気 儘 人 語録
徒然草の第百十二段で、吉田兼好は「諸縁を放下すべき時なり」と述べています。
思うにこれは兼好晩年の感慨でしょう。私はこの一文に触れた時,思わず自分の現在の年齢への忠告のようにも感じられ、暫くは呆然としました。
「今は世間の義理はすべて捨て去るべきである」
要するに,世の中の約束ごとを、ことごとく投げ捨てて,勝手気儘に生きて行こうと言っているわけです。
「すでに日は暮れ,道は遠い,自分の人生はもうケリがついた。もう約束も守るまい,礼儀も思うまい。
この気持ちの分からぬ人は,氣違いだとも言え、正気の沙汰ではないとでも思え。自分は非難されても一向苦にはしまい」
この部分を読んだ時、私は思わず快哉を叫びました。
「これあるかな、人の言うことなぞ、もうどうでもいいんだ,自由気儘に生きて行くこと、これだ」
「今,私は晩年を迎え,残り少ない人生を気儘に楽しんで生きて行くことこそが大切なんだ」とつくづく感じ入った次第です。
考えてみれば、私はこのエンジョーの先月号で、つれづれ草の番外編を書き「言いたい放だい」と題して、人の悪口雑言を目茶苦茶につらねたものでしたが、なんのことはない、とっくに昔に,無意識のうちに私は「気儘人」を演じていたのでした。
それが,吉田兼好先生の一文に接し、あたかも「気儘人」のお墨つきをいただいたごとく狂喜したのでした。
さあ、私は喜び、張り切って,余生を勝手気儘に生きて行くことに致しましょう。
それにつけても,兼好先生ありがとう!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
周りの人々,社会に迷惑掛けず、自由にエゴでなく,活きて行ければ最高ですが・・
現実には,人の間に生きる人間としては付き合いがあり・・心だけでも,何も捕われない,自由な氣持ちを・・気儘人かな?・・
自分の思い通りに・・行動をする と 周りの人に 社会に 気儘人は難しいかな・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
欲望と希望とは 異なるものではない。
それはともに永遠のあこがれである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
効したい!、叶う!様に・・暗示して・・夢叶う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
112 徒然草
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。
俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、
人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。
されば年もやう\/たけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。
人間(にんげん)の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、
願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、
一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。
日暮れ道遠し〔唐書白居易傳に「日暮而途遠、吾生已に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)」〕、吾が生(しゃう)既に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)(さだ-ママ)たり、諸縁を放下(ほうげ)すべき〔世間の俗關係をひきはなし捨つべき〕時なり。
信をも守らじ、禮儀をも思はじ。
この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、
情なしとも思へ、
譏るとも苦しまじ、
譽むとも聞きいれじ。
徒然草
吉田兼好
徒然草の第百十二段で、吉田兼好は「諸縁を放下すべき時なり」と述べています。
思うにこれは兼好晩年の感慨でしょう。私はこの一文に触れた時,思わず自分の現在の年齢への忠告のようにも感じられ、暫くは呆然としました。
「今は世間の義理はすべて捨て去るべきである」
要するに,世の中の約束ごとを、ことごとく投げ捨てて,勝手気儘に生きて行こうと言っているわけです。
「すでに日は暮れ,道は遠い,自分の人生はもうケリがついた。もう約束も守るまい,礼儀も思うまい。
この気持ちの分からぬ人は,氣違いだとも言え、正気の沙汰ではないとでも思え。自分は非難されても一向苦にはしまい」
この部分を読んだ時、私は思わず快哉を叫びました。
「これあるかな、人の言うことなぞ、もうどうでもいいんだ,自由気儘に生きて行くこと、これだ」
「今,私は晩年を迎え,残り少ない人生を気儘に楽しんで生きて行くことこそが大切なんだ」とつくづく感じ入った次第です。
考えてみれば、私はこのエンジョーの先月号で、つれづれ草の番外編を書き「言いたい放だい」と題して、人の悪口雑言を目茶苦茶につらねたものでしたが、なんのことはない、とっくに昔に,無意識のうちに私は「気儘人」を演じていたのでした。
それが,吉田兼好先生の一文に接し、あたかも「気儘人」のお墨つきをいただいたごとく狂喜したのでした。
さあ、私は喜び、張り切って,余生を勝手気儘に生きて行くことに致しましょう。
それにつけても,兼好先生ありがとう!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
周りの人々,社会に迷惑掛けず、自由にエゴでなく,活きて行ければ最高ですが・・
現実には,人の間に生きる人間としては付き合いがあり・・心だけでも,何も捕われない,自由な氣持ちを・・気儘人かな?・・
自分の思い通りに・・行動をする と 周りの人に 社会に 気儘人は難しいかな・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
欲望と希望とは 異なるものではない。
それはともに永遠のあこがれである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
効したい!、叶う!様に・・暗示して・・夢叶う
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112 徒然草
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。
俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、
人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。
されば年もやう\/たけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。
人間(にんげん)の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、
願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、
一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。
日暮れ道遠し〔唐書白居易傳に「日暮而途遠、吾生已に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)」〕、吾が生(しゃう)既に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)(さだ-ママ)たり、諸縁を放下(ほうげ)すべき〔世間の俗關係をひきはなし捨つべき〕時なり。
信をも守らじ、禮儀をも思はじ。
この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、
情なしとも思へ、
譏るとも苦しまじ、
譽むとも聞きいれじ。
徒然草
吉田兼好