先日のNHKの特集番組、久々に興味深いものを見ました。 再放送を録画したものを連休中に見たので、全く遅い反応でスミマセン。
1991年にイタリア、オーストリア国境のアルプス山中で発見された五千年前の冷凍ミイラの男性。 それが20年以上たって解凍、精査されたという。
ニュースなどでも断片的に取り上げられていましたが、はじめ考えられていた遭難した狩人ではなくて族長クラスの身分の高い人物だったとか。 骨格、DNAからの風貌や持病など体の特徴だけでなく、消化管の内容物から食生活はもちろん、生前の行動までわかるというすごさに感動しました。
DNAから彼の子孫にあたる人々は、現在はアルプスではなく地中海のコルシカ島やサルディニア島あたりに住んでいるというのも面白い。
従来の予想よりも豊かな生活を送っていたらしい彼が、アルプスの山頂近くで死んで冷凍ミイラとなっていたのはなぜか?
その死因とは、背後から矢で射られて倒れたところを頭部を鈍器で殴られ致命傷を負わされた他殺らしい。 それに関しても様々な仮説が紹介されています。 まず生贄説。アンデス文明でも山頂近くのミイラというのはそういう例が多いとか。 番組では触れてなかったけど、敗戦や天災の責任を取らされて指導者が殺害されることも古代社会ではあったらしい(卑弥呼の死因にもそういう説があります)。
しかし、それに対して殺人説を唱える根拠になっているのが、先に述べた消化管から発見された花粉類。 消化管からは食物だけでなく吸い込んだ空中の花粉も見つかり、その植生によって死の二十数時間~直前にいた場所、つまり生前の行動がわかるんだそうです。 それによるとアイスマンは死に場所と同じくらいの高地にいたのが、いったん標高の低い土地に移動しているらしい。それが直前にまた標高の高いところに戻って死んでいたという。 その行動を研究者は何者かから逃げていたとしているのですが、そこはちょっと納得できません。 逃げるのなら高地から低地に戻るのはおかしい。 人の少ない高地を移動して逃げるほうが合理的でしょう(食料などを調達に行ったとも考えられますが)。
そこで、私なりに勝手にその行動を推理してみました。 研究者の方たちと違って何の根拠もありませんが。
まず最初に高地に上っていたのは何かの祭祀のためではないかと思うのです。 消化管内容物からわかる予想を上回る豊かな食事も、日常のものではなくお祭りのごちそうだったのかもしれません。
祭祀を終え居住地である低地に戻った彼が、再び高地に上ったのは何か忘れ物をしたからでしょう。 祭祀にかかわる大切な祭具だったのかもしれません。 あるいはそれこそが殺人者の罠で、彼が祭祀の地に戻るようにその大切な何かを隙を見て盗み、隠しておいて待ち伏せしていたのかもしれません。
そしてそれを探してか、見つけて回収しようと屈んだところを後ろから射られた。 屈んだ姿勢でいて背後から射られたというのは、体内に残る矢じりや傷の具合から間違いないのでしょう。 その後、暗殺者は石で殴ってとどめを刺し、遺体をうつぶせにして背中に刺さった矢柄を回収して立ち去った、というところは番組で研究者が再現して見せたとおりだと思います。
人様の死因をあれこれ憶測するのはいい趣味だと思いませんが、なにせ五千年前の話で、考古学、民俗学的な問題ともつながってますから…。
実は私が最も興味を惹かれるのは、アイスマンの皮膚に残る刺青が東洋医学でいうところの経穴(いわゆるツボ)に一致するという点です。
骨の状態から腰痛に悩まされていたというアイスマンには同じ悩みを持つ者として親近感を覚えます。 彼の皮膚の現在でも腰痛のツボといわれている個所に、ちゃんと刺青が残っているそうです。 鍼灸治療のための目印だったのか、刺青自体が治療の一種なのか?
黄帝内経などで経穴の記述が出てくるのはもっと後の時代と番組では言ってましたが、記録に残される前に広く社会に広がっていたはずですから、そのあたりもっと研究が進めば面白いですね。 このころすでに中国とヨーロッパの交流があって、中国の知識・技術が西に伝わっていたのか? 逆に中国の伝統と思われていたものがヨーロッパから来ていたのか? あるいは両者にその知識を伝えたまったく別の起源が存在するのか?
そのようなことをいろいろ考えるには、まだまだ材料が足りませんが、残された事物だけでなく伝承なども馬鹿にならないと思うのです。 伝説と思われていたトロイアや殷王朝の遺跡も現実に発掘されました。
伝説・仮説が今回のアイスマンのような実物と結びつくことに、大きなロマンを感じるのです。
1991年にイタリア、オーストリア国境のアルプス山中で発見された五千年前の冷凍ミイラの男性。 それが20年以上たって解凍、精査されたという。
ニュースなどでも断片的に取り上げられていましたが、はじめ考えられていた遭難した狩人ではなくて族長クラスの身分の高い人物だったとか。 骨格、DNAからの風貌や持病など体の特徴だけでなく、消化管の内容物から食生活はもちろん、生前の行動までわかるというすごさに感動しました。
DNAから彼の子孫にあたる人々は、現在はアルプスではなく地中海のコルシカ島やサルディニア島あたりに住んでいるというのも面白い。
従来の予想よりも豊かな生活を送っていたらしい彼が、アルプスの山頂近くで死んで冷凍ミイラとなっていたのはなぜか?
その死因とは、背後から矢で射られて倒れたところを頭部を鈍器で殴られ致命傷を負わされた他殺らしい。 それに関しても様々な仮説が紹介されています。 まず生贄説。アンデス文明でも山頂近くのミイラというのはそういう例が多いとか。 番組では触れてなかったけど、敗戦や天災の責任を取らされて指導者が殺害されることも古代社会ではあったらしい(卑弥呼の死因にもそういう説があります)。
しかし、それに対して殺人説を唱える根拠になっているのが、先に述べた消化管から発見された花粉類。 消化管からは食物だけでなく吸い込んだ空中の花粉も見つかり、その植生によって死の二十数時間~直前にいた場所、つまり生前の行動がわかるんだそうです。 それによるとアイスマンは死に場所と同じくらいの高地にいたのが、いったん標高の低い土地に移動しているらしい。それが直前にまた標高の高いところに戻って死んでいたという。 その行動を研究者は何者かから逃げていたとしているのですが、そこはちょっと納得できません。 逃げるのなら高地から低地に戻るのはおかしい。 人の少ない高地を移動して逃げるほうが合理的でしょう(食料などを調達に行ったとも考えられますが)。
そこで、私なりに勝手にその行動を推理してみました。 研究者の方たちと違って何の根拠もありませんが。
まず最初に高地に上っていたのは何かの祭祀のためではないかと思うのです。 消化管内容物からわかる予想を上回る豊かな食事も、日常のものではなくお祭りのごちそうだったのかもしれません。
祭祀を終え居住地である低地に戻った彼が、再び高地に上ったのは何か忘れ物をしたからでしょう。 祭祀にかかわる大切な祭具だったのかもしれません。 あるいはそれこそが殺人者の罠で、彼が祭祀の地に戻るようにその大切な何かを隙を見て盗み、隠しておいて待ち伏せしていたのかもしれません。
そしてそれを探してか、見つけて回収しようと屈んだところを後ろから射られた。 屈んだ姿勢でいて背後から射られたというのは、体内に残る矢じりや傷の具合から間違いないのでしょう。 その後、暗殺者は石で殴ってとどめを刺し、遺体をうつぶせにして背中に刺さった矢柄を回収して立ち去った、というところは番組で研究者が再現して見せたとおりだと思います。
人様の死因をあれこれ憶測するのはいい趣味だと思いませんが、なにせ五千年前の話で、考古学、民俗学的な問題ともつながってますから…。
実は私が最も興味を惹かれるのは、アイスマンの皮膚に残る刺青が東洋医学でいうところの経穴(いわゆるツボ)に一致するという点です。
骨の状態から腰痛に悩まされていたというアイスマンには同じ悩みを持つ者として親近感を覚えます。 彼の皮膚の現在でも腰痛のツボといわれている個所に、ちゃんと刺青が残っているそうです。 鍼灸治療のための目印だったのか、刺青自体が治療の一種なのか?
黄帝内経などで経穴の記述が出てくるのはもっと後の時代と番組では言ってましたが、記録に残される前に広く社会に広がっていたはずですから、そのあたりもっと研究が進めば面白いですね。 このころすでに中国とヨーロッパの交流があって、中国の知識・技術が西に伝わっていたのか? 逆に中国の伝統と思われていたものがヨーロッパから来ていたのか? あるいは両者にその知識を伝えたまったく別の起源が存在するのか?
そのようなことをいろいろ考えるには、まだまだ材料が足りませんが、残された事物だけでなく伝承なども馬鹿にならないと思うのです。 伝説と思われていたトロイアや殷王朝の遺跡も現実に発掘されました。
伝説・仮説が今回のアイスマンのような実物と結びつくことに、大きなロマンを感じるのです。
反応遅くて失礼しました。
ご覧のとおりめったに更新しないので、せっかくですがメール交換とか無理だと思います。 申し訳ありません。
懲りずにまた覗いてくださればうれしいです。