関西弁だと思いますが、近ごろ関西以外の方で「しょうもない」という言葉を使っているのをたまに見かけます。 ところが、その使い方を見ると「しょうのない」と混同、誤用しているのでは?と思われます。
「しょうもない」は「くだらない」「つまらない」「価値がない」など否定の意味で、そのニュアンスは軽いものから侮蔑を含んだキツイものまで様々。 一方、「しょうのない」は共通語の「しょうがない」と言葉の意味としては同じだけど、もっと暖かみがある。 否定の要素はあるけど、最終的には肯定という感じ。
「しょうもない」は単独でも形容詞的にも使いますが、「しょうのない」は形容詞的にだけ使って、単独で使う時は「しゃあない」または「しゃあないな」です。
「しょうのない」とか「しゃあない」を使う時は笑いを伴うことが多く、共感、受容を意味しています。 「しょうもない」も最近、TVのお笑いやバラエティー番組で笑いと共に使われることもあるようだけど、それは相手を否定し見下す、優越の笑いのような気がします。
そこを勘違いして使う人が増えている気がする。
言葉は生きているのだし、時と共に変化するのは仕方ないとしても、有名な作家、翻訳家といった人たちが、洒落た表現、くだけた言い方のつもりで間違った言葉遣いをしているのを見ると、言葉のプロとして信用出来ない。 その人の作品は読む気がしません。
子どもが何かを買って欲しがって駄々をこねているとします。
大人が「しょうのない子ォや」とか「しゃあないな」と言ったら、後には「(そこまで言うなら)買うたろ」と続くことが多い。
「しょうもない」だったら、「(そんな、しょうもないもん)要らん」「買わへん」となります。
一字違いで中身は大違いです。
「しょうもない」は「くだらない」「つまらない」「価値がない」など否定の意味で、そのニュアンスは軽いものから侮蔑を含んだキツイものまで様々。 一方、「しょうのない」は共通語の「しょうがない」と言葉の意味としては同じだけど、もっと暖かみがある。 否定の要素はあるけど、最終的には肯定という感じ。
「しょうもない」は単独でも形容詞的にも使いますが、「しょうのない」は形容詞的にだけ使って、単独で使う時は「しゃあない」または「しゃあないな」です。
「しょうのない」とか「しゃあない」を使う時は笑いを伴うことが多く、共感、受容を意味しています。 「しょうもない」も最近、TVのお笑いやバラエティー番組で笑いと共に使われることもあるようだけど、それは相手を否定し見下す、優越の笑いのような気がします。
そこを勘違いして使う人が増えている気がする。
言葉は生きているのだし、時と共に変化するのは仕方ないとしても、有名な作家、翻訳家といった人たちが、洒落た表現、くだけた言い方のつもりで間違った言葉遣いをしているのを見ると、言葉のプロとして信用出来ない。 その人の作品は読む気がしません。
子どもが何かを買って欲しがって駄々をこねているとします。
大人が「しょうのない子ォや」とか「しゃあないな」と言ったら、後には「(そこまで言うなら)買うたろ」と続くことが多い。
「しょうもない」だったら、「(そんな、しょうもないもん)要らん」「買わへん」となります。
一字違いで中身は大違いです。
「仕様がない」又は「しゃーない(しゃあない)」を
よく使用します。