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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

東海道歩き旅(20)新居宿から舞阪宿、浜松宿へ

2020年02月23日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月23日(日)6/12℃ 

東海道歩き旅(20)

新居宿から舞阪宿、浜松宿へ

 台風一過・・ のような快晴のお天気だ  昨日、土砂降りの雨の中、最後に着き、写真を撮ったりしたものの一日全ての写真が消えてガックリしたが、気を取り直して今朝からまたスタートだ。

東海道31番宿場の新居宿へ入る   古くは「荒江」「荒井」とも表記されたようだ。 当時は舞阪宿から船で渡り、新居宿の関所に着岸せねばならなかった  地震や津波の被害により、関所も宿場も何度か移転し、現在地に落ち着いたのは1707年と言われる

浜名湖から舞阪宿へ向かう  今は橋もあり陸路だが江戸時代は船で渡った

ここは日本の丁度真ん中とのこと

舞阪宿へ入る  当時はここで東海道の陸路は一度切れて、新居宿まで海上一里半を船で渡った  1498年の大地震で浜名湖と遠州灘が繋がったので、その後はこの舞阪から船で渡ったとか  当時の交通政策上は重要な宿場であったようだ

脇本陣「茗荷屋」 1838年建築の旧茗荷屋にあった書院棟を復元したもので、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構だ  多くの靴が玄関にあり入るのをためらった

この見張り台の上から大名行列の際、人馬の通行を見張ったとか

舞阪宿の今の街並み

東海道を歩く旅人の日よけも兼ねて植えられたという松並木は各所に残る

舞阪には面白い伝説が多くありこれもその一つ・・

舞阪の松並木は約700mに340本ほどがまだ残っているという

街道沿いにはいろんな遺構が残り伝えてる

街道沿いの植木屋さんでお洒落な鉢をみる

今朝は昨日の後遺症が残ったままだったが、一転青空と早春の浜風に気分一掃で気持ちのいい歩き旅を満喫  でも足腰肩や体は夕暮れともなると悲鳴を上げる  宿でいっぱいのビールが心身を癒してくれる・・ がすぐにまたバタンキュー!


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1 コメント

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旧東海道新居宿、舞阪宿、浜松宿 (浜松屋飲兵衛)
2020-06-12 10:26:20
ガンジーさん~お早うございます。

始めてコメントいたします。
浜松屋飲兵衛です。
わが地元浜松をご紹介いただきありがとうございました。
これを機に宜しくお付き合いお願いいたします。
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