7月に入って早々の2日、記録業務で大変お世話になっていた小黒が亡くなったとの連絡をいただきました。体調を崩していらっしゃったことは知っていましたが、まさかこんなに突然に・・・
小黒さんと最初にお会いしたのは、いつだったか覚えていませんが、多分毎年2月に開催している県の伝達研修ではないかと思います。冷静、沈着で穏やかな話しぶり。ちょっとインテリっぽい人かな?というイメージだったと思います。静岡県ソフトボール協会記録委員会の副委員長兼西部地区のブロック長として、さらには日本ソフトボール協会のリーグ派遣記録員としても大変なご活躍をされていた頃だったと思います。その後、私が県内大会での日本リーグの記帳や県外派遣などを経験させていただくようになると、お会いする機会が次第に増えていきました。大好きな日本リーグを観戦に行った先で、派遣で来ていた小黒さんと県外で会うこともしばしば。話しているうちに、このひとはなんて穏やかな人なんだろう、経験もない私たちのトロい意見も真剣に聞いてくれて、私たちが理解できるような丁寧な説明をしてくれる。いつでもしっかり向き合って答えてくれました。たしか4~5年ほど前に体調を崩され、2年ほど全くお会いできない時期がありましたが、その後西部地区で開催された全国大会の陣中見舞いに行ったとき、久々にお会いすることができたんです。小黒さん、記録に戻って来れるくらいに良くなったんだなぁと思いました。でも、完全に治ったというところまではいかなかったようです。日本リーグの派遣も近いところでとお願いしていたようでした。
ちょうど2年半ほど前に、私が韓国・仁川で開催されるアジア大会に派遣されることが決まった時、とても喜んでくださったのを覚えています。「楽勝さんなら大丈夫。」と背中を押してくれました。このアジア大会での記帳はチャイニーズタイペイ式で、日本の記録とは微妙に違ったため、私は5月頃から勉強を始めました。記帳方法がほぼ身についたころの2年前の8月24日、出発のちょうど1か月前、自分の不注意で試合中に利き手の中指と薬指を骨折してしまいました。最初は右手でスプーンも持てず、書くことなど考えられないようなひどい状態でしたが、徐々に良くなり添え木が取れた9月中旬頃、刈谷での日本リーグを自分の中での最終研修に設定。そして、この大会のリーグ派遣記録員として来ていたのが小黒さんでした。小黒さんのお口添えに、愛知の委員長や理事長もご協力くださり、大変ありがたいことに球場記録室で記帳をさせていただんです。来る人来る人にご心配をおかけしましたが、この大会2日目に、やっと右手でお箸が使えるようになったことをよく覚えています。小黒さんもとても喜んでくださいました。
アジア大会では結局、全ての試合の記帳と点検集計、そしてホームページ用のデータとの照合・検証までを一人でやるという、全く想定していなかったハードスケジュールでしたが、やりきった感は満載。帰ってきてから何かの委員会に出て、帰国後初めて小黒さんに会ったときは「楽勝さんが行ってくれてよかった。」と笑顔で声を掛けてくださいました。小黒さんからの言葉が、本当にうれしかった。そして、この翌年に何と日本リーグの派遣記録員のお話が私のところに舞い込んできたんです。役目も何も、詳しいことは分かりませんでしたが、丁重にお引き受けしたところ、それは小黒さんとの交代を意味していたものでした。数週間後に開催された県の伝達研修で、そのことを知り・・・とんでもないことをしてしまったと思いました。小黒さんのお役目を取ってしまったと思い、話をしだすと・・・小黒さんから返ってきた言葉は意外なものでした。「私は本当に体調が悪いんです。だから、今年お話が来たらどうしようかと思っていたところなんです。だから、(交代の)連絡をくれた〇さんには、お礼を言ったんです。楽勝さんにチャンスを与えてくださって、ありがとうございましたと。」思わずほろっと涙がこぼれてしまいました。と同時に、自分もいつかその時が来たら、小黒さんのように感謝の気持ちで譲りたいと思いました。
リーグ派遣記録員になって丸一年が経ち、2年目の今年6月上旬、3回目のリーグ派遣は岐阜でした。自分が初めて県外派遣に行かせていただいたのが岐阜、国体に派遣していただいたのも岐阜、そしてアジア大会の事前研修を兼ねた派遣も岐阜という、非常に縁のあるところです。やること自体は点検とPC入力が中心ですが・・・実はこの点検、様々な記録業務の中で、自分が一番経験の浅いと思われる業務で、どうすればもっとスピーディーにできるのかを考えながらやってきましたが、これまでは思ったように進んでいませんでした。ところがこの大会では、その何かを掴むことができたんです。スポーツ選手が練習に練習を重ね、ある時突然出来た!ということがありますが、まさしくそれです。男子リーグは1日8試合。これまで行かせていただいた女子1部の1日3試合の倍以上の数を、とてもスムーズに点検できたんです。本当にびっくり!これで何とかなりそうだ!と思いました。でも・・・この日からほぼ1か月後、小黒さんが亡くなったことを聞いた時、小黒さんがきっと病床から力を貸してくれたに違いない。だからできたんだ。自分ひとりの力でできたんじゃない。そう思いました。最後にまた、力を貸してくれたんだと。
小黒さんからバトンタッチして、小黒さんを目標にして頑張りますと話したとき、小黒さんは言いました。「私じゃなく、私の尊敬する◇さんを目標にしましょう。」と。小黒さんは亡くなってしまいましたので、もう小黒さんに追いつくことはできなくなってしまったと思いますが、小黒さんとの約束の◇さんを目標に。とてつもなく高い目標ですが、1センチでも1ミリでも近づけるよう、できることやできそうなことを精いっぱい頑張って精進を続けていくことが、小黒さんへの小さな恩返しにつながると信じ、行動に移していこうと思っています。小黒さんへの深甚なる感謝の気持ちを込めて。
今年2月28日に開催した第20回記録員コンテスト。小黒さんが県記録委員会副委員長としての最後の行事になってしまいました。集合写真に納まる小黒さんの晴れやかな笑顔が今でも忘れられません。そういえば、この時も話をしました。私が記録業務に専念できるよう、お口添えをしてくださったようでした。いろんなことがありましたが、今の自分があるのは小黒さんのおかげと言っても過言ではないと思います。だから、なんとしてもそれに報いるような経過と結果を出していかなければと思っています。
小黒さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
日本ソフトボール協会HP
日本女子ソフトボールリーグ機構
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平成20年(2008年)9月15日更新BACKSOFTBALLオリンピック競技復活へ向けて
~坂井アニからのメッセージ~
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