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17日指揮:ヤンソンス・バイエルン放送交響楽団マーラー/交響曲第5番

2007-11-19 | ・ハーディング・ヤンソンス・内田光子
17(土)           ミューザ川崎・4F1-10・13000円・超安い

 4階は初めて座りました、高みの見学ですね。上野。文化の5階より、高く感じますね
音響は?・・
 ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番は,音楽自体、主題が地味?かな,2楽章で、ブラームス風の印象を受けた旋律が・・曲構成をヨハヒムに助言と・・
最近ブラームスのヴァイオリンとチェロの協奏曲を聴き、ヨハヒムとの関係修復にこの曲を・・ 色々な繋がりがあるのですね・・面白いですね。
 ヴァイオリン:サラ・チャン の印象は,繊細と豪快の切り替えが巧いと想いますが
如何せん,天井桟敷では,良く聴こえなかった・・

マーラー/交響曲第5番・・過去に、何度も聴いている5番ですが、ベスト1かな、1,から3楽章の弦群の弾き込みと木管奏者の巧さ・・噴火口の、いたる所からマグマが吹き上げ,溶岩が流れ・・湧き上がるその音色は天空へ・・そして,四楽章アダージェットの弦の美しさ、ハープの美しさ・・涙しますね・・別世界へ惹き込まれます・・
 終楽章が怒涛のアンサンブルで・・音の沸騰点が高い、弦と木管のバランスが良い・・久し振りに興奮しました。

 指揮:マリス・ヤンソンス   バイエルン放送交響楽団
      ヴァイオリン:サラ・チャン
   ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
   マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調
《ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調》作品26は、マックス・ブルッフの作品。1864年に着手され、1867年に完成し、友人のヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最も愛好される作品の一つで、ブルッフの数多ある作品の中でも現在まで最も頻繁に演奏される作品となっている。
以下のように構成されている。
「前奏曲」アレグロ・モデラート Vorspiel: Allegro moderato -
     アダージョ Adagio
「終曲」アレグロ・エネルジーコ Finale: Allegro energico
第1楽章は異例なことに「前奏曲」と題されており、第2楽章と直接アタッカでつながれていて、実際に第2楽章の前触れとしての役割を果たしている。緩やかな第2楽章は、魅惑的な旋律ゆえに名高い。最初にフルートによって歌われた後、魅惑的なヴァイオリン独奏によって旋律が受け継がれる。この旋律が聞き手にもたらす印象は、滑らかな軍楽行進曲といったところであろうか。第3楽章のフィナーレは、弱音によるオーケストラの数小節によって始まり、ヴァイオリン独奏のダブルストップ奏法による熱狂的な主題に道を譲る。第2主題は、ロマン派音楽の抒情性のすぐれた例となっている。
 この協奏曲は、異例なことに、作曲者自身がカデンツァを挿入することもしていなければ、独奏者が独自のカデンツァを挿入することも許していない。ブルッフはほかにも2曲のヴァイオリン協奏曲を作曲し、さらにいくつかの協奏的作品を残しているが、ブルッフの最も有名なヴァイオリン協奏曲は本作である。
 "マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)はケルンに生れベルリンで没したクラシック音楽の作曲家。教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。 ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。他にもヴァイオリンと管弦楽のためのスコットランド幻想曲や、チェロと管弦楽のためのコルニドライがしばしば演奏される。
 1852年(14歳) - フェルディナント・ヒラーとカルル・ライネッケに作曲を学ぶ。
1867年(29歳) - ゾンダースハウゼンの宮廷楽長。
1879年(41歳) - イギリスに渡り、リヴァプール管弦楽団の主席指揮者。
1881年(43歳) - ソプラノ歌手トゥチェックと結婚。
1908年(70歳) - ベルリン大学から神学と哲学の博士号を贈られる。
 1920年(82歳) - ベルリンのフリーデナウで没する。
多くのユダヤ的主題で作曲し成功を収めたため、ユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、1935年ナチス政府によって上演禁止となる。ブルッフの得意とする合唱曲では美しい旋律の曲が多いが、以後今日に至るも復活されていないと言っても過言ではない。ただしブルッフの祖先がユダヤ人だったという確かな証拠は何もない。
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マーラー 交響曲第5番(こうきょうきょくだい5ばん)嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。
 第5番は、1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで最も人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、ハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。

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11月19日(月)
マリス・ヤンソンス指揮  バイエルン放送交響楽団
 曲目 R.シュトラウス :交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
    ブラームス :交響曲第1番 ハ短調 op.68
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11月23日(金・祝)
  マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団
   曲目 ブルッフ :ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
   ブルックナー :交響曲第7番 ホ長調
            出演 サラ・チャン(Vn) 開演 18:00

ブルッフ
マーラー

ハーディング08.2月 東フィルの指揮で来日です。お聴き下さい。お薦めです・22日発売

作曲の経緯ブルックナー :交響曲第7番 ホ長調
本作は交響曲第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された。 スコアは第3楽章スケルツォの完成のほうが1882年10月と少し早く、第1楽章のスコアは同年の暮れに完成する。
 第2楽章のクライマックス部分を書いた頃、1883年2月13日にブルックナーが最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが死去した。ブルックナーは“ワーグナーの死を予感しながら”第2楽章を書き進めてきたが、その悲しみの中でコーダが書き進められ、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。こうして第2楽章のスコアは同年4月21日に完成する。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成した。
 1884年12月30日、アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で初演された。この初演の段階でブルックナーとニキシュは入念な打ち合わせを行い、何度か手紙をやりとりしている。