幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

居場所

2021年10月30日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月30日 (土)  9/21℃
居場所

居場所は人によってそれぞれ違うが、自分は心が一番落ち着けて幸せを実感できる生活空間だと思っている

コロナ禍で行けなかった故郷・信州へ久しぶりに帰り、松本・安曇野など親族5カ所のお墓参りをし ほっとできた 
やはり故郷は良いものだ 今を生きる自分の存在を想い、先祖から繋ぐ心の置き所があり 自分の居場所もある 
ありがたいことだなと涙する😂

曇天の安曇野だがアルプスは冠雪 
もうすぐ全山雪に覆われる


帰阪し文学学校のゼミに出かけた
近くに空堀商店街と言う少しレトロな街があり、直木賞の直木三十五記念館があるが、昭和に逆戻りしたような街並みに安らぎを覚える
ここには安曇野とまた違う郷愁がある

直木三十五記念館 
<芸術は短く 貧乏は長し>





空堀の歴史はまた興味を引く

人気の空堀商店街のカレー店 
2階にはシャンデリアか?



直木賞作家や芥川賞作家を輩出してきた名門の文学学校だが、多くのクラスがあり自分のクラスは17名ほどでシニアの方が多く、各々が独自の詩やエッセイを持ち寄り、発表して各自の評価や意見を受ける「合評」が特色 チューター(講師)のアドバイスも随時入る

この自由な自己発表の場と他人の評価意見に緊張感はあるものの、他の人の同様の評価意見もできて実にいい学びと、呆け気味の頭の刺激となる👌 
ゼミを終え、近くの居酒屋で飲み交わしながら🍻   更に忌憚のない意見交換は実に人間性をさらけ出して面白い場だ ここもありがたい居場所の一つ😂





自然学校は3年目になるが、自然感性を共有できる仲間たちで、共に過ごす時間は実に楽しい 野山の自然の中で過ごす時間、自然学を学ぶ講座、更に終わって先ず仲間とビールで一日を乾杯🍻🥂 楽しく明るいシニア、自然愛を共有する仲間たちとの自由な交わりは実に貴重 個々に輪も広がりありがたい これからも大切に守りたい居場所😂



小学校から大学に至る旧友は、何十年ぶりかでも最初の一言から一気に当時の姿に戻り、会話がはずむのは不思議なものだ🤣
そんな友達が今も居て声をかけてくれるだけで どんなに嬉しくて、ありがたくて、幸せなことかといつも涙する 
これも人生の心の居場所😂

自然観察の散歩かな 
園児たちが坂道ではしゃぐ


独り身となり3年 時に 淋しいだろう!? と声をかけてくれる旧友もいたが、全くの見当違いだと笑う🤣
この間 多くの交わりを通して多くの友を得た またその友から新たな友の輪が広がり波紋が大きくなりビックリ😵‍💫
喜寿にして、まさか新たな友達がこんなにも多くできるとは想像もできなかった🥂
まさに「幸期幸齢者だ」と感謝でいっぱいの毎日🙏😂

公園で一人俳句を捻る人、スケッチをする人などよく見かけるが、自分の居場所がありいいね


自分の老後は物理的な居場所は狭い部屋でも、お金が豊かでなくても、独りでもいい 自分の心が一番安らぎ、落ち着け、心豊かに過ごせれば何もいらないと思ってきたが、今まさにその通りになり嬉しい🤗

だから誰が何と思おうと 今自分はこの場所が、この生き方が、生き甲斐のある日々を過ごせるこの空間が、終の最高の居場所で 幸せだなー といつも感謝の中で眠りにつく🥰😴

仲良しのpontaもいるしね😆 



いつの間にか秋🍁🍂
季節は計り知れない人智を越えた自然界の営みの中で、不思議だが確実なローテーションで回っていると実感する 考えてみれば凄いことだね

そんな中で選挙の公約を叫ぶ喧騒が空しく聞こえるが!?🤣
 
千里南公園は憩いの居場所
今日の散歩道から

ワンちゃん談義は楽しそうだ

鳩たちが友達 いいじゃないですか
 
ドングリ拾いをする園児たち

ピクニックのママ友 健康的で素敵ですよ

パークカフェはいつも多くの人で賑わう
憩いの場だね

人々がそれぞれの憩いを楽しむ 
この公園の自然空間も大切な私の居場所

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信州・白馬へ

2021年10月27日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月26日 (火) 3/15℃  
信州・白馬へ

朝、JR大糸線の松本駅から信濃大町行きのワンマンカーに乗る 
信濃大町駅より南小谷 (みなみおたり) 行きに乗り換えて白馬駅に向かう
昨夜の大雨が上がり快晴だと思いきや、白馬が近づいてくるとまた雲が厚くなってきた 曇天と快晴とでは見る景色が全く異なるのだが😭

安曇野を走る大糸線車窓から












やっと白馬駅に着き改札を出ると、今日お招き頂いたYokoさまが満面の笑顔で迎えて下さり、もうそれだけで感激でいっぱい😂 

9月に初めて箕面FM局でお世話になったばかりなのに、まさか次は白馬で出会えるとは思いもよらず、失礼を顧みず旧知の仲のようで嬉しい




息子さんをご紹介頂き、息子さんの運転する車で先ずランチへ 
それが珍しい鯉料理のお店でお昼からお腹いっぱいに美味しいお料理を頂いた 美味しくて全て頂き食べ過ぎたかな😆

食後、初めての白馬にあちらこちらとご案内頂き、かねてより憧れていた白馬の別荘地周辺を見る事ができて嬉しい












多くのオーストラリア人が移住してペンションなども経営しているというから国際的なリゾート地になりつつあるようだ 
リゾート地 白馬のホテルは木立の中









もうすぐ雪が降れば白馬の多くのスキー場に国内外から沢山のスキー客が訪れて今年は賑わうことになりそうです
自分の想像以上に素晴らしいハイレベルな住環境にうっとり😂


もう46年になると言うYokoさまご家族のログハウスに着く 
林の中に点在する別荘家屋はどこも趣きがあり夢があるが、カナダのしっかりしたログハウスは長い年月を経ても全く問題がなく驚くほどしっかりしている





木の特性から夏は涼しく冬は暖かそうで、外は寒いのに入れて頂いたストーブが暖かく、木製のガラス戸一枚だけで室内が快適でびっくり 木組みの木がしっかり生きていると実感する 
 
寒い雪の白馬では二重サッシは当たり前かなと思っていたが全て木製戸一枚、さすが極寒に耐えるカナダ製のログハウスに驚く


テレビもラジオも新聞も置かれず一見アナログな生活を思うが、それが為に優雅な人間生活が営まれ、対話があり、自分との対峙も大切にできるという現代生活に欠けるものを得ることができるのだなと実感する

デジタル化されロボットに操作されているような錯覚に陥る近代的な都会生活から、そのひと時をこの大自然の中で自分の世界で過ごせることは人間回帰にとっても重要なことで欠かせないものではないかと肌で感じる



穏やかなログハウスの中で、おいしい午後の紅茶☕️をいただきながら外に目をやると 紅葉🍁 黄葉🍂でいっぱい 大きなホウノキの葉は箕面の森にもたくさんあって 秋の山路を歩くとバリバリと踏み音がし、また雨の日はその雨粒が大きな葉に当たり独特のドラムを叩くようなリズム感を生み出して歩いていても楽しかった・・・ 
そんなことを想いながらお茶を楽しみ、お喋りを楽しむ至福のひと時を過ごした




*(Yokoさまのお声は箕面に住んでいた長い間 みのおFMラジオから毎日のブルーグラス番組に次いで聴いてきたが、私も含め多くのファンがおられる人気番組です😃)

ゆったりとしたその穏やかで自然な語り口と上品で優雅さを感じるお喋りには心惹かれるものがあり印象的だったが、この白馬の自然環境での心の切り替えの中で醸し出された安らぎ・・・ なのかなと勝手に想像してます😊

<タッキー816  みのおFM局>の
人気番組
「植田洋子とTer For Two」
毎月第1.3.5水曜日の
         15.00~16.00 
再放送は①当 日 21.00~22.00
    ②日曜日 17.00~18.00

今はインターネットラジオで世界中で聴ける時代となり何とも驚くが、9月に初めて番組に出させて頂き、終了して5分後にアメリカに住む息子や家族からの聴いたよ! とのLineにはびっくりしたものです😵‍💫
  
秋の夕暮れは早い🍂



おかげさまで楽しい心癒される体験をさせていただきました
有難く感謝でいっぱいです🌹🤠

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安曇野 散策

2021年10月26日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月25日 (月) 4/7℃ 
故郷・安曇野 散策

ここ3年ほど生まれ故郷に帰る度に雨模様
トホホ😭


駅舎にはストーブ 寒い😨


北の白馬方面は冠雪だ


今日もJR篠ノ井線の田沢駅からJR大糸線・豊科駅まで歩く  そんなに距離は離れていないが、その中間地点 寺所 が生まれたところだが、随分昔と様変わりしがっかり いずこも同じだな😩

小学校2年生の遠足はこの犀川のこの橋 (当時は木製) を渡り田沢駅の裏の山を登った







想い出の道を歩く





道を変えて歩くと、また70年前の微かな光景が思い出される



ハーモニカカフェなんていいね

昔遊んだ 諏訪松尾神社境内 今は寂れた




墓地は荒れていた

生家は藁葺き屋根の家だったが、もう昔に人の手に渡り立て替えられた だが周辺の面影は残っている 親族もいるが交流が無い

キミは覚えているか? このキミの木の上でよく遊んだことを お互い歳をとったね ご苦労さん😂




近くを散策し、豊科近代美術館へ







安曇野市役所は綺麗だ






豊科駅に着く



安曇野には道祖神が多い



穂高町役場









豊科駅で電車を1時間待って穂高駅へ
初めての東光寺を探す







やっと見つけた ここに会いたかった人が眠る やっと来れた   涙が溢れた








穂高神社へ
子供たちと遊びにきてここで相撲をとったことがあるなー







遅くなったランチを穂高駅前の蕎麦屋でキノコ蕎麦を食べた 寒い😨



これで気になっていた一連のお墓参りを終える

今日もマンホールの蓋が気になった
安曇野、豊科、穂高と多彩だ









大糸線穂高駅


松本駅 松電 (上高地線)


松本駅 中央線 特急あずさ号


明日は知人のお招きで白馬の別荘にお邪魔するが とても楽しみだ😂
お天気はどうかな?

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故郷はいいなぁ

2021年10月25日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月24日(日) 2/17℃
故郷はいいなぁ

コロナ禍で遅くなった墓参に故郷を訪れた
朝 松本の叔母宅から見るアルプスにも薄らと雪がかかる 外は2℃ 徐々に寒くなる





家の近くのあがたの森へ 
旧制松本高等学校(信州大学跡地)だ 
子供の頃によく遊んだ







旧信州大学構内のヒマラヤスギ 枝に雪が積もると突然重さで跳ね返りドカーと頭から雪をかぶったりした





松本電鉄が大雨災害の為一部運行止め 復旧工事が来年8月までかかるとか 工事間はバス便 不便だが上高地へのハイカーで車内はいっぱいだ




教会の日曜礼拝に参列した後、お昼は松本駅前でお蕎麦を食べたが、昔はよく小澤征爾さんがここで食べているのを見かけたと弟が言っていた  そう言えば有名人の色紙が沢山あった




次男と両親や弟、親族が眠る教会墓地へ
近くには信州のりんご🍎園が広がる

再び松本城を訪れ街を散策する 







夜は懐かしい人たち、親族らと楽しい会食をして過ごしたが、やはり故郷はいいなぁ

他市とちょっと違うマンホールの蓋デザイン






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故郷へ

2021年10月23日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月23日(土) 3/12℃
故郷へ

 コロナ禍で帰郷できなかったが、そろそろ大丈夫かな⁈ とやっとお墓参りの為に懐かしい松本駅に降り立った






乗ったタクシーの運転手が、今朝は寒く美ヶ原にも薄ら雪が降りました と教えてくれた


JR中央線・特急しなの号の車窓から懐かしい風景をみる



塩尻平野が広がる




浦島太郎伝説云々の「寝覚めの床」は今も案内アナウンスがながれるんだなー と車窓からパチリ!
先ず親族のお墓参りへ 秋空が美しい


市内 女鳥羽川近くの祖父母らの墓参の後
国宝・松本城へ 見る角度で違う顔




懐かしい女鳥羽川沿いのナワテ通りを散策




泊る叔母宅から望む冠雪の日本アルプスを遠望 もうすぐアルプス全山が真白になる





懐かしい人たちと共に松本を楽しむ


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秋の公園散策

2021年10月22日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月22日(金)12/16℃  
秋の公園散策

3週間ぶりに千里南公園を散歩する。 
季節は晩夏から完全に秋に変わった🍂 
今日は最高気温が16℃と特にこの数日の気温の低下には慌てる🥶
 
旅の洗濯に家の掃除や片付けに食料の買い出しなどに追われていたが、今朝の寒さに慌てて毛布、布団に冬パジャマなどを引っ張り出した。
 
 今いろんな所で学ばせて貰っているので、その勉強やイベント、人との交わりにも毎日のように出かけているが、外へ出て こりゃダメだなー と引き返し、服をより温かいものと着替えねばならない始末 トホホ! 
だが毎日することがあるということ、行くところがあるということ、人との交わりがあると言う事がとても嬉しく幸せだ😂

つい先日 冬ものを片付けたように思うがもうまた冬がきたようだ。 
歳のせいなのか? 月日の経過が早すぎる感がする😆🍂

今日の千里南公園の散歩道から 
家を一歩出ると季節を楽しめるこの住環境にはとても満足している





都市公園とはいえ、自然がいっぱいでその営みにいつも心奪われる

公園の管理上からか除草作業が頻繁に行われている
(2か月に一度ぐらいの割合で全ての除草作業が行われていてご苦労様といつも頭を下げるが、自然観察から言えばもう少しそのまま置いておいてほしいなー)






これはメタセコイア、下はラクウショウ よく似た樹木だが違う 各々落葉樹で色づき始め、その内に木枯らしが吹く度に落葉シャワーとなりきれいだ 
だがやがて丸裸になる




これはラクウショウ並木




鯉釣り場の釣り人 やはり寒そうだ


芝生広場で遊ぶ子供達やママ友 園児 犬の散歩 野鳥観察 それぞれが秋を楽しむ








また毎日の散歩が楽しくなりそうだ

と言ってもまた明日から故郷・安曇野や松本へ墓参に出かける。
コロナ禍が収まりつつあり、やっと故郷にも出かけられる日がきた。
散歩はしばらくお預けかな🍂😆




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旅の反省と感謝

2021年10月21日 | 秋・喜寿の青春賦 日記!
10月21日 (木) 14/19℃ 
旅の反省と感謝 

 この大阪の寒さは異常かな? と思えるぐらい、その寒暖差にはビックリ‼️

なぜか歩いていた15日間だけが連日30℃以上の夏日だったようでこれも異常だが、体がこの寒暖差についていくのが大変だ😱
先週の今頃は諫早を歩き、気温は32℃の炎天下を汗だくで歩いていた🥵
それが今日は19℃とはこれいかに!

歩き旅では自分と対峙し、いろんな心の変遷や想いもしたが、旅の実際は概して自分の年甲斐もない行動がなせる結果で反省ばかりだ😭

① 特に薬ケースの紛失は痛かった  医師の処方箋もあり、勝手に薬局で市販の薬を求めることもできず、もし体調に変化があれば即 歩き旅を中止して帰るか、または近くの医院に飛び込む覚悟で歩いてきたが、大きな問題もなく感謝だった😵
だが帰阪したその足でかかりつけ医を訪ね診てもらったが、血圧が185とか179とかでビックリ すぐに処方薬を飲み大事に至らなかった😱

 同時に10年前からの加齢によるとされる咳は薬がなく、夜中にホテルでよく咳込んだが、コロナ禍の時期でもあり間違えられたら困るので周囲に気を使った😥 
だが昨夜、薬を飲んだらピタリと止まり有難いこと その他の薬も貰い帰宅したが無事に帰れてよかった😁

とにかく次に歩く時は財布、携帯と同じように薬ケースにもしっかりと紐をつけ体から離れぬようにしておかねばならぬ そのうち体中紐だらけになるかもね
トホホ!






② 段取りの悪さと不器用さは今に始まった事ではないが、自分ながら呆れるぐらいにドタバタしながらの日常で大変だった  
思い込み、勘違い、決めつけ、ど忘れ、まさかと 今更だがこれも今の自分だと諦め あるがままに 過ごすしかない・・・ トホホ!😫

③ 自分の体力、気力を勘違いしている時があり、学生時代じゃないんだぞ! お前は喜寿の爺ジイなんだぞと、自分を戒めなければならない時があり困ったものだ 気力と体力が一致してないのだ
トホホ!😤

④ などなど トホホ! の自分ごとばかりだが、しかし今 自分は地上の天国にいるかような気持でいっぱいになる😇 
 長い間の籠の鳥からやっと自由に空を飛べる鳥のように自分らしく過ごしているからだが、何よりこうして元気に自分の足で歩けることが感謝と幸せでいっぱいだ😆 



⑤ 歩きながら自分と同年代のシニアの方々を多くみてきたが、それぞれの地域で様々な生活条件の下で精一杯生きておられる ただ畑仕事にしろ何にしろ精一杯生きておられる人は輝いているなーと
自分は今輝いているのだろうか? 

偶然山道で見かけた
サツマニシキと言う蛾だと自然学校の仲間が教えてくれた きれいだ! ピンぼけにもう一度と近づいたら逃げられた




⑥ 「人は一人では生きていけない」と言うが、この歩き旅の間でも、小学校から大学まで多くの級友・学友からメールをもらった  いま学ぶ自然学校や文学学校、川柳クラブや出版本を通して新しい交わりを持った人たちや友人知人、またブログを通して多くの方々からも応援のコメントをmailやLineで頂いた😂

 それだけでもう嬉しく、温かく、励まされ、多くの幸せ感に浸ったか分からない 嬉し涙を何度も流した😂  
人がいて人から幸せを沢山頂くのだから、もう有難く感謝でしかない😂

 


⑦ 幸期幸齢者(75歳)となってからの好転人生の一部を、これからも日常生活を通して記録していきたい 

 歩く一歩は70㎝ほどでも300万歩ほど歩けば、長崎から東京まで歩けた👌  何事も先ず一歩から、人生好転劇の始まりも先ず一歩からを噛み締めたい 




⑦ 箕面の森を歩いてきた体験から書き出版された2冊の本も、青春18切符で回る日本周遊も、この歴史街道歩き旅も、ブログで書く日常生活も、最高齢で学ぶ自然学校や文学学校に川柳クラブも全て自分の意志で一歩を踏み出したもの👌 

それぞれに親しい友ができて輪が広がり、この繋がりが自分にとって大切な交わりとなり、地上の楽園に繋がった😂
自分の環境は自分で変えていくしかないが、その一歩に人との繋がりがあった



⑧ 笑うことは今までの人生で余りなかったが、この笑いが心身ともにすごい効果があることを知る 
この歩き旅でも自ら体感し意識せずとも笑って話せば見知らぬ人とも交われるようになった🤣 
(今や樹木や花や小鳥にまで笑って喋っているので、見る人からはとうとう徘徊老人かと思われてるかもね?)

「笑いは副作用のない万能薬」だと医師も推奨し、実証されているそうだから、これからも笑顔の人生で過ごしたい😆
(歩き旅の路上から)



長崎街道歩き旅の(あとがき)を書こうとしたものの、とりとめのない雑文になってしまった😵‍💫 

まあ余り形に拘らずに 好きなように あるがままの気持ちで過ごしているので、頭と同じで まとまらないのが当たり前かもしれないな🤣
トホホ!





いろんな心の想いや熱き人との交わり、自分の失敗ごとを胸に、今回の歩き旅を終える😆

皆さんに感謝です  
応援して頂きありがとうございました🙏

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長崎街道 歩き終える

2021年10月20日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月16日 (土)  21/30℃ 
長崎街道 歩き終える

連日の異常な夏日に汗だくになって歩いた15日間が終わった🥵💦

歩き旅の最後に長崎平和公園を訪ねた。
あの悲惨な原爆投下地を訪れ、改めて平和の尊さを肌で感じる。
一瞬にして亡くなられた多くの方々のご冥福を祈り、今もなお後遺症に苦しむ人々にその癒やしを祈った。

改めて戦争のない平和な世界を心から祈り、一つ一つの表示やモニュメントを見るたびに涙があふれた。
(その日は自分が生まれた7ヶ月後のこと)


次の世代を担う多くの小学生が熱心に説明を受けていた


涙をこらえながら水をかけた

原爆投下地点では思わず空を見上げた



今のこの平和な日本が、先人の多くの人々の犠牲の上に成り立っていることを改めて肝に銘じた
最後に手を合わせ、ここで長崎街道の歩き旅を終える
 16 oct  2021

<長崎街道歩き旅 データ>
(九州小倉・常盤橋から長崎・出島まで)
期間 10月1日~10月15日 の15日間
歩き距離 326.42㎞ (@21.76㎞/日
歩き歩数 445.763歩 (@29.713歩/日
平均気温 31.8℃


「東海道57次歩き旅」は 
(大阪箕面から東京日本橋を経て千葉浦安まで)
期間 ’20 1月~3月の延べ 38日間 
歩き距離  916.2㎞ (@24.3㎞/日)
歩き歩数 124.1万歩(@3.2万歩/日)
          
「山陽・西国街道歩き旅」は
(京都羅城門から九州大里まで)
期間 ’21 1月~3月の延べ 38日間 
歩き距離 936.0㎞(@24.6㎞/日)
歩き歩数 131万歩(@3.4万歩/日)

*いずれも平均気温  9.5℃  
 (やはり寒い方が歩きやすい)

振り返れば去年の1月から初めての歴史街道歩き旅をスタートしたので、その集計をしてみた
(長崎出島から江戸日本橋まで通して)
歩き期間 区切り延べ 91日間
歩き距離 2178.62km   (@23.94km/日)
歩き歩数 2.996.763歩  (@32.931歩/日)


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江戸・長崎街道歩き旅(15日目)完歩

2021年10月17日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
1015日(金) 
 22/31℃(長崎市宿町網場道)
(15日目)長崎街道
  網場道ー日見宿ー長崎出島 (到着)

<行程>
<網場道ー日見宿ー長崎・出島> 
 網場道ー腹切坂ー継場跡ー日見宿㉔ー歯痛観音ー梨の木茶屋跡ー亡塚ー日見峠ー馬頭観音ー文政道・シン峠ー本河内高部貯水池ー追分石ー青銅の塔ー蛍茶屋跡ー一の瀬橋ー古橋ーシーボルト通りー威福寺ー諏訪神社ー高木作右衛門屋敷跡ー長崎奉行所立山役所跡ー英語伝習所ー長崎会所跡ー末続平蔵宅跡ー桜町老屋敷跡ー唐通事会所跡ー医学伝習所跡ー高島秋帆宅跡ー本木昌造宅跡ー長崎奉行西役所跡ー海軍伝習所跡ーイエズス会本部跡ー出島オランダ商館跡ー出島ー長崎街道・起点地到着

さあいよいよ長崎街道歩き旅も最終日となった 感慨深い
予想外の暑さのため、予定した日数より2日間も多く15日間を要したが、大きな問題もなく最後まで無事に到着したいもの

15日目の出発地は、昨日歩き終えた網場道(あばみち)からで、人によれば日見峠越えは長崎街道随一の難所と言いプレッシャーがかかる

ところが昨夕ここまでとしたその場所へ戻るバス便が難しく、ホテルのフロントやバス停の人に、また来たバス4台の運転手に次々と聞いてやっとたどりついた👌😆

さあ長崎街道歩き旅も最後の出発日だ 
腹切坂から朝日に輝く橘湾を遠望しつつスタートした









「日見継ぎ場跡」は旅人の休み処だが、当時は歩く町人や武士らから重宝されたであろう 
この辺から上り坂となる











日見峠へ向かう上り坂が結構きつい


ナビは近道を教えるが、これも足にくる



この道の左右に民家が連なるが、車も入れず年寄りには厳しい坂道だ


これはスマホナビのルートを示すが、クネクネと坂を上る



これが本来の街道だが、参勤交代の大名行列もシーボルトもこのような所を通ったのかと思うと感慨深い



眼下に芒塚(すすきつか)トンネルを見る





昔の旅人が見たらビックリするような高速道路







この辺りに茶店でもほしい所だが・・・
汗だくに一休み



馬頭観音かな



日見峠に着いた 確かにきついが、冷水峠のような山の中でのワイルド感がなく舗装道が現代的で味気ない
峠表示の右が旧道、左が新道とか








余りに険しい峠越えの為、地域の有力者らが協力して山を切り開き新道を作り通行料をとったとか それが広い新道のようで右の道が旧道



当時の道はどんなであっただろうか? 









ここは茶店があった所 健脚人も一休みしたいような所だ 長崎から江戸へ向かう旅人はここが最初の茶店であったようだ






これらの石垣は当時からのものか、それとも後のものか分からない?



舗装路や電信柱が現代道を語る

日影がなく 30℃越えの街道は暑く 汗が流れる











当時は土道だから雨天の時は歩き辛かったに違いない

 
峠を越えて里に下るとダム湖が見える




長崎市街へ下ってくると、その山肌に沢山の家が建つ この坂道を上り下りする人達は毎日大変だと実感









これは墓地 お墓も山の上まで沢山連なり、老人のお墓参りなどを想像して大変さを思う




やっと峠を越えて里に下る 路面電車が懐かしい

江戸時代 その当時を知るシーボルトの功績を探る


ここはシーボルトの宅跡 しばし休憩しつつその面影を探る 江戸時代にこの長崎から江戸まで歩きながらの見聞録は当時の日本を知る上でも面白い




シーボルトの銅像から見た反対側の景色


シーボルト邸跡(国指定史跡)に立ち寄った後、その隣りに建つシーボルト記念館を見学し、更に江戸時代の姿を知る
シーボルトはドイツの医学者 文政6年(1623年)に出島和蘭商館医として来日 塾を開き多くの門弟に西洋医学や学問を教え、一方では門弟の協力を得ながら日本各地の調査研究をし、その成果をヨーロッパへしている



長崎の街に入り、街道と関わる名所旧跡を訪ねる





これは当時の長崎奉行所を再現したものとか TVの遠山の金さんを想う






さあいよいよ長崎・出島に到着だ 
門番に入門を検められ、当時の出島の様子を忠実に再現したという町並みを見学する タイムスリップするようで旅人の自分がやっと辿り着いた長崎を実感する













出島の旧神学校とか

「史跡 出島和蘭商館跡」を長崎街道の到着地とし、あの小倉・常盤橋を起点地とする東西の起点地を結び歩いてきたので旅の完歩と確認した
出島和蘭商館跡を見る

それぞれの歴史を語るには長い文言が必要だが、徳川幕府 鎖国時代に唯一海外との交易を図り新しい学術や文化が伝えられた場所だ
 また出島和蘭商館長は毎年、長崎街道、山陽・西国街道、東海道を経て江戸幕府に参上し多くの貢ぎ物をしていたが、その各街道を自分が歩き終えたので余計に感慨無量だ それにしても昔の人は健脚で驚く

長崎街道終着の地碑をみて確認、とうとう長崎街道を完歩できた



完歩に浸りながら夕暮れの長崎の街を散策 江戸町商店街へ











出島の港に出てみた


ハワイのサンセットクルーズを思い出す









大浦天主堂は18時までだが、17時半で入場券売り場が閉まるとか 残念!




グラバー邸も同じで中に入れなかった 残念!








偶然だが、今日の宿は長崎市庁舎第3別館という古い建物の前に建つホテルだが、その地名が江戸町とあり最後の締め括りとして印象に残った




ホテルで一日の汗を流し、着替えをして完歩できた自分の足腰体に乾杯をしようと、出島の海岸沿いに出かけてみた  
暑かった日中と比べ随分と涼しくなった夕べの散策を楽しみ、海辺のオープンレストランで今回初めてのデイナーを楽しんだ






あれだけ食欲がなかったのに、完歩できたと思うと存分に食べ飲みながらこの暑さに閉口した15日間の歩き旅を振り返った 
当時の旅人はこの半分ぐらいの日程で長崎から小倉まで歩いたというから凄いことだ



暮れ行く港町の雰囲気を楽しみ、ほろ酔い気分でホテルに戻り、支えてくれた皆さんに感謝と共に完歩の報告をし、達成感に浸りながら夢路についた 
ありがとうございました 皆さんに感謝です🙏





(15日目)20.14㎞、27.675歩
   累計(352・24㎞、48・08万歩)

この15日間の累計距離 
 352・24㎞   48・08万歩 
1日平均
 @23・48㎞ @3・21万歩

この間の気温 平均 31.8℃

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江戸・長崎街道歩き旅(14日目)

2021年10月15日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月14日 (木) 
 24/32℃(長崎県諫早市多良見)
(14日目)長崎街道
 市布ー矢上宿ー網場道
(予定)
<市布ー矢上宿ー網場道> 
 市布ー長正寺橋ー領境石ー役行者神社ー清藤橋ー八郎川ー腹切坂の墓標ー教宗寺ー矢上神社ー大楠ー役屋敷ー番所跡ー矢上宿㉓ー濱大王ー領境石ー腹切坂ー網場道


いよいよ長崎街道歩き旅も終着に近づいてきた
昨日ドタバタしたけれど、こんな時ほど気持ちを奮い立たせて前向きに前進のみと鏡の自分と対峙し笑う😆

食欲不振だが、歩く為 ホテルの朝食を無理してでも食べ満腹に👌 
食べようと決めたらしっかりといつも以上に食べれるではないか😂

あまり眠れていないし、熱中症気味だし、薬ケースを紛失して1週間になるが大丈夫か? と体に聞くが、勿論OK👌だと力強い返事😂
(本当はそれではいけないのだろうが、人様にご迷惑をかけないように最善を尽くすのみだ)


ありゃー マリリン・モンローさん お久しぶりですね 
昔は映画をよく見ましたよ 今はこの田舎町で中古車の宣伝ですか?
懐かしくまたハリウッドの映画を見たいものです 元気をいただきながら出発🤣

昨日歩き終えた市布駅へ向かうが、これもローカル時間で喜々津駅から先の普通列車は60分後と聞き、歩くことにした 
(結局歩くより待っていた方が早かったようだが構わない)

選挙が近いようてすね 日頃会う事が無いような人、しかも政党党首と会いました



いよいよ長崎県に入った



長崎街道と同じ道 九州自然歩道を行く



江戸時代の旅人をも癒したという藤棚























江戸・長崎街道を行く





田舎村の街道沿いに椰子の木とは😆










江戸時代に幕府によりこの街道の道幅が定められていたので、道幅を見ると街道か否かがわかる!?


峠の茶店 開店前だった





開業間近の九州新幹線西ルートが見える

これは長崎街道を横切る高速道路 この村も変わりそうだが恩恵はあるのかな?







小鳥の診療所 ニーズがあるのだな



矢上宿に着く 矢上神社を中心に宿場が広がるが、昔の面影はない












腹切峠(はらきり)の網場道に着いたが、ここから長崎街道難所の一つ、日見峠道へ入る 時間は14時半だが行くか明日にするか迷う







どんな難所かわからないが、もしもの時に道に迷い暗くなればとても野宿などできない 
躊躇したが明日朝1番で峠越えをすることにして、今日はここまでとした

今日はちょうどバス停が近くにあり30分ほど待てばバス終点の長崎まで行けそうだ  昨日は懲りたのでこれにして予約ホテルに入れた



(14日目)21.26㎞、29.303歩
     累計(306.28㎞、418.088歩)

明日はいよいよ最終日だ
難所の峠越えを前に体調を整えねばと、熱い風呂で体を癒し、早々にベットに入った😴💤


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江戸・長崎街道歩き旅(13日目)

2021年10月14日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月13日 (水) 
 24/32℃(長崎県大村市)
(13日目)長崎街道
 大村ー永昌宿ー諫早ー市布

<予定>
<大村-永昌宿ー諫早ー市布> 
 大村ー長崎街道ー長与俊達墓ー観音像ー野田神社ー狼煙場跡ー番所跡ー日置峠ー白鳥橋ー大神宮ー渡辺伝弥九墓ー駕籠立場跡ー鈴田峠ー国境石(弁慶の足形石)ー番所跡ー大村街道ー破籠井ー岩茶屋跡ー追分石跡ー永昌問屋場跡ー永昌宿㉒ー伊藤鼎之介墓・道祖元ー東大川・佐代姫橋ーお馬ノ水ー茶屋橋ー旧茶屋跡ー赤松坂ー久山茶屋跡ー大乗軽典六十六部塔ー一里塚ー郡境石ー峠の茶屋跡ー駕籠立場跡ー椎の木坂ー井桶尾茶屋跡ー領境石ー藤棚茶屋跡ー市布s

今日は昨日歩き終えた長崎県大村から出発だ
旧円融寺庭園(国指定名勝)、大村護国神社を経て近くの武家屋敷「旧楠本正隆屋敷」を見て後、旧道から鈴田峠に入るが山道の上りに汗だく

鈴田峠が大村藩と佐賀藩諫早領との藩境で大石があるはずだが道が見つからず断念 残念なり
大石(支石墓、別名弁慶の足形石)
峠を下り、途中大渡野番所跡があるという

今日は空がきれいだ 相変わらず夏日で暑いが 秋空だ


大村の図書館、歴史資料館はすごい






9時からの開館で入れず先を急ぐ










長崎街道の坂道を上れば大きな病院があるが、この坂道だけでもう上から下まで汗まみれだ💦 今日も暑い🥵








活水女子大学 (後でナビを叱る)


近くでドクターヘリを初めて見る




街道を上り山道に入るとまた迷う?





土地の人に道を尋ねるが、もう昔の道でないのではとか? 




今日のランチ 無人販売所でみかんを買う
100円で8個あり満腹😆 最近食欲がなかったので口に入りやすかった👌
















峠道から見る雲が今日は目を引く
夏の雲 秋の雲 雲は動きがあって自由に形を変化させ 見ていても飽きることがない








結局 山道の入口がわからず、仕方なく国道を遠回りすることにして里に下る










諫早の町に入り岩茶屋跡を経て、永昌宿跡に着くが探し回った 
宿場の表示物は1つもなく、その地域により宿場の保存管理PRに大差を感じる








これは秋の鱗雲かな




こんな刈り入れの風景が好きだ






鱗雲が夏雲に追いやられているようだ?

今日は雲の動きが面白い 




マンホールの蓋デザインが市町村によって異なるのは面白い










この単線はJR大村線、無人駅が多くワンマン電車だ






きれいな蝶々か? 蛾のようだな?




今日は空ばかり見て歩いている😆

下を見ればその土地のマンホール蓋が気になる



坂の上の大学、学生たちが汗を流しながら上ってくる ご苦労さん 暑いねー



やっと今日の目的地の1つを探し当てた






長崎街道永昌宿はこの石碑一本だけだったが、探すのに半日を要した😭




















今日はここまでとして最も近いと言うJR長崎本線の市布駅へ向かう
駅は無人駅 この時間帯は1時間に1本で、出た後だったので待つ

近くに泊るホテルはなく、やむなく大村駅前に予約 (この後、ホテルに入るまで3時間以上もかかるとは夢にも思わなかった😭)

今日は秋の空と夏の空のせめぎ合いのようで、秋の雲と夏の雲もお互いに張り合っている感じだったな🤣

長崎街道を歩き始めて13日目、すべて30℃以上の夏日だが、来週からは一気に涼しくなるとの予報に がちょん と来る😵





(13日目)  27.02㎞、36.772歩
     累計(285.02㎞、388.785歩)

<今日のドジ>
(沢山あり記録用として記す😭)

① 今日の予定を地図で確認しGoogle マップに入力してスタート だが登ってから日置峠は通行止め  もう朝から汗だくだ
② 次の鈴田峠は入口を間違えたのか?
地元の人に聞いてみたが、昔はあったよーだがとの曖昧な返事? やむなく危ないので国道を使う(事前調査不足)

③  長崎街道に沿い、丘の上の国立長崎医療センターを経て活水女子大学の中に入った 
(これはGoogleナビの指示だ)
たがそこはロープが張られ女子寮の庭となっている😵
おいおい いくら爺とは言えまだ男だぞ
この格好で写真を撮りながら女子寮庭の中に入ればすぐに御用となり、盗撮か痴漢容疑か? やめてくれ😭
ナビを消して勘で遠回りして出たところが、確かに女子寮のうらの道だ ナビは近道のつもりで案内しただろうが、人間社会のルールを教えねばならぬなぁ😩

④  1日の予定を歩き終えJR長崎本線の市布駅にやっと着いた 疲れた ここも小さな無人駅で自分一人、案の定 次の電車は待つ事一時間😭  もちろん周辺に泊まるところはなく、また大村駅前に出ることにして予約した 

やっと電車が来て乗り、諫早駅で大村線に乗り換えねばならない だが何を勘違いしたのか思い込みなのか? もうそろそろ乗り換えの駅かなと思ったら、もう3つも過ぎていた ありゃー 

すぐ降りた駅が小江駅、その駅がまた小さな無人駅で自販機1つない 戻る電車時間を見てまたびっくり 1時間以上後 まさか? だがよく見たら朝9時の次は昼過ぎの2時まで5時間もなくそれでなくて良かったと変に安堵?

暗くなる駅のホームに座る所もなく一人、一時間待ってやっときたかと思ったら特急が通過していった まさか? だが不安になった頃にやっと遅れて暗闇から普通電車がやってきた トトロのネコバスを思い出した😵‍💫

ホッ! だが乗り換えの諫早駅に人が多い? なんでも事故があったとかで大幅に遅れているとか また待つ 笑うしかない

予約したホテル時間を変更変更してもらいやっとベットに入ったらバタンキュー😴💤  スマホも充電器もiPhoneウォッチも全て赤ランプでオーバー 

⑤  夜中に起きた 明日着る服がない 持ってきた服全てが汗まみれの汗だくでとってもだめ🤬 仕方なくホテルのコインランドリーへもっていく ドラム式で仕上がりは約130分後、仕方なくベッドへ ウトウトして引き取りに行くと、大量だったのか半乾き、仕方なくもう60分回す
そろそろ夜明けだな😵‍💫

不器用さと段取りの悪さは天下一品、よく怒られたものだが治らんな😭
毎日こんなドジばかり😩
まあいいか ケセラセラ♪♪   歌うしかないかな🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(12日目)

2021年10月13日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月12日 (火) 
 24/32℃(長崎県東彼杵郡千綿)
(12日目)長崎街道
 千綿ー松原宿ー大村宿

<行 程>
<千綿-松原宿ー大村宿> 
 千綿-大村湾ー旧道ー芝取石ー駕籠立場跡ー江の串橋ー江串三郎入道塚ー千部塔ーR34ー餅の浜踏切ー鹿の嶋弁財天ー旧松屋旅館(江戸小休憩地)ー松原宿⑳ー八幡神社ー郡川ー庄屋屋敷跡ー牟田家ー福重橋ー長崎 兵衛の墓ー極楽寺跡ー聖宝寺跡ー首塚ー胴塚ー八坂神社ー千葉卜枕屋敷跡ー獄門所跡ー斬罪所跡ー放虎原殉教地ー追分石ー妻子別れの岩跡ー鈴田牢舎跡ー正法寺ー観音寺跡ー水主町口石垣跡ー脇本陣ー高札場跡ー本陣跡ー大村宿㉑水主町口ー本町アーケードー軒灯籠「長崎街道大村宿」ー八幡神社

今日は曇り空 だが予想以上に気温が高く蒸し暑い💦
昨日歩き終えた無人駅のJR大村線・千綿(ちわた)駅から今日のスタートだ
絶好のロケーション   だが今日は曇天 お天気も良かった昨日にもっと撮っておけばよかったかな😆





可愛い無人駅、駅前にコンビニ1つない


大村湾が穏やかだ











稲刈りが終わり、この地域は昔ながらに天日干ししている光景が秋らしい

長崎街道を上る















峠からみる大村湾








再び下り、JR大村線踏切から海辺へ














松原から旧道を歩くと旧松屋旅館が見えて来る 江戸時代に休憩所として利用
松原宿は規模の小さな宿場で本陣や脇本陣がなく、諸大名が通行するときの小休憩所地だったようだ














松原宿の宿場に入る








































郡川を渡り国道を経て皇天宮、原口一里塚跡を過ぎると首塚跡がある

更に胴塚跡、獄門所跡、また斬罪所跡、妻子別れの岩跡、鈴田牢舎跡といった凄惨なキリシタン殉教史跡が続く 
天文18年(1549年)日本にキリスト教が伝わり、領主・大村純忠が日本初のキリシタン大名となり領内の布教を強く支援したことから領民のほとんどがキリスト教に改宗した 

しかし、豊臣秀吉、続く徳川幕府もキリスト教の禁教政策により改宗を厳しく迫られたが、隠れキリシタンとなり信仰を続けた人々406人が打ち首獄門となったという悲惨な歴史跡をみる


















大上川を渡り宿場の出入り口を示す「大村宿水主町口」の標識を経て脇本陣跡、本陣跡の標識を見るが、商店街の片隅に表示板だけで宿場時代の面影は無い




大村宿の宿場に入る

































(12日目)  21.08km 28.508歩
     累計(258.0km 352.013歩)

今日のドジ的気分😵‍💫
考えてみたらこの12日間、休みなしで毎日20キロ以上を歩いていたが、歩く事は問題ないが、この連日30℃以上の真夏日を歩くのは想定外🥵💦

ぎっくり腰からほぼ回復し、足腰肩も当初ストライキを起こしていたが徐々に立ち直り今は快調😃

問題は暑さによる水分補給過多で徐々に体調がおかしくなり、冷たいビールは飲めても珍しく食欲不振😩
時に頭痛とふらつきで熱中症か?
そうなれば大変と休み、よって今日は15時で歩き終えホテルで休養

まあこんな日もあるさ😆
それに今日は大村のキリシタン弾圧の凄惨な現場表示板を読み、その当時の現場に立ち、気分が落ち込み、さらに疲労を加速させたようだ😭 
人間はなんと惨いことをするのか・・・  これを書き出すとキリがないからもう寝よう😴💤

今日のランチは97円の露天みかん12個、食欲がない割によく食べたなぁ





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江戸・長崎街道歩き旅(11日目)

2021年10月12日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月11日(月)  
24/32℃ (佐賀県嬉野市嬉野温泉町)
 (11日目) 長崎街道
<嬉野宿ー彼杵宿>
嬉野温泉街ー東構口跡ー豊玉神社跡ー丹生大明神ー平野渡し場跡ー俵坂関所跡ー領界石ー東彼杵ー俵坂峠ー愛宕神社ー彼杵神社ー彼杵宿ー大村湾ー千綿

(しかし今日も沢山写真を撮ったものだ😵‍💫
整理下手なので、できるだけブログに収録)

シーボルトの湯は公衆浴場なのですぐに誰でも入れるが、朝は静かだ


無料の足湯場 まだ誰もいない



嬉野宿と温泉街を抜けて長崎街道に入る





轟の亀公園 面白い名前だ





秋の風景を楽しむ 
といっても気温は30℃越えだ💦







谷間の集落が大水害に遭い、多くの被害者を出したと言う碑が建つ





その谷川を渡る江戸時代の渡し場跡



全く人一人見かけなく、野に咲く花に きれいだねぇ すごいなぁ とか話しかけて1人で喋って楽しむ 人が見たら徘徊老人だと思うだろうなぁ🤣








いくつか峠を越える







江戸時代の関所跡に着く
周囲の地形を確認して納得





また野の花とお喋りしつつ峠を登り降りする















いよいよ佐賀県から長崎県へ入る


地滑りか? よく見れば長崎新幹線のトンネル工事のようだが、もうすぐ開通か?








今日街道で初めて人と会う こんにちは😃




遠くでピーシャラピーシャラ御神楽が聞こえてきた 秋祭りかな


嬉野産茶畑が広がる




重の城址は谷間の向こうの山にあるらしい




どんなに人間様が暑くても、野の花は季節が来たらしっかりと美しい花を咲かせる

国道と長崎街道が並行する

峠を越えてふっと視界が広がり、遠くに大村湾を望む 海だ😵




収穫後の畑が広がる



大村に入るとキリシタン弾圧の史跡が随所に見られ心が痛む

彼杵神社に着く 彼杵宿本陣跡だ



大村湾に着く 久しぶりに見る海だ




松ポックリが沢山!



歩き旅の疲れが一気に吹っ飛ぶ きれいだ


いつまでも眺めていたい




鯨肉倉庫なんて? その昔を想う








JR大村線が大村海岸沿いを走る
その横を長崎街道と国道が並行する
撮り鉄には絶好のロケーションが続く
しばらく待っていたが暑くて降参🥵






迂回路を上り下りし街道を歩く

















今日はここまでとする 千綿(ちわた)駅舎
近くに宿やホテルがないので大村駅前にて予約



 
(11日目)   21.7km. 29.572歩
   累計(236.92km. 323.505歩)

汗だくでたくさん沢山歩いたつもりだが、峠の上り下りと、草花と遊んでいて時間をとったのか? あまり距離が伸びないなぁ

今日のドジ😭 薬箱をどこかに落としたか、ゴミと一緒に捨てたか? いくら探しても見つからない 何度も一休みをしながらリュックの中を触っていたので、どこかに落としたかな⁉️ 
トホホ😫

血圧、コレステロール、腰痛、咳止め、膝関節漢方薬、目薬・・・数えたらいろいろあるなぁ😂
いざとなれば「幸齢者保険証」もあるし、何とかなるさ 今日は道も間違えドジばかり   まあこれも年相応に生きていると言うことだなー 
ケセラセラ♪♪♪

半ボケとストレスには特効薬🍺があるし🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(10日目)

2021年10月11日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月10日(日)
 22/33℃(佐賀県武雄市)
(10日目)長崎街道
 武雄温泉ー塚崎宿ー嬉野宿

<行 程>
<武雄温泉―塚崎宿ー嬉野宿> 
 武雄温泉口ー塚崎宿⑰ー本陣跡・脇本陣跡ー代官所跡ー高札場跡―牛鼻山善念寺ー下馬地蔵ー五輪塔ー薬師堂ー石橋ー渕の尾峠ー渕の尾水源地ー老松社ー中修寺橋ー末広橋ー東川登公民館ー越川橋跡ー貴船神社ー藤津郡塩田町ー小田志追分石ー嬉野追分ー明元寺山門(上使屋の門・本陣)ー嬉野宿東溝口跡―継場跡ー本陣跡ー嬉野宿⑱

人は毎日厳しい暑さの中 汗まみれで重荷を負うように歩き、何故に苦行か修業のような事をしているのかと言うが、
だが瞬時に思う事は、自分は究極の贅沢旅をしているのだと言うこと😆

夢に見た籠の鳥から大空に飛び立ったのだ・・・ 実感として伝えにくいが、自分の意思で思いのまま自由に采配ができ、自分らしい最高の生き方をしているのだから、
こんなありがたい感謝と幸せの日々は無いよ😂🤣

今日は武雄温泉口から山間部を抜けて嬉野温泉口へ向かう 温泉好きな人にはいいコースだろうなぁ🤣

(写真をたまに誉めて貰うがiPhoneスマホでパチパチ撮るだけ。
便利だが説明文をつけたくも歩きながらは難しく、宿に着いては疲れ眠たく、やはり後でゆっくり追記とする🙏😭)

武雄温泉郷 塚崎宿からスタート


















これは小学校の門


















この草花なに?




市や町が変わるとマンホールの蓋が変わるので面白い いろんなデザインがある






今日も33℃ 西へ歩くので太陽がまとも🥵




またハプニング なんと充電器のバッテリーがゼロ😵 いつもの空中給油ならぬ歩行給油ができず、スマホが残り電源2%  緊急電話用に残しておかねば 又山道で迷子だー😭 
昨夜充電した思い込み😭




既に道を間違えとんでもないところを歩いているようだ⁉️ 周りに人もいない
たまたま見た地域のバスはなんと朝8時5分の次は15時5分の7時間空きとは😵






徘徊老人が行く⁉️🥵🤣




何とか遠回りしながらも頼りない感で嬉野市に入る インターチェンジの駐車場でやっと管理の人に会え、親切丁寧に教えてもらい、室内で嬉野名物のおいしいお茶をいただき、嬉野の宿に着くことができた😂





















(10日目) 24.77km.  33.850歩
   (215.22km.  293.933歩)

昨夜バッテリーの充電をしたつもりが忘れていて、いつもの思い込みと勘違いで危うく山ノ中で徘徊しそうになったが、人との交わりと温かい人情に救われ涙した😭

スマホや地図がなくても何とか人との交わりさえあれば、目的地まで旅が続けられそうだと変な自信がついた👌🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(9日目)

2021年10月10日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月9日 (土) 
 17/31℃(佐賀県杵島郡江北町)
(9日目)長崎街道
 小田ー北方ー塚崎宿ー武雄

<行 程>
<肥前山口ー小田宿ー北方宿ー武雄> 
 肥前山口ー田園地帯ー小田宿⑮ー追分石跡ー伝馬屋敷跡ー馬頭観音堂ー大ケヤキー旧道ー横辺田代代官所跡ー造酒屋ー恵比須峠ー福母地蔵ー焼米橋ー追分ー六地蔵ー稲主神社ー土蔵重要文化財・土井家ー北方八幡神社ー問屋場跡ー追分石ー北方宿⑯ー大崎八幡社ー高橋ー天満宮・大神宮跡ー享保橋ー田園地帯ー閻魔大王石像ー阿弥陀仏六地蔵ー丘超えー武雄市ー僧庵橋ー夜泣き地蔵・八並の石塔ー武雄温泉口

少し前からスマホの機嫌が悪い
なぜ? 何とかなだめながら使ってきたが、今朝ダウン😵 慌てた😵‍💫

考えたら今の時代毎日スマホに動かされてる感じで、何とも映画じゃないがロボットに左右されてると感じる事がある😫
と言って今更歩き旅を足の向くまま超アナログで歩き始めても、どこへ行くやら糸の切れた風船か凧か😂

だが直前まで昔の旅人になったつもりで何の現代ツールを持たずに歩こうかと思ったが、多分徘徊老人と間違えられすぐに家に送り返されるだろうなぁーと、考え直して息子に連絡した

多分写真の撮りすぎで容量オーバーだから全て消せとのこと
そんな馬鹿な?😭
Googleフォトは消しても写真は残っているからとか⁉️  わけのわからないことでやりとり🤬

だが息子の言う通りにあれこれいじっていたら何とか動き出した😂
(仕事中なのに半ボケ親父に何時間も付き合わせてスマンな🙏)

と言うことで今日は昼前からだが
長崎街道ナビで再スタートだ 
予定地まで到着するかな⁉️




















肥前山口から田園地帯を通り小田宿⑮へ向かう 
小田集落には宿場だった面影はない 

だが馬頭観音堂に樹齢1200年という楠木があり、シーボルトが参府した時の紀行文にこの木のことが書いてあるという

小田横辺田代官所跡を過ぎ、土壁造りの旧家をみる

北方を過ぎ、旧道から稲主神社の先に、土蔵造り風のお屋敷前に
「旧長崎街道 北方宿本陣」⑯表示板があり、説明版があった 

北方宿をあとにして高橋川に沿い歩き享保橋を渡る
田園地帯を歩き小高い丘を越え武雄市に入る

僧庵橋を渡り、旧道を進む 
地蔵堂の横に「八並の塔」があり、虎御前が曽我五郎、十郎の冥福を祈るために建てた石塔婆で室町時代以前のものとか 

諏訪神社を過ぎ、鍵形道路の標石に着くと、長崎街道の各宿場風景の陶板が道の所々に埋め込まれていた 

札ノ辻を曲がり武雄温泉の本陣跡 塚崎宿⑯に着く
  
塚崎宿本陣はこの武雄温泉の楼門を入った湯屋と隣接してあったとか 湯つぼは身分別、階級別に区分されていたようだ 

御前湯は前もって馬の尾で作った細かいふるいでこした湯をたたえた藩主・領主専用の最高級の湯つぼがあったとか

武雄温泉の開湯は約1200年前と古く、武雄温泉新館と楼門は国重要文化財になっている 

この周辺は宿場時代の面影がそれなりに残っている

今日はここまでとして 名湯の温泉に入る と言いたいが、ゆっくりする間もなく疲れ果てバタンキューでベッドだった トホホ!


























































今日は半分は曇り空で歩きやすかった
だが風がなく蒸し暑く余計に汗が出て衣服は汗まみれ 宿にコインランドリーがあってよかったが、乾燥までの1時間が長い



(9日目)22.43km 30.710歩
    (190.45㎞.260.083歩)

武雄の街に入り、偶然本物の蒸気汽関車が置かれた公園に出た しかも自由に出入りができ、子供たちのおもちゃになっている廃車だった。

だが 幼い子供の頃、安曇野の国鉄篠ノ井線と大糸線に蒸気機関車が走っていてその勇姿に憧れ、機関士になる夢を見たものだ。 
車体の歴史を見ると昭和19年製造とある 
20年1月生まれの自分とは同世代だ
幼児の時に見て驚いた車輪の大きさが目の前にあり懐かしかった
機関車の運転席にも自由に入れ、その内部を初めて見て触ってみた
また夢にでてきそうだ🤣















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