みちのく童話会スタッフブログ

第3回を持ちまして、みちのく童話賞は終了ました。これからはみちのく童話会として、活動をしていきます。

みちのく童話会

 東日本大震災から10年のくぎりの2021年、東北地方の皆様から第1回みちのく童話賞を開催し、第3回まで、たくさんの作品、作家との出会いがありました。  童話賞終了後は、みちのく童話会として、活動を続けています。

『東北6つの物語』シリーズ第2期予約受付中です!

2024-11-13 | スタッフ新刊・活動紹介

      

第2期は、2冊同時発売。12月4日予定です。

     

 こわいは、こわいぞ(なんじゃそれ)。ほんとに怖いです。

『東北こわい物語』『東北スイーツ物語』

 執筆者は、こわいが、もえぎ桃、ちばるりこ、みどりネコ、野泉マヤ、佐々木ひとみ、吉田桃子。

 スイーツが、もえぎ桃、みどりネコ、田沢五月、千秋つむぎ、おしのともこ、吉田桃子。

 豪華です。また後日タイトルや内容などお知らせしますね! 

 スイーツは、胸キュン。じんわり。

 現在予約受付中です。どうぞよろしくお願いいたします! 


『アゲイン アゲイン』おおぎやなぎちか作・坂口友佳子絵(あかね書房)

2024-11-04 | スタッフ新刊・活動紹介

       

 あかね書房から出た新刊『アゲイン アゲイン』です。

 表紙の矢印がキーワード。

 自分のことは自分で決めたい。いろんなことを親に決められてきた亜麻音は、ある日予定していたおばあちゃんち行きを、バーベキューに勝手に変更されて(パパが友達と会うため)、「逃げろ」と家を飛び出します。行った先は、学校をずっと休んでいる友達マリナちゃんちでした。

 マリナちゃんは以前ゲーム好きだったのに、今はもうやってません。それは「自分で決めた」というマリナちゃん。でも学校に行くことは決めれずにいます。

 そこで登場するのが、矢印。亜麻音はまずは、その矢印をバーベキューをする川の方へ向けます。パパに決められていくのではなく、自分で行くと決めるのです。マリナちゃん親子もいっしょに行くことにあります。

 さて、自分で決めるのには、責任も伴います。決めたことの結果、うまくいかない場合、人の責任にはできません。

 なんてことを小学生にも感じてもらえるように書きました。ぜひ、読んでいただきたいです! 


「ヤマセの中で見た町」~『東北ふしぎ物語』田沢五月

2024-09-17 | スタッフ新刊・活動紹介

 こんにちは! スタッフの田沢五月です。

『東北ふしぎ物語』では、岩手の「ヤマセの中で見た町」を書きました。

     

私が生まれ育った町は、岩手県沿岸の小さな町です。

帰省する際には小高いところにある三陸鉄道の駅で降り、そこから15分ほど実家に向かって歩きます。道々、町の人たちに、「おかえりなさい」「いつまでいるの?」と声をかけてもらえるのも楽しい時間でした。

黒砂糖の香りが漂う菓子店のところで左に曲がり、旅館の角を右に曲がり、山際の道を少し進むと、実家の赤い屋根が見えてきます。

東日本大震災が起こったあの日、その町は姿を消しました。もう元のような町を見ることはできません。

「ヤマセの中で見た町」の舞台になった乃々花のおばあちゃんが住む町と私のふるさとの町は、似たところがあります。でも、ちょっと違います。沿岸のどの町にも通じるところがあるように書きました。

私は幼い頃、父から太平洋戦争の話を何度も聞かされました。でも、ずいぶん遠い昔のことだなと、思っていました。私が生まれるわずか十数年前のことなのに。

震災のことも、もしかしたら小学生の皆さんにとっては、ずいぶん昔のことのように感じるかもしれません。

このお話を読んで、乃々花と一緒に、ふしぎな体験をしてみませんか?(田沢五月)

 

 

 

 

 

 

 

 


「ふしぎの沼をたずねて」(『東北ふしぎ物語』)堀米薫

2024-09-14 | スタッフ新刊・活動紹介

 こんにちは。スタッフの堀米薫です。今回「東北ふしぎ物語」では、生まれ故郷の福島県の「不思議」について書きました。

       

あらすじ:福島市に住む主人公の小学6年生しのぶは、一年前にお母さんをなくしてから元気がありません。そんなある日、しのぶあてに手紙が届きます。差出人は、何となくなったはずのお母さん。ドキドキしながら封をきると、手紙には「五色沼で待っている」と書いてありました。本当にお母さんは待っているのか。そんな思いを胸に五色沼を巡って歩き出すのです。皆様は裏磐梯にある五色沼は行ったことがありますか?この本の中に出てきますが、五色沼はたくさんある沼ごとに青や緑、白や赤など、不思議な色を見せてくれます。この不思議を生み出すものは、裏磐梯の爆発によって湖沼に溶けだした様様な火山性物質なんですね。私もこのお話を書くために五色沼を歩きましたが、とても素晴らしい景観でした。ぜひ、多くの方に五色沼に足をお運びいただき、沼の色の不思議を堪能してほしいです。また、このシリーズを読んで「東北に生まれて良かった」と思っていただければ幸いです(堀米薫)。


『東北ふしぎ物語』~「渡り鳥のサンクチュアリ」

2024-09-13 | スタッフ新刊・活動紹介

みちのく童話会スタッフの野泉マヤです。

『東北ふしぎ物語』で、宮城県の「渡り鳥のサンクチュアリ」を書きました。

           

 昔は、日本全国で見られた渡り鳥のガンが、なぜ今は、東北とごく一部の地域でしか見られなくなったのか? それが、この物語の不思議です。

 なぜ多くのガンたちは、越冬地として宮城県を選ぶのでしょう? もしも自分がガンだとしたら、と想像していただければと思います。

         

 この物語を書くために、わたしはすごい人に取材をしました。呉地正行先生という、世界的なガンの研究者です。ラムサール賞、山階芳麿賞、環境大臣賞など、価値ある賞をいくつも受賞されています。そんな呉地先生は「ぼくは、ガンの僕です」とおっしゃるくらい、謙虚でガンが大好きな方です。

もともとわたしは、ガンの知識はほとんどなかったのですが、先生の話を聞いているうちにどんどんガンが好きになってきました。今では、冬の時期に「キャワ、キャワ」とマガンの鳴き声がすると、ベランダに飛びだすほどです。そして素早く、V字飛行するガンの群れを探し、ほれぼれとながめるようになりました。

 実際、ガンという鳥の立ち姿や、一生懸命に飛ぶ姿には、なんともいえない可愛らしさがあり、見れば見るほど愛着を感じます。そんなガン達が、あと一カ月もすると宮城県にやってきます。わたしは、秋に初めてガンを見た日を「初かり記念日」としています。ガンは「かり」ともいいます。昔の急行「はつかり」は、ガンからきていたのですね。

 さて、今年の初かり記念日はいつになるのか、今から待ちどおしいです。

                    

 


東北まつり物語ー福島わらじまつり

2024-09-12 | スタッフ新刊・活動紹介

                   

こんにちは。みちのく童話会スタッフ、堀米薫です。

福島市で、今年は8月2日~4日まで開催される「福島わらじまつり」。

日本一の大きさを誇る「日本一の大わらじ」のパフォーマンスや、わらじ音頭のパレードなど、夏の福島市が楽しく賑やかに盛り上がります。

「わっしょい!」という物語の中で、主人公の小学生は「福島わらじまつり」が伝統ある「暁まいり」をもとに新しい祭りとして始まったこと、東日本大震災の発災直後の2011夏にも開催され、福島の人々を勇気づけたことを知っていきます。

祭りには、「元気でありますように」「豊作でありますように」といった、人々の祈りが込められています。

そして、祭りは私たちの絆を結んでくれます。

東北の熱い祭りはもうすぐ!

物語と一緒に、福島わらじまつりを楽しんでいただけますように!

(文責:堀米薫)福島市出身:「わっしょい!」執筆

 

 


東北まつり物語 ねぶた流しの夜

2024-09-12 | スタッフ新刊・活動紹介

                    

こんにちは。みちのく童話会スタッフのもえぎ桃です。

いよいよ東北のお祭りが始まります!!!

 

青森ねぶた祭は曜日にかかわらず毎年8月2日~7日開催です。

今年は2日が金曜日と、お祭りが週末にかかるので最高に盛り上がりそうですね!

日程はこんな感じ。

 

8月2日・3日

19:00~ 子どもねぶたと大型ねぶた

8月4日~6日

18:45~ 大型ねぶた

8月7日

昼 大型ねぶた

19:15~21:00頃  第70回青森花火大会・ねぶた海上運行

 

ねぶたは珍しい夜のお祭りです。

私が執筆した「ねぶた流しの夜」は、7日「ねぶた海上運行」の夜のお話。

海の上をねぶたが流れていく幻想的な祭りのフィナーレです。

 

子どもの頃、「船に乗せたねぶたを燃やしながら海に流した」と聞いたことがあるのですが、調べても「燃やした」という事実は出てこず。私の記憶違いだったのかな?と長年疑問に思っています。

 

さて、私の母はよく「ねぶたが終われば青森の夏も終わる」と言っていました。

「ねぶた流しの夜」でも、主人公のお父さんがこのセリフを言っています。

暑いのは8月の初めまでで、あとは一気に秋、そして冬。

本当に夏は短くて、あっという間に過ぎ去っていくものでした。

今はびっくりするくらい暑くなって、エアコンがある家も珍しくなくなりましたが、それでもねぶたの乱舞には短い夏をとことん楽しもうというパワーを感じます。

 

「東北まつり物語」、よろしくお願いします。


東北まつり物語 「ぼくらの七夕さん」

2024-09-12 | スタッフ新刊・活動紹介
みちのく童話会スタッフの佐々木ひとみです。
仙台市在住の私は、『東北まつり物語』で、「仙台七夕まつり」をモチーフにした、
「ぼくらの七夕さん」を書かせていただきました。
 
毎年、8月6・7・8日に開催される「仙台七夕まつり」は、
通りを埋め尽くす豪華絢爛な七夕飾りで知られています。
しかし、この祭りが現在のようなスタイルになったのは、ほんの100年ほど前の大正時代のこと。
仙台の商人たちが不景気を吹き飛ばすために始めたと伝えられています。
昭和3年、「七夕飾りつけコンクール」が始まってからはさらに盛大になってゆき、
全国的に知られる祭りとなりました。
 
その背景には、仙台の人たちが藩政時代から、「七夕」という行事や飾りを
「七夕さん」と呼んで大切にしてきた歴史がありました。
昔は、七夕が近づくと「七夕紙」が売り出され、「笹竹売り」が家々を回ったのだそうです。
 
不景気な時にも祭りをつないできたことから「仙台商人の心意気」と言われている「仙台七夕まつり」ですが、
一方で、家ごとに、あるいは店ごとに、七夕飾りを作って楽しんでいた「七夕さん」の風習は廃れ、
一部の地域を除いてほとんど見られなくなってしまいました。
 
私は以前、『七夕の月』(小泉るみ子絵/ポプラ社)で「仙台七夕まつり」の飾りをつくる職人の思いを書いたときに、
こんなことを思いました。
「仙台商人の心意気」である華麗な七夕飾りと、市民ひとりひとりがつくる「七夕さん」が両輪となったら、
仙台の七夕まつりは、全国に誇れる唯一無二の七夕まつりになるのではないか、と。
どちらも、思いや祈りを込めて、人がひとつひとつ和紙を折って仕上げるものだからです。
 
「ぼくらの七夕さん」は、そんな思いから書き上げた作品です。
「町に、家族ぐるみでつくった思い思いの七夕さんが並んだら、どんなに素敵だろう」
「仙台商人の心意気である華やかな七夕飾りと、仙台市民手作りの七夕飾り、
 この二つが揃ったら、仙台の七夕さんは無敵です」というセリフは、私の思いそのものです。
 
物語を書き上げるにあたっては、実際に「仙台七夕まつり見物ツアー」を実施なさっている、
風の時編集部の佐藤正実さんと、風の時編集部さんが出版なさった『七夕七彩』にお世話になりました。
 
また、おばあちゃんと作った鉢植えの「七夕さん」のモチーフは、
仙台市北部の根白石(ねのしろいし)で行われている「根白石 民俗七夕まつり」です。
 
 
物語を読んで、「仙台七夕まつり」の飾りに思いを馳せていただけたらうれしいです。
 
 

『東北まつり物語』山形花笠まつり「五年一組花笠隊」創作秘話

2024-09-12 | スタッフ新刊・活動紹介


こんにちは。みちのく童話会スタッフの井嶋敦子です。
秋田市追分の今村記念クリニックで小児科医をやっています。
 
夫の実家が山形県なので、私が山形花笠まつりを担当することになり、
2022年8月6日、取材のためのホテルを予約していました。
ところが、新型コロナがこの時期爆発して仕事柄人ごみに行けなくなり、
泣く泣く予約をキャンセルいたしました。
 
それでも、山形県花笠協議会の方や、山形市の小学校教員をしていた姪っ子の丹野亜久里さんのご協力もあり、
なんとか作品を書き上げました。
 
ところが、校正の段階で、協議会の他の方から「踊りが違う」とのご指摘が。
花笠協議会の方々のお力をまたお借りして、大幅に内容を修正しました。
結果、ぎりぎりまで、編集者さんのお世話になってしまいました。
 
でも、最後の最後まで花笠協議会の方々とやりとりがあったおかげで、
今年の花笠まつりに国土社が協賛させていただくことになりました。
 
出版までいろいろありすぎた作品でしたが、
花笠協議会よりご提供いただいた巻末の花笠まつりの写真に、心が和みます。

 
山形花笠まつりは毎年8月5日〜7日。

今年の山形は洪水被害でまだ大変な状況ですが、復興を後押しするためにも、きっといい祭りになるはず。
花笠まつりを見に行かれるかたは、花笠協議会肝煎りの作品掲載の『東北まつり物語』をぜひご覧ください!

『復活! まぼろしの小瀬菜だいこん』野泉マヤ作・丹地陽子絵(文研出版)

2024-08-23 | スタッフ新刊・活動紹介

  こんにちは。みちのく童話会スタッフ、野泉マヤです。

        

 これは、伝統野菜の継承をテーマとした物語です。

  6年前、地元の加美町に伝わる「小瀬菜大根」の存在を知りました。そして当時、地元でこの野菜をつくっている、たった一人の方と出会いました。その方は、小瀬菜大根を絶やしたくないという想いで、毎年作付けし、種とりをされていました。それがきっかけで、わたしは小瀬菜大根の継承活動に関わるようになり、伝統野菜の価値を知ることとなりました。

大量生産された見栄えの良い野菜が、季節を問わずに流通するのが当たり前になっている現在、その当たり前に逆行するような伝統野菜を継承していくことは、簡単ではありません。毎年、まずは知ってもらう、食べてもらうという活動をしている中、この野菜の魅力を子供たちにも伝えたいと考えました。

そうして、実際の活動の様子を交えながら書いた物語がこの作品です。

わたし自身、子供の頃は野菜が嫌いでした。きっと子供たちの多くは、野菜に興味がないだろうと思います。でも、伝統野菜を育んできた日本の食文化や、地域の財産でもある固有の野菜について、ぜひとも知って欲しいと願っています。

お忙しいところ恐縮ですが、このような作品をご高覧いただければ幸いです。画家の丹治陽子先生が描いてくださった、小瀬菜大根の花畑や素敵な挿画の数々もご堪能ください。