにいつものラジオ体操の曲が流れてくる
朝陽が窓辺に差し込んできた



そろそろベッドから起きてモーニング珈琲を淹れよう
(人生史77 散文詩から)



*写真は全て千里南公園の散歩道から

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キャンドルナイト

2022年11月06日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月6日 (日) 8/20℃
キャンドルナイト

昨夜は千里南公園でのキャンドルナイトを楽しんだ




夕暮れとともに、多くの人々が目の前の道を歩いているので出かける








朝の散歩で見たUFO? やはり池の上に浮かんでいる

朝早くからカップに砂を入れ、キャンドルを置いて並べていた人たちの力作が並ぶ





多くの親子連れが秋の夜を楽しむ

幼稚園児や小学生は自分がカップに書いたキャンドルがどこにあるか探している

足元が暗いのでゆっくりと歩くがやはり見づらい

池上にはUFO?が浮かぶ





パークカフェも賑やかだ


公園の広場はひときわは賑やか

多くのボランティアの皆さん お疲れ様です そしてありがとう
お陰で秋の風物詩を楽しみました。

夜が遅くなったついでに ファンの
東京大衆歌謡楽団の路上ライブをYouTubeで2時間も聴く 
昭和はいいね😂





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キャンドルナイトの朝

2022年11月05日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月5日 (土) 9/19℃
キャンドルナイトの朝

いつもの朝の散歩をしていると何か異様な光景が目に入る



そうか先日案内を見たばかりのキャンドルナイトの日 その準備作業のようだ



何か大掛かりなようだ これは池の上に浮かぶのかなあ?




1周をして芝生広場に来ると、これはキャンドルを灯す準備のようだ 
朝早くからご苦労さんです




地域の幼稚園や小学校、サークルなどのブースが分かれている



今日は夜も楽しめそうだ

見ると11月20日もここで何かイベントがあるようだ 遠くへ行かなくても目の前で広がる催しが次々とあり楽しみだ



ブラスの練習をする音色が響く

今日も野鳥観察をする人が多い ここではコバルトブルーのきれいなカワセミが見られた


ここにはどんな野鳥がいるのかな?





 

公園の散歩も朝からいろんな人に出会う 人が多いなと思ったら今日は土曜日だ 年中休日なので曜日を忘れる 
トホホ🤣




さあ 今朝のモーニング珈琲を淹れるとしよう 
ベランダからも同じような景色があり毎日嬉しい秋を楽しむ




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森の癒し⑤ 詩人ワーズワース

2022年11月04日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月4日 (木) 11/19℃ 
自然の中の詩人ワーズワース  

代表的なロマン派の詩人ウイリアム・ワーズワースは自然賛美の浪漫的な詩を数多く残している


イギリスの湖水地方コッカサスで生れ、グラスミア村、後にライダル湖近くに暮らした


自然の中でワーズワースは「かつて牧場と森と小川と大地とあらゆる周囲の風景がわたしにとって天上の光に包まれて見えた時があった」と幼児期を書きている




私の幼児期は故郷・信州安曇野の風景であった    日本アルプスの常念岳を望む安曇野平野の自然の中で育ち、今思えばそれは天上の光に包まれた至福の時であり、今も原風景として心に残る




ワーズワースが愛する妹ドロシーにあてて贈った詩がある
「緑の森の中での感動は 人間や道徳的な善悪についてどんな賢者からよりも多くのことを教えられる 自然がもたらしてくれる法則は美しく われわれの小ざかしい知性は事物の美しい姿を歪める」と



自然や森は木材生産や環境保全と共に、人間の情操感をも育ててくれる「自分は自然によって生かされている」と多くの芸術家や小説家、詩人など、その創造力を自然の中から享受してきたようだ




ワーズワースは毎日湖畔や近隣の森、自然の中を歩き詩作をし、野外で主に詩を書いていたそうで、文字通り自然の中の詩人であった




ワーズワースの墓碑を写真で見れば、妻メアリーと共に今もその自然の森の中の大地で眠っている




私には自然と共に生きる憧れの人生であり、やがて安曇野の自然の森の中に浸り埋もれ、その大地にて永遠の眠りにつきたい
(人生史77 散文詩から)






*上記の写真はいずれも今朝の千里南公園の散歩道から


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花と緑のフェアー

2022年11月03日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月3日(木) 12/23℃ 
花と緑のフェアー

朝の散歩に出かけたら、千里南公園の芝生広場周辺に車が入り、何やらバタバタとしている様子 何かあるのかな?😵‍💫






聞けば今日は吹田市の花と緑のフェアーとか


なるほど 歩いているといろんなお店が準備中だ


一回りして戻ってくると更にお店が増えて、人も集まってきた 
朝早くから皆さんお元気な様子




公園の樹木にロープをかけていたが、このロープ1本で上に登れる様だから、子供たちはきっと喜ぶだろうな いくつかの高木にロープがかかる




ドングリを炒って美味しく食べられると・・・

準備中だったカーショップのおにぎり屋さんに早くも行列ができる

見れば早くも長い行列ができているパン屋さんのブースもあり、朝食にと思ったが、並ぶのは嫌いなので諦めた😂





何なに? 5日も何かイベントがあるようだ 遠くへ出かけなくても家の前の公園でいろいろな催しがあり活気があって元気をもらう🤣

これからステージでもイベントがあるようで沢山の人出でにぎわう事だろう 

そろそろ帰りモーニング珈琲を淹れるとしようかな☕️🥪🥗
今日は久しぶりにラウンジチェアーに横になりながら本を読む 読みたい本が沢山あって嬉しい😆 



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森の癒し④ 夏目漱石

2022年11月01日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
11月1日(火)16/21℃ 
森の癒し 夏目漱石       

夏目漱石が文部省派遣で英国留学をしたのは明治33年9月から2年3か月ほど その間滞在先のロンドンで「神経衰弱」の状態に陥ったことはよく知られています


それは妻鏡子宛への手紙にもその症状や状態が書かれているが、同じくロンドンにいた岡倉天心の弟、岡倉由三郎が「夏目発狂セリ」と文部省へ電報を打ったことでも相当深刻であったようです



現在的に言えばそれはうつ状態、心身の疲弊と置き換えることができます     その状態からいかに心癒されたかを推測してみました


それは漱石がスコットランドの知日派の富豪・ディクソン氏から個人的に招待され、森林高原の保養地ピトロッホリーに3週間ほど滞在した時


また定かではないが帰国の船を延ばし、その森での滞在を延長したこと


更に帰国後、随所でこの森の中での体験がいかに良かったかを発出していること


例えば坂本雪鳥著「修善寺物語」に看護者に語る漱石の自然に対する畏敬の念や目を輝かせて語る自然の素晴らしさが筆録されている



1909年発表の「永日小品」の中で、ピトロッホリーの自然に関する描写は漱石が残した随筆の中でもとりわけ美しくかつ詩的です


またその後の作品「草枕」に自然における表現にその体験が継承されているという漱石研究者の話




つまり漱石は意図したわけではないが、スコットランドのピトロッホリーで毎日の森の散策から、自然との交わりの中で徐々にうつ状態から心癒されたものと推察するものです


改めて包容力のある自然の森は、母の胎内に似て安らぎと人間の心身の癒しとなるオアシスだと確信するものです
(人生史 散文から)




上記の写真は全て今朝の千里南公園の散歩道から
秋だね!



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